21. モロッコ

アフリカ大陸 23番目の訪問国 モロッコ

         モロッコ通貨1D(デラハム)=130

215()Africa 
    MoroccoTanger近郊のキャンプ場        


カタマラン型高速フェリー


 朝8時、有料駐車場から車を引き取る。今日も€ 10を駐車料として払う。そして、宿の近くに来るとメルカド(市場)の横の駐車場が空いており、其処に車を停め宿に戻る。荷物の整理をして宿をチェックアウトする。そして、10:00発には少し早いがフェリー乗場に行く。指定の場所に並ぶと、係員が来て「この便は待ち時間が長いので切符を買った所へ行って、便の変更をしてもらった方が良い」と言われたので、販売店に行った。店では直ぐに、€2の変更手数料にて9:15発の便に変更してもらった。但し、帰りの船会社も変更になる旨伝えられた。間もなく車が動き出し、フェリーに乗船する。カタマラン式の高速フェリーで有る、車はデッキの半分程しか搭載されて居なかった。船の客室内部は結構豪華で有ったが、乗船時間が35分と短く船内をゆっくり見る時間も無かった。港の反対側にに有る英領ジブラルタル(Gibraltarにそびえる山が印象的で有ったと思う間もなく対岸のスペイン(Spain領では有るがアフリカ(Africa大陸の先端が見えて来た。
道路脇の風景
  直ぐに下船となり、AfricaSupeinセウタ(Ceutaの町に入る。観光案内所を探し係員に問い合わせるも余り親切で無く、必要な情報を得る事が出来なかった。昼食後いよいよモロッコ(Morocco)へ入る事にして国境へ向かう。欧州と異なり国境付近は中南米同様、異様な雰囲気で有る。早速ギアー(自称ガイド)のお出迎え、一切無視し国境のゲートを潜る。Spain側の対応はイミグレ(入管)カスタム(税関)共に事務的に処置をして何も問題無し。Morocco側の入国は既に入国書を記入していたので、入管は難なくパスポートに入国印を貰う。次に車に付いてのカスタムの窓口に並ぶと、パーミッション(車両持込許可書)の用紙を渡されたがアラビア語フランス語で書かれて居たので、全く意味を理解できず記入事項が書き込めかった。書けない旨係官に伝えると、係り官が書いてくれた。その時グリーンカード(欧州EU圏の自動車保険)Morocco分が入って居ないので、保険に加入しなければならないとの事。ギヤーに案内され保険屋に行くと、1ヶ月で2500D(約€25035,000)との事。1000Dしか持っておらず、脇に有る銀行へ案内され€160をデラハムに両替交換するする。そして、何とか保険料を払い込み、保険書を持ってカスタム窓口に行きパーミッションを貰い手続き完了。警察による入国検査を受け、国境事務所の外に出る。これまた、中南米の国境同様、周囲に何も無い所を走り町に出る。そして、ギヤーに聞いた様にT字路を右に曲がりタンジェの町へ向かう。直ぐに山岳地帯に成り、小高い山の上を走る。緑美しい風景が続く。所々で多くの羊を連れた羊飼いの少年を見を見かけた。突然美しい海が見えたりした。


 1時間程でタンジェの町に着く。観光案内所を探し市内地図を貰う。そして今日の宿泊をCamp場として観光案内所で聞いた所に行くも見付らず、数人の警察官に聞きながら場所を絞って行き、最後の警察官曰く「そこは閉まっている」との事。それでは町の反対側に有るHotelに泊る事にして進むとCamp場の標識が出てきた。標識に従い順路を進むと町の奥に鉄製の門が有り、キャンプ場と書かれていた。鉄の扉は鉄板で作られ高さ3メーター程有る物で、これ又扉は閉まっていた。中の様子も伺え無いので、仕方ないので帰ろうとしていると通り掛の人がベルを鳴らす様教えてくれ た。呼び鈴が有る物と思い、車から降りてベルを探すも見つからづ。そうか車のホーンを鳴らすのだと思い、車のホーンを鳴らすと中に居た門番が門を開けてくれた。門を潜り、細く長い坂道を下がってくとCamp場が見えて来た。キャンプ場の受付で1泊る旨伝えると120D、車120Dの計60Dと言われた。10数台泊れる小さなキャンプ場で有った。周囲の騒音と埃から隔離された、緑の中のキャンプ場で有った。
宿泊費60D 
走行距離109Km 給油0






216()タンジェの町のキャンプ場
 朝から強い雨が降って居る。その上、家内も風邪気味で調子が悪いので、今日一日このキャンプ場で過ごす事にした。
 車内や日記の整理、これからの旅の予定等を考えながら1日を車内で過ごす。
宿泊費60D走行距離0Km 給油0






       日本人経営のベトナム料理店と中華料理店
217()ラバト(RabatHotel   
モロッコの高速道路
 朝タンジェ(Tanger近郊のCamp場を9時過ぎ出発し町を出る直ぐ高速道路案内標識が有ったので高速向かう
 今日の目的地ラバト (Rabat迄は約180Km2時間程の距離である。高速道の制限速度120Km 2車線の立派な道路で有る。しかし、この道路は生活道路として人々が横断したり、横のガードレール内を人が歩いているのにしばしば遭遇する。大変怖い、更に高速料金75Dと大変高く感じた。高速道路途中にパーキング エリアが有ったので入って行く、中にガソリンスタンドが有り給油を行う。軽油はフランス(France同様GASOILと書いて有り、満タンは英語のFullで通じた。モロッコ(Morocco)の速度制限は市内40Km、郊外は60Km80Km100Km3段階有った。警察の取り締まりが厳しいらし一般的には制限速度られて居る。ラバト(RabatMoroccoの首都で、王宮を中心に、大きな官庁街やモスク、レストラン等がるが観光ポイントは少ない。
路地 1
 町に入り、観光案内所を探すも見つからず町中に有った旅行社で観光案内所の場所を聞くと数軒先有ると教えてくれた。通りには多くの荷車を引いたロバや、ロバの背に荷物を積んだのが自動車と一緒に街中を行き来しているのが見えた。信号で停車した時、信号が青に変わり一瞬出遅れると、すぐ後ろの車がホーンを鳴らす。国々によって、本当に車の運転マナーが異なる事がうかがえた。
路地2
 観光案内所に入って行くと、3時に来てくれと守衛に言われたシエスタ(昼休み)が12時~3時迄である。3時まで30分程有ったので近所を一回りして3時に再び観光案内所を訪れた。すると守衛のみで係員が居ない。仕方なく守衛と話をしていると、息子が熊本の大学に留学していると言う人が現れた。来訪した主旨を伝えると、市内の観光案内書をくれ、説明してくれた。しかし、其の地図も先にタンジェ(Tangerで貰った市内地図同様、余り見やすい地図では無かった。
 案内所を出てガイド ブックに有った日本人経営のベトナム料理屋へ行く、店は閉まって居た。仕方なくHotelを探す事にして3つ星Hotelに行くと500Dと駐車は外の機械にて10D払えとの事、他を探す事にした。Aibis Hotelを探すも見付らず、9時を過ぎ町の中央広場に戻り看板が見えた安宿に泊る。シャワーは熱いお湯が出たが、シャワー室は汚かった。夕食を宿の近くに有った、佐野さんと言う日本人が経営する中華料理店にて食事する。
宿泊費214D
走行距離357Km 給油55.22






218()カサブランカ(CasablancaHotel
カサブランカへの道路標識
 ラバト(RabatHotelにて、朝640分モスクからのコーランが聞こえて来た。モロッコはイスラムの国、ここでも3時間於きにメッカに向かい祈りを捧げている。ホテルの室内の天井にはメッカの方向が表示されている。Hotelチェックアウトして、一般道をカサブランカ (Casablanca へ向け走る。100Kmの距離なので2時間程でカサブランカ(Casablanca の町に入る。中央公園に有った駐車場に車を止め観光案内所に行く、ここでも観光案内所は閉まって居た。
カサブランカのの街中
 次に郵便局へ行、切手を購入しモロッコ(Moroccoから初の日本宛の郵便を送る。その後、メディナに行く、メディナの中は昭和30年代名古屋駅裏に有った混沌とした町と言う感じで有る。こちらが日本人と解ると「コンニチワ」とか「アリガトウ」等と日本語で声をかけてくる、そしてガイド゙をさせろと言って来るノーサンッキュウ連発る。モロッコの客引きは意外と簡単に引き下がり、しつこくない。3時過ぎIbis Hotelに向かう。途中、映画で有名なカサブランカ (Casablancaの町を通る。町に入るToyota店が有ったので、店に入りMR2カタログが置いてないかを聞く。MoroccoではMR2は扱っていないので、カタログは無いとの事で有った。ついでにIbis Hotelの場所を聞き、Hotelに向かう。
 Hotelは駅前広場横に有りホテルに駐車場は無かったので駅前駐車場に停める20Dとの事。夕方駅前を散策するも大変寂しい所で有った。日本人は駅の周りがその町の繁華街と考えるが、大半の国では駅は町外れに有る事が多い。ネットカフェが有り、ネットを打とうとしたが文字化けして日本語が読めないので、諦めて外に出てホテルに戻る。
宿泊費440D
走行距離82Km 給油0




219()サフィ(SafiHotel
 朝、Hotel朝食を取った後、カサブランカ( Casablancaの町を出て一般道を走りエッサウイラ(Essaouira)の町に向かう、200Km程の距離である。途中の町アル・ジャディーダ(El Jadidaに入る所の海岸線から見たアル・ジャディーダ(El Jadidaの町が綺麗だとガイド ブックに書いて有ったので海岸線の道を走り、アル・ジャディーダの町が見える場所で車を止めて車内で昼食を取る。更に一般道を先に進み、3時過ぎやっとサフィ(Safiの町に入る。
鳥篭屋さん



 今日は遅いのでエッサウイラ(Essaouira迄行くの止めて、このサフィ(Safiの町に泊ることにしてHotelを探す。Hotel町の中央に有ったHotelに泊る
 ホテルにチェックインした後、この町の旧市街メディナを見に行く。メディナへの門を入ると狭い道の両側には、これ以上商品が並べられない程どの店も服、靴、鞄、雑貨等を並べられていた。多くの買い物客と一緒に、ぞろぞろ歩き一通りメディナを見て回った。その後、ホテルに戻る。何処のメディナも同じ様な雰囲気な処で有った。
メディナの中で
 この町はモロッコに於ける工業都市、特に鰯の缶詰はMorocco50%を生産しているとの事。又、サフィ陶器も有名との事で有る。
宿泊費245D
走行距離268Km 給油58.28


 


        世界遺産 「エッサウィラのメディナ」
220()アガディール( Agadir郊外のCamp  
 朝、サフィ(Safiの町を出て、海岸線沿いの道をアガディール(Agadir目指し走る。昨日走った道は海岸沿いの道では無かった。海岸沿いの道は海岸以外に見るものが無が海は大変綺麗で有った。途中エッサウィラ(Essaouiraの町に寄る、この地域ではタジン鍋が名物とガイドブックに書いて有ったので昼食に食べて見る事にした。
料理中のタジン鍋

 街中の1軒のレストランでタジン鍋が並べられて居たので入っていった。広い裏庭に大きな傘の付いたテーブルが並べられており、奥の方のテーブルに着く。結構お客が入っており、繁盛している店であった。ウエーターが来たので、鳥のタジン鍋を注文した。暫くしてウエーターが皿に盛った野菜料理を持って来た。これは注文したタジン鍋とは違うのではないかと言うと、ウエーターはタジン鍋だと言ってテーブルにお皿の料理を置いて行った。ものすごいボリュウムで味はまずまずでお腹が一杯に成った。そこへさっきのウエーターが来て、注文品を間違えたと言ってタジン鍋を持って来た。鍋の中身は鳥の蒸し焼き、美味しそうなので少し食べる。鍋は大変美味しかったが既に満腹、タジン鍋のみの代金を払ってレストランを出る。
アガディルのキャンプ場
 このエッサウィラの町のメディナは世界遺産に登録されて居るが、其れほど大きなメディナでも無く、このメディナの中の道は広かった。特に世界遺産に登録されたその特徴を知ることは出来なかった。
 エッサウィラ(Essaouiraの町を出てアガディール(Agadirへ向かう、途中の海岸線は又綺麗で有った。アガディール(Agadirの町に入る手前にCamp場が有ったので、そのCame場に泊る。以前Americaテキサス(Texas泊まったCamp場を思い出す程平らで広いCamp場で有った。又、施設も綺麗で清潔で欧州のCamp場より綺麗で有った。フランス人が多く、その他イギリスドイツイタリアフィンランド欧州全般のCamping Carが冬の寒さを避ける為、モロッコのCame場に集まって来ていた。Campをしていると、1人のフランス初めて日本人に会った握手を求めて来た。これも国際交流の一つ、快く握手に応じ、旅や日本の話等の話を交わした。 よくフランス人は英語を話さないと言われるが、英語圏の人とは英語で話をしないのかと思われる。下手な日本人の英語には、殆どのフランス人が気安く英語で会話を交わしてくれる。
宿泊費66D
走行距離273Km 給油58.28






221()マラケシュ(MarrakechHotel
カスバの城壁
 アガディール郊外 のCamp場を朝出発し、アガディール(Agadir市内に向かう、アガディール の町の入り口に観光案内所が有ったので、町の見所を聞いた。山の上に有るポルトガル人が築いたカスバ(要塞)が見所と教えてくれた。更に、係員が案内所の外に出て山の上の方を指差し、あれがカスバ跡の城壁部分だと教えてくれた。
 ガイド ブックに町中に美味しく安い魚のフライを売る店が有ると書いて有った。其れゆえ其処を探して昼食を取る事にし、店を探すも見付らず。郵便局が有ったので切手を買入する、日本まで7.5Dの切手を2枚要請すると7Dで良いとの返事7Dで出す。前日の郵便局では日本宛航空便1通が7.5Dで有った。低開発国に於いては、結構郵便局によって、料金が異なる場合がある。
城壁に空いた穴から見た下の町
 山の上のカスバを目指して走る。町を今日来た方向に戻り、途中から山の方角へ進む。すると山への登り道が見つり、坂道を登っていく。城壁の入り口少し手前に駐車場があり、そこに車を止めて徒歩にてカスバ跡に入る。カスバには何も無く、カスバを囲む城壁のみ残って居た。其処から見る町と海の景色は大変綺麗で有った。山の上にて携帯電話を見ると電波状況が良く繫がりそうなので、日本の留守宅へ電話する。特に問題無しとの返事。
 の後、次の目的地マラケシュ(Marrakechへ向かう。約170Kmの距離の道路は完全舗装されており、始めの部分は上り下りのきつい坂道の続く地帯で有った。ここでも多くのトラックが積載オーバーで、黒煙を吐き、あえぎながら坂道を登って行った。中程からはこれまた極端に平らな地帯を走る。途中に桜の花かと見間違う程にアーモンドの花が満開で有った。6マラケシュ(Marrakechの町に入るとIbisHotelが有ったので、今日は其処に泊る事にした
宿泊費546D
走行距離298Km 給油62.54




        「世界遺産 マラケシュのメディナ及びアイト・ベン・ハッドウ」
222()ワルザード(OuarzateCamp


フナ広場の昼間

 9時過ぎHotelを出て、マラケシュ(Marrakech市内に向かう。そして、ジェディト門から世界遺産に登録されているマラケシュの旧市街に入る。旧市街内で最も美しいと言われているアグノウ門を見る。続いて内に入り有った有料駐車場に車を止め、近くに有るバイア宮殿を見て、メディナの中を通り、シャマ・エル・フナ広場へといて行く広場では蛇使いや猿回し等多くの芸人や占いや口上師等色々な大道芸人や商売人が準備をしていた。ここでも有名な民族服で着飾った水売りも2~3人も見る事が出来た。しかし、広場は未だ日が高く、気温の高い性なのか人出はそれ程多くは無かった。しかし、広場からの通りには車、馬車、荷物を背に積んだロバ等で大変な混雑状況。更にメディナ内部を歩き1時間程でマラケシュ の町を出る。
世界遺産 アイト・ベン・ハッドウ村の全景
 次に、ワルザード(Ouarzate)に向け出発する、途中2500m程のアトラム山脈の峠を越える。周りの山は雪を被り、Africaにはキリマンジェロ山のみ雪が有る物と思っていたが、この峠付近にも雪渓が沢山有った。180Km程走りここも世界遺産に登録されているアイト・ベン・ハッドウ(Ait Ben Haddou)村へ向かう。ここはモロッコの代表的なクサル(カスバ化した集落)を見に行く。クサルの近くの駐車場へ行くと、ここも相変わらず駐車車両を見てやるからとか、川の渡り賃をよこせ等、みみちい要求がしつこくあった。そこで、少し離れた高台よりクサル全体の写真を撮
 その後次の目的地 ワルザザード (Ouarzateの町へ進む。途中のガソリンスタンドCampの場所を聞き、先に進むも見付らず。ワルザード(Ouarzate市内に入た所に有った観光案内所キャンプ場の場所を聞く、此処でもはっきりとした事は聞け無かった。仕方なく、更に進むとCamp場の標識が道路脇に有り標識の順路でCamp場に入る事ができたこのキャンプ場も欧州各国から多くのキャンピングカーが集まり、混雑していた。キャンプ場の設備はそれ程清潔では無かった。
宿泊料34D
走行距離235Km 給油62.54






            雪渓の有るカスバ街道を走る
223()トドラム(TodraCamp
雪山が見えるカスバ街道
 ワルザード(OuarzateCamp場を9時過ぎに出発して、カスバ街道と言われる道を走る。始めは山岳地帯で断崖絶壁の登り降りの道を暫く走りそして川沿いの平坦道に成り3時間程でティネリール(Tinerhir)の町に到着する。町を通り過ぎる様なので、通行人にトドラム渓谷への道を聞くと直ぐ手前の道を曲がるのだと教えてくれた。
 少し道を戻り、指示された道を曲がると、道の左右に幾つかのCamp場が見え更に道を奥に進む。如何にも渓谷らしく早い流れの川に沿って切り立った岩壁が見え初めた。そこがトドラ峡谷であった。
トドラム渓谷の愛車
渓谷の道を更に進むと高さ100mは有ると思われる岩壁が両側より張り出し其の距離は50m程で有り、迫力有る峡谷美を見せていた。此処も至る所でガイド志望が現れた、全て無視する。峡谷を通過し、再び元の渓谷の入り口に戻る。

 そして、未だ時間的には早いが、峡谷に来るときに見た良さそうなHotel直営のCamp場に入る。流石Hotel直営だけ有って、トイレは水洗で便座付きで清潔、シャワーは熱いお湯が出た。その割には料金は安かった。

宿泊料40D
走行距離196Km 給油0





224() メルズガ(MerzougaCamp

荒地の中の道なき道を行く

 トドラ(Todra Camp場を9時過ぎ出発する。今日はエルラシディア(Errachidiaへとカスバ街道を走る予定で有ったが、途中からサハラ砂漠のシェビ大砂丘を見て行く事にしてカスバ街道の途中の町から道を変え、エルフー(Erfoudと言うサハラ砂漠の入り口の町に向かう。エルフー(Erfoudの町に昼過ぎ到着し、飲料水を買う為に店を探して町中をうろうろするといたる処でガイドをやらせろと声が掛かる。飲料水を買ってからガイドブックに書いて有ったトーズ(Taout)の町へ行く道を進む、初めは舗装路では有ったが、工事中で真ともに走れなかった。途中からは未舗装路である上に、真平な荒地に出る、道筋ははっきりしていない。道に沿って建てられた高さ1メートル程のポールを目印に走ると書いて有ったのでその通り車を進めた相当の悪路であり、一はポールを見失ったりしながらも先に進むと、彼方土煙を上げずに車が走って居るのが見えた。其の車の向かうと舗装路に出た。その交差点に居た警官に道を聞くと、現在はジジルマサの町から,この先トーズ(Taoutの町まで道路が舗装されているとのであった。ここまで悪路を走って来たのはなんだったのか。そうっても、今更仕方ないが舗装路を更に進む。
サハラ砂漠の入り口に立つ

 但し、此処で1人の警官が金を要求している様で有ったが、フランス語で言って居たので解からない振りをしていた。もう1人の警官はやめろと言っている様子であった。そこで直ぐに御礼を言って出発する。その警察官も金の要求を諦めた様で有った。30分程走るとガイドブックに載って居たメルズガ( Merzougaの町のCamp場が見えたが、更に先に有るCamp場の方が良さそうなので其方に進む。ここのキャンプ場はHotelが併設で有った、Hotel併設のキャンプ場は一般的に環境が良い。

 このCamp場の直ぐ裏が既に見渡す限りの砂山で有り、サハラ砂漠の片隅で有った。遂にサハラ砂漠迄来たと、1人で感動た。

宿泊料60D
走行距離208Km 給油63.9





225()ミデルMideltCamp


 朝6時に起床し、砂漠に登る日の出を見に行った。結構朝は寒かったが、少し砂山を歩き奥へ進む。しかし、今日は雲が多く、日の出を見る事が出来なかった。残念だが諦めてCamp場へ戻る。そして、Camp場を出て更にサハラ砂漠の奥の町Taout迄走る。20分程で町に入る、車を停めてサハラ砂漠の入り口から少し歩いて見ることにした。するとガイドをやらせろと、数人が五月蝿く付きまとて来たが無視する。少し砂漠を歩く、矢張り砂漠は歩きずらい。直ぐに車に戻り町を出ようとしたら、町の出口に郵便局が有ったので切手を購入し日本宛の手紙を出す。此処では日本までの郵送料が10Dで有った、この国でも日本迄の郵送料が7D10D迄の巾が有った。
砂漠の中の舗装路
 そして、帰りは完全舗装道をRissaの町まで走り、更に昨日通ったエルフー(Erfoudの町を通過する。そこから山道に入る。遥か先には雪を被った連山が見えた。3時過ぎミデルMideltの町に入るとCamp場の標識が有ったのでそのCamp場に泊る事にした。シャワーは水シャワーで使えそうに無く、トイレアジアンタイプのみで有った。このCamp場には他に6台のキャンピングカーが泊って居た。

宿泊料20D
走行距離287Km 給油68.58





226() メクネスMeknesuIbis Hotel

  ミデル(Mideltの朝は寒かった、周りの山々も雪を被っていた。アフリカは熱いとのイメージで有るが、場所によって寒暖は色々である。Camp場を出てメクネスMeknesuへ向け走る。緑豊かなミデル の町から山岳地帯に入り遠くに山の頂に雪を被った連山が見えた。

 2,200mの峠を越える、からの風景はアメリカユタ州と同様荒地の世界が数十キロの広さで広がって居た。荒地を過ぎ再び山に登ると緑が増え、間もなくメクネスMeknesuの町に入る。町の入り口近くにIbis Hotel有った、今日は其処に泊る事にして車を停める。

メクネスのメディナの門

 メクネスMeknesuの見所はHotelから歩いて行ける距離なのでHotelに車を停めて歩いて町中に入る。メクネス見所はメディナとその門、そして前王の霊廟等が見所に成っておりそれらを見る。霊が午後3時より公開の為、その間メディナ内を散策する。そして3時少し前へ行くと、停まっていた観光バスASUKAと大きく書かれていた。アスカは日本の名前では無いかとバスの前を見ると、矢張り日本人ツアーバスで有った。 内でモロッコで始めての日本人の団体旅行者を見た、ここまでツアーで来るのかと一人で感心。霊に居た衛兵が、家内と衛兵の並んだ写真を撮れと言って来た。
メクネスの霊廟
折角の好意なので、家内と衛兵の写真を撮る。帰り道にネットカフェが有ったのでNetをするがどうしても自分のページが開かない、不明と出てくる。30分程挑戦したが接続出来ず、その旨係員に話をすると料金は要らないと言われた。お礼を言いネットカフェを出て、Hotelに戻る。

宿泊料544D
走行距離192Km 給油0




       世界遺産 「ボルビルスのローマ遺跡」

227()フェズ(FezCamp     

説明を追加
 朝Hotelの朝食を食べ、9時過ぎ出発する。このHotelの駐車場にも得体の知れない駐車場管理人もどきの者が1誘導だけで礼金を取って居たが無視して駐車場を出る。


 今日は世界遺産に登録された古代ローマ時代の遺跡ボルビルス(Volubilisの有る町ムレ・イドゥリス・ズル(Moulay Idriss)目指し出発する。朝から曇り空、途中小雨がぱらつく中、Volubilis10時前に到着、入場料120Dを払うもお釣りが無し、戻って来た時に貰う事にして見学する。遺跡は中々立派なもので見概が有ったしかし途中強い風と雨に遭い少し寒かった。帰り際、ここでも駐車場管理人もどきの者が駐車料5Dを寄こせとやって来た、仕方なく払う。
モザイクタイルの床

 次にフェズ (Fezに向かう。3時頃フェズ (Fezの町の入り口にスーパーが有たのでを買入しようスーパーへ入って行くと、此処でもガイドをやらせろと言って来た無視しスパーに入る。食材を少し購入し、外へ出ると再び振り出した。フェズ (Fez)の町中へ向かって進むとCamp場の標識が道路脇に有り、途中警官にCampの場所をながらも4時前にCamp場に入る事が出来た

宿泊費60D
走行距離122Km 給油





         世界遺産 「フェズのメディナ
228()シャウエンChefchaouenHotel  
 

 朝、9時過ぎフェズ(Fez)のCamp場を出発して昨日見かけToyota店を探す見付らず、30分程探し回りやっと見つける事が出来た

フェズのメディナの入り口
 フロントにてオイル交換を依頼すると、明日予約を入れて置くとの話で有ったそれでは困る、明日はこの町から移動する旨伝えると、直ぐに手配してくれた。2時間程待ってOilと持参のOil Flirterの交換終了、クレジットカードで支払しようとしたが、カードは扱わないと言われた。仕方が無いので近くの現金支払機の場所を聞き、支払機にて1000Dを引き出した。トヨタ店に戻り、代金715Dを支払い12時過ぎ辞する。

 そして、このフェズ(Fezの町のメディナに行く。この町のメディナモロッコ国内最大と言われ世界遺産に登録されている。しかし、何処のメディナも大小の差は有るも、それ程の差異は感じられなかった。

メディナの中の金物屋
 午後2時、フェズ(Fezの町を出て、次の目的地地中海に面した町テトゥアン(Tetouanへ向かう。フェズ(Fezからテトゥアン(Tetouan迄は約280Km程有る為、途中の町で適当なCamp場かHotelが有れば泊る予定で出発した。天候は先ず先ずで有ったが、山岳地帯に入ると雨が強く降って来た。山の中の小さな町に入ると、現地の通行人が車のドアーガラスをノックして、タバコを盛んに要求してくる。無視して進むと数人の若者が乗った黒い付いてきた。何か売りたいのか、良く解からなかったが山道を延々と付いて来た。途中で道幅が狭いので後ろの車を先に行かせようと車を止めると、その車も止まり車内から数人の若者が何か言いながら近づいてきた。やばいと思い、慌てて車を発進させた。すると、後ろの車も再び後ろに付いて来た。1時間程、その状況で走った。すると、少し大きな町に入った。街中にガソリンスタンドが有りった。スタンドには警官が居たので安全だと思い停車し、燃料を補給した。そして、周りを見渡すと、何時の間にか後ろを着いて来た黒い車は何処かへ行ってしまった。そこで、スタンドの係員に近くにHotelないかと聞くと、この町にホテルは無いとの返事で有った。そのうちに、今度は他の男達が集まって来て、此処に泊るので有れば、町を案内をすると集まって来た。既に6時近くで有ったが、余りにも雰囲気の悪い町なので、仕方なく町を出る事にして出発した。

 外れに成ると、今度は別の赤い車が後を付いて来た。先ほどと同様に後ろの車を先に行かせようと車を止めると、その車も止まり車内から数人の若者が何か言いながら近づいてきた。これはやばいと思い、慌てて車を発進させた。すると、後ろの車も再び後ろに付いて来た。霙混じりの雨の中、霧も出てきたがそのまま走り続けた。天候も悪く風も強く霧も出て道幅の狭い山道を、更に夕刻の時間と成りくたくたで有ったが走り続けた。その内、後を付けて来た車も途中で諦めたか、居なくなっていた

 約300Km山道を走って夕闇の中のシャウエンChefchaouenの町に着いた。ガイドブックに有ったHotelに雨の中宿泊する。車はHotel前の路上に駐車する。今日はくたびれた。

 (後日、この状況をフランス人に話をした処、その地区は外国人が麻薬を買いに行く地域で有ると。麻薬を買いに来た外国人に、麻薬を売ろうとしていたのだろうとの事で有った。知らない事は、恐ろしい事だとつくづく思った。)

宿泊費240D
走行距離293Km 給油0





31()テトゥアン(Tetouan のIbis Hotel

 朝、Hotelの朝食を取り、Hotelの支払を済ませHotel前に車を停め、歩いてメディナに入る。雨が降っていて、メディナの中を傘を差して見学する。その内、雨も上がりメディナ全体が見渡せる高台へ登る。その後メディナを出てHotelへ戻り、Hotel係員に礼を言い11時過ぎHotelを辞する。シャウエンChefchaouenの町を出る時、今日は93歳の誕生日なのでお祝いの電話する、元気そうな様子で有った。

 シャウエン(Chefchaouen)の町から見える、近くの山雪を被って居た、アフリカに雪とは山の写真を撮りながら街道を走り12時頃テトゥアン(Tetouanの町に入る

説明を追加
 雨が強く降り悪い天候で有った。 ガイドブック載っていた観光案内所へ行たら12時から14時半迄休みと書いて有る。丁度公共駐車場が有ったので車を止め、案内所が開くのを待つ事にした。しかし、待ち時間が有りすぎるので強い雨の中では有ったが傘を差しながらこの町のメディナを散策する。

 そして、時間に成ったので観光案内所へ戻って行ったが、未だ閉まって居た。開く迄暫くて居たら係員が来たので、町に付いての話を聞く。町のCamp場は夏季のみ開き、冬季は閉まっていて、現在は無いとの事で有った。それではとホテルの場所を聞くと、Ibis Hotel国境近くで有るとの説明を聞き、観光案内所を出る。スペイン国境の町セウタ(Ceuta迄数キロの所にホテルは有った。早速手続きをして、ホテルに泊った。夜、腹の調子が悪く成り下痢症状となる、何を食べたのが悪かったのか解らない。明日Moroccoを出る100D程残金があるので明日燃料をその金100D給油する事にした。

宿泊費360D
走行距離104Km 給油20




            再びスペインへ

32()SpainTarifaの町のCamp   

 朝、8時半Hotelを出ようと宿泊費を清算すると、朝食料金込みと言われた。しかし、私は昨日から腹の調子が悪く、食事をしない方が安全の為欠食した。家内だけが朝食を取る。そして昨日は雨混じりの強風で有ったが、今日の朝は時々薄日も差す天候で風も無くフェリーも問題無いく運行されていると思いHotelを出る。

 Hotelを出ると直ぐ国境ゲート続く成り道路の両側には何も無ガソリンスタンドも見当たらかったのでそのまま先へ進む。そして、国境に近づくと例の如くギヤーが遣って来たが、全て無視して国境ゲートに進む。すると警官が手招きし車を停めさせ、出国記入用紙を渡され車の中で記入せよと言われた。記入用紙は入国時と異なり、アラビヤ語、フランス語に英語が併記されていた。そして、記入終わると窓口迄警官が案内をしてくれ、無事出国手続きが完了した。次に車の手続きは先に有る事務所だと先ほどの警官が指示し、その後、警官が金を要求してきた。仕方なく20D1を出すと、目敏く50Dの方を要求してきた。気分を悪くしながらも仕方なしに50D札を渡す。すると、横に居た同僚の警官が俺にも金を寄こせと言ってきた、仕方なく先ほどの20D札を遣る。更に前に進み、税関の窓口へ車両の入国許可書を返却し出国証明書を受け取りMoroccoの国境を越えSpain側に入る。

 Spain側では何もチェックせず通過し、アフリカ大陸に有るSpain側の町セウタSebtaに入国する。これで15日間のMoroccoの旅は完了した。Moroccoの警官は国内に於いて大変親切にしてくれたが、最後の最後、国境の警官によりMoroccoの警官の印象が大変悪いものとして残った。
セウタの町の風景
 セウタSebtaの町に入るが小雨も降っていので町を見る気も無くし、時計を見るに10時半のフェリーに間に合いそうなので港に向かう。港に入り警察のチェックを受け、先に進むと船会社別のゲートが有り購入した船会社のゲートに進む。しかしそのゲートには全く車が見当たらない。そこでMoroccoSpainの時差1時間有る事に気づく。 今は既に11時過ぎ、10時半の船はとっくに出てしまった。仕方なく次の1時半出発の船を待つ。船の出港は30分遅れて2Spainの町セウタSebtaを出港した。海は波が高く流石のカタマラン式の相胴船でも大きく揺れた。しかし、約40分程で対岸に有るヨーロッパ側のSpainの町アルジェシラスAlgecirasの町に着く。今日体調悪く、更に天候も良くないので先に泊ったタリファTarifaの町のCamp場に向かう。Camp場に4時前に入る。

宿泊費28
走行距離38Km 給油
 
              Morocco走行距離 3.013Km       
             

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