9. グアテマラ・ホンデュラス

2004 
  4番目の訪問国グアテマラ  1ケツアル=¥13
24日(水)グアテマラ・ケツアルテナンゴ
 朝、7時起床しシャワーを浴び、Hotelを出発する。Huixtla の町の中で若林君がメキシコ・ペソをSUに戻したいと町の中で両替屋を探す、なかなか見つからず。警官に聞いた所,台湾人の闇両替商に連れて行ってくれた。なぜ警察が闇両替屋なのか。私も交換率が良かったし、Guatemalaへの入国時グアテマラのお金が必要でも有るので、余りそうなP600Guatemalaのグアテマラ・ケツアルに両替してもらった。14,5で大変良心的で有った。
スペイン語学校の入り口
 いよいよ国境へ向かう。途中で正式の国境での手続き案内人(彼らの事を、スペイン語でギヤーと言う)で有るので案内するから車に同乗させろと言ってきた。しかし、そんな話は聞いていないので無視し進める。しばらく走るとViba Mexicoと言う看板が出てきた。そこで上り車線と書いて有ったので反対側を見るにメキシコの旗がひらめく警察所が有ったので、Uターンして警察所署の横に車を停める。係官に尋ねると、そこだと税関事務所を指差し教えてくれた。税関事務所内には男女1名ずつの係官が居て、事務的に車の出国書類を処理してくれて5分程で手続き完了。
 そして、更に国境線へ向かい、メキシコの入出国管理事務所(イミグレション)で出国スタンプをパスポートに貰い出国手続き完了。次はいよいよGuatemala側、悪名高きギヤー(自称手続き案内人)の対応である。初めに警官にQ20を支払う。入国税Q10書類のコピー代Q4、車両入国料Q100,シール等書類作成費Q50支払入国完了。
 グアテマラに入りケツアルテナンゴ(Quetzaltenango)の町を目指し走る。途中燃料を補給する、Guatemalaの単位はアメリカと同様Groan(3.6L)で有り、軽油Q12/Gで有る。約3時間程走り、今日の目的地Quetzaltenangoの日本人宿「El Quetzal」に到着。駐車場は別の所、日々面倒である。駐車場問題は旅の間、色々の場所で問題となる。ここも日本人宿兼スペイン語学校、夜は宿泊者の日本人皆でカレーライスを作り食べた。
通行料Q20、入国税Q10書類のコピー代Q4、車両入国料Q100,シール等書類作成費Q50、夕食代Q11
走行距離190Km 給油22.26L

25日(木)Quetzaltenango  日本人宿兼スペイン語学校「El Quetzal
ケツアルテナンゴの町の中央郵便局
 朝、目が覚めたら8時丁度、駐車場の時間が8時までなので慌てて服を着て走って有料駐車場に行った。途中昨日親切に宿まで案内してくれたお爺さんに合い、ブエノスディヤスと朝の挨拶をして通過する。15分程過ぎていたが追加料金無く挨拶して外に出て、宿の側の路上に駐車した。それから顔を洗い朝食を取る。9時過ぎ郵便局に行き、手紙を出すと共に切手を少し購入する。そして、中央広場に行く道で1台の赤のトヨタMR2(AW11)が走って来た、慌てて写真を撮る。自分達が作った車が、ここでも使われて居たかと1人で感動。車は快音を立てて、そのまま真っ直ぐに走って行ってしまった。メキシコでは1台も見なかったMR2を、ガテマラの初日に見てしまった、これからが楽しみで有る。

しばらくして中央公園に着く、周りをぶらぶら見ているとインターネット屋が有り、パソコンを繋いでくれるか聞いた所OKの返事、宿に戻り若林君を誘いネット屋に行く。1時間半程やりQ10.5を支払、マクドナルドに行きハンバーグの遅い昼食を取る。それから、両替屋に行きUS$100をケツアルに両替する。そして近くに有る銭湯へ行く、銭湯は3畳位
町で見かけたMR2
の部屋にコンクリート製の1人用のバスタブが設けられて居た。個室形式の風呂屋で、結構高い湯温の湯船に浸かり、久々に風呂に入った気分に成った。ガテマラ人も夫婦で入って居る人が居た。そして、宿に戻り、7時半 車を駐車場に預けた。その後、夕食(この宿も自炊可)に又もや玉丼を作り食べた。メキシコで走っている車は日産車かワーゲン車(昔のスタイルのビートル)のどちらかで、トヨタの車はめったに見かけなかった。それに比べ、グアテマラはトヨタ車ばかりである。しかも、大変古い車を大事(金銭的に買い替えが出来ないと思われる)に使われており、30年前の車はそれ程珍しくも無い。写真は以前働いていた会社で30年以上前に作られたコロナ・ワゴン、まるでトヨタ博物館の様子である、メキシコ同様にグアテマラでも車は庶民の物では未だ無い。
インターネット代Q10.5、昼食代Q30、切手代Q50風呂代Q11.5、駐車料Q20
走行距離0Km 給油0L
 
26日(金)Quetzaltenango    日本人宿「El Quetzal
 朝7時起床、顔を洗い車を引き取りに行く、外は朝靄に煙る市街地が幻想的で有った。10時頃町から1時間程離れたサンフランシスコ・カセデアルの街の市を車で見に行った。物凄い数の出店が並び、通行人で溢れており通行もままならぬ状況で有った。大半の買い物客がカラフルな民族衣装を着ており見ごたえの有る風景で有った。相当数の写真を隠し撮りしたが、余り良く映っていなかった。午後1時に成ると急に店が閉店されガランとした感じと成ってしまい、仕方なく帰途に着いた。
 Quetzaltenangoの町の入り口で赤い2代目トヨタMR2「SW21」を見た。ガテマラの車はトヨタ一色で有る。宿に帰りそのまま2時間程昼寝した。午後7時半車を預けに行く。夕食にマグロの醤油漬けを食べる、週に1回市場にマグロが入り「たかさん」が買ってきてくれた。来週からスペイン語を1週間習う事にし、受講申請とホームステーの申し込をした。
駐車場代P20、食品代P10、夕食代P9
走行距離103Km 給油0L

27日(土)Quetzaltenango  日本人宿「El Quetzal
 朝、7時起床。朝食後、車を引き取りに行く。12時迄、町中を散策する。1時に同宿者3名で町から車で30分程度の所にある温泉に入りに行った。1昨日行った銭湯と同じ様に、四帖半程度の広差の部屋に3人がゆったりと入れる程の浴槽が有り、タイル張りで大変綺麗で有った。お湯は単純泉で無色透明で臭いも余り無かった。1人Q101間の入浴を楽しんだ。帰りに台湾人の経営する店でお焼きに似た饅頭を買って帰り、昼食代わりに食べたら大変美味しかった。
 夕食は皆で中華料理を食べに行った。来週月曜日からはガテマラ人の家にホームステーをして、スペイン語の勉強をする。既にメキシコから始まっているが、中南米の国はブラジル以外は全てスペイン語の国である。それ故少しはスペイン語を理解した方が,これからの旅がより楽しい旅と成るかと思われる。又、料金は日本では考えれない安さである、1週間のホームステー及び1週間のスペイン語の授業料が1万円である。
駐車料Q20、入浴料Q10、食品代Q4、夕食代Q30
走行距離230Km 給油0L

28日(日)Quetzaltenango ロペスさん宅へホームステー  

 朝、7時起床。コヒーを飲み、そして車を有料駐車場へ引き取りに行った。宿の横に車を停め朝食の材料をを買いに行く。宿の直ぐ横の路地に救急車らしき車が止まっており、ロープが張って有ったので良く見ると人が倒れていた。結果は凍死による行き倒れで有ったが、其の話を他の日本人にしたところ、その人が今日の朝この宿へ来る途中でも見たとの事で有った。酔っ払って寝てしまい、夜の寒さで凍死してしまう様で有る。朝食用にパンと卵を買って宿に戻り、ゆで卵を作り朝食を取
ホームステー先のお爺さん
る。そして、今日からホームステーするロペスさんの家に案内してもらい、駐車場の確保を御願いすると共に、2時に再度来る旨伝え宿に戻る。宿の斜め前に有る、ネットカフェでインターネットを2時間程行った。
先の路上に行倒れが見られる
 そして、1時半、宿を出てホームステー先に向かうが1方通行の為中々ステー先に着かず、何度か同じ所をぐるぐる回りながらホームステー先に到着。早速昼食を頂き部屋に入ると、急に疲れが出て眠ってしまった。5時頃起きてトイレに行こうと思ったがトイレが解からず。其の時部屋のドアーをロックしてしまい、部屋に戻れず車の中で横になっていた。ステー先の子供が戻って来たのでその旨伝えると、窓を開けキーを取り出してくれた。
 7時に成り、夕食の準備が出来たと知らせてくれた。食堂に行くと皿に果物ばかりが盛られていた、バナナ・マンゴー・スイカ・オレンジ・パインそれにコヒーとパンの夕食で有った。夜は軽い食事がこちらでは普通と聞いては居たが、夕食が果物だけとは驚いた。
駐車代Q20、食品代Q8、インターネット代Q10
走行距離0Km 給油0L

9日(月)Quetzaltenango
 朝6時半起床、朝食の時間が解からないのと学校が8時始まりの為早起きした。食事は7時からで結果としては6時半起床でOKだった。朝食はスープにシリアスを入れて食べるのと昨日の昼も出た、とうもろこしの粉で作った団子(タマル)、小豆を潰しあんこ状にしたもの(味付け無し)コヒー等で有った。学校に行き直ぐに初日の授業が始まった。勉強はマンツーマン教育である、先生は22歳の女性(この学校の先生は全員、近くの大学生)で名前は聞いたが忘れた。初めに2時間程辞書を引き引き雑談をして、10時の休憩後文法に沿った説明を受ける。雑談の中で昨夜のフルーツの夕食に付いて話をしたところ、その様な夕食は一般的では無いと彼女は言っていた。10時の休みには学校よりパンとコヒーが出された。1時に宿題を出されて1日目が終了した。3時より課外活動が行われる。その間、宿の支払Q801泊Q20で4泊分)と学校の授業料+ホームステー先の費用の1週間分US$110を支払う。そして、ホームステー先に戻り2時からの昼食を食べる。そして2時半再び学校に行く、其の途中本屋が有り、中米、南米のカナダ製の地図が売られており購入しようとしたが1部Q65で金が足らないので中米のみ購入し学校へ行く。(中南米の殆ど国で地図を購入する事は大変な事である、地図は市民に取ってそれ程一般的ではない、その為売っている店が大変少ない)今日の学校での課外授業は布の織り方教室で、インデオに指導を受け織物を織った。その後、ホームステー先のシャワーがぬるいので学校のシャワーを使う。帰りに家に電話すべくテレカを購入しに行くが電話会社が4社有り全てテレカが異なるとの事、結局買えずにウィスキーを買って帰る(Q100)。更にCanda製の南米地図(Q65)を買って帰る。夕食は7からプラタノ・タンマリート・ニチエロに小豆の味無しあんこで有った。プラタノ・タンマリート・ニチエロの原材料に付いて明日先生に聞いてみる。
宿代(4日分)Q80、中南米地図Q130、ウイスキーQ100、授業料ステー費(3食付)US$110
走行距離0Km 給油0L


210日(火)ロペスさん宅へホームステー
 朝、6時半起床。目覚ましは633分に鳴った、目覚時計は良好の様だ。顔を洗い7時朝食を食べる。朝食はとうもろこしの粉をミルクで溶いたスープにシリウスを入れ食べた、一般的な食事であるとの事。7時半学校へ行く。学校で昨日の夕食に食べたプラタノとタンマリートに付いて先生に聞いた。プラタナはバナナと形が似ているが小さくて硬く生では食べられない野菜で、タンマリートはとうもろこしの粉を蒸した食べ物であると言っていた。今日は自分の意思を何とか伝える事が出来、後は単語を多く覚える事が重要である事が理解できた。今日の課外事業はガテマラの女性問題、特に男尊女卑の風習に付いての話を聞いた。授業の後、日本の家に電話する、次男の会社の問題が有り、他の会社を受験して見ようかと思っているとの事、挑戦してみてはと言って於いた。
走行距離0Km 給油0L

211(水)Quetzaltenango ロペスさん宅へホームステー
 朝目覚ましで起きる。7時朝食を取り、学校へ行く。3日目の授業、簡単な文法を習う。10時の休み時間に、副食を毎日売りに来ている人が居た。販売する商品は毎日少異なっており、めずらしいし、安いので毎日買って食べた。1時にホームステー先に戻り昼食を取る。再び学校に戻り、4時半より課外授業でこの地区のダンスを習う、しかし 体を反らせると腰が痛み途中からダンスを棄権する。ホームステー先に戻り7時に夕食を取る。今日の夕食はホットケーキで有った。
出費0
走行距離0Km 給油0L

212日(木)Quetzaltenango  ロペスさん宅へホームステー
 朝6時半目覚まし時計で起こされる。定刻道理7時朝食を食べ、7時半学校に行く。今日はガテマラの硬貨に付いて話をする。グアテマラの全ての硬貨に1996年の年号が彫られており、其の年号の意味を聞いた。1996年、それまで36年間続いた政府軍とゲリラの戦いに付いて和平協定が結ばれ、内戦が終了した年が表されているそうである。今日の課外授業は山登りで有った。3時に学校を出て、町外れ迄歩き、其処からバスに乗り近くの山の麓へ行き1時間程の登りで頂上に着いた。山は溶岩で出来ており、古い火山の跡で有った。頂上で暫く休み下する。道路脇でバスを待ち町へ6時に戻る。台湾人のお店が近くなので饅頭を買って帰る事になり、行くと全て売り切れとの事、仕方なくホームステー先に真っ直ぐ戻る。今日始めてグアテマラで路線バスに乗った、料金は片道Q1。ホームステー先で宿題をする、明日はスペイン語のテストが有る、気にしない。
 先生に聞いた話ですが、中米でバスの運転手が大きな事故を起こした場合、ほとんどの運転手は現場をそのままにして国外に逃げてしまうとの事です。だから万一バスの事故に遭遇しても、何の保障も無いと言っていた。バスの運転手は隣の国で2~3年過ごし、ほとぼりが覚めた頃帰国してくるとの事。更に、小型バスの運転手には明らかに子供ではないかと思われるのが運転しているのを見る事が有る。運転免許制度が有るのか疑問である。
交通費Q2
走行距離0Km 給油0L


213日(金)Quetzaltenango  ロペスさん宅へホームステー
 朝、目覚ましにより起こされる。7時朝食を取り洗濯に出す物を整理し、学校へ行く。朝の内、昨日の山登りに付いての話と日本の交通ルールに付いて話をする。その後少し文法を習い、テストに入いる。テストは全く出来なかった、特にこれ、それ、あれに付いての言葉は全く思い出せなかった。先生に悪い事をしてしっまった。1時に終わり、ステー先に戻り昼食を済ませる。今日の課外事業は料理教室、行く前にクリーニング店(普通の洗濯機で洗う)に洗濯機1回分(容積で料金が決まる)の洗濯物を持っていった。普通は洗濯Q7、乾燥Q7、であるが、そこはエル・ケツアルの学生並びに宿泊者には両方でQ10にデスカウントしてくれる。4時には洗濯が完了し5時には店を閉めるので、其れ以前に来る様言われた。そして、学校に行ったが少し早く、昼休みの内に管理人のたかさんに、南米に有る日系企業本が作くっているインスタント・ラーメンを売っている店に案内してもらった。ラーメン10個と焼きそば10個を購入し学校に帰る。料理教室が始まった、グアテマラの家庭料理である。しばらくして時計を見ると410分過ぎ、料理教室を途中で抜け出しクリーニング屋へ行った。未だ乾燥中で有ったが乾燥機の電元を切り、衣類を取り出す。略乾燥していたので、直ぐにたたみ学校に持ち帰る。料理を続けて完成し、生徒と先生で食事をする。チリの肉詰め卵衣炒めとグリンピースご飯で、先ず先ずの味で有った。其の時学校より、ホームステー先より駐車料1日Q5払って欲しい旨要求された。何を今更とは思うが、7日分Q35を払う。隣の部屋に泊っているアメリカ人が、今日市場内で財布を磨られた。財布には$170とチェック・カード・免許書等が入って居たとの事。こちらも気お付けなければ。
クリーニング代Q10、食品代Q145
走行距離0Km 給油0L

2月14日(土)Quetzaltenango  ロペスさん宅へホームステー
 朝、目覚ましに起こされる。しかし、今日は土曜日、朝食の時間が解からない。7時に成っても食堂の動きが無い、8からなのかなと思って居ると、賄いさんが駆け足で入って来た。何かの都合で遅れて来た様だ。7時半近くに朝食の準備が出来た。今日は課外事業が9時から、十分余裕は有る。9時少し前学校に到着、誰も居ないので管理人の「たかさん」と話をしていた。昨日のアメリカ人の話をしたら、数年前に矢張りアメリカ人が2ドル擂られたとの事、2千ドルと言えば市場の全部の品物が買える程の金額を何で持ち歩くのか、馬鹿じゃないかと言っていた。
 時間が過ぎたのに集まりが悪いなと思っていたら、皆は庭に集まって居た。学校から歩いて1昨日行ったバス停に行き、バスを待った。暫くしてアメリカのスクールバスの払い下げのバスが来て其のバスに乗る、Q2前に温泉に入りに来て通り越して行ってしまった所は終点で有った。そこで小型トラックをチャーターし、其の荷台に乗り山道を30分程上り温泉に到着。入場料Q10を払い車から降り、園内に入る。何かジャングルを彷彿させる風景である。個室用の小屋が幾つか続き一番奥にプール状の物が幾つか見えた。一番上の湯気の立っているプールに手をいれると生暖かい。少し寒い気がした。服を海水パンツに着替えプールに入るとそれ程暑くない、奥に行くと少しは暖まるが外に出ると風を引きそう。それでも約1時間入り行きに乗ったトラックで下山する、料金Q10バスに乗り換え町に戻る約20分程であった。
 今日も台湾人の店に中華饅を買いに行った、今日は未だ売っていたのでつい2個買ってしまった。美味しかったが直ぐ昼食なので、昼食が食べられず困った。途中に有った銀行にてQ500をキャッシングする。宿に帰り直ぐネットカフェに行き2時間程Mailを打つ。そして再び宿に戻り学校へ鍵を返しに行く、しかし「たかさん」が昼ねの最中で鍵を預けて帰る。(中南米の小さな日本人宿は、部屋の鍵ではなく宿屋への入り口のドアーの鍵が渡される、部屋の鍵は自分で用意する。)いよいよ明日は旅の再開だ。若林君は1週間の予定で山登りに行ったので、明日からは又1人旅。取りあえずCoban目指して出発する。
バス代Q4(往復)小型トラック代Q10、温泉入場料Q10中華まんQ4、ネット代Q17.5
走行距離0Km 給油0L

215日(日)Sta Cruz Del Quiche
 朝、何時もの様に6時半起床、7時朝食を食べて出発の為に車の点検を行う。8時ステー先の家族にお礼を言い出発する。学校の前を通ったので「たかさん」に礼を言う為学校に寄る。「たかさん」がお茶を入れてくれたので、お茶を飲み9時に出発した。
 トヨタの店でクラチ板とタイヤの空気取り入れ口が有れば買いたいと思い、行ってみる。街中に有ったトヨタ店は今日は日曜日為休みだった、仕方なく先に進む。1号線に乗りGuatemala目指して走る、途中からSta Cruz Del Quicheを目指し走る。予想通りの山道だが舗装されており快適に走る、途中の町で燃料を補給する。峠に於いてフルーツの検問に出会う、フルーツの検問の内容は理解出来るが、なぜここでやっているのか理解できない2時過ぎSta Cruz Del Quicheの町に到着。Hotelは直ぐ見付るも駐車場に車が入らない、他を当たるも駐車場が無い。仕方なく路上駐車を決め、最初のホテルに泊る。遺跡が近くに有るので最初は見に行く積もりで有ったが、久々の運転で疲れがどっと出てきた。ベッドに横になっていると寝てしまった様で、気が付くと5時を回っていた。Hotelの近くに有った市場少し見て、車に有ったカップラーメンを食べ8時に寝てしまう。
昼食代Q13.5、宿泊費Q60、燃料費Q101
走行距離133Km 給油29.7L

216日(月)Coban
 車が路上に駐車しているので、気に成り6時に起る。2階の部屋の窓から、車を確認するも異常なし。但し、内側の補助タンクのキャップが緩んで居る様で、タンク周りが汚れている、後で処置をしようと思い又寝てしまった。7時に目がさめ、昨日シャワーを使って無いので朝シャンをしようと思い、シャワーを確認するにこれが聴いていた電気式シャワー(写真)で有った。但し、電線がむき出しで有り、感電しないのか少し心配で有った、やってみると生ぬるいお湯が出てきた。シャワーに入って居る時は良いが、終わって外に出ると体が暖まって居ないので寒く感じる。
 Hotelの横のパン屋でパンを買い、車内でコーヒーを沸し朝食を取る。そして、ホテルのフロントでCopanへ行く道を聞いて8時チェクアウト。道の途中で20Lの水を売っている店が有り、ポリタンクへ移してもらいQ13を払う。初めのSacapulas迄は舗装されており、田舎の山岳風景が大変美しく快適なドライブだった。Sacapulas の町に着くと市が立っていたが、時間が無いので素通りする。郵便局が有ったので手紙を出すが詳細を記入し忘れた。郵便局は町外れの坂道の途中に有た。中南米の大半の国では、一般の人が郵便を使う事が殆ど無い。それ故郵便局の場所を一般の人に尋ねても、殆どの人が知らない。郵便局の直ぐ下に綺麗な川が流れており、其の上の橋を渡ていく。橋の先からは舗装が切れ、そこからSta Cruz Verapaz迄の間、未舗装区間で有った。大半の部分が工事中でも有り、周りの景色は雄大で有るが道の上り下りが激しく、まるでアメリカのパークス・ピクスを走っている気分で有った。Sta Cruz Verapazにはいつの間にか着いてしまい、道を尋ねたら後ろだと教えてくれた。あわててCobanを聞き其の方向へ向かい、20分程でCoban着く。街の入り口にスーパーが有ったので、少し食料品を購入する。その後セントロへ行きガイドBookに有った安宿に泊る。ホテルからセントロへ歩いて行くが、セントロの周りには何も無かった。銀行を探しキャッシュディスペンサーを見つけたが、マスターカードのみ利用可能。Hotelに戻り、先ほどスーパーで買ったハムで、夕食を食べる。
食品代Q30、燃料費Q110、宿泊費Q65
走行距離112Km 給油32.2L

217日(火)San Benito

 朝早く目が覚めたが、寝なおし7時起床。昨日も疲れシャワーに入らず、朝シャンをする。此処も電気式シャワーで余り熱くならず。車でお湯を沸かしコヒーとパンで朝食を取る、バナナは固くて酸っぱく未だ熟れて無かった。9時ホテルをチェックアウトし、両替に昨日見た銀行に行く。銀行にてトラベラーズ・チェックに関するチェックが厳しく、両替に30分も要したUS$100=Q804。両替後今日はTikal目指し走る。CobanからSta Rita迄は地図でも解かる程の直線路で快適な舗装路で有った。但し、小雨又は霧の地域が多かった。又、大きなソテツの木の様な木がたくさん有り、まるでジャングルの中を走っている雰囲気であった。途中のSay
茅葺屋根のあるフェリーボート
azcheの町の端で道が川で遮られ、道が無くなりフェリーを利用し川を渡るQ15フェリーは片側に船外機を前後に取り付けて物で、約10台程度の車を1度で運ぶ事が出来る大きさで有る。フェリーを降り暫く走ると又、果物のチェックが有った。バナナを買って有ったのでバナナを申告するとバナナは問題外の様で有った。Sta RitaからSan Benito間は未舗装で有り今日は全体に雨模様で有った為、道がぬかるみ車の汚れは物凄い物で有った。San Benitoの入り口のスタンドで燃料補給して、少し洗車した。そして、すぐ近くのHotelにQ100と少し高いが泊る事にした。明日はTikalに到着予定。
食品Q3、フェリー代Q15、燃料費Q95、宿泊費Q100
走行距離337Km 給油28.4L

218日(水)Flores
 朝6時半起床、朝のシャワー後、車でコヒーを沸かし朝食を取る。少し車を洗い9時チェクアウト。昨日行った車のパーツ屋に行きクラッチデスクが無いか問い合わせする、探してくれたが無いので礼を言い辞する。町を出るに直ぐTikalへも標識が有り、標識には50Km先と有る。10Tikalのゲエートが有り入場料Q50を徴収される。インホーメションとの看板が有ったので其処で聞こうと思って側に行った。それは大きく書かれた地図の事で有った。車を駐車場に停めて遺跡に向かう、大きなねずみ「カピバラ」が数匹歩いて居るのを見た。遺跡内を歩く途中で切符のチェックが有たが、切符を車の中へ置いて来たので取りに帰る。再び遺跡に向かう。ガテマラ1番の遺跡と歌われていたので期待が大き過ぎたのか、少しがっかりした。メインの12号遺跡を見て4号遺跡に登り暫らくして、1人の日本人が声を掛けて来た。この近くの町でQ45で泊っているとの話で有る。それならキャンプよりましかなと思い、帰りはその町で泊る事にした。Tikalの中のHotelは安くてUS$35CampはQ10だが虫に注意と有ったので、其の話に乗った。夕食はイグアナを食べに行くことにした。町の中のレストランに行くとミックス・ランチが有り、それを注文する。中実を説明してもらうと、アルマジロ・パーボン・エペスクインテ・ペナロ・トルタマヤ・パコマヤの6類の盛り合わせとの事、ボリュームたっぷりで食べきれなっかった。不味くは無いが、それ程美味しくもなっかった。
入場料Q50、ビール他Q51.5、宿泊費Q50、夕食代Q100
走行距離116Km 給油0L

2月19日(木)los Amatesu
 朝7時起床、車でコーヒーを沸かしパンで朝食。ガイドブックによると島内の中央に郵便局が有る様なので島内を散歩しながら探すもなかなか見つからず。3度ほど聞いてやっと見つけ、手紙を依頼する。島を出て1路ガテマラシティー目指し走る、この道はガテマラのメイン道路の為良く、整備されており大変走り易い。今日は午前中、日が出る程天気は回復した。昼食は道路脇で車を停め、車内でラーメンを作り食べる。このラーメン、ケツアルテナンゴで購入した日系企業製のラーメンで大変美味しい。4時頃、los Amatesuの町に着き、Hotelを探す。Q70のホテルに泊る、但し水シャワーのみ。町を少し歩くと銀行と郵便局、ネットカフェが有り、銀行でQ300下し、郵便局で手紙を投函する、今日4通目の手紙。そして、ネットでメールの返事を2時間程打つ。腹の調子が悪くなり泡てて帰る、昼食に食べた湯で卵が悪かったのかな?よく解からない。明日は金曜日、明後日(土日)の国境越えは良くないので(ギヤー及び税関士に対する各費用がやたらと吊上がる)月曜日の23日午前中にホンヂュラスへ入国する事にする。
燃料費Q95、郵便料金Q16、宿泊費Q60、ネット代Q10
走行距離287Km 給油29.1L

220日(金)Chiquimula
 朝ゆっくり起き、コヒーを沸かし朝食を取り、洗車をし9時チェックアウトする。今日は取りあえずガイドブックに有る国境の町の途中に有る町、Chiquimulaへ行くことにし、1号線をガテマラ方向へ進み、途中から左に折れに2時頃到Chiquimulaに着する。ガイドブックの宿を探すも見つからず、途中で他のHotelで駐車場付きの宿でQ50なので其処に泊る事にした。宿に車を止めセントロの付近を散歩する。コピー屋が有ったのでガテマラの車関係の書類のコピーを依頼する1枚Q0.2で有る。米を少し買う、量が解からないが一袋Q1.25で試食の為購入、夕食として玉丼として食べるが少し臭いが違うが食べれなくは無い。明日今日購入した米を少し購入して行く。卵も昼に買ったところは1Q0.8夕食用に買ったところはQ0.7で有った。国境越えの為車の洗車をする。まあまあの綺麗さに成った。又、今日も郵便で封筒を日本へ送る。
燃料費Q95、食品Q6、コピー代Q0.6、宿泊費Q50郵送費Q4
走行距離25Km 給油29.1L


221日(土)Esquiputas
 朝、市場に行き卵を4個買う、昨日1Q0.7だったのでQ2.8を支払うとQ2.6との事。毎日価格が変るのかな?昨日買ったご飯の残りを卵で絡めて食べる。そんなに不味く無いので後で米を買いに行くも、昨日の売っていた人が見付らない。日々場所を変えるのかな。仕方なくChiquimulaの町を出る。今日の目的地Esquiputasの町迄は25キロ程、直ぐに着いてしまった。途中赤色のMR2(SW21)を見る。少しぶらついてガイドブックに有ったSQ65と言うHotelに行く、Q250だと言われ、金が無いと言うと少し値を下げてくれた。少し高いが其処に泊る事にし、車を預けシャワーを浴びた後、教会を見に行く。この町は教会に有る黒いマリア像が地域の信仰の中心となり、国内より多くの信者が集まって来る様である。この地域大変暑く、水をペットボトル2本、缶ビール1本、缶コーラ1本、それでも足らずペプシのペットボトルを買う。昼食を街中に有る中華料理屋でチュウメンを食べる。あんかけそばで最初は旨く感じたが、量が多くその内飽きてきた。あんかけの味がガテマラ風味に成っていた。夜、インタネット屋へ行くも接続出来ず、残念だが宿に戻る。そして、家に電話するも特に異常なし。両替屋にてUS$302377.9)を両替し、銀行にてQ200を引き出す。
食費Q6.6,昼食代Q39、宿泊費Q225、雑費(車)Q25、テレカQ20
走行距離141Km 給油0L

222日(日)Esquiputas
 朝6時半起床、今日はいよいよ国境の町へ行く予定で8時過ぎHotelをチェックアウトする。少し走った所に有った木陰で車を停め、コヒーを沸かして朝食を取る。その後、町を出て国境の町に向かう。30分程走ると直ぐ税関のゲートが出て来てしまった。それが国境なのかどうか良く解からないが、これ以上先に進むと出国手続しなければならなくなると不味いので泡っててEsquiputasの町に戻る。そして宿を探す、ガイドブックに有ったHotelだが物凄い値上げがされていた。ホテルに入り後、車の中で昼食を取った。その後ネットカフェにて2時間程ネットをやり、日頃ご無沙汰の人を重点にMail打った。名古屋スキー・クラブの服部先生が亡くなられたとのメールが入っていた。皆その歳に成って来たのだなと、つくづく思う。スーパーで食品を購入し清算すると、袋代を徴収された。良いシステムだが、突然やられると困るものだ。この町もキリスト教の聖地で、教会前の門前町で全国的にも有名なので、全国から参拝客が集まってくる。その性か全ての物価が高い。
食費Q34、雑費(草履)Q25、ネットQ20、宿泊費Q100
走行距離28Km 給油0L   Guatemalaの走行距離 1,754Km

2月23日(月)La Entrada  5番目の訪問国ホンヂュラス
 今日は国境を越える日、何となく興奮し6時半起床する。朝シャン使用とするもお湯が出ない。仕方なく出発の準備をし、部屋にて備え付けのコヒーで朝食を済ませ、8時半チェックアウトする。国境は昨日行ったので直ぐ判る、案の定ギヤーのしつこいお出迎え。車のペルミソ(入国許可書)のキャンセル、並びに出国手続きはコピー代Q4で済んだ。これでガテマラ側が済んだのでギヤーにQ20を支払った。しかし、もう1人が更に先に進むんだと言う。結果はHonduras側の手続き迄付いて来た。入国税Q20を払い、30日間のツリストカードを貰う。そして、車の手続きに入る、初めにコピー代Q8、入国税L1200US$80)車両確認係官にL100書類確認係官にL100,車両確認係官にL100を渡す。(この間の支払いは、どれが本当に必要な経費なのか良く解らない。大半が賄賂の様子である。)そして最終のゲートで書類を確認しHonduras入国完了。又してもギヤーからの金の要求L500寄こせとの話、L500US$25、そんなに出す訳には行かない。Q25(US8)支払う事にした。道路の周りの風景はガテマラと余り変らない。道路にDanp(突起)が無い代わりに、穴が多い。2時過ぎコパンの入り口の町に着き、安宿に泊る。余りにも暑く、水シャワーを被った後、郵便局に行く。更に電話を探しに行くが無い。そうしたらインターネット屋が有ったので2時間程やり、夕食を車内で作り食べて寝る。
ガテマラ出国費Q24, Honduras入国費Q51,L1500、食品代L2,燃料費350、宿泊費L100,インターネットL40,
走行距離168Km 給油33.68L

Honduras入国
224日(火)Santa Barbara
 朝早く目が覚めた。早めに出発しようと出発準備を完了し、朝食の為のパン屋を探すも適当なのが無い。結局無しで8時に出発、途中適当な店が有ればそこで買えるだろうと。1時間程でCopan Ruinasの町に着いてしまった。取りあえず中央公園に行く。公園の角に銀行が有り、Q110残っているので両替する。公園にて地元の人にコパン・ルイナス(Copan Ruinas) は何処かと尋ねると此処がそうだとの返事が返ってきた。 Ruinas とはスペイン語で遺跡の事、遺跡に行くのにどう聞けば良いのか解からなくなってしまった。公園の反対側にCopan博物館が有るので見てから、そこで聞くことにした。結果1キロ程戻った所に有るとの事。博物館の隣は郵便局、早速手紙を出す。
局員がL15を払うと、L3の切手を5枚貼ってくれた。そのL3を更に2枚購入し、他に切手が無いか聞くと無いとの返事。そしたら机の引き出しからコインを数枚出し、くれるとの事、代わりに日本の5円硬貨を上げ礼を言い局を出る。中南米の国々では郵便は庶民を対象とした制度では無く、商店や企業、富裕層のものです。故に 通りで郵便局の場所を聞いても、殆どの人が知らないと答える。ましてや、郵便ポストは町中でも先ず見かけない。
 更に、車で進むとパンを売っている店が有り、店の前で車が停めれないので通り過ぎて停める。すると数人の両替商が両替が無いかと言って来た、銀行より両替商の方が率が良いと書いて有ったのに残念だった。但し、路上の両替屋は、計算機に細工がしてあったり、偽札を紛れ込ましたり、紙幣の枚数が少なかったりするリスクがあることも。あるパン屋に行くと小さなパックに詰め替えたのが有りそれを購入するL1.5。そしてコパン遺跡に向かう。途中日陰の有る場所で車を止め、コヒーを沸かしパンを食べる。食べ終え出発すると23分で遺跡に着いてしまった。ここの遺跡は彫刻した石が形もそのままに多く残って居るのが特徴で有る。又、日本の援助で復元作業が今も続けられており、ガイドも説明の中で何度もその事に触れて居る事が良く伺われた。大変暑かった。ゲートを出てゲート脇に居る数匹のカラフルなオオムを見ていたら反対側に座っていた若い夫婦が日本語で話しかけて来た。数ヶ月中米を旅しているとの事、相模原市の矢部に住んで居ると言っていた。又、ケツアルテナンゴで、車で旅をしている人の話を聞いたとも言っていた。お互いの旅の安全を言って分かれた。駐車場で昼食のラーメンを作り、食べてから出発する。今日来た道を戻り、昨日泊った町を過ぎ30分程走ると急に眠気に襲われ、道路脇の日陰を探し車を止めて寝る。1時間程寝てしまい、直ぐ4時を回ってしまったので道路脇に有ったHotelに泊る事にした。そこで、夕食を作り食べた後気が付いたのだが、昨日のHotelに小型の懐中電灯を忘れて来てしまった様だ。今回の旅行では何度も、宿泊先に小物を忘れて来て困った事が有った。
博物館入場料L36、郵便代L18、食品代L1.5、遺跡入場料L160、宿泊費L209
走行距離172Km 給油0L

225日(水)Sun Pedro Sula
 朝7時起床して直ぐ出発の準備をした。フロントにフリーコヒーが有ったので1杯飲み、2杯目をカップに入れ出発した。走行途中パンを売って居そうな小さな店が有ったので車を止まる。家内の好きなシナモンロールパンが有ったので2個買入するL10。少し走った所に適当な木陰が有ったので、木陰に入り車を止めて車内で朝食を取る。11時頃今日の目的地Sun Pedro Sulaの町に着いた。駐車場を探すついでにガイドブックに有ったHotelに行く。少し料金が高いが其処にしたL280。車を止め町を散策した。靴、バッグ、ハンドバッグの店が多い。民族博物館を見た後、昼食にマクドナルドに入る、矢張り高いL50.9。そして、郵便局へ行き手紙を出しに行った。すると局内にフィラテリヤコーナーが有った、売っている切手は余り多くないがそれでもL250に成ってしまった。手持ち金が無くなってしまったので、今度は銀行探し、数軒目のキャッスヂスペンサーでやっと現金を引き出す事が出来た。帰りに公衆電話を見つけ、パナマの長男に電話を使用としたが、テレカが無っかった。しかし、電話機にクレジットカードの絵が書いて有ったので、カードで掛け様とカードを入れた。すると何の抵抗も無くカードが入てしまた、中にカードが入ったまま戻って来ない。電話も掛からない。電話の管理人に聞いたら少し先に電話会社が有ると教えてくれたので、その電話会社に行く。事情を話したら、他の人が英語で助けてくれて話は通じたが、今度は電話会社の話が解からず、又別の人が助けてくれ。かいこの会社は公衆電話会社には関係の無い事が解かった。町に出てお店の前でショットガンを持ったガードマンに警察は何処に有るか尋ねるも、知らないとの返事。更に別のガードマンに聞くも答えは同じ。ぱと巡回してくるパトカーを捕まえ、依頼すれば良いと教えてくれた。待つこと数分パトカーが来たので話をし現場へ行く、パトカーの後部座席に座る。現場に向かうが、徒歩と車では通りの感じが変わり、公衆電話の場所が解からなくなってしまった。仕方なくパトカーを降りて徒歩で探す、電話機を探し、パトカーの場所へ戻ると今度はパトカーが居なくなってしまった。この場所はガイドブックに、危険なので夜は歩かない方が良い地域で有ると出ていた。しかし、そうも言っておれない。そこで次に来たパトカーを止め、話をするが今度は相手にしてくれない。そうこうしている内に9時近くなり、人通りも少なくなって来たし、カードが取りあえず使われる事も無いのでHotelに戻り、ホテルに有ったカップラーメンとビール(L40)を飲み寝る。
食品代L90.9、切手代L250、宿泊費L280,博物館入館L30
走行距離97Km 給油0L

226日(木)


 夜クレジットカードの件が心配で良く眠れなっかた。朝は早くから目が覚めたが、周囲の活動が始まるまでじっと我慢の子で有った。8時にフロントに行き、カードの停止依頼を日本へ連絡する為に、日本へ電話を繋いでくれる様以来した。しかし、旨く日本に繋が
火薬庫の収められた当時の大砲の弾
らない様子である。そこで昨日行った海外への電話会社へHotelマンと共に行って電話をする。コレックトコールは無し、直接電話のみ。日本のクレジット会社に電話して、クレジットを止めてもらった。これで一安心、電話代L365支払うが電話代がホテル1泊分より高い。Hotelに戻り、再度警察署を捜す尋ねるも、場所を誰も知らない。Hotel階下に有ったパン屋さんで、パンとコヒーで(L17朝食を済ます。10時頃チェックアウトしスペイン人が作った要塞を見に行く。中々立派な建物で有った。
走行距離214Km 給油37.59L


227日(金)Tegucigalpa
 朝6時半、小鳥の声で目を覚ます。外に出ると朝靄に煙る湖畔の風景が幻想的で有った。車内でコヒーを沸かして飲む。もう1日ゆっくりと泊っても良いかなと思ったが出発する事にした。9時半チェクアウトする。一路Hondurasの首都Tegucigalpaへ向け出発する。出発すると間もなくシャレたパン屋さんが有り、パンを買いに店の中へ入るとコヒーも売っていた。パンとコヒーを買い店の中に有るテーブルで朝食を取った。パン屋の先に水を売っている店が有り、水20Lと昼食用の卵を2個買入するL252つほど大きな山を越え、途中の道端で昼食を食べながらも1時前にTegucigalpaの町に入る。駐車場の有るホテルを探す。其の名もHotel Honduras、1人L127を支払う。部屋を見るに先ず先ずかなと思った、バスタブ付きとはと喜ぶんだが栓が無い。おまけにお湯は出ない。車を駐車場に入れると係員がL40を要求してきた。それなら最初からL200位のHotelを選んだのにと思った。まあ此処まで来たらしょうがない、車を止め町を散策した。ただただ騒々しいだけの町で有る。町中を流れる川はドブ川と化しドブ川の臭いを発している、早くこの町を出よう。
宿泊費L27、駐車料L40、夕食代L70、郵便料L30
走行距離169Km 給油0L

228日(土) コルテカ(Choluteca)
 朝から部屋にはゴキブリうようよ。シャワーは水のみ、トイレに便座はなし、早く退散退散。Hotelを出て今日は港町のSan Lorenzoを目指し進む。Tegucigalpaの町外れで燃料を入れるL350,G。途中に古い街並みの町が有り寄って見る。セントロに郵便局が有ったので手紙を出そうと思い郵便局に行くと、切手が無いので出せないとの事、そんな事有り?町を出て更に進む、昼前にSan Lorenzoの町に付く。  Hotelを探すに数軒のHotelが見付った。しかし、現金が無い、銀行を探してトラベラーズ・チェックを両替しようと銀行に入る。列に並んでいて自分の番になったのでトラベラーズ・チェックの現金化を依頼した。この銀行ではトラベラーズ・チェックは取り扱わないので、他の銀行へ行くようにと言われた。外に出て他の銀行に行くと、今日は土曜日11:30で業務停止、既に過ぎている。この町では駄目だ。仕方なく少し海岸線を走り、町を出て次の町Cholutecaの町を目指す。Choluteca の町ならキャシュディスペンサーが有るだろうと思って。Cholutecaに 入り暫く探しながら走ると、キャシュディスペンサーが有った。早速トライすると。現金が出てきたので一安心。今度は郵便局を探す為にセントロに行く。警察が有り尋ねるも郵便局は無い様だ、意外と警察も知らないのかも知れない。警察で何故か中国人の経営する店に案内される。中国人と日本人では話が出来るのでは無いかとの判断からである。結果としては話が出来ない事で警察に礼を言い出発する。今度はHotel探し、街の入り口にHotelの表示が有ったので聞きに行く、L800との事、とんでもない。警察の脇に1軒有ったので其処に行く、余り綺麗ではないがL188で車庫も有るので其処にした。近くにインターネット屋が有ったので、早速家へカードの件を連絡等1時間程メールを打つL30
燃料代L350,宿泊費L188、食費L40、通信費L30
走行距離155Km 給油36.41L

229日(日)
 朝、国境越えの為洗車をし、ニカラグアはキャンピングカーの入国を認めないと言われていたので、キャンピングカーと見られない様に左右の網戸を外した。(アメリカ人のキャンピングカーでの入国を拒む為かと思われる。)9時過ぎチェックアウトし、現金をL400引き出し、国境の町S.Marcos de Colonを目指して走る。登坂路で有ったがゆっくり走って1時間程で着いてしまった。セントロに行き、Hotelを探すと1軒が直ぐ見付かった。外から見るに小綺麗な感じで有るが駐車場が無い。他を見るに少し見劣りするが駐車場が有る。どちらを選ぼうか迷って居たが、まだまだ時間が早いので昼食を取り、その後Cholutecaの町でインターネットをやろうと来た道を戻る。昨日行ったネット屋に行くと閉まって居た。仕方なしにスーパーに寄りパンその他を購入し、道の途中の小高い丘の上に有ったHotel目指し再度戻る。HotelL350、景色が良く、施設もそれなりと期待していたが料金がただ高いだけ。水シャワーでTVも無い。室内もたいした事無し、Hotel選びの難しさを痛感した。夜風が強く一晩中風による木々の音がし続けた。
食費L45,宿泊費L350,
走行距離157Km 給油0L

3月1日(月)NicaraguaEsutel(\7.2)
 今日は風の音がし続け、早く起きてしまった。国境越えの件も有るのかも知れないが。Hotelを出て直ぐに昨日来た町S.Marcos de Colonに着く。町の入り口を通過する時、子供連の若いお母さんが声を掛けてきた。丁度ガソリンスタンドの前で、こちらも燃料を少し補給しようと思っていたので停車した。そしたら、二人が車に近づいて来た。窓越しに少し話をしていたら、学校まで乗せて行ってくれと言うので2人を乗せ町中の学校へ行った。そしたら、今日は学校が休校で有り、再び2人を車に乗せ家へ送り届けた。女の子がなかなか車を降りてくれないので、家の前で写真を撮ろうと車から降り写真を撮る。そして、出発しようとしたら女の子が泣き出した、しかしこちらも時間が有るので出発した。
 9時過ぎ国境に到着、ギヤーの誘いを無視しゲート迄進む、するとゲートの係員がギヤーを紹介される、女性で有った。Hondurasの出国手続きは人の出国費US$5と車の手続きとして、車の入出国書に出国印を貰い手続きは終わった。女性ギヤーがチィプを要求してきたのでL20渡すと、少ないと言うので更にL10の計L30支払う。坂を下ると今度はNicaraguaの入国手続き、矢張りギヤーがやって来た。あちらこちらをNicaraguaの係官の指示により移動しながらの手続き、結構大変で有った。人の入国税US$7、車両申請書作成タイプ代US$10、強制保険料US12、ギヤーも賄賂の指示も無く、必要経費の支払指示をしてくれただけで有る。約1時間が掛かり、11時全てが完了した。ギヤーにUS$5を支払う。Honduras L50が無かった為で有る。L100は多すぎるし。Nicaraguaに入りNicaraguaのお金が無いので最初の町で銀行を探し両替を頼むと、Hondurasの現金及びトラベラーチェック共に両替出来ないとの返事、町中の両替商も2軒周り2件ともに同じで有った。未だ時間が早いので、最初の目的地Esutelの町へ行く。町のセントロで銀行を聞き、その場所に行くとキャシュディスペンサーが有った、C$1000US$100を引き出す。そして、町を出てガソリンスタンドへ行く。13.695G入る、料金C402支払う。そこで、この町の名前を聞くとEsteliだと言われ、再度町に引き返しHotelを探す。看板だけが通りに大きく出ていて、建物は通路の奥の方に有るHotelが有った。駐車場に問題無いので聞いて見る事にした。部屋は小奇麗で電気式シャワーである、久々にシャワーが使えるので其処に決めたC233。郵便局を聞き行って見ると、何故か長蛇の列。横から入って見ると、Nicaraguaらしい切手が売られて居る様だが何せ人が多すぎる。諦めて宿に帰ろうとすると、郵便局の前がNet屋である。自分のパソコンを繫いでくれるかを聞くとOKの返事、早速PCを持って行く。しかし、接続出来ない。仕方なくNet屋のPCにてローマ字打ちで2時間程打つ。次男が私のもの凄くやせた事を心配している様だ、実際痩せた感じがするが特に問題無いと思う。夕焼けが綺麗だった。(レギュラーガソリンG31.4、軽油G29.34、この国もスタンドは民営の為価格は色々有る。交通ルールに付いて、追い越し禁止区域の取り締まりは厳しい様だ、大半が守って居る。)
Honduras の出国税US5$,ギヤーのチップL30,Nicaragua入国税US$7、車両申請書作成タイプ代US$10、強制保険料US12、ギヤーのチップUS$5,宿泊費C233,NetC20,食品C70
走行距離134Km 給油51.84L    Hondurasの走行距離1,159Km


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