「フランダース の犬」
10月13日(水)アントワープ Gant Flandoria Hotel
朝食を8時に取り、9時前に出発する。途中、高速道路にてオランダからベルギーへと国境を越える。これまたEU圏の為、入国手続きは全く無く、国を表す標識が有るのみ。
アントワープ(Antwerpen)の町に付き、アントワープ中央駅の観光案内所にて「フランダース の犬」で日本では有名なノートルダム寺院の場所を聞く。日本語のアントワープ の案内書が有ったので、手にいれる。ノートルダム寺院近くの駐車場へ車を停め、そこから少し街中を歩いてノートルダム寺院へ向かう。ノートルダム寺院の絵は「フランダース の犬」の最終編にて絵の前でネロ少年とパトラッシュが亡くなる名場面で日本では有名である。その絵を見に行く、さすがに大きいく立派な寺院で有った。寺院内部の中央部にルーベンスが描いた「キリストの昇架」「キリストの降架」「聖母被昇天」の巨大な3部作が飾られていた。又、この寺院の中に日本語で「フ ラン ダースの犬」の説明書が備え付けられて居た。それには‘80頃に多くの日本人旅行者から市内の観光案内所に「ネロ」に付いての問い合わせが殺到した。しかし、この地区で は「フランダースの犬」の物語は殆ど知られていず、問い合わせに答える事が出来なかった。そこで、係りが調べた結果、そ の物語は確かに存在したが最終の場面が残酷な事と、作者がベルギー人で無い事から、一般的には評価されずなかった。其の為、ベルギー国内ではこの物語が、それ程有名に成ら成らなかった為との事であった。
そして、郊外のCamp場へ向かうもCamp場が見付らず、アントワープ(Antwerpen )から50Km程離れたゲント(Gent)の町迄行く。ゲント(Gent)の町のHotelに泊る。Hotelの窓からはライトアップされたゲント(Gent)最大の寺院聖バーフ大聖堂(St.Baafskathedraal)が夜空に美しく映えて見えた。
宿泊費€ 48、
走行距離265Km 給油31.02L
10月14日(木)アントワープ
Hotelの昼食を食べ、ゲント(Gent)最大の寺院、聖バーフ大聖堂(St.Baafs kathedraal)を見に行く。寺院内には既に多くの団体が入っていた、寺院の内壁には多くの絵画が張られていた。ルーベンス等の有名な絵画は別室に有り、10時半から有料で拝観出来る様で有ったが見ずに外に出る。この町は歴史有る町で古い建物が多く残っており、1400年頃に建てられた肉屋の市場、魚屋の市場等が見所と書いて有った。そして、町中に有るグランベル伯(Granventeen)の居城を見て町を出る。アウトバーンのパーキング・エリアよりヨーロッパ・トヨタのS氏へ電話をする。会議中との事、1時間後再度電話する旨伝える。アウトバーン走行中の1時にS氏より携帯に電話が掛かって来た。月末に帰国したいので、車を一時預かって欲しい旨伝える。快く了承を貰う、20日の午後会社を訪問する事も伝える。そして、アントワープ(Antwerpen)の町に入りB&BのGreta Stevensに行き2日間の宿泊を依頼する。そ して、車をB&Bに停め、市内見物に行く。今日は平日なので宿泊費は€60だが明日は週末料金の€75との事。 スーパーで夕食のおかずと日本米(ジャポニカ米)が有ったので3キロ買入する。6時半にB&Bに戻り、部屋で夕食を取る。部屋は大変広い屋根裏部屋で、屋根の両斜面に天窓が有り、如何にもベルギーの家の部屋と言う感じである。台所が有り、冷蔵庫が置かれ、風呂は珍しくバスタブ付きで有った。久々に浴槽に浸かる、風呂に入ったと言う感じである。
宿泊費€ 60、
走行距離97Km 給油0L
10月15日(金)アントワープ( Antwerpen) B&B Greta Stevens
朝食用に8時過ぎでは有るが、パンを6個部屋に配達してくれた。おかずは既に冷蔵庫に前日中に入れて有り、適時出して食事する。B&Bから徒歩で15分程に有る、王立博物館を午前中見学する、此処も多くのルーベンスの絵を多数所有し、ゴッホ、レンブラント等有名な絵が多数展示されていた。特別にアントワープ(Antwerpen)の町の戦災情況に付いての展示 が有った。ドイツのV1号やV2号での爆撃を受け、多大な被害を受けた様子が展示されて居た。欧州の他の町同様、この街も戦災前と全く同様に再建されて居る事が解った。その後、町を散策し4時過ぎ宿に戻る。部屋に戻りパソコンにて日記を書こうと思ったが電気が入らない。調べたら電源コードの中側の線が変圧器から1cmの処で断線していた。其の部分を接着剤で接続して修理し、旅日記を作成する。
宿泊費€ 75、
走行距離0Km 給油0L
10月16日(土) スパ(SPA) Camp場 ジン祭り
アントワープの宿を出て、ハッセルト(Hasselt)町向かう。ハッセルトの町では今日からジン(ジンと言うお酒)祭りが始まるところで、楽隊を先頭に行進しているのが見えた。又街の広 場では、多くのテントが張られ色々な店の開店準備が行われていた。最も大きな店はジンを飲ませてくれるテントも有ったが、残念ながら飲むわけには行かない。観光案内所脇に観光用の3両編成のト レーラー型乗り物が有り、そのボデー脇に日本庭園と漢字で書かれて居た。この町も日本の伊丹市と姉妹都市契約が成され、その町より庭園が寄贈されたとの事である。更に町中を歩き、そして2時近く町を出る。アウトバーンにてスパ(Spa)の町へ行く、このスパ(Sup)の町は日本でも使わ れているスパの言葉の基の町で、ローマ時代より温泉療養地として栄えて町である。町の観光案内所に行きCamp場を教え てもらい、そのCamp場に行く。キャンプ場の受付のご主人はフランス語で話かけられた。一瞬困ったが、英語で話をしたら解ってくれて、無事キャンプ場に泊まる事が出来た。
宿泊費€ 16.5、
走行距離250Km 給油37.63L
10月17日(日) スパ(SPA) Camp場
朝10時温泉プールへ行く。Spaの町中に有るHotelの付属設備として、温泉プールが設けられて居た。観光案内所脇の駐車場に車を停め、リフトに乗り丘の上に行く。リフトを降りると其処は温泉プールの入り口、3時間の入場料1人€ 17を払う、安くは無い。水着に着替え、プールに入るも湯温が低く寒い、露天部分では盛んに湯気が上がっているので外に 出るもお湯は熱くない。ジャグジ等で1時間半程入って居たが、寒くなり家内が出ようと言うのでプールから上がる。再びリフトに乗り下山し、町中を散策する。そして、再度観光案内所へ行きネットカフェの場所を聞き、メールを打ち、1時間半程してCamp場へ戻る。
宿泊費€ 16.5、
走行距離6Km 給油0L10月18日(月)マロンの町の Camp場
スパ(Spa)を出てナムール(Namru)の町へ向かう。風景を楽しむ為、ムーズ川沿いに有る一般道を走る。しかし、制限速度90Km一車線部分はそうゆっくりは走れない。途中で昼食を取りながらも一時間程でナムール(Namru)の町に到着する。ナムール駅近くの観光案内所にてCamp場の場所を聞き、Camp場に行くも事務所が見付らずあきらめて引き返す。そして、隣町のマロンのCamp場へ向かう、是も中々見付らず1時間以上探し回りやっとマロンのCamp場に辿り着く。
宿泊費€ 13、
走行距離138Km 給油39.21L
10月19日(火)ブリュッセル(Bruxelles) 日本人宿「メゾンかなざわ」
朝、マロンの町のCamp場を出て、昨日通過したナミールの町に戻る。ナミールの町の高台に有る城塞(シッタデル)に行く。ここの城塞はムーズ川とサングル川の合流点を見下ろせる位置に建っている。要塞の頂上迄車で登れた、其処には古代の劇場跡が有り、その前に有る広場は自動車教習所に利用されていた。その頂上からは街並みを見る事が出来無かったので少し道を下がった処から、美しい町並み及び川の合流点を見る事が出来た。数枚の写真を撮り、ナミール町へ下って、街中に有るロプス美術館へ行く。この美術館は、この町出身で1833年生まれの画家ロプスの作品が多数展示されていた。町を出てブリュッセル(Bruxelles)へ向かう。
途中ガイドBookに載っていたブリュッセル(Bruxelles)市内の日本人宿「メゾンかなざわ」に電話をし、宿泊予約を入れる。「メゾンかなざわ」はカンブルの森の近くにあった。宿のご主人は日本でサラリーマンをやっていたが、娘さんがブリュッセル(Bruxelles)にて宿を開くべく準備をしていた。ところが双子を身ごもてしまい。親にSOSの連絡入れて来たとの事。仕方なく4ヶ月間にて決断し、日本の家を売り払いブリュッセル(Bruxelles)へ移住したとの事でした。夕飯に塩鮭・たくあん・大根おろし・豚汁等をご馳走に成り、旅の話にベルギーの情報等を長時間話をした。 ベルギー(Belgium)は大きく分け るとオランダ語圏とフランス語圏が有り、それぞれの言葉での地名を持って居る。それ故、地図においても自分の言葉での街の名前を始めに表記し、他の言葉で其の後に併記されている。但し道路標識は自分達の言葉のみ、表記されているとの事で有った。
宿泊費€ 76、
走行距離99Km 給油0L10月20日(水)ブリュッセル Bruxelles メゾンかなざわ
この日本人宿は食事無し、其の為、朝近くのパン屋に行き朝食用のパンを購入し朝食とする。そして、昼食も部屋にキッチンが付いているので、昼食にラーメンを作って食べる。昨夜、宿の主人にベルギー・トヨタ迄の道順を聞いてい 。午後になたのでベルギー・トヨタ向かう、通りを走っていくとNATOの事務所が見えた。ベルギー・トヨタはその隣、直ぐにトヨタの看板が目に入ってきた。ベルギー・トヨタ事務所の受付に行き、S氏に連絡する。未だ出張から戻っていないとの事、明日9時再度訪問する事を告げ事務所を出る。帰り道ブリュッセル(Bruxelles)で最も有名な小便小僧を見に行く事にした。小便小僧へ向かう途中、大変立派な凱旋門が有った。日本では余り知られて居ないが、ドイツのヒンデンブルグ門より立派で有った。車を停めしばらく見学する。但し、世界の歴史に現れない為か、知名度が無いものと思われる。市庁舎前広場グランプラスの近くに車を停め、通りを進む。途中セルクラースの像と言う青銅の像が有った。この像に触れると幸せをもたらすと言われている。その像を見て更に進み、ホテルアミーゴの左側の道を進むと、小さな路地の角に小便小僧は小さな姿を留めていた。想像していた以上に小さい物であった。小便小僧見た後、近くを散策し、ベルギー名物ワッフルを買って食べる。その後宿に戻る。
宿泊費€ 76、
走行距離38Km 給油0L
10月21日(木) ブリュッセル「メゾンかなざわ」
朝、6時半起床、朝食取った後8時に宿を出てベルギー・トヨタ事務所へ向かう。1時間も有れば少し早めにベルギー・トヨタに到着すると考えて居たが、丁度通勤ラッシュに遭い大変な混雑で事務所に到着したのは約束の10分前であった。受付に約束の5分前に連絡し、S氏と会議室で20分程話をして28日車を預けに来ると伝え退出する。帰り道の途中に有った国立美術館による。16世紀の画家「ブリューゲル」そして「ゴッホ」「ゴーギャン」「ピカソ」「マチス」等の絵が展示されていた、3時間程見て外に出る。宮城前に停めて置いた車の後ろに、警察の機動隊車両が停車しており、出る事が出来なかった。近くに居た警官に、車の移動を依頼する。暫くして車両を動かしてくれて、その場を離れる事が出来た。そして、宿に戻り、近くのスー パーに行き夕食の食材を購入して、室内で料理して食べる。日本に居る三男に電話する、元気な様子。ベルギに於いて、今日までに4台のMR2(ZZW30)を見た。
宿泊費€ 76
走行距離33Km 給油0L
19番目の訪問国 ルクセンブルグ
ワーテルローの古戦場
10月22日(金)ルクセンブルグ(Luxembourg)のCamp場
朝9時「メゾンかなざわ」を出て、始めにナポレオンの戦いで有名なワーテルロー(Watarloo)へ 行く。古戦場にはその後に作られて高さ45mの平和の丘が作られており、其の丘の頂上に当時のナポレオン軍より取り上げた武器を溶かしで作られたライオン像が置かれていた。 そのライオン像はフランス側を見ており、フランスに対し平和を呼びかけて居るのだそうだ。周囲の風景は、多分当時とそれ程変わらない様子ではないかと思われる。民 家は殆ど無く、広い丘陵地帯全体が未だに畑の情況である。そして、此処にもワーテルローの戦いを描いたパノラマの絵の展示場が有った。この地にも多くの中国人観光客が押し寄せて居た。中国の勢いがここでも感じ られ た。
そして、次に宿のご主人から聞いたレゼン(Lesne)の町に有る修道院跡を見に行った。千年程前に廃墟と成った教会を中心とした多くの住居跡 と思われる建物が大変広い範囲で見る事が出来た。千年前には相当立派な施設で有った事が想像出来る。しかし、なぜこの様 な 巨大な施設が廃墟と成ったのか、その原因が知りたく思った。感動的廃墟で有り、メキシコのインカ遺跡に近い感動を受けた。又、庭園の木々が赤く紅葉し、大変綺麗であった。
そし て、ラ ンナバウトA4 に載り19番目の国ルクセンブルグ(Luxembourg)に入る。そして、ルクセンブルグ(Luxembourg)の町中に入るも町の様子が解からない。観光案内所をも見付らず、仕方なく今日の散策は終了しCamp場を探す事にする。そして、高速道路を少し戻り、No.1の出口を出てCamp場を探す。意外と簡単にキャンプ場を見つける事が出来た。キャンプ場の道路案内標識も、ドイツの表示に近い標識で見つけ易かった。広大な畑の続く丘陵の中に森が有り、その森の中がCamp場に成っていた。2泊する旨伝える。久々に美しい夕日を見る。
宿泊費€ 16.3、
走行距離250Km 給油52,23L
10月23日(土) ルクセンブルグ(Luxembourg)のCamp場
朝日が素晴らしく綺麗で有った。しかし、今は既に冬、朝日は8時頃やっと顔を出す。朝9時ルクセンブルグ(Luxembourg)の町 に入る。そしてルクセンブルグ駅構内に有る観光案内所を見付け、市内地図を貰い12時に行われる宮城の衛兵交替式を見るべく出かけた。しかし、12時に成っても衛兵の交替 が行われず。取りあえず駅前の駐車場に戻る。この町でも大変多くの中国人観光客を見かけた。そして、車を移動してネットカフェを探すも見付 らない。仕方なく車を移動し町の中心近くの駐車場へ行く。そして、次にボック(Bock)の砲台と言われる処に行く。この要塞、18世紀にオーストリヤ兵により作られた砦で、要塞の地下通路が複雑に作られており、当時としては凄い要塞で有ったものと思われた。4時過ぎ、昨日泊ったCamp場に戻る。ルクセンブルグ(Luxembourg)の軽油はベルギーより10C程安かった。
宿泊費€ 16.3
走行距離44Km 給油0L
Luxembourg走行距離568Km
再びドイツに入る
10月24日(日) ドイツのキャンプ場
ルクセンブルグのCamp場を9時過ぎ出発する。ドイ ツとの国境に有る町エヒテルナッハ(Echternach)へ向かう。エヒテルナッハ(Echternach)は渓谷と山が美しくルクセンブルグ(Luxembourg)のスイスと言われとガイド・ブックに書いて有ったので行くことにした。 高速道を避け一般道を走って行った、紅葉が終り秋の終りのシーズンで有ったがさぞや紅葉は美しかったと想像出来る。町を通り抜けドイツとの国境と成っている河に沿って走る。そして、Clervauxと言う町に行く、町にはヴィアンデン城が有り、城内には日本の天皇陛下の写真が飾られていた。他に教会と修道院が有りそれぞれ見て歩く。更に、街中にドクトルユーゴが1871年、亡命しこの町に滞在したとの事である。その家が、博物館として公開されていたので見学くする。午後3時に成ったのでそろそろCamp場を探そうとしたが、既に閉鎖したCamp場が多くなかなか見付らなかった。やっとたどりついたCamp場はドイツ領内で有った。キャンプ場内にはりんごの木が多く植わっており、時々りんごが落ちる音が聞こえた。ユーロ圏に成ってからは国境が無くなり、何時の間にか隣の国に入ってしまっている。丁度、国の単位が県の単位に成った感じである。EUの統合は、それぞれの国の間で、多くの効果を得る事が出来たと思われる。
宿泊費€ 7.8、
走行距離118Km 給油0L
10月25日(月) クレルボー( Clervaux)のCamp場
Camp場を出てヴィアンデン(Vianden)の町に行 く。此処にもお城が有り、近年復元され城内を見学出来る様に成っいた。この城は長い間放棄され廃墟となっていた為、城 内の備品は何も無い情況で有った。しかし、以前の通りに復元させる努力を見ることが出来た。続いてエッシュ・シュル・シューレ(Esch-sur-Sure)と言う町に行く。ここ も城跡が有り、町の中にも城壁が所々残っていた。城跡に登り町並みを眺めた。その後、町を出てCamp場を探すも、殆どのキャンプ場は冬期のため閉鎖されており、見付らなかった、仕方なく、昨日行ったクレルボー(Clervaux)の町のCamp場に戻った。このCamp場は広く、設備は綺麗で料金は大変安かった。途中、日本で留守をしている次男にエッシュ・シュル・シューレ(Esch-sur-Sure)の町から電話をする。親戚より結婚式の招待状が届いて居たとの事であった。一時帰国する事にして27日、28日はベルギーのブリュッセル(Bruxelles)のメゾンかなざわに泊る事にして、28日ヨロッパトヨタにて車を預かってもらい。29日は列車でブリュッセルからアムステルダムに移動して、アムステルダムへ泊り、30日の成田行きの便にて一時帰国する予定。
宿泊費€ 12.9、
走行距離129Km 給油0L
10月26日(火) クレルボー(Clervaux)のCamp場
9時クレルボー のCamp場を出て、今日はドイツのトリア(Trier)の町に向かった。丁度昼前にトリアの町に入った。そして、この町の最も有名なのが紀元前2000年前の ローマ時代に作られてボルタ・ニグラ(黒い門)と言われる凱旋門で有った。この凱旋門、結構大きな門で2000年の歴史を感じた。その周囲には多くの観光客が来ていた。通りは歩行者天国と成り、クリスマスの飾りかと思われる物を売るブースが続いていた。そして、少し車で移動して、是も又、4世紀に造られたカイザーメルテンと言う大浴場跡を見学する。更に ローマの程大きくは無いが、野外円形劇場を見見る。その後、ルクセンブルグを通り、アーロンの町へ行く予定をしていた。しかし、ここからアーロン間では程距離が無いので、今日も昨日泊ったクレルボー(Clervaux)のCamp場に戻る。クレルボー(Clervaux)のCamp場は安くて、綺麗で、設備が良く大変気に入ったキャンプ場の一つであった。
宿泊費€ 12.9、
走行距離250Km 給油52.23L
10月27日(水) ブリュッセル(Bruxelles) 「メゾンかなざわ」
朝7時起床、明日ベルギー・トヨタに車を預ける為、車内の整備をキャンプ場にて少し行う。そして、昨日、燃料を入れたガソリンスタンドへ行き、燃料補 給を行うL82Cとベルギー等に比べると10Cも安い。そして、ブリュッセル(Bruxelles)目指し出発するも、途中の道路が工事で通行止め。迂回路を何回も廻る内に道が解からなく成ってしまい、右往左往しA4のアウトバーンに出る。アウトバーンのパーキング・エリヤにて「メゾンかなざわ」に電話し、今日3時か4時頃着くので、宿泊よろ しく頼む。そして、続けてベルギー・トヨタに電話し、明日の11時に訪問する事にした。時速100Kmとゆっくり走 り、途中補助タンクの燃料をアウトバーンのパーキング エリヤで補給し補助タンクを空にする。そして、3時 ブリュッセル(Bruxelles)の「メ ゾンかなざわ」に到着、先週泊った同じ部屋に入る。テレビのCNNニュース、並びにベルギーの放送局も新潟地震の情況をNHKの実況のまま流して居た。更に、イラクにて日本人が、再び拘束されたニュースをもやっていた。
宿泊費€ 76
走行距離10Km 給油0L
10月28日(木) ブリュッセル(Bruxelles) 「メゾンかなざわ」
朝、9時50分ベルギー・トヨタへ向け「メゾンかなざわ」を出発する。出勤時間より少し遅いせいか、10時半にはベルギー・トヨタに着いてしまった。11時の約束時間まで駐車場で待つ。5分前に成ったので事務所に行き、来社を伝える。マルチーヌさんが迎えに来てくれて、応接室で待つ。暫くして、Sさんが入って来て20分ほど話をする。其の 中でトルコのEU加入が遅れている本当の理由はイスラム国のためだと言って居た。又、30日にブルッセル空港より日本へ戻るとも言って居た。又、迷惑を掛けるかも知れないので、その時も宜しく御願いし車の鍵を預けた。又12月初旬に引き取りに伺う旨話をし事務所を辞する。受付でタクシーを呼んでもらい、「メゾンかなざわ」迄戻る。そして、近くのスーパーで食材を購入し、部屋にて昼食を作って食べる。午後「メゾンかなざわ」の近くの街を散策する。
宿泊費€ 76、Tax代€ 22、
走行距離Km 給油0L
10月29日(金) アムステルダム・キンポール空港ホテル
今日はオランダのアムステルダム迄電車で移動する予定。ブリュッセルの「メゾンかなざわ」を10時に出て、「メゾンかなざわ」の前の通りを走るトラ ムを待つ。1時間程待つも全く電車が来ない。停留所が違っているのではと正規の停留所に移動。すると通行中の女性が今日はストライキで電車 が動かない旨伝えてくれた。すると、隣に並んで居た男女2人から、割り勘でTaxで行こうと言ってくれて、便乗する事にになりTaxで南駅へ行く。
ブリュッセル南駅にてアムステルダム行きの切符を購入(1人€ 32.5)、待ち時間20分程で電車に乗り込む。南駅では空席が目立つも、セントラル、北駅を過ぎた時は立ち客も出る情 況で有った。
3時間弱でアムステルダムに到着、駅前の観光案内所にて€ 70位のHotelの紹介を依頼したら、郊外でないと無いと言われた。そこで、キンポール空港近くのHotelは幾ら位なのか 尋ねると。三つ星で€ 55から有るとの事。四つ星の€ 65のホテルを依頼し、手数料€ 7を+し€ 72を支払い予約を入れる。序でに、電車の切符2枚おも観光案内所にて購入し、14番線ホームより電車に乗る。ベルギーから来る時にキンポール空港に停車し、次がアムステルダム中央駅で有ったが、この電車は各駅停車の為、キンポール空港迄4つの駅が有った。キンポール空港はドイツへ行く時に乗り換えをした空港で、更に帰りの航空券の日程変更をする為にも来た事が有り、今回で3回目である。空港前からHotel A4迄シャトル・バスに乗 りHotelに向かう。すると、このホテルは以前宿泊しようとして尋ねたら1泊€ 100と言われ、宿泊を断念したHotelであった。ホテルは郊外の畑の中に有り、レストラン等が無いため、アムステルダム中央駅で買って来たパンで夕食を済ませる。
宿泊費€ 72、
走行距離0Km 給油0L
10月30日(土) キンポール空港より帰国
オランダ アムステルダム スキポール空港 KLM 14:30発 成田行きにて、日本へ一時帰国した。
走行距離0Km 給油0L
10月31日(日)
帰国 成田着9:20
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