20. スペイン その(2)

2005年
29()Spainセビリア(Sevilla郊外のCamp
  10時、Hotelを出て、Spainへ向かう。ヴィラ・レアルデ・サン・アトノオ (Vila Realの 町を出て直ぐ、山の上にお城跡が見えたので見に行った。町の狭い路地を走り抜けお城の下に行く。城は城壁と建屋の外壁の一部が残って居るのみ、 現在 修復と発掘が少しずつ進められて居た。この城跡は入場無料であった、城壁の上から見る周囲の風景は大変素晴らしもので有った。
 そして、国道に戻り、直ぐSpainとの国境に掛かる橋を越えSpainに入る。そのまま高速道を走りSevillaの町まで約100Km、1時間少し掛かり、セビリヤ(Sevilla)市内の観光案内所へ行く。観光案内所で市内地図を入手し、市内の見所及びCampの場所を聞きいた。初めに観光案内所のすぐ側に有ったカテドラルを見に行く。このカテドラル、相当巨大で豪華な物で有った。コロンブスの墓がカテドラルの中に有った。このカテドラルの塔の頂上迄登ったが、今までの塔は全て階段で有ったが、此処の塔は今までに登った塔とは異なり、塔の四角い壁に沿ってスロープで上まで歩いて上がる形式で有った。眺めはここでも中世の町並みが見え、大変美しい風景で有った。その後、観光案内所で聞いたCamp場に向かう。観光案内所で聞いた町に着くもCamp場が解からず、駅に有る旅行社で再度聞いても解からなかった。仕方なく町を出て少し先に進もうとしたが道に迷い、市内から抜け出せず。やっと抜け出したら、目の前にCamp場の標識が有った。その標識に従い進むと、直ぐキャンプ所を見つける事が出来た。
宿泊費14.68
走行距離169Km 給油34.65

              


       「世界遺産 セルビアのアルカサス」
210()セビリア(SevillaCamp
 camp場を出て 再びセビリア(Sevilla)の町へ向かう。昨日来た道とは異なった道を走り、セビリアの町に入った。すると昨日った見覚え有る場所に出たので、現在地が直ぐに理解できた。無料駐車場に車を停めると、何処の駐車場も得体の知れない管理人が居て、見ててやるから幾らか遣せと言ってくる。金を渡せば何処かへ行ってしまい、何を見ているのか解らない。この様な人間は中南米を含む色々な国で遭遇する、無視して駐車場を出る。
 市内中央に有るスペイン広場に行く、広場の周りの建物の壁にはスペインの各県の歴史が描かれたタイル画がはめ込まれていた。更に、近くの橋は全面タイル画でカバーされており、結構綺麗であった。
 その後、「カルメン」のオペラに出てくる煙草工場跡を見に行く。煙草工場は現在セルビア大学と成っていて、その建 物はレンガ塀に囲まれた立派な建物であった。セルビア大学の前を通りアルカサスへ向かう。アルカサスとはスペイン語で城を意味し、スペインの各地に点在す るが、ここセルビアのアルカサスは世界遺産に登録されている。元はイスラム王の城で有ったものを、スペインの王が改築してもので、イスラムの建築様式が色 濃く残っていた。又、庭園も美しかった。
ユダヤ人街
 その後、サンタクルスの街を見に行く、この街には昔のユダヤ人街(シナゴーク)が有り、スペインの町並みとは少し雰囲気が異なった。細い道が迷路の様に入り組み、独特な町並みで有った。その後、駐車場に戻り車で町を出て、朝出てきたキャンプ場へ戻った。

宿泊費14.68
走行距離40Km 給油0






           住民の苗字がハポン(日本)
 211() サンタマリアのCamp   
川を渡る小型のはせくら
 セルビアの町の近くにコリア・デル・リオと言う町がある。この小さな町にはハポン(Japón=日 本)姓の人が数百人住んでいるとガイドブックに書いて有った。なぜそんな町が有るのかと疑問に思ったので見に行く事にした。畑の中の細道を暫く走ると川に 突き当たった。その先には川を渡る小さなフェリーが設置されていた。この様な小さなフェリーは、乗船してから料金を払う方式や無料のものもある、このフェリーは無料で有った。
公園に建っていた支倉常長像
  対岸に到着したが、その先の道が解らずうろうろしていると、老人が近寄って来て日本人かと聞いてきた。そうだと返事すると、この先の公園に侍の像が有ると教えてくれた。取り合えず公園に行って、侍の像を見る事にした。その像にはスペイン語と共に日本語の説明文も有り、「支倉常長」像と書かれて有った。
  支倉常長は1618年(慶長18年)伊達政宗 の 命により「慶長遣欧使節団」の団長として、乗り組み員を含め180名の日本人がスペイン国王とローマ法王を訪問した。この団員の中でキリスト教に改宗した仙台藩の侍等が、日本でのキリシタン禁止令により帰国出来なく成り、この町に留まった。その子孫が現在のハポン姓であると言われている。
 街中に出て観光案内所を探したが見つからず、街の情報が得られないので少し街中を散策した。街の中の人々の顔は、何代も前に日本人の血が混っただけであり、日本人らしき顔は見当たらなかった。街は何の変哲も無い、田舎町の風景で有った。
  その後、再びフェリーに乗り、来た道を戻りガディスの町へ向かう。ガディスの町では今夜8時からカーニバルが開催される為、駐車場が全て閉鎖されており車を止める事が出来なかった。更に、街中に有るユースホステルへ行ったが、満室で泊る事が出来なかった。仕方なく隣町のサンタマリアへ向かい、サンタマリアの郊 外に有ったCampに泊る。
宿泊費
走行距離199Km 給油41.25










          アフリカ15Km 
212()タリファ(Tarfa郊外の Camp    
 朝、 キャンプ場を出て、ガディスの町へ戻る。町の中央に有るサン・ファハン・デ・デェオス広場脇の駐車場に車を停めて、広場に面した教会を見に行った。その 後、近くに市場が有り、中に入ると多くの魚が売られていた。見るとタラコが売られて居たので、早速夕食のおかず用に購入した。更に、迷路の様な町中を歩 き、タビラの塔に行く。塔に入ると直ぐに室内の壁に、塔の頂上に有るカメラで写した町並みを写し、係員が町の状況を説明してくれた。その説明を聞いた後、 高さ45メートルの塔の頂上迄、階段を登って行った。頂上からは白壁の家並みが海の青さに栄え、美しい風景をかもし」出していた。

 車へ戻る道すがら、フラメンコの音楽が聞こえて来たのでその方へ行って見た。すると広場脇に舞台が築かれ、多くの見物人が目に入った。見ていると、何組ものダンサーが次々とフラメンコを踊って居た。さすが本場のフラメンコ、結構迫力が有った。
 ガディスの町を出て タリファへ向かう、午後4時頃タリファ(Tarfa)の町に到着、町中を通りフェリー乗場に到着する。このフェリーアフリカ行きである。旅の初め、アフリカを走るのには体力が必要かと思い、いく予定は無かった。しかし、スペインの地中海側を走ると、海の向こうに雪を抱いた山々が見えた。あれがアフリカだ、しかもアフリカ迄15キロとの標識を見た。15キロでは少しアフリカを覗いて見ようと思った。せめてモロッコを見て、アフリカを推測し、その先のアフリカ大陸へ行くか行かないかを決めても良いなと思った。
 いよいよアフリカ行きかと少し緊張する。町中の観光案内所は3時迄の営業であり、既に閉まっていた。仕方なくここへ来る途中の街道沿いに有っCamp場に行く。Camp場の裏には浜辺への遊歩道が作られており、夕日を見に行った。遊歩道脇にもアフリカ15Kmとの表示板が有った。夕日の沈む対岸はアフリカなのだと思いが走る。
宿泊費14
走行距離38Km 給油0






213() アルへシラス( AlgecirasHotel
 朝、10タリファ(Tarfa郊外のCamp場を出て、昨日来たTarfaの市街地へ入る。観光案内所へ行くも未だ開いて無く、20分程待ってくれとメモが貼り付けられて居た。ガイドブックを見ると直ぐ近くにメルカド(市場)が有ると書いて有ったので、メルカドを見に行く事にした
 しかし、今日は日曜日、メルカドも休みで閉まっていた。仕方なく、町中を散策していると城跡に出た其の城跡も閉まって居た。更に進み城壁跡に行く、城壁の上からは城壁が町を囲んで居る中世の姿が想像された、又其処から見えるも大変綺麗で有った。
 そして11時過ぎ観光案内所に戻ると、案内所は開いていた。市内地図を貰い近くの見所を聞く、すると今日の13時 からこの町のフェステェバルが始まるとの事。それを見ていく事にして、フェステェバル迄未だ時間が有るので、その間城跡を見に行く。城跡はまだまだ内部の修復が進まず、外観だけを見る様に成っていた。城跡の有る高台から見る海や街並は大変綺麗であった。城跡を見た後、城跡から見えた灯台に行く。しかし、灯台の入り口にある門が閉まっていて、中は入る事が出来なかった。灯台の有るに看板が有り、片側が大西洋、反対側が地中海と書かれていた。太平洋と地中海の両側が入る写真を撮る。
 タリファの町の港から、アフリカ行きの高速フェリーが出て行った。対岸に見える雪をかぶった山々はアフリカ大陸のモロッコ(Moroccoで有る。
町中で見たアフリカへ向かうドイツ人のキャンピングカー
 1時に成ったので町中の広場のフェステェバル会場に行った。人々が集まり始めては居るが、パレードは始まっていない。開催時刻を30過ぎ、やっと開会の挨拶が有った。最初は男性合唱団まった。合唱が続く事1時間、その後何の変化も無いので会場を後に出る。そして、いよいよアフリカ大陸に渡る町、アルヘシラス(Algecirasへ向かう。アルジェシラスの町からはアフリカ大陸迄80Km程の距離、港の対岸には英領ジブラルタル(Gibraltar)の岩山が見えた。 
 3時、アルヘシラス(Algecirasに到着。港に有る観光案内所へ行く日曜の今日は休館日、仕方なく町中へ戻る。町中でHotelを探す、広場に面したホテルに2泊の予定で泊る。この町フェステェバルをやっていた、広場の所々でグループの余興に人の輪が出来ていた。これまたフェステェバルの内容いまいち良く解からなかった。
 Hotelの広場夕方に市場(Melcad)が開かれる為、5時から17迄駐車禁止。其の近くに有る有料駐車場に車を停める。2時間1と書いて有ったので夜8時に持って行き、朝8時に引き取れば6と思って居た。
宿泊費28
走行距離136Km 給油0






214()アルヘシラス( AlgecirasHotel
ホテル前の市
 朝7時に起きシャワーを浴び後駐車場へ車を取りに行った。宿の前は既に市が立ち、大勢の買い物客で混雑していた。駐車場に着き、車を引き取ろうと受付に行き駐車料出そうとしたら、料金12.40を請求された。何か夜間料金が有った様で有るが、悲しいかな駐車場に書いてあるスペイン語が理解出きなかった。ホテルに戻るが、ホテルの前には駐車場所が無く、近くをぐるぐる廻り路上駐車出来る場所をやっと見付け駐車した。
 ホテルにり朝食を食べ、時間が早いので市場を一回りしてから、フェリー乗場に行く。町にも多くのフェリーの切符販売店が並んで居るが、明日乗るフェリー乗り場迄のルートフェリー状況の確認、並びに乗船券を購入する為に港へ行った。フェリー乗り場に行くと、ターミナルビル内に多くのブースが有り乗船られて。どの店も其れほど料金は変らない様で有ったので、1軒の店に入り色々とフェリーの情報を聞き後で買いに来ると言って店を出た。
 一旦に戻り、街中を散策して3時頃、再度港のフェリーの乗船券販売所に行た。店に入ると、先に話をした店員は居なかったが往復乗船券268.44(¥37600にて購入する。夜9時半、今夜も有料駐車場へ車を停めに行った
 いよいよ明日は始めてのアフリカ大陸へ行く、又もや中南米での国境越えのわずらわしさ頭に浮び、幾分興奮して寝付かれず。
宿泊費28
走行距離6Km 給油44.48


  アフリカ大陸へ
        23番目の訪問国 モロッコ

215()    モロッコ通貨1D(デラハム)=130
 8時、有料駐車場から車を引き取る。今日も10を駐車料として払う。そして、宿の近くに来るとメルカド(市場)の横の駐車場空いており其処に車を停め宿に戻る。荷物の整理をして宿をチェックアウトする
カタマラン型のアフリカへ向かうフェリーボート
湾の対岸に見える英領ジブラルタルの岩山
 そして、10:00発には少し早いがフェリー乗場に行く。指定の場所に並ぶと、係員が来て「この便は待ち時間が長いので切符を買った所へ行って、便の変更をしてもらった方が良い」と言われたので、販売店に行った。店では直ぐに、2の変更手数料にて9:15発の便に変更してもらった。但し、帰りの船会社も変更になる旨伝えられた。間もなく車が動き出し、フェリーに乗船する。カタマラン式の高速フェリーで有る、車はデッキの半分程しか搭載されて居なかった。船の客室内部は結構豪華で有ったが、乗船時間が35分と短く船内をゆっくり見る時間も無かった。港の反対側にに有る英領ジブラルタル(Gibraltarにそびえる山が印象的で有ったと思う間もなく対岸のスペイン(Spain領では有るがアフリカ(Africa大陸の先端が見えて来た。
 直ぐに下船となり、AfricaSupeinセウタ(Ceutaの町に入る。観光案内所を探し係員に問い合わせるも余り親切で無く、必要な情報を得る事が出来なかった。昼食後いよいよモロッコ(Morocco)へ入る事にして国境へ向かう。欧州と異なり国境付近は中南米同様、異様な雰囲気で有る。早速ギアー(自称ガイド)のお出迎え、一切無視し国境のゲートを潜る。Spain側の対応はイミグレ(入管)カスタム(税関)共に事務的に処置をして何も問題無し。Morocco側の入国は既に入国書を記入していたので、入管は難なくパスポートに入国印を貰う。次に車に付いてのカスタムの窓口に並ぶと、パーミッション(車両持込許可書)の用紙を渡されたがアラビア語フランス語で書かれて居たので、全く意味を理解できず記入事項が書き込めかった。書けない旨係官に伝えると、係り官が書いてくれた。その時グリーンカード(欧州EU圏の自動車保険)Morocco分が入って居ないので、保険に加入しなければならないとの事。ギヤーに案内され保険屋に行くと、1ヶ月で2500D(約250¥35,000)との事。1000Dしか持っておらず、脇に有る銀行へ案内され€160をデラハムに両替交換するする。そして、何とか保険料を払い込み、保険書を持ってカスタム窓口に行きパーミッションを貰い手続き完了。警察による入国検査を受け、国境事務所の外に出る。これまた、中南米の国境同様、周囲に何も無い所を走り町に出る。そして、ギヤーに聞いた様にT字路を右に曲がりタンジェの町へ向かう。直ぐに山岳地帯に成り、小高い山の上を走る。緑美しい風景が続くと、突然美しい海が見えたりした。
アラビア文字の一旦停車の標識
 1時間程でタンジェの町に着き、観光案内所を探し市内地図を貰う。そして今日の宿泊をCamp場として観光案内所で聞いた所に行くも見付らず、数人の警察官に聞きながら場所を絞って行き、最後の警官曰く「そこは閉まっている」との事。仕方なく町の反対側に有るHotelに泊る事にして進むとCamp場の標識が出てきた。順路を進むと町の奥に鉄製の門が有り、これまた閉まっていた。仕方ないので帰ろうとしていると通り掛の人がベルを鳴らす様教えてくれ た。呼び鈴が有る物と思い、車から降りてベルを探すも見つからづ。そうか車のホーンを鳴らすのだと思い、車のホーンを鳴らすと中に居た門番が門を開けてくれた。長い坂道下がってくとCamp場が見えて来た。キャンプ場の受付で泊る旨伝えると120D、車120Dの計60Dと言われた。10数台泊れる小さなキャンプ場で有った。
宿泊費60D
走行距離109Km 給油0


スペイン (1) 走行距離,064Km             スペイン(2)走行距離594Km
   合計  走行距離3,658Km



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