8. メキシコ

2003   3番目の国 メキシコ

12月26日(水)1ペソ=¥9.8 メキシコ入国

 霧が深い朝で有った。7時に起き、Motelのコヒーでパンを朝食として食べる。チェクアウト時これからメキシコに行くのでアメリカの税関の場所をフロントで聞く。するとKaiさんと言う人が色々教えてくれた。序に保険の件に付いても聞くと、近くの店でメキシコの車両保険を入手することが出来るとの話、その場所を聞き購入した。そして、アメリカ税関に行くとカルネの処置が解からず、問い合わせの結果、10Kmほど離れた第4
メキシコの車両持込許可書
ゲートへ行けと言われた。
 第4ゲートに行きカルネに出国印を貰い、カルネの処置は完了したが、出国は第1ゲートと元の場所を指示され再び第1ゲートへ戻る。第1ゲートでは処置出来ぬと今度は第2ゲートを指示される。第2ゲートは第1ゲートの直ぐ脇に有り5分程で到着する。その時、既に12時半を過ぎていた。アメリカの出国料$2を支払う。そして国境の橋を渡りメキシコ入管に入る。入国税$11を銀行窓口に払う為、$20札で支払ったら戻ったら10p(ペソ)札でのおつりとシールを受け取った。ペソと米ドルの為替レートが解らなかったのでそのまま受け取る。シールとパスポートを入管に提出し入国印を貰う。其の後、為替レートが解った、10pは約$1、銀行員のやる事か!メキシコでの専制パンチを受ける。
 メキシコ側税関に行く、メキシコはカルネでは無く、車両持込許可書(パーミッション)を取得する必要がある。では全く英語が通じ無く、車両持込許可書の申請用紙を貰ったが、スペイン語での書類で記入内容が理解できない。そこで窓口の係官に言葉の意味を英語で訪ねても全く返事が無い。英語が解らないと言うよりも、英語を全く無視している感じで有った。それ故、数行の車両持込許可書の書類作成に大変時間が掛かった。終了したのが3時を過ぎ、車両持込申請書類1枚書くのに3時間を費やしたてしまった。手続きが完了し、道路に出ると米国との環境の変化は一目両全。
 今日は疲れたので国境より少し走った所に有ったMotelに入った。Motelの名は「California」と名前は最高、値段も$30とこれ又最高。モーテルに泊まるのはメキシコで初ての所、良く理解出来ず。メキシコのモーテルはアメリカのモーテルとは異なり、メキシコのモーテルは昔の日本のモーテルであった。国境の町外れヌエヴォ・ラレード(Nuevo Laredo)で有る。明日早く、最初の目的地Monterreyに行く。まあ第3カ国目、無事?入国完了。モーテルに電話機が無く、電話出来ず。
保険料1ヶ月分$261.84米国出国料$2、メキシコ入国料$19車両入国料$328Motel30
走行距離62Km 給油0L

12月27日(木)

 朝、シャワーを浴び8時チェクアウトする。目的地はMonterreyの町の先に有るKOA Camp場。そこでゆっくりと年賀状を書くと同時にMexicoの見学先の概略を決め様と思っている。出発間際の道路は国道85号線と言う割には悪くゴミが散乱しており、生活レベルが下がった様に感じた。途中、道路に検問所が有り、ビザのチェックを受ける、直ぐ其の後で兵隊の検問が有ったが兵隊同士譲り合い、結果として私の検査は無かった。しばらく走ると、今度は有料道路が有り$15
町の入り口のげーと
支払う、少し高い料金で有る。すると道路は今まで80Km制限が110Km制限に変った。途中燃料が不足して来たので、給油をしようとスタンドに止まり、ペソが少ししか無いので、クレジット・カードが使えるかと尋ねると首を横に振られてしまった。米$ではと聞くとOKの返事、給油所に向かう。係り員が居て給油してもらうが、Diesel用のガンノズルが大型車用で給油口に入らないが無理して入れてくれた。今後もこの状況が続くものと思われる。しかし、メキシコでのDieselの確保に問題は無さそうだ。給油が終わると標示の金額を示してくれ、其の金額ならペソが有るので、ペソでその場で支払その場でお釣りを貰う。レシートは無し。昼過ぎMonterreyの町に到着した。中々大きな町で複雑に入り組んで居る事と、標識が完備されて居ないので、相当迷った。多くの人に道を尋ねるが、スペイン語での会話の為中々理解出来ない。何とか85号線に出て進むも、KOA の地図ではそれ程の距離に見えないが中々Camp場が現れない。既に3時を過ぎてしまい、暗く成ると不味いと思いながらも見当たらない。暫くしてスタンドで聞くに、通り過ぎて居るとの事、戻るも中々現れない。何度か行き来し、やっとKOAの大きな看板を見つけ入って行くと、Camp場が有った。入って行くも事務所が無い、お客が説明してくれるのだが、理解出来ない。其のうちその人が小学生程の子供を呼んでくれた。子供は英語が出来、事務所はHotelに有ると教えてくれた。Hotelの事務所で手続きをしてCamp場に戻り、久々に米を炊いて食事をしようと思い米を水に浸け、岸壁側に行くと先ほどの親子が釣りをしていた。暫く見ていて子供にお礼を言ったら、父親が英語で質問して来た。会話が弾み、ビールをご馳走になり、父親の兄弟と其の家族も集まった。メキシコ料理を食べて行けと誘ってくれた。一緒に食事をしながら夜遅くまで話し込む、昔日本でメキシコの歌手のトリオロス・パンチョスのキサス・キサス・キサスと言う歌が流行った。その歌をうる覚えながらのスペイン語で歌ったった。すると彼らはなぜ70年も前のメキシコの歌を、日本人が知っているのかとびっくりしていた。歌は歌えるが意味が解らない、するとキサスとは「待って」と言う意味で結婚を申し込むと、相手は何時も待って・待って・待ってとの返事ばかりと言う求愛の歌だと教えてくれた。100円ショップで購入して言った日本の童謡のCDと、メキシコ音楽のカセット・テープの交換をしたり楽しい一時を得た。(ガソリンスタンドは全て国営で何処でも同一料金との事)高速料$15、燃料代1回目P1352回目P120 ,Camp3日分P546 テレカ$50
走行距離309Km 給油50.9L

12月28日(金)
 今日は朝中々起きれず、9時起床。トイレ脇に有る、ミーティングルームで終日年賀状を書く。日本向けはほぼ完成。
走行距離0Km 給油0L


12月29日(土)
 朝7時に起床、食事は昨日のカレーを使い、カレーラーメン。直ぐ年賀葉書に取り組み午前中に国内完了。ホテルで郵便局の場所を聞き郵便局に行くと、町外れの一見郵便局とは解からない建物であった。切手を購入しようとしたが話が合わない、仕方が無いので葉書を全部渡したら、1P8.5で計算し計P650を渡す。すると向こうで切手を取り出し1枚ずつ貼り始めたので、ついでにその切手を余分に購入した。1昨日進められた教会を見に行った、教会そのものよりも町がメキシコと言う感じで有った。テレカでパナマの長男に電話する、昨日は電話を切って昼寝をしていたとの事である。帰りに遅い昼食用として、パンとハムを購入し食べたが美味しかった。Camp場に戻り、海外の友人向けの年賀葉書を造り始めた。4時になり、再び町に行き家に電話するも電話が通じず。仕方ないのでP50レカを新たに購入しTelする。家に通じた。しかし、数分で切れてしまった。今後は一回に使ってしまう様だ。海外に対しては最低度数が無いと繋らないシステムと成っている様だ。店を出発しようとしたところ、昨日Camp場で知り合った人の弟さんにバッタリ出会った。挨拶と昨日のお礼を言い分かれた。Camp場に戻り手紙を全て完成させる。明日ホテルで出せればと考えている。明日からはいよいよメキシコの旅が始まる。
切手代P650,電話代P50,
走行距離54Km 給油0L


12月30日(日)
 朝7時起床する、出発準備が有る為早く起きた。このCamp場は私1人の為に毎晩全ての明かりを点けていてくれる、其の上夜中にガードマンが巡回している、何か悪い様な気がする。朝シャンをした後、朝食にパンを食べる。Mexicoの水道水は飲めないので、タンクに有るアメリカの水は貴重品で有る、排水タンクの水だけを処理する。そして、Hotelのフロントに行き、手紙の発送を依頼すると共にMexico の見所を聞き、Camp場を10時に出る。85号線を逆にMonterryの町の方へ戻り、Monterryの町から40号線に乗りSaltilloの町を目指し、其の途中から57号線でMexico Cityを目指す。今日は途中のMatehualaの町のCamp場に泊まれればと思い走って行った。途中のMonterry町は大都会で高速も走り、大きなスーパー等乱立していた。しかし大半はサボテンの続く草原地帯である。馬車も走っている。ヤギの群れを追う姿も見えた。途中2度燃料を入れる。軽油は1LP5.01、ガソリンはP6.04Dieselの方が少し安い。(メキシコの石油販売会社は2社有るも、価格は全国統一である。更に給油はどこもフルサービスで、代金はその場で係員に支払う。)途中2度の有料道路を走る、結構な料金で有る。昼食にタコスを食べた、美味しかったが1P5結構な値段だ。4時近くになり、Motelの看板が有ったので泊る事にした。なんと、そこはCamp場の有る町で有った。
切手代P104,燃料1回目P14328.54L,2回目P150、タコスP20,有料道路P48P30MotelP185,
走行距離376Km 給油58.5L

12月31日(月)
 朝、目が覚めたら7時半を過ぎていた。シャワーを浴びて出発準備を完了したら丁度9時。日本は元旦だ、携帯を見るに発信可能。家に電話して新年の挨拶をする、家内1人だった。10時頃Motelを出発、57号線でSan Luis Potos迄行き、80号線に乗り換えOjuelos,更に70号線(有料道路だが路面は良くない)でAguascalientesに付いた。市庁舎を聞くに解からず、街中をぐるぐる回る。途中Motelが有ったのでそこに泊る。車を置き、街中をぶらつくとインターネットカッフェが有り、パソコンを持ち込み新年の挨拶をMailで打つ。
燃料代P120,有料道路P11、宿泊代P235インターネットP10.5
走行距離382Km 給油24L
2004
1月1日(火)
 今日は近くに泊り23日ゆっくりしようと思いガイドブックに有る日本人宿を目当てに出発した。Guanajuatoグアナハルトとグアダラハラを間違えて向かう。両方見て行く予定で有ったので結果OKでは有るが、宿に電話しても通じず。町の名前を聞いても解からない等困った事も有ったが、途中の町でお土産屋が並んで居る所が有り写真を取ろうと車を停めた。丁度その店の若い主人は英語が出来、世間話をしていたら売っているお菓子が美味しいから食べろとくれた。お礼に¥5硬貨を上げると、今度は旅のお守りだといって小さなマリヤの額をくれた。写真を撮り送ると約束し別れた。何回かの有料道路を通り、2時頃グアダラハラの町に到着した。道路標識が良く解からないので、何度も止まり確認しながら到着した。町に入りガイドブックに有る観光案内所を探すに、なかなか見付らず。何度か尋ねるに有るとの返事。其の内4時になってしまい,通りに有ったHotelに入る。料金を聞くにP380と物凄い値段を言われたが、もう探す気力も無く其処に止まる事にした。Hotelからセントル迄数分の距離、歩いて中心街へ行く。所々にブースが有り観光案内所と書いて有るも、今日は休日全て閉まっていた。多くの家族連れが教会の周りの広場を歩いている。それを目当てに出店がたくさん出ていた。更に自由市場と言われる所に行った。昔のアメ横の様な感じで有ったが、売っている品物が殆ど同じで有り、余り興味が湧いてこなかった。帰りにコンビニでサンドイッチとビールを買いホテルに戻り部屋で食べて寝た。
有料道路代P214,燃料代P130,HotelP385食費代P60
走行距離224Km 給油51.9L

1月2日(水)Guanajuato      日本人宿
 朝9Hotelをチェクアウトし、Guanajuatoへ向かう。しかし、80号線が現れない、45号線と出ている。通行人に聞くと逆方向と教えてくれた。80号線を走り、Lionの町を目指し走る。其の内Lionの文字が無くなってしまった。スタンドで聞くにLionは逆方向と教えてくれた。通り過ぎてしまった、泡ってて戻り途中110号線を見つけGuanajuatoに到着する。公衆電話を探す為、街中を走るに道路の大半が地下道で昔の要塞の内部の様で有った。やっと電話を見つけて日本人宿に電話すると、宿の主人が宿の近く迄来たら再度電話して下さい、其処からは5分くらいの距離なのだがとの返事であった。さっそく指定された地域へ向かうが道が複雑で中々たどり着かな。何度か聞いた結果、最初に通った所で有った。宿泊人は現在、女の子が1人だけとの事。この町は大変変った町で有る、2~3ゆっくり散策したいと思う。1泊朝食付きでP120と大変安い。中南米の日本人宿のほとんどは大きな家を改装した建物であり、看板は殆ど無い。目印は日本地図や日の丸の国旗等であり、口コミ等で情報で場所を確認して行かないと、見つけるのは大変である。(この宿は'09には閉鎖されている。)
燃料代1回目P1402回目120、有料道路P88、宿泊代(P120)ビール代P12
走行距離308Km 給油51.9L

1月3日(木)Guanajuato    世界遺産Guanajuatoの町
 朝食に出たパンが大変美味しい。そう言えばスーパーの普通の食パンも大変美味しい。今日はまずリフトで丘の上に昇り、町全体の様子を伺おうと思い昇る。家並みが如何にもメキシコと言う感じでカラフルで有った。下に歩いて降り、街の中を散策する。郵便局に行き切手を購入する。昼過ぎ宿に戻り、宿では自炊が出来るのでラーメンを作り遅い昼食を取る。日記等の整理をしていたら、夕日時から日没後の街の明かりが美しいから見に行くべきだと進められた。4時半再びリフトで丘に登ると、頂上には昼時以上の観光客が集まって居た。高台からは残照に光る町並みを楽しんだ、その内少し暗くなり始めると,急に温度が下がり寒くなって来た。少し我慢をしながら街の明かりが確認出来る迄待ち、写真を取り徒歩で降りる。
ビール代P12,宿泊費P120,リフト代2P20、切手代P250
走行距離0Km 給油0L

1月4日(日)Guanajuato
 朝の朝食用パンは昨日と同じ、大変旨い。更に数種類の果物が付く。更に、遠くから売りに来る牛乳屋さんの濃い牛乳を飲む、是もまた大変美味しい。今日は州立博物館が無料開放なの10時過ぎ博物館へ出かける展示品は少ないがメキシコ独立戦争の発生場所としてメキシコでは重要な場所の一つと成っており、当時の色々な品が展示されていた。その博物館の周囲に有る、露天の土産物屋で紙幣とコインが売られておりP200程購入し宿に帰る。夕食にタコスを食べに同宿者と屋台に食べに行く、美味しかった。メキシコ中央部に有る、グアナファトという町に今日で滞在2日目。この町はメキシコの中でも特殊な町で町の道路の半分が地下道となっている。町の郊外には銀鉱が有り、現在も掘られている。その銀により過去は大変裕福な町で有った。その後メキシコ革命の発祥の地としてもメキシコ国内では有名な町です。    今、メキシコはゴールデンウイークの真最中、そのためこの町は国内外の観光客であふれている。町並みは複雑だが、カラフルで如何にもメキシコと言う感じである。添付の写真はその町並みです。現在の気温は、朝夕は少し冷えるが、日中は半袖で大丈夫な程暖かい。これから乾季に入り益々熱くなるとの事。現在泊って居る所は日本人宿で11200円、と大変安く清潔で少し長居をしてしまいそ。車の調子は良いが車庫に入ったまま、少しのんびりと町歩きを楽しんだ。この町は10軒以上のインターネトカフェが有る、メキシコの町は探せば直ぐにインターネトカフェが見付りそうだ
宿泊費P120,タコスP15
走行距離0Km 給油0L

1月5日(月)Guanajuato
 今日はオーナーの京子さんと同宿の康博さんと3人で温泉に行くこととなり、朝8時宿を出てIxtlan目指し車で出かける。矢張り相当遠く、行きに4時間掛り1時に到着、早速プールに入るも冷たく温泉とは程遠い感じで有り、直ぐの出てしまう。間欠泉も見当たらない、園内の屋台で食事をしながら屋台の奥さんと話をしたら間欠は1置きとの話。残念ながら今日は見えない。仕方なく帰ることにし6時過ぎ宿に着く。暫くすると外が騒がしくなり、今日はメキシコのお祭り「シエスタ」の日で行列の行進が始まる所であった。ビデオに取る。その後オーナーのおごりでビールとメキシコワインを飲む。11に寝る。
燃料1回目P1602回目P150 ,入場料P5、食事代P15,宿代P120
走行距離487Km 給油61.9L

1月6日(火)Zamora      30メーター揚る間欠泉
 今日は、3人の王様が子供に施しを与える日で、メキシコの祭日と成っている。朝食のパンは直径50Cm程の大型のドーナツ型に赤・緑・黄の3色をあつらえ、パンの中には人形が隠されて折り、人形が見つかると幸運に恵まれると言われている、味はまずまずだった。4日間の滞在で有ったが矢張り日本人宿は気楽で安くて居心地が大変良い、故に長逗留となってしまう不具合がある。10時宿を後にし、カナダに居た蝶がメキシコに越冬の為移動してる時期で、少し大回りだが是非見てみたいとAngahuanへ向かう事にした。其の途中に昨日行った温泉が有り、今日は間欠泉の噴く日と言っていたので再度見に行く事にした。Ixtlanへ行くのに時間が掛かり到着したのが3時半。遠くからでも温水が高く噴出しているのが見えた。側に行き入場料を払い、噴出している所を見に行くと昨日泳いだプールの中央部より高さ30メートルに上がていた。又横からは各プールに温水が勢い良く放出されており、多分プールは相当高い温度になっているものと思われた。泊るとこを探さなければ成らず、昨日も食べた園内の屋台でタコスを食べて近くの宿泊先を聞くに、近くに有ると言うので早速探しに出かけた。しかし見付らず、仕方なく次の町へ行く。教えてくれる所にはHotelと書いて有るが、そこではホテルは営業して居ないと言う。仕方なく先の町を目指し暫く走っていると、道路脇にインペルアルHotelの看板が有り、其処に泊る。手続きは何も無し、値段を聞くにP200と言われ支払うに、価格表にはP170とあった。シャワーは水で有った。
ガス1回目P1602回目P155,MR22P70駐車料P7, 有料道路P15、公園入場料P5,夕食タコスP15 ,HotelP200
走行距離325Km 給油62.9L

1月7日(水)Morella
 Hotelの位置は目的地に大変近いZamoraと言う町で有った。朝9時チェックアウトし出発する。しかし、途中道を迷いに迷い目的地Angahuanに到着したのは午後2時頃、村の入り口で馬での見学を進められるが断る。そして、村に入ると一人の人が馬で先導してくれた。着いて行くと其処は見晴らしの良いキャンプ地の様な所、火山が見えると示してくれるが、こちらの見たいのは蝶だと言うと此処には居ないと言っていた。帰り道、教会で村祭りが開かれておりそれを見学する。そして、近くに有った警察署で警官に蝶を見に来たのだがと話すと、蝶は此処ではなくMorellaの先だと教えてくれた。そこで、今日の泊りはMorellaにしようと先を進む。Morella5時過ぎ到着、ガイドBookの安宿コロニアルHotelに到着し、手続きをしてセントロに出かけた。セントロに観光案内所が有りパンフレットを貰うと蝶が出ており、その蝶は何処で見えるのか尋ねたら、Angangueoとの事、良く似た地名で有った。明日は其方に向かう。燃料代P170夕食代P53,宿泊代P130、駐車代P8Angahuanの入場料P10,案内料(チィップ)P10
走行距離399Km 給油33.9L

1月8日(木)Zitacuaro    カナダから越冬に飛んできた蝶
 朝9時Hotelをチェクアウト、Angangueoを目指し出発する。最初の町CD.Hidalgoを目指す。道が細く険しい登り道、途中高度2600mに達する。車が少なく特に問題無いが、矢張りMexicoは高原の国だと実感出来た。そして2時頃Angangueoに着いた、村の入り口で乗車の観誘が有ったが無視し未舗装路を先に進む。村の中に入ると矢印で登山道が表示されていた、その道を登って行く。途中、道路にブロックを並べての舗装と成っていた。30分程登ると最終の集落が有り、その入り口で通行料P20を取られる。少し登ると駐車場が有り無料で駐車する。そこから徒歩でお土産やの並ぶ通りを暫く行くと、公園の入り口が有り、入園料としてP20支払う。そして入り口でサインをし、案内人のギアーが付く。未だ20才前の若いガイドである。道案内をしてくれた。高度2000M以上ある為息ずかいが荒く喘ぎながら約1時間登る。今日は寒く蝶が活発な動きをせず、木にぶら下っている情況で有った。杉の木に真っ黒な何かが付いていると言う感じで有った。4時に下山、ガイドにP10のチップ。そしてZitacuaroの町に行き少し値段の高いHotelに泊る。夕食をホテルのレストランで名前は忘れたが牛肉の薄いカツ風のフライ。夜、近くのインターネットカフェに行き、1.5時間程Mailを打つ
燃料代P160Angangueo通行料P20,入園料P20、ガイドチップP10,HotelP310、インターネットP18.5夕食代P60,
走行距離214Km 給油32L

1月9日(金)Queretaro  Hotel Central
 今日、朝8時半頃出発の準備の為、車を取りに行こうとしてホテルを出ると、Hotelと同じ建物の中にどうも郵便局らしき所が開店準備をしていた。丁度出せなかった手紙が有ったので、中に入り聞くと引き受けてくれたのでやっと郵便局である事が確認出来た。メキシコの地方の郵便局は郵便局だと言われても良く解からない情況である。そして、車を取りに行き、昨日入庫時ルーフの発電機が邪魔になった。発電機は車庫入れ時問題なので外してしまった。どうせパナマでも外さなければ成らない。そして、9時チェクアウト、車を出そうとすると丁度パン屋の前、店の中を見るとパンがビニール袋に5個ずつ入れられたのが並んでいた。少し多いが見た目おいしそうなので、幾らなのか尋ねると、どうも売り物では無いと言っている。しかし、1個だったら上げると言われ、そのパンを頂く。町を出た所でコヒーを沸かし、パンを食べる、美味しかった。メキシコに来て幾つかのパンを買ったが、全て美味しかった。家内にも食べさせてやりたいと思う。そして15号線をMexico市目指して走る。しかし、途中で勘違い大幅に道を反れてしまい、遥か彼方のQueretaroまで来てしまった。町に入ってHotelHotel Central)を探し今日はQueretaroに泊る。
通行料(3回)、P40P50P55P燃料P190(チップ+P10)HotelP210、夕食代P25
走行距離370Km 給油37.9L

1月10日(土)Texcoco
 今日の朝は久しぶりの雨で有った。メキシコの埃ぽ差が無くなり、気持ち良い日であった。但し、Teotihuacán目指すも今日もメキシコ市内で迷いに迷い、Teotihuacánの方向の町に付くもホテルが探せず、再びTexcocoへ戻り数件の店でHotelが無いか聞き歩き、1軒の店でHotelの名前と場所を聞き、探したが中々見つからず。更にその近くで聞くと、探していた所の反対側にHotelが有り、7時やっとチェックインする。ここもそうだが氏名と住居を言うだけで宿泊手続きが無い。そしてお金を払うだけで完了、最も凄いところはお金を払うだけで終わったHotelも有った。メキシコのMotelは昔の日本のMotelと同じ所が多く、車が見えない様に成っており要注意。夕食は車の中でご飯を炊き、昨日買ったハムで食事をする。 
宿泊代P250,燃料大P170、有料道路P55,P50,食費P55,
走行距離317Km 給油33.9L

1月11日(日)Tulancingo
 今日はTeotihuacán目指し昨日行った所迄進み、以降道を聞きながら進み9時半頃Teotihuacánに到着する。外からその威容が見え感動である。ゲートで車の駐車料P20と多分ビデオカメラの持ち込み料P38を支払う。駐車場は未だ早いので数台しか止まっておらず、車とピラミドを合わせて写真を撮る。そして場内に入りピラミドの前に立つと、それは何か凄いものを感じた。正面のピラミドの頂上に登り、周囲を見渡す。1500年の昔、良くぞこの様な精密な建造物を造ったものだと感動した。頂上で30分程休み、今度は左に有るピラミドに登る。ここも30分以上周りを見渡しながら休息する。そして、その他の見所を見学し3時頃、園を出る。そして、次の目的地をエルタヒン遺跡の近くに有る町ババトラを目指す。その途中の町Tulancingo3時半頃到着し、通りに有ったHotelに泊る。テレビの有る無しで料金が変るので無しのP100の部屋に泊る。部屋の中はそれなりで有るが、シーツはきちんと成っており十分我慢出来る情況で有る。今日もご飯を炊こうと思ったら水が無い。町のスーパーに行ったら20L入りがP14.5で売られており、それを買ってご飯を炊き、牛肉の大和煮で食事をした。
燃料代P130, Teotihuacán駐車場他P52,食品P48,宿泊費P100,
走行距離97Km 給油25.9L

1月12日(月)
 朝8時、車の中で朝食を食べ、8時半チェクアウトしPapantlaを目指し出発。今日は途中何度か道を聞きながらも略直接来られた。更に、今日見る予定のEl Tajin遺跡が先に見付り、遺跡には1時頃到着。途中のスーパーで購入したハムを用いてハムサンドを作り、見学に行く。入り口で丁度メキシコの何処かの地方で行われているお祭りで、柱の頂上より4人の人が逆さまに成りロープの端に足を結び、ぐるぐる回りながら降りて来るショウが始まるところだったので、それを見てから園内に入る事にした。ショーはP25を要求され、入園料P37駐車料P10を払った。遺跡は昨日見たTeotihuacán跡とは少し趣を異にし、更に詳細な建造物の感がした。これも又1500年前とは思えない凄い建造物である。3時過ぎ遺跡を出て、近くの町Papantlaに入りガイドブックに有ったHotel Pulido に入る。今日も又、コンセント無しの部屋である。携帯の電池も切れ、ビデオの電池もそろそろ危ないし、明日はコンセントの有る所へ泊らなければ成らない。近くのインターネトカフェに行く、1時間半でP8.
ショー代P25、入園料P37、駐車料P10、食品P47,宿泊P160、インターネトP8
走行距離179Km 給油0L

113日(火)
 朝、7時過ぎに起き、車内でコヒーを沸かしパンで朝食をとる。メキシコのパンは何処でも本当に美味しい。朝の町を散策しながら写真を撮り、昨日夜見たパン屋さんに行ったらこれから準備を始める所で有ったトルテーヤの売店も朝忙しい所であり、行列が出来ている店も有った。今日の目的地はVeracruz由のOaxacaである。例の如くHotelでデレーチョ(真直ぐ)の案内を聞き出発。山を越えるとバナナの木が目立つ様になる。如何にも南国と言う感じ、そして平地になると海岸が見え隠れし始める。メキシコ湾で有る、バナナは更に多くなり本格的なバナナ畑が見える様になった。そして、更に海岸線がはっきり見える様になり、椰子の木が目立つ様になった。この辺は夏のリゾート地らしく、多くのプチホテルが目立つ。建物もカラフルで美しい。再び山間部に入り暫くすると、軍の検問が有り2人の少年兵が近づいていてきた。今までも何度か検問に有っているので素直に指示に従い、パスポート、免許書を提示した。OKと言うので出発しようとすると、マネー、マネーの声、幾ら与えれば良いのか解らな無かっが、仕方無しにポケットに有ったコインP20ペソを出し様子を見る事にした。するとグラチェと言いながら笑っている。ムッかとしたが、何せ相手は小銃を持っているし話しは通じない。P20で済んでよっかったと思わなければ成らない。
 更に走ると渋滞に捕まった、大型トレーラーが路肩からずれ落ちそれを持ち上げる為、大型クレーン車が二台反対車線から吊り上げて居る。30分程経ったが動かないので、車内で昼食のラーメンを作り始めた。準備途中で車が動き始める、慌てて調理を中断し走り始める。すると500メトル程先で、又別の大型トラックが横転している。先の渋滞に気が付くのが遅れ道路脇に転落した様で有る。その場を通り過ぎて、直ぐ先の空き地でラーメンを作り食事をする。Veracruzの町に近ずく頃3時を過ぎて居たので今日は此処に泊る事にしようと思って居ると、工事用の赤旗を振って居るので停車する。しかし、情況が何か変だ無視をして進む。町に入り今日はコンセントの有る部屋と言う事で中級ホテル、Concha Dorada Hotelに入る。Hotelが解からず警官に聞くと、わざわざ聞きに言ってくれ場所を示してくれた。ガイドブックにはP300と成っていたがP360、更に駐車場が別でP45P405である。(ガイドブックに書かれている内容は、その当時の内容で有り、現時点では色々な点で異なる状況に出くわす。)夜、市場に行き、町を見るのとインターネットカフェを探しに行ったが見つからず。帰り道、車優先社会なのでなかなか道路を渡れずに立っていると、警官が車を止め渡してくれた。警官も大多数は良い人なのだが、一部悪いのも入るのだろう。夜、はHotelのレストランの外の席で食事をした。魚料理を頼んだら、魚を薄く開いたものを衣を付けたフライが出て来た。外側の席は物売りが多く来て、落ち着いて食事が出来なかった。23日前から胃がチックと痛む、何かに当たったのかもしれない。大田胃酸を今日も飲む。パナマの長男に電話する、物を買うとお釣りを遣さない事がしばしば有る。それらの事はこれから益々多くなると思われる、その訓練だと思った方が良い。お金は信頼出来る場所では出来るだけ大きな金種を出し、信頼出来ない場所ではお釣りの無い様キチンとした金額を支払う様にすべきだと言っていた。其の通りだと思う。
燃料代P 141(実際はP149)、宿泊費P360、駐車料P44+15,夕食代P64+チィップP10 +タカリP25,高速代P17,P48P55軍の検問での要求(タカリ)P22?
走行距離231Km 給油28.1L

114日(水)
 このHotel1階は外の音が常に響き夜中中煩かった。朝起きたら7時半、ゆっくりとシャワーを浴び、昨日書なっかった日記を書き、9時半チェックアウトする。駐車場に行き、出発準備をしていると係員が更にP15払えと言う、仕方無しに支払う。郵便局が近くなので行くと、今度は駐車が出来ない。仕方なくポストに投函する。そこで町の方に戻る予定が戻れず、仕方なく暫く走りUタンして町に戻る。しかし、博物館が見当たらず。そのまま町を出る。
 今日は1日中、クラーをかけっ放しで有った。バナナ、椰子の木等南国そのものの風景である。砂糖キビの収穫期でトラックの荷台に数メートルの高さに砂糖キビを載せ走っている車が多々見られた。沢山の砂糖キビが道路に落ちていた。そしてOaxaca目指し走る、道を間違え矢張り大回りに成ってしまいそうである。途中4時を過ぎたので途中の小さな町Valle Nal.のホテル?其の名もHotel Contrerasに泊る。まあCamp場に泊ったと思えば良いレベルで有る。1P100車内でご飯を炊き、昼スーパーで買った肉を調理して夕食を済ませる。
燃料大P160(実際はP161)高速代P106,P68,P17,昼食パン代P9,食品代18.57、宿泊費P100
走行距離155Km 給油32.1L

115日(木)Oaxaca
 今朝8時チェックアウトする。シャワーは噂に聞く水シャワーで有った。Hoterlを出て真っぐメインストリートを行くと未舗装の道路に成ってしまった。おかしいなと思い通行人に聞くと少し手前を左に曲がらなければならなっかった様で有る。通りを戻るが左に曲がる道が解からない。Hotelを過ぎて又聞くに3本目を曲がるのだと教えてくれた。怪しいとは思ったが、矢張り3本目は一方通行。4本目を入り戻ろうと思ったが進行方向の方が道が出来ている様に見えたので其方に進む。案の定Oaxacaの標識が出て来た。それから遠々と4時間山道と格闘する。登坂が続きヒューエルメーターが予備部を示し始める。まあ予備燃料を積んでいるから心配は無いが、心細く成ってきた。標高2.800m迄登る始めは椰子、バナナが大きなしだ類やサトイモのお化け等、ジャングルで見そうな植物が現れた。しかし、場所が変ると綺麗な花が色々見える様になった。其の中でもアザミは背丈が2m程も有る大きさで有った。山を降りかかった所に小さな町が有り給油する事が出来、一安心した。此処でも家内が来れば良かったなと思った。メキシコも良いがトイレの件(使用した紙は脇に有るゴミ箱に入れる。紙を便器内に捨てると詰まってしまうから、中南米全ての国)は少し最初は抵抗が有ったが、今は当たり前として処置をしている。これも、日本人宿でしこまれたからである、日本人宿に泊まると必ずオーナーから指導を受ける。Oaxacaの町に入り中々場所が解からなっかったが、公園で聞いてやっと解った。ガイドブックにはHotelの様な事が書いて有ったが、ユースホステル(Hostal Mision San Pedro)で有った。1泊シングルでP1402泊する事にした。車は近くの駐車場で1晩P45タイヤの修理は未だ終わって居ない。明日も見学途中でタイヤの修理屋を探して見るつもりだ。
燃料代P200、宿泊代P140
走行距離104Km 給油39.9L

116日(金)Oaxaca
 昨日夜、ホテルの部屋に入り、眠く成ったので少し横になっていた、目が覚めたら夜の9を過ぎてしまった。泡てて有料駐車場に行ったら駐車場は既に閉まっていた。2軒目も同様、仕方なく路上駐車をしたので車が気に成り眠れなかった。朝、6時半に起き車を見に行ったが特に異常無し。早起きしたので早めにHotelをでて、今日の目的地Monte Alban遺跡に行った。
 Monte Alban遺跡はメキシコ最古の遺跡と言われ紀元前500年頃からの遺跡と言われている。Teotihuacánに比べると少し規模は小さいが紀元前500年頃既にこの様な建築技術が有った事は驚きである。建物の配置などTeotihuacán同じ様だが規模が小さい為、1時間半程で見終えてしまった。
 次の見学先はOaxacaの街の反対側に有るMitla遺跡を見る予定の為町に戻った。町の中の通りにBurigisuton の看板が見えたので其の店に入り、タイヤの点検を以来した。ホイルを外し、全週を水で濡らし空気漏れを確認し、ホイルとタイヤの間に水を流し漏れを確認、そして、バルブに手を掛けた時バルブのホイル側付け根より空気漏れしているのを発見。バルブを交換し完了、約30分間。料金はP10本当にP10なのか心配であった。請求書が来てP10と書いて有り、P10を支払う。これで一安心。
 次の目的地Mitla遺跡に向かう。道を間違え迷走しながら1時半頃、到着。この遺跡の周囲は町の中に有り、本体もキリスト教会建設の為、遺跡の部分をそのまま教会とし、又教会を作る材料としての石は全て遺跡の石を使用していた。この遺跡は各部に於けるモチーフの美しさが有名である。それぞれのモチーフには色々な意味が含まれている事をガイドがスペイン語で話をしていた。地下室も大きくは無いが2箇所ほど見ることが出来た。他の場所にも多くの遺跡が有ると書いて有ったので探したが、日干し煉瓦で造られた遺跡は、これまた教会が建てられ遺跡の石が使われ遺跡で有った事が伺われる情況のみと成っていた。
 帰り道にもう一つの遺跡Yagul遺跡の標識が見え、其の方へ車を進める。4時と遅いせいか誰もいず、ガイドブックには6時までと書いて有ったので其のつもりで見ていて、5時少し過ぎゲートに行くと門が閉められている、管理室にも人が居ない。山を見上げると、山の上に人が居たので合図すると降りてきてくれ、閉門は5時だと文句を言いながら門を開けてくれた。急いで門を出て坂道を下ると途中で道路をチエーンで封鎖しようとしている所であったが、危なくセーフで有った。
 Oaxacaの町に戻り迷いながらHotelに到着。今日は東京の女性2人に宮城の男性1人の4の日本人が集まり、情報の交換会をしていた。そこへ一人のメキシカンが話しに加はった。その内其のメキシカンは少し離れた市場で働いて居るとの事。其の仕事を見せると言って風船を持ってきて、風船で犬を作り始めた。皆で作り方のレッスンを受ける、様は風船での大道芸人で有った。夜寝るのが遅くなり10時を過ぎてしまいシャワーが使えなった。家内に電話する、家の情況特に問題なし。
遺跡入場料P37P29,P29,宿泊費P140、駐車料P60,パンク修理代P10,
走行距離33.3Km 給油0L

117日(土)Tehantepec
 今日は9時出発予定が9時過ぎに車の引き取りとなってしまい、出発は10時になった。途中までは昨日走ったMitla遺跡までの道を進み、その後は190号線を遠々と走った。幾つもの山を越えた途中又軍の検問に掛かった。パスポートを見せろと言うのでパスポートを見せた。更に何か行ったが理解できず、黙って居るとOKの合図。アディオスと手を振って離れた、特に問題は無かった。
 今日の外気温は31℃有った、真夏である。4時過ぎ、途中の町Tehantepecの入り口にHotelが有ったので聞いてみるとP350との返事、もう少し先に進もうと思い進むと直ぐ大きな川に橋が架かっており、渡ると直ぐSentlの標示、標識に従い入ると直ぐSentl有り、しっかりした女性の居る店を探し、Hotelを聞く。近くに有りP140と安く、駐車場も有るので泊る事にした。広場に郵便局が有り、手紙を出しに行くと閉まっていた。ポストが無いかきょろきょろしていると、屋台の主人が郵便局のドアの下から入れておけば良いと教えてくれた。ドアの下から手紙を入れておいた。
 この地区ではオートバイを改造し3輪車にし、後ろの荷台部分にお客が立ってのるオートタクシーが盛んに走って居た。ついでにパン屋さんでパンを買いコーヒを沸かし、夕食とした。Guanajuatoの日本人宿で聞いた、チアパスに有る日本人宿「ペンション アミーゴ サンクリストパス」を明日は目指す事にした。
燃料代P181,パン代P9、宿泊費P140,
走行距離301Km 給油36.1L


1月18日(日)San Cristobal de Las Casas 
                日本人宿「ペンション アミーゴ サンクリストパス」
 今日は移動日なので早く出発しようと8時にHotelを出た。幾つもの山を越えた、標高は2,100mが最高で有った。気温も高く、1日中クーラーをつけっぱなしであった。今日も軍隊の検問が有ったが、問題なく通過出来た。そして、目的地のSan Cristobal de Las Casasの町に4時頃到着した。国道沿いのNissanの販売店の前の電話で宿に電話する。しかし、勘違いしてとんでもない方向に行き町を出てしまう。道を間違えた事に気づき、来た道を戻りSentl目指し走る。途中場所が解からなくなり聞た後、少し迷いながらも「ペンション アミーゴ サンクリストパス」に暗くなる前に到着する事が出来た。同宿者が1人おり、朴と言う東京在住の在日韓国人である。彼も中米を旅する予定で隣国GuatemalaのビザをMexicoシテイ―で取ってきたと言っていた。あれGuatemalaはビザが居るの?と思ったら、彼は韓国籍の為、ビザの取得が必要との事であった。
通行料P15、宿泊費P40,食費P40
走行距離334Km 給油0L

119日(月)San Cristobal de Las Casas
今日は一日中サン・クリストバル・デ・ラスカサス(San Cristobal de Las Casas)の 町中をぶらぶらしていた。この付近は琥珀の産地、安く売っているので家内にお土産として買う予定。次回戻って来た時に。
食費P40,宿泊費P40,MR2P150,
走行距離0Km 給油0L


















120日(火)Palenque
 昨日の夜、同室の朴君が悪酔いし、夜中中げろを吐きにトイレに通よっており眠れなかった。しかし、今日は出発しなければと7時起床する。宿泊費の清算を行い9時半San Cristobal de Las Casasの「ペンション・アミーゴ・サンクリストパス」(仮称)の宿を出る。一路Palenque目指し走り始める。市街地を出た所で燃料を補給し、そこでPalenqueへの道を確認、この区間も多くの山を越えなければならなかった。途中の山は深い霧に閉ざされ何処を走ったか定かでは無い。今回も軍の検問が3箇所有ったが特に問題なく通過した。途中、道の上から見事な滝が見えたので降りて行くと、この先はP30の話、此処まで降りてきて見ない訳にもいかず、仕方なくP30払う。3時頃Palenqueの町に着く。車の量は少なく、公園脇に駐車し観光案内所を探す。割と早く見付り町の地図と、Palenque遺跡への行き方を確認し、安いHotelを聞く。しかし、ガイドブックの方が良さそうなので其方にした。Hotel Kashlan,の車庫に車が入らず、Hotelの玄関先の路上駐車する。町中を散策し、インターネット屋が沢山有る事を確認した後、レストランでビフテキを食べる。これが又薄い肉で有った。そして、ネットをする為に出かけたが五軒ほどの店に接続を断られ、結果出来なかった。家に電話するも、不在。Palenqueの町の銀行にて金をP1,500引き出す、これで使用したお金の総計がP13,500となった。
燃料代P190、夕食P78、宿泊費P150
走行距離236Km 給油37.9L

121日(水)Champotonno
 朝6時半起床、朝、家内に電話する。今日は録音奉仕会に行っていたとの事、San Cristobal de Las Casasでの琥珀の購入に付いて話をする。町中で朝食用のパンと水を買うつもりで町中へ行ったが、パン屋さんが見当たらず。水20Lを購入、水だけではP14だが容器毎だと暫く考えP25との事。途中でパン屋を探そうとPalenque遺跡に向かう。町より9Km直ぐに着いてしまった。9時頃より2時間半遺跡を見学する。帰り際、駐車場で車を見てやったからP10寄こせと男が言って来た。P10は高いP5でどうだと言うとOKの返事、仕方なくP5を払う。(この様な者は中南米の何処にでも居る、但し万一車に何か有っても逃げてしまい保障は無い。)帰りに付属の博物館を見て、Palenqueの町に戻り町の入り口で199号線に乗りPalenque出発する。出発すると間もなく走行距離10万Kmとなる。すると警告灯がT-beltと点灯した、出発前の車両整備に於いて5万KmでT-beltを交換した、その時キャンセルしてなかった様だ。186号線に乗る、此処は有料道路で通行料P18を払う、制限速度80Kmとなる。途中、軍の検問3回、警察の検問1回を受けた、特に問題無く通過。その間メキシコ軍の軍用車両群に遭遇。始めは軍用車両を追い越すのも気が引けて、仕方なく最後尾に付いてゆっくり走っていた。しかし、一般車両が軍用車両をごぼう抜きし始めた。こちらも其の後に続いて軍用車両のごぼう抜きをやってしまった、しかも2も。そして、261号線を走る内4時を過ぎてしまった。少し先の町Champotonno町に5時少し前に着き、通りに有ったHotel Paraiso Beachに泊る。夕食にご飯を炊き、鮭缶をおかずに食べる。
CanadaAmericanの道路で色々な種類の多くの動物が交通事故の犠牲となっているが、Mexicoでの犠牲は殆どが犬である。中南米・アジア及び中東の犬は狂犬病の予防接種が全くされていないので、噛まれない様に十分注意が必要である。旅行者も予防接種をした方が良いと思われるが、私は受けなかった。
燃料費P150, Palenque遺跡見学料P37,駐車場P5,P25,宿泊費P180、有料道路P18
走行距離244Km 給油29.9L

122日(木)Muna
 朝、車の中でコヒーを沸かし飲む。走る途中でパン屋さんが有ったらパンを買おうと見ていたが、全く見当たらず、対には昼飯も抜きに成ってしまった。クラッカーを食べながら走る。今日の地帯は道も複雑で常に標識に気を付けて居なければ成らなかった。道は狭い上に交通量が無く、制限速度も80Km。丁度日本の菜の花の様な花が咲き乱れ、街道沿いの小高い丘までが黄色い花で覆われていて、大変きれいで有った。又、道路脇に50Cm程の大きなトカゲを見た。その後の遺跡の中でも30Cm程度のトカゲを度々見る事が出来た。今日の目標はUxmal遺跡を見る事で有ったが、途中観光案内にも出ていない2つの遺跡見学をした。又、相当の距離を走った為疲れてしまった。速くホテルに入りたく途中のHotelで聞くとP250と言う、高いので見送る。今日の目的地Uxmal遺跡を通り越しMunaと言う町で約50Km,P120のホテルに泊る。夕食を今日も鮭缶と成ってしまった、空腹の為普段より多めにご飯を炊いたのでお腹が苦しい。
燃料代3回P474、宿泊費P120、遺跡見学費P29、食費P75
走行距離347Km 給油94.8L
123日(金)Piste        Uxmal遺跡
 朝、冷たくない程度のシャワーを浴び、8時半Hotelをチェッアウトする。このホテル見栄えは貧相だが中は清潔で大変良かった。Uxmal遺跡迄30分程、9時開園真近にも関わらず既に団体が入っていた。駐車場入場料P10を払い、入り口で何故かP85の入場料を払う。有名なだけに大変美しいピラミッドと彫刻の残る各神殿が多く見られた。途中デジカメが又写らない情況と成った。しかし、今回はクリアーで再開出来たが、数日分が消えてしまった。満杯に成るとこの現象が出る様だ、満杯にしない様注意が必要。(部分的に消せば問題なかったので有るが、使い方を理解していなかった)11時頃遺跡を見終えて車に戻り、何げなくタイヤを見るに大きな釘がタイヤの横腹に突き刺さって居た。釘を抜くと、勢いよく空気が漏れた。仕方なくスペアータイヤと交換。序に昼食も駐車場で済まし、次の大きな町Meridaに行きToyota店かBSの店を探そうと町に行った。町中にBS店が有ったので相談するに、タイヤの横腹なので修理は難しいとの事。仕方なく新品を購入する。そして、今日の目的地Chichen Itzuに向かってChichen Itzu4時頃到着。もう見学時間には遅いので逆に、道を戻り小さな町Pisteの町のHotelに泊る。このHotelは看板も無く、近所の人に聞いて其の家に行き泊る交渉をする。P100それなりの所。今日はこの地区のお祭りの日、闘牛場が出来と闘牛が行われて居た様であった。闘牛で倒された牛は、直ぐ脇で解体され牛肉として販売されていた。自分が見たのは其の後の余興としての子牛による、一般参加の闘牛だけで有った。よくもこれだけの人が見学に来ているかと感心する人数で有った。皆酔っ払っている。
Uxmal遺跡入場料P85、駐車料P10、タイヤ1本P974宿泊代P100、有料道路P55
走行距離244Km 給油29.9L
124日(土)ConCun
 今日の目的地Chichen Itzuは此処から30分程の所に有り、9時の1番で入る様8し前に出れば良く朝はのんびりとしていた。8前にチェックアウトし宿を後にする。見覚えのある道を進む、しばらく走るが中々昨日の道に出ない。走り回るも燃料が減るだけで目標が無い、村の子供たちに聞いても解からない。かれこれ2時間程走り回り、10時過ぎやっとChichen Itzu遺跡の看板が現われる。ガスステーションも有り、先ず燃料を補給する。最高値のp250を注入する。そして、遺跡の入り口に行くと、既に多くの観光バスが着いており観光客があふれていた。駐車料P10、入場料P87を支払う。水と昼食用のパンを持ち遺跡の見学に入って行く。跡の全てが良い状態で残されており、見ごたえ有る遺跡で有った。1時過ぎ遺跡を出て、今日の宿泊地カンクンの日本人宿を目指す。又もや迷走の上やっと5時過ぎCanCunの日本人宿ペンション吉田に到着。途中に有ったウォークマートでパン等を買おうとしたら、寿司パックが有りそれを購入し夕食とす、久々の日本食を食べる。このペンション吉田には既に数人の日本人男女が泊っていた。
燃料代P401.5、駐車料P10、遺跡入場料P87、食費P74
走行距離350Km 給油80.1L



125日(日)ConCun
 今日は1日のんびりとしようと思い、8時頃宿の朝食を食べ9過ぎ町の散策に車で出かけた。この町は所謂メキシコの町と半島に有るHotel街とに分かれて居る。Hotel街はアメリカ風のリゾート地その物でメキシコとは少し異なる建物の風景で有った。海はコバルトブルーで大変美しく、有名なダイビングスポットの一つでも有る事が見ただけで解かる。この半島の中にも遺跡が有り、ガイドブックに日曜は無料開放と書いて有った。日曜日に行って見ると料金を請求されたので、見ずに戻る。途中、市民の憩いの場で少し休み 又、半島で最も海が美しく見えると言う場所で、写真を撮りながら1間程過ごした。この横の道路は制限速度40Km警察が盛んに、ネズミ捕りの取りをやっていた。1時過ぎに宿に戻ろうとしたが又もや道に迷い、1時間程市内を迷走してしまった。宿に戻り同宿の日本人と6時まで旅の話をした。それからこの宿も自炊が出来るので、台所で海老チャーハンの夕食を作り食べる。その後てインターネットカフェへ行き、Mailの確認をする。2時間でP50大変高かった。今日で車両保険が切れる。明日は先に宿ったサンクリストバルの日本人宿目指し出発する。
インターネット代P50
走行距離93Km 給油0L

126日(月)ConCun
 今日はSan Cristobalのペンションアミーゴへ向かおうと準備をし、朝食を食べて居ると腰が痛み出し歩けなく成ってしまった。ギックリ腰の再発である。宿の奥さんに病院を手配してもらい、送り迎えも御願いした。病院にて腰に筋肉注射を3回に分け注射し、薬を2種類出してくれた。病院代だけでP600,そして、病院の近くの薬局に行く。1種類の薬のみしか無く其の薬を買うP147、そして、他の薬の売っている場所を聞き買いに行く、その薬屋は宿の直ぐ隣に有った。P266宿に戻り5時まで横に成る、痛みが大幅に低減した。夕食の準備の為、近くの店で食パンと卵を10個購入し、夕食に玉丼を作る。今日の玉丼には他の人が調理していた玉ねぎを少し貰い丼に入れた、ずっと美味しくなった。今日は宿の住人が大幅に変った。寝る前に家内に電話する。
治療費P600、薬代P413、食費P22
走行距離0Km 給油0L


127日(火)ConCun
 今日も12時半、通院の為ゆっくりと朝の時間を過ごす。そして、12時に病院に行き先生にお礼を言う。先生からは運転の姿勢に付いての注意と長引く場合には薬の購入に対しての診断書を書いてくれた。宿に帰ると、今日は皆で宿の近くに有る日本料理の「Maguro Ya」へ行く。鉄火丼が安くて旨いと書いて有った上、参加者は12時半集合と成っていたので参加する。参加者の5人で歩いて行った、しかし開店が2時からと未だ1時間も有ったので市場を散策し時間を費やした。この市場は矢張り他の町の市場と異なり、ゴミが無く大変綺麗で有った。そろそろ時間なので行って見るも、未だ開店していない。店の入り口の看板に、火曜日定休日と書いて有った。仕方なく皆で別の市場へ行き、メキシコの屋台料理を食べる。その後夕食用に魚を買って宿に戻る。私はこれからの旅のために、中米の地図を購入に行ったが見付らなかった。Maxの車両保険今日で期限切れとなる、以降無保険と成るので更に安全運転を必要とする。注意・・・・
昼食代P30、宿代P3904泊分)、夕食代P20
走行距離2Km 給油0L

128日(水)Chetumal
 朝、出発の準備をする。今日は7人の同泊者が宿を出る、半数以上が数日後又宿に戻るとの事。荷物を車に積んで車を外で洗て居ると、宿の主人吉田夫妻が宿に来られたのでお礼の挨拶をして宿を出る。この宿もそうで有るが、日本的安全・清潔さと安さ、言葉の不自由が無くオアシス的存在で有るが、其の反面何か行動力を失う様な感じも受ける。CanCunの町よ307号線を直線的にBelizeの国境に有る町、Chetumalを目指し走る。大半のみちは交通量が少なく快適に走れるが途中何も無い。3時過ぎ街道沿いに海の見える宿が有り、尋ねると1P360と言われ、やっぱりChetumalを目指し走る。町中に観光案内所の標識を見つけ、進むものの観光案内所は見つけることが出来なかった。その内町中に1軒のHotelを見つけて入る。P162,暫くして何かアメリカ人がホテルのロビーで言っている、荷物が届かず金が無いので貸してくれと、ホテルの人は英語が判らず相手にしなっかた。その内こちらに来て、同じ事を言う。このホテルに宿泊予約していると言うので、まあ戻らないと思ったがP500を貸した。夜町に出て、セントラルアメリカの地図を探すに売っていなっかった。
燃料代P200,宿泊費P162,詐欺に合うP500,
走行距離389Km 給油33.9L

129日(木)Chable
 朝、車の中でコヒーを沸かし、パンを食べる。8時過ぎチェックアウトする。一路San Cristobal de Las Casasを目指す。途中軍や警察の検問が4~5箇所有り、内3所で質問を受ける。この186号線も多くの遺跡が有り、街道の直ぐ脇に有った無名の遺跡を見学する。未だ未だ未整備の遺跡で今の内でないと、登れない箇所が幾つか有った。途中、黄色の花が一面に咲き乱れている場所が有り、後続車が無いので車を停め写真を撮る。道路脇も白や黄色の蝶が乱舞し、車に次から次とぶつかって来た。そうだ、今日は小鳥が1羽ぶつかって来た。3時にEscarcegaの町に着いてしまう。Hotelが数件有ったが、少し早いのでパスし、先を急いだ。4時過ぎ有料橋の手前の町にHotelの標示が有り価格の割には良くないが、其処に泊まる事にした。シャワーは水のみ、エアコン付きの部屋の為高い。そのホテルの食堂で夕食を食べる。トルテージャで肉を包みチーズと玉ねぎを載せ、トマトソースで煮た物、美味しかったが蚊が多く刺されぱなしで有った。今日は腰の薬を飲み忘れた。明日はSan Cristobal de Las Casasに着く予定である。
燃料代P200HotelP200,夕食費P50遺跡見学料P32,
走行距離451Km 給油37.7L

130(金)San Cristobal de Las Casas
 朝早く起き、7時半出発する。直ぐ有料橋で料金P18を支払う。この橋は行きも通った記憶が有るが、川面を見ていなったので、よく見るとメキシコでは珍しい、結構水量の多い川であった。暫く走ると、噂に聞いていたアメリカ人と思しき人達のチャンピングカーのコンボイに出会った。30台程で有ろう、あの大きなキャンピングカー(大型の観光バスの大きさ)がコンボイで細い道を時速80Kmで来る姿を見ると何か脅威を感じた。(メキシコには米国的に適切なキャンプ場がない為、キャンプ出来る場所を見つけると車が一団と成ってキャンプする。まるで西部劇の映画に出てくる幌馬車の一団がキャンプしているのと同じ風景である。)今日も途中3箇所程の検問あり、警察の検問で質問を受けた。途中燃料補給をしようと思ったら金が無く、丁度大きな町を通過した所なので、町に戻り銀行の場所を聞きP2000程下す。車を停めた所が丁度郵便局の横だったので、封筒にはがき用のP8.5を張り出すとP3の不足と言われP3を出す。行きに通った山越えをし3時過ぎSan Cristobal de Las Casasの町に着き、チアパスに有る日本人宿「ペンション アミーゴ サンクリストパス」に泊る。23日(火)をGuatemalaへの入国日とする。
燃料代P150、有料橋P18,夕食代P10
走行距離267Km 給油30L

131日(土)San Cristobal de Las Casas
 朝、起きて朝食を食べ、昨日の日記を書き続けて、カナダの抹消してしまった分の日記を再作成する。午後、琥珀を買いに町に行く、店の構えに立派な店を重点に数軒の店を見て回る。蚊の入った変形型を家内に、又、楕円のを次男の嫁へと、この旅で初めてお土産を買入する。朝起きると腹の調子が悪い、昨夜 宿泊者全員で焼肉を食べた、その結果と思われる。中南米では良くある話で有る。これから行くエクアドルからパナマ迄同泊の若林君(千葉出身77年生まれの青年)が同行する事になった。
食品代P52,琥珀P565,夕食代P15,
走行距離267Km 給油30L


21日(日)
 今日は朝から車の整備をする。E/G Oilを1L補充、ウオシャー液を補充、ラジエターに水0,5L補充、ボデー内外の清掃、特にホイルは1ヶ月ぶりに磨く。一昨日の夜食に食べた牛肉が多分原因と思われる。今日も一日腹痛がして、殆ど食事を取らなかった。(ペンション・アミーゴも管理人が亡くなられ'09現在閉鎖)
宿泊代(3日分)P120、燃料代P200
走行距離0Km 給油0L

22日(月)
 10時半ペンション・アミーゴを若林君と共に出発、途中1度軍の検問を受けた。その後、若林君に運転を変り山道を下る。今日の目的地Huixtla目指し進む、少し運転が乱暴かなとは思ったがそのまま続けさせた。処がHuixtla迄後約50Kmの場所のTope(道路に車の速度を落とさせる為の突起)を車が乗り越えない、直ぐ運転を変ったがクラッチが完全にすべり全く車が動かなかった。電話の有る家へ行き修理工場への連絡を頼んだ、そしてその修理場の有る町迄牽引してもらった。しかし 夜なので修理屋さんとの連絡が取れず、今夜は警察前の広場で野宿し1夜を明かす事になった。夜は近所の子供たちと夜遅くまで 話をして過ごした。(朝、車を確認したらバックウインドーに張って有ったJAFのワッペンが剥がされ無くなっていた、子供のいたずら)
謝礼P50
走行距離273Km 給油39.9L


23日(火)Huixtla
 朝、8時過ぎ1人の修理やが来て、これから牽引車を持って来るから少し待ってくれと言って居た所に、別の修理やがやって来た。同じ話をしている内に勝手に車を引ぱって行った、結果後に来た修理やに行く事になってしまった。そして、路上でジャッキアップせずに、修理を始まった。クラッチデスクのパット部が粉に成っていた、スペアーのクラッチデスクを車に積んでいたのでそれと交換してもらう。数本のボルトを残し午後3時半修理完了、但し、何処か不明だが床下で電気溶接をしていた。ボルトを折ってしまいBKTをフロアーに直接付けてしまったのでは、どちらにしても今後の整備に問題を残しそうである。Toyotaの修理屋に出すべきで合ったと思ったが後の祭り。何とか車は完了し、5Huixtlaに着く早速ホテルを探し宿泊する。
修理代P500、(P200を若林君が負担)HotelP,75P150)昼食代P15
走行距離29Km 給油0L

24日(水)Guatemala Quetzaltenango
 朝、7時起床しシャワーを浴び、Hotelを出発する。Huixtlaの町の中で若林君がペソをSUに戻したいと町の中で両替屋を探す、なかなか見つからず。警官に聞いた所,台湾人の闇両替商に連れて行ってくれた。なぜ警察が闇両替屋なのか。率がよかったし、Guatemalaへの入国時必要でも有るので、余りそうなP600Guatemalaのケツアルに両替してもらった。14,5で大変良心的で有った。いよいよ国境へ向かう。途中で正式の国境での手続き案内人で有るので案内するから車に同乗させろと言ってきた。しかし、そんな話は聞いていないので無視し進める。しばらく走るとViba Mexicoと言う看板が出てきた。そこで上り車線と書いて有ったので反対側を見るにメキシコの旗がひらめく警察所が有ったのでUターンして横に車を停める。係官に尋ねると、そこだと事務所を指差し教えてくれた。事務所内には男女1名ずつの係官が居た、事務的に車の持ち込み書に印を押し出国処理をしてくれて5分程で手続き完了。そして、更に国境線へ向かい、メキシコのイミグレションで出国スタンプをパスポートに貰い出国手続き完了。次はいよいよGuatemala側、悪名高きギヤー(自称手続き案内人)の対応である。初めに警官にQ20を支払う。入国税Q10書類のコピー代Q4、車両入国料Q100,シール等書類作成費Q50支払入国完了。途中燃料補給Guatemalaの単位はアメリカと同様Groanで有り、軽油はQ12/Gで有る。約3時間程走り、今日の目的地Quetzaltenangoの日本人宿「El Quetzal」に到着。駐車場は別の所、日々面倒である。ここも日本人宿兼スペイン語学校、夜は宿泊者の日本人皆でカレーライスを作り食べた。
通行料Q20、入国税Q10書類のコピー代Q4、車両入国料Q100,シール等書類作成費Q50、夕食代Q11
走行距離190Km 給油22.26L   
メキシコ走行距離8,639Km


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