13. ブラジル

        15番目の訪問国ブラジル入国

64日(金)Brazil Foz do Iguacu  
             L3=1US$       イグアスの滝
 朝7時起き窓の外を見るに物凄い霧である。今日のイグアスの滝は視界が悪いのではと心配する。8時過ぎHotelのレストランで朝食をとる。レストランは通りに面していて、朝食を取りながら朝の出勤風景を見ていると霧の中に人々が動き回る霞幻想的な風景で有った。食後両替屋を探すも見つからず、燃料代が無いので仕方なく予備燃料20Lを給油する。そして、10Hotelを出て国境へ向かう。通りは車で一杯、相当の交通渋滞である。どうも密輸品?をタクシーに積み、国境を越える様子である。タクシーが荷物待ちしており、それが渋滞の原因の様である。
 1時間程で国境に着く、車のパラグアイ側のカルネをキャンセルをしてもらう為、アドアナ(税関)へ入って行った。パラグアイへの入国時、パラグアイの税関が間違えてカルネの出国欄に入国事項を記入した為、出国時印が押せなくなってしまた。そこで、新しいページに出国印を捺印し終了した。約30分程かかった。(カルネのページ数により、発行手数料が掛かるが、この様な事が起きる可能性が有るので、カルネのページ数は余裕が必要)続いて、イミグレ(入管)に行きパスポートのキャンセルをする。これで、パラグアイの出国処理は完了。
 次にブラジル側の入国処理で有るが、始めにイミグレに行く。イミグレでは入国書に滞在1ヶ月と記入提出すると、係官にブラジルは広いから滞在期間を3ヶ月にした方が良いと言われた。しかし、カルネの有効期限が後1ヶ月しかないので滞在も1ヶ月にして提出した。パスポートと入国書に入国印を捺印し入国手続き完了。イエローカード(黄熱病予防接種証明書)の提示請求は無かった。次にアドアナ(税関)でカルネの作成を依頼、結果はカルネに印を貰ったが、ペルミソ(車両入国許可書)も1ヶ月で発行された。12時半入国手続き全て完了する。(入国時滞在期間3ヶ月取る様言われたが、1ヶ月にしてしまった。別件で1ヶ月で出国出来なくなり、滞在延長処置が大変であった。滞在期間は何処の国でも、最長期間を取るべきと思った。)両国の手続きに於いてギヤーも居なくて、更に費用も無く事務的に処置をしてくれた。
 ブラジルの国境イグアスのの滝のある町Foz do Iguacuへ入る。途中銀行が有たので、ブラジルのお金を手に入れるべく銀行へ入って行った。キャッシュディスペンが見当たらないので、カウンターに並びサークレジット・カードでの出金を頼する。すると、ここでは出来ないので、本店へ行ってくれと言われた。当座、現金は必要無いかと思い銀行を後にしIguacuの滝へ向かう。町の中をぐるぐる回るもなかなか滝に行着かない、途中でアルゼンチの方向へ進めば良い事に気が付き、其の標識を探しながら進む。そして、3時滝見学のヘリコプター基地に付いた、しかし、滝の見る場所は解からない。更に近くをぐるぐる回り、滝を探す。滝を探しながら、途中にあった店で聞くと、アメリカのグランドキャニオンと同様、滝にはツアーバスに乗らなければ行けないと教えてもらった。更にツアーバス乗り場の場所を聞いてバス乗り場へ向け進む。バス乗り場の看板が見えると直ぐにゲートが有った。ゲートで入場料US$7を 払い、場内の駐車場に車を停める。そしてバス乗り場に行き、シャトルバスに乗って滝の近くへ行く。バスを降りて遊歩道を少し歩くとアルゼンチン側の滝が目 に入る、矢張り言われるだけ有って凄い迫力で有った。そして、更に遊歩道を歩いて進むと、更に滝の音が大きくなる。眼前に物凄い水量滝が現れた、アメリカ のナイヤガラ滝に勝るとも劣らない滝で有った。夜が早く、夕闇が迫って来たので1時間程で引き返し、シャトルバスでゲートへ戻る。そして、車でFoz do Iguacuの町へ向かい、6時過ぎHotelに入る。何か買出しの荷物が詰まった部屋が幾つも有るHotelであった。部屋にコンロを持ち込み昨日買ったうどんを料理して食べる。
宿泊費UR$10(L30)、燃料代L63

走行距離98Km 給油38.8L 
 
65日(土)Garaqava
 朝8時過ぎ銀行へも、銀行は閉まっていた。よく考えたら今日は土曜日、休行日である参った。国際バス乗場へ行き両替をするUS$50=L140。とりあえず小額では有るが金が出来たのでFoz do Iguacuの町を出てCuritibaに向かう。途中2度程警察の検問を受けるが今の所問題なし、6時薄暗く成り始めた時Garaqavaの郊外に有ったHotelに泊る。
宿泊費L20,燃料代L49,有料道路代L19,
走行距離380Km 給油46.3L

66日(日)Curitiba
 朝目が覚めると7時を過ぎていた。今日の目的地Curitiba迄は200Kmちょっと、昼頃着いてしまうので出発はゆっくりで良い。朝食付きだったので、コーヒーを3杯飲む。国道を走り1時過ぎ町に入る、ガイドBookに有る日系Hotelに泊る。車庫も付いていた。丁度日曜日なので、直ぐ近くの広場で開かれていると言われる市を見に行った。100軒を越す多くのブースが並び色々な物が売られていた。(写真は盆栽店)骨董品は意外と少なかった。腹が急に減って来た、良く考えたら昼食は未だだった。小さな店で一般的によく売られている物を食べた(ブラジルの最も一般的な軽食)、余り旨い物では無かった。Hotelに戻り旅の整理をする。明日は銀行に行き、現金を引き出す。
宿泊費L45,燃料代L54.11,有料道路代L10,食事代L3,
走行距離285Km 給油36.3L


67()
 朝、Hotelの朝食を食べる(アルゼンチン・パラグアイ・ブラジルHotelは一般的に朝食付きで有る。又、チェックアウト時間は12時が普通)。昨日銀行が10時始まりで有る事を確認しているので、10時に合わせ外に出る、幾つかの銀行を尋ねるもキャッシングをしてくれない。諦めて両替をする事にし、両替屋に行くと日本円の両替が出ていたので2万円を両替しHotelに戻る。既に12時を過ぎて居た、慌ててチェックアウトし町を出る。途中給油を1度して114号線の街道沿いに有ったHotelに泊る。ホテルの側に有ったミニマートでカップヌードルを買って夕食替わりにする。
宿泊費L22,燃料代L51.5,有料道路代L,食事代L5
走行距離260Km 給油36.86L

68()Florianopolis セントロ
説明を追加
 7時起床しシャワーを浴び、Hotelの朝食を食べ8時過ぎHotelを出る。Hotelを出るとき同宿者が逆方向を指し、其方に行くのだと教えてくれた。お礼を言い出発、12時近くスタンドで方向を聞くに、昨日燃料を補給したところで有った。半日逆に走ってしまった。元に戻りフロリヤーノポリスに5時近くに到着、セントロにあるHotelに泊る。又もや駐車場の天井が低く車が入らない。其処で別の駐車場へ行く事に成り、その内、道が解からなく成り、町中を1時間以上走り廻る。Hotelに戻ると9時近くで有った。
 家内に電話する。外信専用カードのスクラッチ式でナンバーをダイヤルするが、出ない。その内電話会社から英語での問い合わせが有り、カード番号と日本の番号を伝えるとやっと日本に繋がった。
宿泊費L50,燃料代L57.3,食事代L8.75駐車料L10,電話代L12,
走行距離566Km 給油75.78L

69日(水)Florianopolis モサンビーケ海岸
 Florianopolisのセントロに有ったHotel9時過ぎに出た。体が疲れてだるいので、もう少し安いHotelでもう1泊しようと思い、島の反対側に出ようとしたがぐるぐる廻って又元に戻ってしまった。そして、名所の何箇所かを廻り11時頃モサンビーケ海岸と言う処に着いた、此処はこの島で最も長い(14Km)砂浜が続く海岸である。其処の1番端に有る堤防にて、近くの人達が投網で鯔を取っている風景を暫く眺めていた。昼になり、昼食を車の中で取った。暫く浜を眺めながら、2時頃近くに有った、レストラン兼アパ-トHotelと言われる処で値段を聞くL40との事、そこで1泊する事にした。キッチンダイニングとベッドルームが付いた広い部屋で有った。夕食は下のレストランにて小エビのフライを食べた。美味しかった。その時ビールのラベルを、私が剥がして居るのをボーイが見ていた。すると後でボーイが他のラベルを剥がし10枚程くれた、お礼に5円硬貨を上げた。(此処まで来る間に合った2人の日本人がビールのラベルを集めて居ると言ったので、収集に協力する為、集めた。)部屋では潮騒の音が聞こえて居た。10時頃寝る為に車の中に置いてある飲み水を取りに行く、未だレストランには多くのお客で賑わっていた。
宿泊費L40,食事代L22
走行距離55Km 給油0L


610() Curitiba
 朝、7時起床し朝食付きなのか確認に行くも解からず。8時迄待ってみるも其の気配なし。出発準備を完了し支払をする。そして、島を出て国道101号線を戻りCuritibaの町を目指す。しかし、3時過ぎやっとCuritibaの町に付いた。まあ急いでもしょうがないので、前回泊った日系人のHotelに入る。インターネットカフェを聞くと、近くに2軒程有るのを教えてもらい出掛ける。ついでに手紙を出しに郵便局に行くが郵便局は閉まって居た、何故か多くの商店も店を閉めている。ネット屋でパソコンの接続を頼むと接続線を貸してくれた、自動で繋ぐと直ぐ接続できた。2時間程ネットをやってHotelに戻り、部屋で飯を炊き、おかずはツナー缶に醤油を掛けて夕食を食べる。
宿泊費L45,燃料代L56,NetL4
走行距離339Km 給油39.2L

611日(金)Registro   日系人の多い町Registro
 朝7時に起き、Hotelの朝食を食べる。9時郵便局へ行き、手紙を出すL1.70。そしてCuritibaの町をSantosの町を目指して出発する。途中のインターを間違え逆方向に少し走り戻って走る。途中給油をし、又ラーメンで昼食を取る。そして1時過ぎ途中の町のオートバイ屋で道を聞くと、Santosの町迄は4時間掛かる。少し近いが30分程走った町に日本人がやっているHotelが有るので其処に泊ると良いと教えてくれた。Santosの町へ入るには土日の方が市等が立ち賑やかなので良い事も有り、途中の町の日本人宿に泊る事にした。次の町Registro17Kmの標識が有った。Registroの町に着きスタンドでHotelの場所を聞こうと思って居たら1人の男性が日本人かと聞いて来た、そうだと言いHotelの場所を聞くと教えてくれた。オブリガードと礼を言うと「ありがとう」と返事が帰って来た。其Hotelに行くと田舎の割には値段が高かったが泊る事にした。町には高木家具店、黒木自動車等日系の店が数軒有った。夕食にHotelの裏に日本食堂が有るとHotelの受付係りが教えてくれた。そして6時に成ったので日本食堂へ夕食を食べに行こうとすると、Hotelの受付7時過ぎないと開店しないと言われ7時半店に行く。焼き魚定食(L15)を頼む。最初に冷奴が出てきた、久々に食べる豆腐。硬いが豆腐の味が十分にした。茄子の煮付けが出てきた、身構えたがそれが大変美味しかった。茄子の皮は少し硬かった。支那竹ともやし、更に何か良く解からないが梅干の味が少しするものの3点が付け合せで出てきた。味噌汁、ご飯。ご飯はお茶碗でなく、皿に盛って食べる。そして焼き魚、焼いて有るのでは無く揚げて有ったが、味は良かった。鯖に近い味で有った。店の夫婦と話をすると、4年前日本から帰国しこの店を開いたと言っていた。其の前10年程、埼玉、群馬を中心に10年間働いたとも言っていた。お客が来はじめ忙しくなったので店を辞した。
宿泊費L45,燃料代L48.02,夕食代L19、郵便代L3.4
走行距離237Km 給油32.04

612() Santos
 朝7時起床ゆっくりと出発準備をし、8時にHotelの朝食を食べていた。其処へこのホテルのオーナー田中さんが来られ挨拶をした。豪く感激され、是非車を見せて欲しいと言われ、車を見てもらう。そして、少し旅の話をして出て行かれた。そして、Hotelで働いている日系2世の小野さん(愛知県一宮で働いていて2000年に帰国した、70歳を超えて居ると言っていた)に町を案内するよう言われ、Registroの町中を車で案内してもらった。生憎の強い雨が降っていたが中津川公園、日本文化会館、西本願寺分寺、郷土博物館(殆ど日本人の開拓の歴史資料館となっていた)運動場(これも日本人会の運営)そして、田中さんの事業の一つ靴屋の店に行く、お礼の挨拶をし辞する。帰り道なので中津川食堂によったが閉まっていた。11時頃Registroの町を出る。そして、Santos目指し進む、途中給油と車の中での昼食を取り、余り迷うこと無く3時過ぎSantosに到着。どうも記念碑の真ん前の様だが雨風が強く、先にHotelを探す事にして進む。数回聞くも適切な答えが無く、結果的には自分で通りを確認しながら安宿?を探した。夜はパンとスープで済ませた。明日午前中に記念碑に行き、写真を撮りSao Pauloへ向かう。
宿泊費L30,燃料代L56.02,
走行距離370Km 給油40.3L

613日(日)Sao Paulo
 朝、昨日夜半迄降って居た雨は上がっていた。Hotelの少しお粗末な朝食を取り、9時過ぎチェックアウトする。日本人移民上陸記念碑を探す。既に通り過ぎており、何度か聞いてやっと見つける。記念に写真を撮り、暫く海岸を眺めながら無事南北アメリカの旅を終える事が出来た感動に浸る。11時過ぎSantosを出発する。ハイウエイを走り2時前にはSao Pauloの町に入った。セントロが中々見つからず、1時間以上町中をさ迷う。スタンドで道を聞いてるとお客1人が車で先導するから付いて来いと言ってくれた。そして、やっと日本人宿の「ペンション荒木」を見つける事が出来た。東洋人街の外れに有った。東洋人街は意外と広く歩きには大変な面積である。駐車場が無いので、駐車場を探す。駐車料金が1L30だのL27だのと大変高い12時間L12が一番安いので、夜其処へ持ち込む事にした。処が8時過ぎに行ったら既に閉まっていた。仕方ないので路上駐車にした。
宿泊費L20,
走行距離9Km 給油0L

614日(月)Sao Paulo    サンパウロの東洋人街
 今日はトヨタ店に持ち込み整備をしてもらう予定で、ペンションのお上さんにトヨタ店を調べてもらった。朝食にパンを焼き食べる。そして、場所を聞き意外とスムースに店に着いた。店には中部自動車整備学校で教育を受けたを3名の整備士が居て、日本語で対応してくれた。オイルフィルターを交換し、エヤークリーナーを掃除し未だ交換しなくて大丈夫との事。タイヤの交換を依頼したがタイヤが無いのでBSのショップへ行くよう言われ、BSのショップへ行くも合うサイズのタイタの在庫が無かった。ファイヤーストンの電話番号を聞き、如何するか迷って居る。そして、道を迷いながら宿に戻る。そして,宿の前のお店で卵が売っているのでスペイン語「ウエボス」を下さいと言ったら通じず、日本語で「卵」を下さいと言ったら買えた。他に日本風の惣菜が色々有ったので少し買って、夕食にご飯を炊いて食べる。日本人宿なので、ここも自炊場が付いているので料理が出来る。そして、又駐車場探し、昨日L15で断った処に行く、一番安かった。
宿泊費L20,食費L15、整備費L150 ,駐車場L16
走行距離12Km 給油0L

615日(火)Sao Paulo
 朝駐車場へ車を取りに行った後、朝食にパンを焼き食べる。そして、今日ライダー(スズキ200CC単気筒)が出発して行くのを見送る。そして、東洋人街に有るさくら旅行社へ行き、日本までの切符に付いて聞に行く。JALの日本行きは6月末迄満席との事。(US$1200)途中ネットカフェにてMailをチェック、欧州へ車を送る為の船に付いて依頼した件に付いては入って居なかった。途中に有ったおもちゃ屋でMR-Sを見付け購入する(L10)。宿に戻り昼食を作り、車の中の整理をする。船積みの準備の為、補助タンクの燃料を全てタンクへを空にする。(写真は通りに有った薬草販売店)
宿泊費L20,食費L2、駐車場L15、雑費L10、ネット代L3.5,
走行距離60Km 給油0L

616日(水)Sao Paulo
 朝9時ネット屋に行き、Mailを確認に行ったら日本の船会社の八代さんからMailが入っていた。早速その会社に電話したが旨く掛ける事が出来なかった。夕方、車の駐車違反?で警察より注意を受ける、注意だけで済んだブラジルでラッキーで有った。(街中で見かけた、20Lの飲料水ほ配達する自転車)
宿泊費L20,食費L5、駐車場L15、ネット代L3.5,
走行距離5Km 給油0L

617日(木)Curitiba
 朝ネット屋に行き、再度内容を確認するとSao Pauloからの発送でなく800Km程離れたItajaiで有る事が解かった。
早速電話したが通ぜず、直ぐその町へ行く事にしてペンション荒木を出た。そして116号線を間違えて北に向かってしまった。1時間程掛けて戻る。6時過ぎ暗く成ったCuritibaの町に入った。少し迷ったが前回も泊ったHotel Oharaに到着し宿泊した。
宿泊費L45(1,657),食費L2.5、燃料費L119.03(3,952)、ネット代L3.5,
走行距離483Km 給油74.86L

618() ItajaiCabecudas, Hotel MarambaidCabecudas(1)     輸送料75万円
 朝8時過ぎ、Hotelを出てItajaiの町へ向け116号線を走る。約150Km2時間程でItajaiに到着、Brasmarine Shipping Servicesの住所がCentroに成って居たので先ずCentro へ行った。そこで会社を聞いたら、港の方だと言われ港の近くへ行く。そして、港に有った公衆電話で会社に電話する。暫くしてMr. Ederが迎えに来てくれた。そして、概算見積りが7,500㌦と大変高い金額を提示された。金が無いのでベルギーで払う形を取ってもらう事にした。そして、街から外れた海水浴場のある処のHotelを紹介され、カード払いが出来ると言われ其処に泊る事となった。(写真は1ヶ月過ごしたHotelマランバイヤ・カベクダス) 
宿泊費L44,食費L17.5
走行距離223Km 給油0L


619日(土)Itajai(2)    ブラック・ビーンズ
 朝7時に起き、8時にHotel の朝食を食べた。そして、少し散歩をしてから町へインターネットとスーパーで食料品を買いに行く心算で有った。そして出掛ける準備をしていたら、Hotelのオーナーのカシャーサがこれからブラック・ビーンズを仲間で食べるので一緒に行こうと誘ってくれたので付いて行った。Hotelから30分程走った所で、奥さんの実家の一角にバーベキュウ用の建屋が設けられ、友人仲間が毎週土曜日の昼に集まり、ビールを飲みながらブラジル料理のブラック・ビーンズを食べる会で有った。初めに豆の煮汁を熱い内に飲めと言われ飲んだ。豆の煮汁と言えばお汁粉である、しかし、意に反してこれが塩味で有った。味は意外と美味しかった。それに牛肉やソーセイジ、名前は解からない野菜を入れて更に煮込む。それをお皿に取り、チーズはがチーズの様な白い粉を掛けて食べた。これも又美味しかった。そして最後に日本語で挨拶しろと言われ、相手が理解出来ない事を承知で挨拶をする事は何か大変難しい感じがした。そして、奥さんの実家を訪問した、その家には馬場が有り数頭の馬を飼っていた。
 その後Hotelへ戻り部屋の鍵をクロックで受け取ると部屋が変わって居た、見晴らしの良い部屋に変えてくれて居た。そして、夜は2人の娘さんと奥さんの家族と共に近所の家で行われた、感謝祭の様なパーテーに参加させてもらった。その会はどうも親戚関係の集まりで有った。此処にも日本で働いた経験者が居て、日本語で時間の経つのを忘れパーテーを楽しんだ。部屋に帰ると既に12時を過ぎていた。楽しい、又とない機会を得る事が出来た。
宿泊費L44
走行距離89Km 給油0L

620日(日)Itajai(3)
 朝食を8時に食べ、9時過ぎ迄直ぐHotelの前で開催されているトライアスロン競技を見ていた。競技も終盤になった頃、Hotelのオーナーのカシャーサが来た。そこで、Netの接続を旨依頼し、接続を試みたが接続出来なかった。仕方が無いので町に出てネットをやろうと出かけた。車を輸送する為にタンクを空にしてあるので20L給油し、食料をスーパーで購入した。燃料はカードで処理出来たが、スーパーはカードは使えないと言われてしまった。Net屋を町中を探したが見付らなかった。仕方なくHotelに戻り車の手入れと車内の整理をする。夜、Hotelから日本の船会社の矢代さんへTelする。矢代さんが未だ出社前だたので、他の人にブラジルからベルギー間での車の輸送費が7.500㌦は高過ぎるのではと連絡を依頼した。家にTelするも家族は不在で有った。(写真は街中で見た車、何という車?)
宿泊費L44,食費L35.65、燃料費L30
走行距離42Km 給油20L

621日(月)Itajai(4)
 Itajaiの港に有る船会社へ行き、車の輸送に付いて打ち合わせをする。そして、世話に成ったHotelのオーナーのカシャーサにお礼をすべく、持ってきた浮世絵をフレームに入れて贈ろうと思い、フレームを売っている所を探すも見つからなかった。
 町の中の文房具屋の陳列ケースの中に、各国の国旗のシールが並べられて居た。長辺が5~6センチ程で、車に張るのに丁度良い大きさで有った。日の丸がないかと探したら、日の丸のシールも売られていた。日の丸を2枚と中南米の国旗を1枚ずつ購入した。日の丸を車に張ろうと思ったが、これから行く予定の国で反日感情の有る国では問題を起こす可能性が有るのでは無いかと考えて張るのを止めた。しかし、逆の対日感情の良い国では、日の丸は好都合かとも思われた。そこで、近く日本へ帰国するので、マグネット・ラバーに日の丸を貼り付ければ、取り外しが可能となる。欧州からは、それを使おうと考えた。
宿泊費L44
走行距離14Km 給油0L

622日(火)Itajai(5)   ブラジルのテレビで放映される
 午後、カシャーサの車で下の娘さんの小学校へ行く、校舎内を見るに何か明るく、又、大きな売店が有った。日本の学校とは相当雰囲気が違う、楽しく勉強が出来るような感じに成っていた。其の後Hotelに戻ると地元のTV局がインタビューに来る事に成り、インタビューを受ける。その後、港の船会社に行き話をする、明日コンテナー検討をする事と成った。価格に付いて話をするも価格は下がらないとの回答。八代氏からもUS$7,500は高いと言って来ている、今日もう一度八代氏電話で話をしようと思う。又、明日9時からTVインタビューの続きを行う事に成った。
宿泊費L44
走行距離0Km 給油0L


623日(水)Itajai(6)  船積キャンセル
 今日9時からTVの取材の続きが有る予定で有ったが、9時半を過ぎても来なかった。中止に成ったのかなと思っていた。そこへ、カシャーサよりこれから市の施設見学に行くが、行って見ないかと誘われた。どうせ1人ではTVの取材も受けられない(取材者はポルトガル語しか話せない)し、市の施設も見たいので一緒に連れて行ってもらった。初めに新設の陸上競技場、観覧席を作っている処で有った。次に教育センター、これも外壁の骨部分が出来上がりつつ有る状況で有った。市としての予算計上は大変で有った事と思われた。
 そして、Hotelに戻るとTV記者が待っていて、昨日の続きで私の車の撮影と走行中の撮影をHotel前の道路で行った。そして、町のセントロのカテドラル前に移動して、撮影とブラジルの旅行中に多くのブラジル人にお世話に成り、其の感謝の気持を表して終了した。(写真はレポーターとTVカメラマン)
 午後1番で昨日日本の船会社の矢代さんから聞いたSao Pauloの輸送会社に、電話しようとしたがなかなか電話が繋らない。フロントで掛け方を聞いて掛けた。そしたら、コンテナーの基本使用料は千㌦でその他経費を上乗せして行く、2千㌦程度で欧州に送れるので有ろうとの事で有った。早速現在進めている船会社へ断りに行こうとしたら、新聞社の取材が有りそれに対応した。(新聞の記事はどうもボツに成った様だ)そして、Sao Pauloの船会社についカシャーサに話をしたら、ここItajaiの船会社を2~3社当って再検討しようと言う事に成った。取り合えず今進めている会社をキャンセルする事にし、その会社に行きキャンセルする旨伝える。船会社の係員は以外に冷静な反応で有った、何か拍子抜けの感じで有った。
宿泊費L44
走行距離0Km 給油0L

624() Itajai(7)   袖ヶ浦(千葉県)姉妹都市
 オーナーが手配をしてくれた日系人の小平さんと言う方が、市内を案内すると迎えに来てくれた。そして、小平さんの車でItajaiの町に行く、最初に「袖ヶ浦公園」に行く。公園に有った鳥居はヶ浦市が寄付したのでは無く、袖ケ浦公園が出来た事を記念しItajai日本人会が発起人となり寄付を集め建立したとの事。又、衣が浦市は千葉県にある事が解かった。次にメルカド(市場)に行き、其の中に何軒かの日系人経営の店が有った、色々な日本食材や日本の雑貨が売られていた。続いて隣町へ行った、そこは夏のリゾート用のコンドミニアム・ビルデングが乱立していた。昼食にブラジルの肉料理シュラスコ(牛、鳥。猪、羊等、色々な肉を串焼きにしたのを持って来て、テーブルの上で切り取ってくれる)を食べた。その後日本人農家を尋ねた、其の家の奥さんは未だにポルトガル語が話せない。しかし、日常生活にそれ程苦労は無いと言っていた。近所の奥さん達と出かけるが、それなりに対応し楽しく過していると言っていた。そして最後にItajaiの町が見渡せる小高い丘に登る、頂上にはレストランが有り、Itajaiの全景が眺められた。さぞかし夜景が綺麗でしょうと言ったら、もし、夜この坂を昇って来ると坂の途中で強盗に襲われる。夜は危険で登れないと言われてしまった。そして、帰りに自宅に案内されお茶を飲みHotelに送ってもらった。その後、Hotelのオーナーに船会社2社を当たってもらう。1社はL10,000と言い、もう1社はUS$3,000と言われた。どちらとも決めかねてHotelに戻る。小平さんから翌日の夜、夕食に招待された。
 今日の昼のTVニュースで私の旅の状況が放映されたとの事で有った。夜オーナーの娘さんを学校へ迎えに行った時、他の母親より私をTVのニュースで見た、写真を一緒に取らしてくれと言われた。
宿泊費L44
走行距離0Km 給油0L

625日(金)Itajai(8)
 朝、オーナー・カシャーサの問い合わせしてくれた、船会社から返事の連絡が来ないので会社迄行ってくれた。しかし、相手が不在で返事が貰え無かった。昼食をカシャーサの自宅に招待してくれて、家族と共に食べた。その後、再び船会社へ確認の連絡を入れるも、担当者不在で確認が取れなかった。午後7時丁度、小平さんが車で迎えに来てくれた。夕食は小平さんの自宅で奥さんが作ってくれた日本風カレーライスで有った。辛口で美味しかったが、初めに出たサラダはブラジル風で塩、又はオリーブオイルを掛けて食べる。食後の果物はメロン、パパイヤ、その他と盛り沢山出され、最後にデザートが出た時は12時近くであった。小平さんの奥さんも日系人では有るが、日本語は全く話せなかった。御礼に御婆さんに日本民謡のCDをプレゼントして聞いてもらった、しかし、御婆さんの反応は今一で有った。多分御婆さんがブラジルに来た時は若く、民謡に興味の無い時代で有ったのかと思われた。民謡より童謡の方が良かったと思われた。小平宅を辞して一緒に招待されて居たFededaさんがHotel迄車で送り届けてくれた。Fededaさんの奥さんHelenaさんはアドアナ(税関)に勤めて居られ、期間前で有れば車の滞在期間延長も難しく無いと教えてくれた。月曜日、早速アドアナ、イミグレ(入管)に行き車と自分の滞在延長手続きをする事にする。食事の話の中で「炒飯」の話をしたら、炒飯は何か知らないと言われた。ブラジルには炒飯が伝わってい無いのかな。
宿泊費L44
走行距離0Km 給油0L

626日(土)Itajai(9)
 午前中、車の整備をした。午後2時カシャーサの次女Mariaが通う学校の、野外パーテーに連れて行ってもらった。パーテー開場は常設の場所で、子供たちが楽しく過ごせる施設が有る、此処も親子で楽しく過ごせる様に成っていた。3時近くMariaのクラスの出し物を演じる時間となり、230の生徒が寸劇を演じ、それをビデオで撮影した。中で売られていた、ホットドグとコーラをL3で買って食べた。この会場でもTVで貴方を見たと握手を求められた。先のテレビ取材は地方のテレビ局と思って居たが、全国放送のテレビ局で有った。夜、Hotelの部屋より浜辺で打ち上げられた花火をみた、花火好きな家内が居たら喜んだのにと思った。(写真はカシャーサと次女Maria)
宿泊費L44
走行距離0Km 給油0L

627日(日)Itajai(10)  
 朝から1日中、昨日撮ったVTRの編集をトライしたが旨く出来なかった。
 ここItajaiの町は千葉県の「袖ヶ浦市」と姉妹都市関係が締結されており、袖ヶ浦公園、袖ヶ浦通り、袖ヶ浦と言う名のビルもある。
宿泊費L44
走行距離65Km 給油0L

628日(月)Itajai(11)  滞在延長届
 アドアナは午後のみ受付をするとの事で、午前中ビデオカメラの編集を行う。しかし、コピーがどうしても取れない、何か方法が間違えているのだと思う。
 午後、アドアナ(税関)にカシャーサに付いて行ってもらう、行く途中マリヤとその友達2人をカシャーサ運転の車でマリヤの学校迄届ける。そして、アドアナに行ったら、先日の子供野外パーテーで会った人が居て受付迄案内してくれた。部屋に入ると、先日小平さん宅で会った日系人Helenaが居て日本語で話が出来、情況が把握出来た。アドアナの先にイミグレ(入管)で滞在延長処置をしなければ成らないとの事で、イミグレに行く。イミグレに着くと、その間にカシャーサが財布を何処かで落としてしまった事にきづいた。イミグレで滞在延長の話をすると、L22.08を銀行に振り込む様用紙を渡された。その用紙を持ち、途中寄った駐車場で財布を捜し、更にアドアナに探しに行くとアドアナで落として居た事が解かり、無事財布が戻った。
 カシャーサの仕事の関係でHotelに一旦戻る事に成った。そして、カシャーサに代金の立替を依頼し、Hotelのネットでイミグレへ手続料を銀行振り込みをしてもらう。其の処置をコピーして貰いイミグレにコピーを持って行く。イミグレには4時到着した、中に入ると更に記入用紙を渡された。用紙に記入しようとするも、字が小さくて読めない。記入に時間が掛り、結局手続きが完了したのが515分前で有った。遅くなってしまたので、この後のアドアナへ行くのを諦めHotelに戻る。すると、明日手続きを進める様にと、日系人のアドアナ係官から夕方Hotelに電話が有った。
宿泊費L44、滞在延長手続き料L22,08,
走行距離0Km 給油0L

629日(火)Itajai(12)
 アドアナが開くのは午後からなので、午前中写真のプリントアウトを心見る。矢張り補充インクでは綺麗には印刷できず、新しいインクと交換してプリントする。アドアナに提出する書類の作成を試みたが旨く行かず、提出書類が作成出来なかった。結果、今日はアドアナに行けなかった。
 そして、午後7Hotel1階レストランで開催された、誰かの本の出版記念パーテーに出席する様カシャーサに誘われた。受付の女性は黒の正装姿で有り、スーツ位着て行かなければ成らないかと思っていたら、多くの参加者が平服での参加であった。安心してそのままの服で参加した。出版された本の内容は、この地区の郷土史の本で有るとの事であった。出た食べ物は全て揚げたもので、食傷ぎみで有った。
宿泊費L44
走行距離0Km 給油0L

630日(水)Itajai(13)  大陸移動の主役はバス
 朝から提出書類の作成を試みたら途中までは旨く行ったが、最後の1枚がどうしても出来ない。色々と試みたが旨く行かない。今日もカシャーサの自宅で、昼食をご馳走になる。メインはマカロニのミートソース掛けで有った、南瓜の煮付けは日本と同様で有った。午後、再度トライをしたら何とか形に成った、延長期間を30日として、それをアドアナに提出する事にした。3時半にオーナーがアドアナに連れて行ってくれると言うので、部屋で待っていた。しかし、4時成っても連絡が無いので、下の事務所へ降りて行った。4時過ぎ、やっと行く事に成りまずはコピー屋に行く。各2部コピーする、そしてアドアナへ。アドアナの入り口で、小平さんに紹介された日系の係官Helenaに会い、隣の建物の事務所へ行くよう言われた。事務所に入り、ものの5分で承認印を押した許可書を返してくれた。510分前で有った。その後、カシャーサの仕事の関係であちらこちら周り6時過ぎHotelに戻る。
 夕食の準備を車の中でしていると、カシャーサが呼びに来て、バスターミナル迄行くが一緒に行かないかと誘ってくれた。意味が良く解からないが、何でも見てやろうと付いて行く事にした。車には奥さんとマリヤが既に乗っていた、そして途中で上の娘さんを乗せ隣町まで走る。そして、長距離バスターミナルに到着。上の娘さんがサンパウロ迄バスで出かけるので、その送りで有った。バスの発車時刻が830分で、ターミナルに到着したのが810分前で有った。その帰り道、隣街のレストランでバフェット(食べ放題)を食べる。
宿泊費L44、夕食代L8,
走行距離0Km 給油0L

71日(木)Itajai(14)
 今日は1日中、船会社の情報を待つ。昼近く小平さんから電話が有った、その後どう成ったのかと心配して下さっての電話で有った。そして明日予定が無ければ、近くの別の場所を案内するがどうかと尋ねられた。今日、船会社へ行く事に成り略予定が決まるので,明日は特に予定が無いので宜しく御願いしますと返事をした。そうしたら10時にHotelに迎えに来て頂ける事に成った。午後に船会社に行くときカシャーサに話そうと、連絡を待って居たが連絡が夜に成っても無かった。
宿泊費L44
走行距離0Km 給油0L、

72日(金)Itajai(15) 釣りも命がけ?
 朝カシャーサに会い、昨日の件をはなした。そして、Hotelの改装した部屋の写真を撮ってくれと頼まれ、それぞれの室内写真を撮る。途中で10時に成り、小平さんが迎えに来てくれたので写真撮影を中断し出かけた。行き先は前回連れて行ってもらった町の更に先の町で、丁度 伊豆半島を走っている雰囲気で有った。昼食に魚料理をご馳走になり2時頃Hotelに戻った。魚は大変美味しかった。帰り道、海岸でこの場所は良く魚が連れる話してくれた。それでは明日でも時間が有るようだったら釣りに来たいと私は言った。すると小平さんが1人で来るのは危ないよと言われた。私はああ時々高い波が来てすくわれて危ない所なんですねと言うと、そうでは無く、1人で居ると強盗に会うとか、車を盗まれる等の危険性が高いとの事で有った。この変の考え方が良く理解出来ないなと思った。日本は余りにも安全過ぎて、世界の危険性に付いて理解出来ない。今後の旅も今以上に注意して進めなければ成らないと思った。
 Hotelに戻り写真撮影の続きを行った、未だブラジルではデジカメは一般的でなかった。夕食としてカシャーサの家でピザをご馳走に成った。
宿泊費L44
走行距離0Km 給油0L

73日(土)Itajai(16)
 昼過ぎ、スーパーへ買い物に行く。日本へのお土産用にバナナジャムを購入する。スーパーで勘定をしていると、男の店員が日本語で「ありがとう」と言った。こちらの「オブリガード」と礼を言うと、先日TVで世界を旅している日本人のニュースをやっていた。あなたがそうですねと言ってきた、そうだと答えた。
宿泊費L44、食品他L62
走行距離10Km 給油0L

74() Itajai(17)
 特に予定無く、1日本を読みながら過ごす。「風の又三郎」「ひめゆりの塔」「たけくらべ」を読む。
宿泊費L44
走行距離0Km 給油0L


75日(月)Itajai(18)
 より朝Tel有り。今日はキャッシュデスペンサーにてL1.000引き出す事が出来た。日本への帰国切符もItajaiの街の旅行会社で、JALのニュヨーク周りでUS$1,206+Taxの処を見つけてくれた。
宿泊費L44
走行距離0Km 給油0L

76() Itajai(19)
 朝、Itajaiの町に出て、ブラジル銀行でクレジットにてL3.000引き出す、手数料L22.60を支払う。現金を引き出すのに1時間程要した。中心街の外れに有ったメルカドにてTVで宣伝していた、ブラジル音楽のCDが売られて居たので購入した。但し、L5(¥150)と大変安い、勿論コピー品で有る。夜6時頃Amelid夫婦がHotelやって来た。今までの旅の写真を見ながら1時間程話をし、又来ると行って帰って行った。
宿泊費L44、食品他L17、郵送料L2.5、雑費L5、手数料L22.60
走行距離0Km 給油0L


77() Itajai(20)
 朝、バスに乗り、街中のMoleに有るキャシュデスペンサーでL2,000を要求したらNGが出た。仕方なくL1,000を押すとL1,000が出た。再びL1,000を押すと、またまたNG仕方なくL500を引き出す。計L5,000準備出来た。合計L8,400必要。
 Hotelに戻り、昼間は夏目漱石の「坊ちゃん」を読む。今日はカシャーサ ギレルメの41歳の誕生日との事。夜、7時過ぎカシャーサから電話が有り、自宅に来る様にと誘ってくれた。自宅にはFlorianopolisに住んで居られる両親と誕生日のケーキを中心とした食事をされている処で有った。ケーキを中心に口直しにパンが添えられた、食事で有った。ちょっと,日本人の感覚では食事とは思えない感じで有った。10時少し前、部屋に戻り車の中で作り掛けのカップヌードルを作り食べる。
宿泊費L44
走行距離28Km 給油0L

78() Itajai(21)  
11時、カシャーサの案内で船会社へ行く。713()車をコンテーに詰めるとの事、但し、出港は27日で、ベルギー着は1820日後で有るとの事である。81617日頃となる、其の為夏の盛りを過ぎており欧州の下の方に向かう事に成りそうだ。船賃の支払は13日コンテナーに詰めてから支払を行う事と成った。午後、再度銀行に行き、L3,000の引き出しをしようとしたら出なかった。L1,000でも駄目との事。(現金の引き出し額は週幾らまでと限度額が有る事が解った)仕方が無いので、外の機械でやったが全くお金が出なかった。手持ち資金で何とか成るかと思ったが、念のため長男に送金を依頼する事にした。夜、家内に14日に帰国の途に着くと電話した。そして、長男に送金US$1.000の依頼をすべく電話した。すると長男は出張先のドミニカに居るとの事、内容はMailで伝える事にした。今日はHotelで何か大きなイベントが有るらしく、部屋替えを依頼されたので承諾した、結果はデラックスなスイート部屋に換わったが料金はどうなるのかな?(結果、料金変わらず)
宿泊費L44
走行距離25Km 給油0L

79()Itajai(22) 帰国用航空券購入
 11時カシャーサ紹介の旅行社へ行く。71415日の成田までのJAL便を聞く、両日共満席との事。仕方なく14日のAA便を予約、料金はサンパウロで聞いた料金と同額のUS$1,212Tax12日午後5時頃受け取りと支払をする事にしてHotelに戻る。途中スーパーにより瓶ビール6種類を1本ずつ買う、シールを集める為に。Hotelに戻り旅行社の情況をカシャーサに報告すると、船会社との打ち合わせ時コンテナーに詰めてから2日は滞在して欲しいと言っていたとの事。その間、アドアナとの手続き書類の関係で何かがある可能性が有る為との事であった。夕方、カシャーサがマリヤの学校行事を見に行くと言うので車に乗せて行ってもらった。マリヤが通って居る学校とは別の学校で、カトリック学校の体育館で行われていた行事を少し見学し、帰りに旅行社に寄ってもらって15日へと日程変更をしてもらった。飛行機はItajaiの隣町Navegantesの空港より(17:30)Sao Paulo国際空港へ入り、ロスアンゼルス、そして成田(13:35+2)へ行く。成田到着は17日の13:35の予定。荷物はNavegantesの空港でチェクアウトすれば良いので重量を気にせず詰め込める。但し、後で用紙をよく見ると、支払日が133時と書いて有った。車を引き渡した後なので困ったなと思った。Hotelに戻り、家内と小平さんへその旨電話連絡した。
 マリヤの学校行事を主催したのが、ミリタリー・ポリスとの事。ポリスはポリスで有り、ミリタリー・ポリスはミリタリーでも有り日本の機動隊の様な存在の様だ。(他の国でも軍の中に警察を含む国は多くある。)
夜、アメルダより電話にて、私の様子を聞いて来た。現状を説明し、親切に感謝する旨伝える。
宿泊費L44、電話代L22
走行距離0Km 給油0L

710日(土)Itajai23
 朝より予定なし。今日もHotelにて住宅販売会社の販売店研修会の最終日の様子で、沢山のお客が居た。昼過ぎ、1人の人がこの研修会で配られた、シャツを私にくれると言う。名札に日本語でサインをしてくれと言うのでサインをして上げた。その内56人の人が集まり色々な話をしていたら、その内の1人がSao PauloにてTVのニュースであなたを見たと言っていた。皆に記念品として5円硬貨を上げたら大変喜んでくれた。夕方、アメルダ夫婦が来て写真を見ていった、ご主人は写真家で流石に良いデジカメを用い、カメラアングルの良い写真を撮っていた。2時間程話をして帰って行った。話の中でネットカフェに付いて聞いたら、モールの中の本屋の2階がそうで有ると言っていた。明日にでも行って見ようと思った。
宿泊費L44
走行距離0Km 給油0L

711() Itajai24)  直径30センチのビフテキ
 11時頃、長男にMailすべく、昨日聞いた町に有るNetカフェに向かって走っていると、道路脇で手を振る人が目に止った。カシャーサと家族全員で有る、車を止めるとカシャーサがこれから教会主催BBQに行くので一緒に行こうとの誘いで有った。断る訳にも行かず承諾し、取りあえずHotelに戻る。1時過ぎ、カシャーサの車で町中に有る教会に行く。この教会、先週マリヤが日曜教室の様な事をやっているので見に来た処で有った。カシャーサの家族は先に教会に着いて居た。チケット売り場でビーフとビールの食事券を購入する(L15)。野菜やライス等は自分で盛り付けし、ビーフを焼いている列に並ぶ。出てきたビーフはバカでかい物で有った。食べ始めると大変硬い、切るのに苦労しているとカシャーサの奥さんが其の部分は食べないのだと教えてくれた。柔らかくて美味しい部分だけを食べて、硬い部分は食べないで残すのだそうだ。日本では考えられない食べ方である。但し、残した部分の肉は家の犬用等に、ビニール袋に入れ持ち帰る、無駄にはしない。そして、食事をしながらビンゴ大会が開催される。BBQ並びにビンゴ等の利益は教会の資金となる為、寄付をしながら楽しむと言う方法である。夕方、何か解からないが少し気分が悪くなり、食事をせずに寝てしまう。9時、パナマに居る長男に、先に依頼した送金は、金策が出来たので不要である旨電話した。
宿泊費L44BBQ代他L16,電話代L,
走行距離0Km 給油0L

712() Itajai25
 朝、車の中を整理し持ち帰る物を部屋に運ぶ。4時昨日聞いたモールの中の本屋がやっているネットをしに行く。10L1との事、1時間半でL9を払う。モールに有ったキャッシュデスペンサーで現金を出したらL1,000が簡単に出た。夜、小平さんから電話が有り、明日は都合が悪いので、申し訳ない飛行場への送は出来ないっとの事で有った。しかし、当日はカシャーサが送ってくれる事に成って居ると言っていた。色々とお世話に成り有難うございました、とお礼を言って電話を切る。明日、再度現金の引き出しをL2,000 トライして見る。
宿泊費L44NetL9,駐車料L2,
走行距離12Km 給油0L

713() Itajai26)  船積み1日延期
 今日は車をコンテナーに詰め込む日なので、荷物を整理しHotel前で写真を撮り出発準備をしていた。その時、船会社から電話が有り、車の積み込みを明日に伸ばすとの連絡で有った。仕方なく、飛行機もそれにあわせ1日延期してもらう様旅行社に連絡した。無料で変更してくれた、お陰でJALに変える事が出来た。昼食をカシャーサの自宅で頂き、午後マリヤとその友達を町に有る学校へ送って行き、キャシュデスペンサーでL1,000を出しNet屋に行く。家内に1日帰国が延びた旨電話で伝える。Hotelへ帰る途中スーパーに寄り食材を購入する。MR2の3代目ZZW30Hot rodのミニカーが有ったので4個購入した。1台L3と大変安い、1台をカシャーサにプレゼントした。Hotelに戻ると、船会社から明日午前中に打ち合わせしたい旨電話が入る。何かまずい事が有るのかな。
宿泊費L44NetL7,駐車料L1、食材L35
走行距離0Km 給油0L

714()Itajai(27)
 朝、Hotel前からのバスで町に出た。バスは後部から乗り室内に仕切りが有り、其処に料金回収係が居て料金を払い、前部へ移動する。多分高齢者で有ろう、無料で乗る人は前部に有る出口より乗っていた。料金は一律L1.6で有った。
 下車する停留所が何処か解からなかったが、適当に見覚えの有る場所で下車し船会社へ歩いて行った。そして、船会社へ行くと当初計画通り、税関の関係で21日コンテナー詰め。そして、出国は26日に成ると言われた。反論するにも言葉が足らず、従うより仕方が無いと諦めた。
 帰りにメルカドへ行くとMR2(ZZW30)のミニカーが売られて居たので@L7色別に6台購入した。そして、何時ものMole内のキャッシュデスペンサーにてL1,000を出そうとしたが出ず、L500のみ出す事が出来た。そして、帰りのバス停が何処か解からず、カシャーサに聞いた教会前で待って居たら「501」のマランバイ行きのバスが来た。乗り込むと車掌が何か言って居るが、何を言っているのか理解出来ない。その内バスの行き先表示板の標示を変え始めた、おかしいなと思ったら、バスターミナルに着いてしまった。逆に乗ってしまった様だ。下車時マランバイへ行きたいのだがと言うと、直ぐ後ろを指し其処だと言って居た。指示された場所に行くと501マランバイの標示が有り30分程待ちバスに乗りHotelに戻る。
 Hotelに戻りカシャーサに報告すると、Helena(日系人のアドアナ職員)に電話をしてみたらと言われので電話をする。するとHelenaは私が数日中に日本に帰ると小平さんから聞いたが、車の輸送書類が出て来ないのでおかしいなと思っていたと言われた。船会社の関係で変更したので有って、税関の関係は全く無いとの事。更に船会社に電話して情況を聞いて上げると言ってくれた。次に旅行社へ再三の変更を依頼すべく、カシャーサに話をすると、一緒に行って上げるから少し待つよう言われ、7時近く町に着くと既に旅行社は閉まって居た。
 明日電話する事にしマリアを迎えに行き、8時にHotelに戻るとHelena夫婦がHotelで待って居た。食事にこれから行こうと言われ、車に乗って小平さんの自宅に向かった。小平さんの電話では明日の夜と言って居たのに、今日の夜で有った。ブラジル式すき焼きをしてくれた、豆腐、牛肉その他、白菜、クレソン等、味は同じで有るが材料が少し違って居たが美味しかった。10時過ぎHelena夫婦にHotel迄送ってもらった。Hotel前で色々とお世話に成り感謝のしている旨のお礼を言って車を降りる。Helena夫婦は明日から休暇を取り、Sao Pauloへ行くと言って居た。
宿泊費L44、バス代L4.8、雑費L42
走行距離0Km 給油0L

715() Itajai(28)
 朝、カシャーサに依頼し、旅行社へ電話を入れて貰った。再三の変更でペナルテーを取られるかと思ったが無かった様だ。午後、葉書をパソコンで作り、手紙を書く。
(写真はHotel前に止ったダンプカー、空に成ったら後ろ側タイヤが浮く様に成っていた。タイヤの消耗対策か?)
宿泊費L44
走行距離0Km 給油0L

716() Itajai(29)
  今日は1日中、手紙を書いた。Hotelの直ぐ脇の教会に生えている大木3本を、危険だからと消防隊員が切り始めた。薄暗く成る迄作業を行ない作業が終わると、号令一過腕立て伏せを数回やり、隊列を組んでItajai の町まで駆け足で帰って言った。夕方、カベクダスに1軒有るお店に食料品を買いに行った。丁度その時、他のお客が入って来て何か話し掛けて来た。しかし、言葉が解からないので黙って居ると、その人は私がつんぼだと思ったらしく店の人にその様な仕草で話していた。そこで私はそうでは無く、ポルトガル語が解からないのだと言ったら、更に言葉を繋げられた。日本から来た旅行者でカベクダスHotelに泊って居る旨伝えると、更に色々言って来るので時期を見計らって外に出た。
宿泊費L44、食費L12
走行距離0Km 給油0L

717() Itajai(30)  代金は重さで払うレストラン
 10時半のバスに乗り町へNetを打ちに行く。既に四十会(会社の同期入社者の集まり)の帰国歓迎会を計画してくれているが、帰国が大幅に遅れる旨のMailを打った。街中に有るMoleの中のFood店で計り売りの食事をした、以前ニューヨークでも同様のレストランで食事をした事が有るので安心して購入出来た。バイキング式で惣菜を皿に取り、重量を計りグラム幾らで料金を払うシステムである。他に宝くじ売り場で切手を購入し、バスに乗りHotelに戻る。昼食時カシャーサから、自宅でブラックビーズスープを飲もうと誘われ、昼食を済まして来た旨伝えると、スープだけでも食べろと言われ自宅に行き、ご馳走になる。
宿泊費L44、バス代L3.2、食費L5NetL8,
走行距離0Km 給油0L

718() Itajai(31)  ブラックビーズ・パーティに参加
 朝から本を読んでいたら11時頃カシャーサから電話が有り。以前BBQに誘ってもらったのと同様なBBQパーテーが有るから行かないかと誘われ、予定が無いので連れて行ってもらう事にした。車に奥さんとマリヤも同行で、以前連れて行って貰った処と同じ方向に走って行ったが場所は別の所で有った。更に今回のBBQパーテーは家族同伴で奥さんや子供も参加のBBQパーテーで有った。牛肉の焼肉も有ったが、鳥の丸焼きや煮物が多かった。鳥の煮物は大変美味しかった。後で解かった事だが、其の家で多くの鶏を飼って居たので、自家製の鶏の様で有った。メンバーの中に1人英語が話せる人が居て話をしたら、祖父が長崎出身の日本人で有ると言う人が居た。ミドルネームが日本の名前で有った。パーテーが終わりHotelに戻る途中、奥さんの実家によりお茶をご馳走に成り、4時頃Hotelに戻る。
宿泊費L44
走行距離0Km 給油0L

719() Itajai(32)
 朝から強い雨が降っている。昼過ぎ、手紙を投函する事も有り、近くのスーパーへ行く。中々スーパーへの道が覚えられず、何時も迷ってしまう。今日も同様で結果的にはポストの有るスーパーには着かず、別のスーパーで日本へのみやげ物等を買い物をして戻る。
 今日もホテルの従業員から借りたブラジル音楽のCDのコピーをした後、本を読んで過ごす。車の燃料は警告ランプが付く1歩手前の量で有る。船に積むには良好な燃料の残量である。
宿泊費L44、食品L42
走行距離28Km 給油0L

720() Itajai(33)    車のコンテナー積
 いよいよ明日車をコンテナーに積めるので、朝車を洗車し車内の整理をしていた。10時に船会社より電話が有り、午後2時に車を搬送するとの連絡が入る。コンテナーに積める1日前に連絡するとの話で有ったのに、当日の話となった。慌てて食材の処理をし、卵は全てゆで卵にする。2時少し過ぎ、船会社の人が4人車で迎えにきた。後に付いて走るとItajaiの町を通り過ぎ、隣町迄走って行く。燃料が持つのか心配しながら走って行った。そして2箇所の事務所を廻る。その間、この船会社の社内報に今回の世界一周旅行の車を輸送した事を載せるので私と車の写真を撮らさせて欲しいと言われた。撮影に応じた後、記事を書く為のインタビューをしたので協力して欲しいとの事で有った。この結果はMailで送ってくれると言うのでアドレスを教えた。(結果は送ってこなかった)そして、倉庫に行き、倉庫の中の保管エリヤに車を置きHotel へ帰る。再三、日本へ帰れる日を早く決めて欲しいと要請したが、返事は貰えなかった。明日4時ないしは5時に料金の支払日と共に、Hotel宛てに車の船積み日程を、Faxしてくれる事で了解した。
宿泊費L44
走行距離9Km 給油0L

721() Itajai(34)  家内が入院
 朝次男から電話が有り、家内が入院し手術をしたとの事。結果良好で心配した事は無いと言われ,一安心。その後、長男からも同様の内容にて電話が有った。長男の日本への帰国は10月に成りそうだとの事、又Panamaの事務所が新しい場所に移動した様子だ。昼食をカシャーサの自宅でご馳走になり、その後街へバスに乗って出かけて行き手紙を投函する。そして、キャシュディスペンサーで現金を出そうとしたが出なかった。仕方なくHotelへ戻る。5時に成っても船会社からFaxが入らないので船会社に電話する。すると明朝連絡するとの返事が有った。家内の件が有るので少しでも早く帰りたいが、これ以上遅くならない様に26日の切符を明日手配しよう。夕食はパンで済ます。
 話は変わるが「処変われば品変わる」のことわざ通り、国によって色々の物が違った形、違った使い方をされて居る事が解かった。中南米の殆どの国には、車の速度を制限する為に道路に突起が多くの場所に設けてある。其の為MR2の様な車高の低い車は走る事が出来ない。それで、これらの国向けのMR2の輸出が無い事の理由が判明した。
宿泊費L44、バス代L3.2,
走行距離12Km 給油0L

722() Itajai(35)  船代の支払い
 急遽、明日帰国する事に成った。其の為、今日輸送費の支払をする事に成った。前回の見積りにR900上乗せされ、総計R10,000と成っていた。午後4時近く船会社に行き、トラベラーチェックUS$800+現金US$113+現金R1,500を支払う。そして、帰りに旅行社により切符の購入手続きに行ったが、処理用紙が無く明日午前中に再度旅行社に行く事に成った。その後、Hotelに戻りHotel代金に付いてクレジットで処理したい旨伝えると、クレジットは扱っていないと言われた。持金全額を計算すると大体R1,800位に成りそうだ。明日、旅行社の清算終了後、R2300を引き出す。それで全額支払出来るが、銀行に行きR1,500程度を引き出せるか聞いてみる。車両輸送関係書類も明日受け取る事に成るかもしれない。
 小平さんとアメリアに電話にて明日発つ旨の連絡と、お世話に成った事へのお礼を伝えた。Meilに付いて小平さんは日本語ソフトが入って居ないのでローマ字打ち、アメリアは日本語ソフトが入って居るので日本語で良い。
宿泊費L44、       ブラジル走行距離3,638Km

723()Sao Paulo空港   支払い代金が無い
 Hotelの朝食を食べた後、航空券の入手とHotel代金R1,925を何とか算出せねばならな為、9時半のバスで町に出て行く予定をしていた。朝食時カシャーサが1時間後に町に出るので、町迄送って行くから待って居る様にと言てくれた。お礼を言って待っていた。しかし、9時半のバスが行っても未だ出ないので、次の10時半のバスで街に出かける旨伝えた。するとカシャーサの奥さんが町へ行くのでそれに乗って行けば良いと言ってくれた。町に出て初めに旅行社に行き、航空券をクレジットで購入した。10分程で手続きが完了し、航空券をパソコンにて打ち出し渡してくれた。次に金策として、Moleのキャシュヂスペンサーへ行カードを入れたが回答は0で有った。仕方なく、カンビオ(両替商)へ行きUS$250 と日本円30,000を両替したR1,250程なので未だ不足で有る。トラベラーチェクがUS$80程有ったので両替出切るかどうか聞いたら、出来ないとの事。出来るのはブラジル銀行だけだと教えてくれた。ブラジル銀行へ行くと、前回キャッシングの時に処置してくれた女性で有ったので、先ずキャッシングが出来るかどうか調べてもらったら出来ないとの返事。チェックの現金化を進めてもらった。そして、又例の如く列に並んで延々と待つ、12時を過ぎ1時少し前に終了した。バス停に行ったがバスが来ず、時間が経つのでタクシーでHotelに戻る。Hotelに船会社よりカルネのみ届けられて居た。現金はR230不足で有った。
 Hotelに戻るとカシャーサが国内線だから1時間前で十分だ、未だ時間が有るから自宅へ食事をしに来いと電話してきた。Hotel前に有るカシャーサの自宅で食事を頂、2時半カシャーサと奥さんとマリヤの3人で飛行場迄送ってくれた。途中ガソリンスタンドに寄りR230をカードでカシャーサ用として支払い清算した。
 飛行場はItajaiの町の横を流れる川をの対岸に有るNavegntesと言う町に有る。フェリーに乗って対岸に渡り(写真はフェリー上でのカシャーサの家族)20分程でNavegntes空港に到着。空港内で別れの挨拶をして、搭乗手続きを済ませる。搭乗した飛行機はNavegntes空港を定刻に飛び立つ、20分程でJoinville飛行場へ着陸した。1時間程止り、乗客を乗せSao Pauloへ向け出発、それ程高度を取らず飛行し定刻の17:50Sao Paulo へ到着した。今まではブラジルの国内線、今度は国際線への乗り換えの為Sao Paulo空港内JALの窓口をさがしたが見つからず。色々聞いたら、常設窓口は無く、時間に成ったら窓口を開設するシステムと成っていた。カシャーサに電話する事に成って居たので,電話するも繋がらず。New Yorkより電話をする事にした。Sao PauloからNew York迄は飛行時間8時館45分、Sao PauloとNew Yorkとの時差は1時間。(写真2は上空からのItajaiの町)
航空券US$1,301TaxeR15

724()機内泊
 New Yorkに朝8時到着。トランジットで有るのに、機内に置いて一通りの入国書類を作成した。そして、1度入管と税関を通り、再度出国処理をする。そして、10New Yorkを出発。成田迄13時間、成田着は日本時間で明日の13時の予定である。New York出発前に空港から日本の次男に電話した、旨く繋がった。しかし、ブラジルのHotelには残念ながら繋がらなかった。

725()
帰国             いよいよ欧州へ

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