モロッコ通貨1D(デラハム)=130円
2月15日(火)Africa
MoroccoのTanger近郊のキャンプ場
カタマラン型高速フェリー |
朝8時、有料駐車場から車を引き取る。今日も€ 10を駐車料として払う。そして、宿の近くに来るとメルカド(市場)の横の駐車場が空いており、其処に車を停め宿に戻る。荷物の整理をして宿をチェックアウトする。そして、10:00発には少し早いがフェリー乗場に行く。指定の場所に並ぶと、係員が来て「この便は待ち時間が長いので切符を買った所へ行って、便の変更をしてもらった方が良い」と言われたので、販売店に行った。店では直ぐに、€2の変更手数料にて9:15発の便に変更してもらった。但し、帰りの船会社も変更になる旨伝えられた。間もなく車列が動き出し、フェリーに乗船する。カタマラン式の高速フェリーで有る、車はデッキの半分程しか搭載されて居なかった。船の客室内部は結構豪華で有ったが、乗船時間が35分と短く船内をゆっくり見る時間も無かった。港の反対側にに有る英領ジブラルタル(Gibraltar)にそびえる岩山が印象的で有った、と思う間もなく対岸のスペイン(Spain)領では有るがアフリカ(Africa)大陸の先端が見えて来た。
道路脇の風景 |
宿泊費60D
走行距離109Km 給油0L
2月16日(水)タンジェの町のキャンプ場
朝から強い雨が降って居る。その上、家内も風邪気味で調子が悪いので、今日一日このキャンプ場で過ごす事にした。
車内や日記の整理、これからの旅の予定等を考えながら1日を車内で過ごす。
宿泊費60D走行距離0Km 給油0L 日本人経営のベトナム料理店と中華料理店
2月17日(木)ラバト(Rabat)のHotel
今日の目的地ラバト (Rabat)迄は約180Km先、2時間程の距離である。高速道の制限速度120Km 2車線の立派な道路で有る。しかし、この道路は生活道路として人々が横断したり、横のガードレール内を人が歩いているのにしばしば遭遇する。大変怖い、更に高速料金が75Dと大変高く感じた。高速道路の途中にパーキング エリアが有ったので入って行く、中にガソリンスタンドが有り給油を行う。軽油はフランス(France)同様GASOILと書いて有り、満タンは英語のFullで通じた。モロッコ(Morocco)の速度制限は市内40Km、郊外は60Km・80Km・100Kmの3段階有った。警察の取り締まりが厳しいらしく、一般的には制限速度が守られて居る。ラバト(Rabat)はMoroccoの首都で、王宮を中心に、大きな官庁街やモスク、レストラン等が有るが観光ポイントは少ない。
路地 1 |
路地2 |
案内所を出て、ガイド ブックに有った日本人経営のベトナム料理屋へ行く、店は閉まって居た。仕方なくHotelを探す事にして3つ星Hotelに行くと500Dと駐車は外の機械にて10D払えとの事、他を探す事にした。Aibis Hotelを探すも見付らず、9時を過ぎ町の中央広場に戻り、看板が見えた安宿に泊る。シャワーは熱いお湯が出たが、シャワー室は汚かった。夕食を宿の近くに有った、佐野さんと言う日本人が経営する中華料理店にて食事する。
宿泊費214D
走行距離357Km 給油55.22L2月18日(金)カサブランカ(Casablanca)の Hotel
カサブランカへの道路標識 |
カサブランカのの街中 |
Hotelは駅前広場横に有りホテルに駐車場は無かったので駅前駐車場に停める、20Dとの事。夕方駅前を散策するも、大変寂しい所で有った。日本人は駅の周りがその町の繁華街と考えるが、大半の国では駅は町外れに有る事が多い。ネットカフェが有り、ネットを打とうとしたが文字化けして日本語が読めないので、諦めて外に出てホテルに戻る。
宿泊費440D
走行距離82Km 給油0L2月19日(土)サフィ(Safi)のHotel
朝、Hotelの朝食を取った後、カサブランカ( Casablanca)の町を出て一般道を走りエッサウイラ(Essaouira)の町に向かう、200Km程の距離である。途中の町アル・ジャディーダ(El Jadida)に入る所の海岸線から見たアル・ジャディーダ(El Jadida)の町並が綺麗だとガイド ブックに書いて有ったので海岸線の道を走り、アル・ジャディーダの町が見える場所で車を止めて車内で昼食を取る。更に一般道を先に進み、3時過ぎやっとサフィ(Safi)の町に入る。
ホテルにチェックインした後、この町の旧市街メディナを見に行く。メディナへの門を入ると狭い道の両側には、これ以上商品が並べられない程どの店も服、靴、鞄、雑貨等を並べられていた。多くの買い物客と一緒に、ぞろぞろ歩き一通りメディナを見て回った。その後、ホテルに戻る。何処のメディナも同じ様な雰囲気な処で有った。
メディナの中で |
この町はモロッコに於ける工業都市、特に鰯の缶詰はMoroccoの50%を生産しているとの事。又、サフィの陶器も有名との事で有る。
宿泊費245D
走行距離268Km 給油58.28L世界遺産 「エッサウィラのメディナ」
2月20日(日)アガディール( Agadir)郊外のCamp場
朝、サフィ(Safi)の町を出て、海岸線沿いの道をアガディール(Agadir)目指し走る。昨日走った道は海岸沿いの道では無かった。海岸沿いの道は海岸以外に見るものが無いが海は大変綺麗で有った。途中エッサウィラ(Essaouira)の町に寄る、この地域ではタジン鍋が名物とガイドブックに書いて有ったので昼食に食べて見る事にした。
料理中のタジン鍋 |
アガディルのキャンプ場 |
エッサウィラ(Essaouira)の町を出てアガディール(Agadir)へ向かう、途中の海岸線は又綺麗で有った。アガディール(Agadir)の町に入る手前にCamp場が有ったので、そのCame場に泊る。以前Americaのテキサス(Texas)で泊まったCamp場を思い出す程、平らで広いCamp場で有った。又、施設も綺麗で清潔で欧州のCamp場より綺麗で有った。フランス人が多く、その他イギリス、ドイツ、イタリア、フィンランド等欧州全般のCamping Carが冬の寒さを避ける為、モロッコのCame場に集まって来ていた。Campをしていると、1人のフランス人が初めて日本人に会ったと握手を求めて来た。これも国際交流の一つ、快く握手に応じ、旅や日本の話等の話を交わした。 よくフランス人は英語を話さないと言われるが、英語圏の人とは英語で話をしないのかと思われる。下手な日本人の英語には、殆どのフランス人が気安く英語で会話を交わしてくれる。
宿泊費66D、
走行距離273Km 給油58.28L2月21日(月)マラケシュ(Marrakech)のHotel
カスバの城壁 |
ガイド ブックに町中に、美味しくて安い魚のフライを売る店が有ると書いて有った。其れゆえ其処を探して昼食を取る事にし、店を探すも見付らず。郵便局が有ったので切手を買入する、日本まで7.5Dの切手を2枚要請すると7Dで良いとの返事7Dで出す。前日の郵便局では日本宛航空便1通が7.5Dで有った。低開発国に於いては、結構郵便局によって、料金が異なる場合がある。
城壁に空いた穴から見た下の町 |
その後、次の目的地マラケシュ(Marrakech)へ向かう。約170Kmの距離の道路は完全舗装されており、始めの部分は上り下りのきつい坂道の続く地帯で有った。ここでも多くのトラックが積載オーバーで、黒煙を吐き、あえぎながら坂道を登って行った。中程からはこれまた極端に平らな地帯を走る。途中に桜の花かと見間違う程にアーモンドの花が満開で有った。6時マラケシュ(Marrakech)の町に入るとIbisのHotelが有ったので、今日は其処に泊る事にした。
宿泊費546D、
走行距離298Km 給油62.54L「世界遺産 マラケシュのメディナ及びアイト・ベン・ハッドウ」
2月22日(火)ワルザザード(Ouarzate)のCamp場
フナ広場の昼間 |
9時過ぎHotelを出て、マラケシュ(Marrakech)市内に向かう。そして、ジェディト門から世界遺産に登録されているマラケシュの旧市街に入る。旧市街内で最も美しいと言われているアグノウ門を見る。続いて、場内に入り有った有料駐車場に車を止め、近くに有るバイア宮殿を見て、メディナの中を通り、シャマ・エル・フナ広場へと歩いて行く。広場では蛇使いや猿回し等多くの芸人や占いや口上師等色々な大道芸人や商売人が準備をしていた。ここでも有名な民族服で着飾った水売りも2~3人も見る事が出来た。しかし、広場は未だ日が高く、気温の高い性なのか人出はそれ程多くは無かった。しかし、広場からの通りには車、馬車、荷物を背に積んだロバ等で大変な混雑状況。更にメディナ内部を歩き1時間程でマラケシュ の町を出る。
世界遺産 アイト・ベン・ハッドウ村の全景 |
次に、ワルザザード(Ouarzate)に向け出発する、途中2500m程のアトラム山脈の峠を越える。周りの山は雪を被り、Africaにはキリマンジェロ山のみ雪が有る物と思っていたが、この峠付近にも雪渓が沢山有った。180Km程走りここも世界遺産に登録されているアイト・ベン・ハッドウ(Ait Ben Haddou)村へ向かう。ここはモロッコの代表的なクサル(カスバ化した集落)を見に行く。クサルの近くの駐車場へ行くと、ここも相変わらず駐車車両を見てやるからとか、川の渡り賃をよこせ等、みみちい要求がしつこくあった。そこで、少し離れた高台よりクサル全体の写真を撮る。
その後次の目的地 ワルザザード (Ouarzate)の町へ進む。途中のガソリンスタンドでCamp場の場所を聞き、先に進むも見付らず。ワルザザード(Ouarzate)市内に入た所に有った観光案内所でキャンプ場の場所を聞くも、此処でもはっきりとした事は聞け無かった。仕方なく、更に進むとCamp場の標識が道路脇に有り、標識の順路でCamp場に入る事ができた。このキャンプ場も欧州各国から多くのキャンピングカーが集まり、混雑していた。キャンプ場の設備はそれ程清潔では無かった。
宿泊料34D
走行距離235Km 給油62.54L雪渓の有るカスバ街道を走る
2月23日(水)トドラム(Todra)の Camp場
雪山が見えるカスバ街道 |
少し道を戻り、指示された道を曲がると、道の左右に幾つかのCamp場が見え、更に道を奥に進む。如何にも渓谷らしく、早い流れの川に沿って切り立った岩壁が見え初めた。そこがトドラ峡谷であった。
トドラム渓谷の愛車 |
そして、未だ時間的には早いが、峡谷に来るときに見た、良さそうなHotel直営のCamp場に入る。流石Hotel直営だけ有って、トイレは水洗で便座付きで清潔、シャワーは熱いお湯が出た。その割には料金は安かった。
宿泊料40D
走行距離196Km 給油0L2月24日(木) メルズガ(Merzouga)のCamp場
荒地の中の道なき道を行く |
トドラ(Todra) Camp場を9時過ぎ出発する。今日はエルラシディア(Errachidia)へとカスバ街道を走る予定で有ったが、途中からサハラ砂漠のシェビ大砂丘を見て行く事にしてカスバ街道の途中の町から道を変え、エルフー(Erfoud)と言うサハラ砂漠の入り口の町に向かう。エルフー(Erfoud)の町に昼過ぎ到着し、飲料水を買う為に店を探して町中をうろうろすると、いたる処でガイドをやらせろと声が掛かる。飲料水を買ってから、ガイドブックに書いて有ったトーズ(Taout)の町へ行く道を進む、初めは舗装路では有ったが、工事中で真ともに走れなかった。途中からは未舗装路である上に、真平な荒地に出る、道筋ははっきりしていない。道に沿って建てられた高さ1メートル程のポールを目印に走ると書いて有ったのでその通り車を進めた。相当の悪路であり、一時はポールを見失ったりしながらも先に進むと、彼方に土煙を上げずに車が走って居るのが見えた。其の車の方へ向かうと舗装路に出た。その交差点に居た警官に道を聞くと、現在はジジルマサの町から,この先トーズ(Taout)の町まで道路が舗装されているとの返事であった。ここまで悪路を走って来たのはなんだったのか。そう言っても、今更仕方ないが舗装路を更に進む。
サハラ砂漠の入り口に立つ |
但し、此処で1人の警官が金を要求している様で有ったが、フランス語で言って居たので解からない振りをしていた。もう1人の警官はやめろと言っている様子であった。そこで直ぐに御礼を言って出発する。その警察官も金の要求を諦めた様で有った。30分程走るとガイドブックに載って居たメルズガ( Merzouga)の町のCamp場が見えたが、更に先に有るCamp場の方が良さそうなので其方に進む。ここのキャンプ場はHotelが併設で有った、Hotel併設のキャンプ場は一般的に環境が良い。
このCamp場の直ぐ裏が、既に見渡す限りの砂山で有り、サハラ砂漠の片隅で有った。遂にサハラ砂漠迄来たと、1人で感動した。
宿泊料60D
走行距離208Km 給油63.9L2月25日(金)ミデル(Midelt)のCamp場
朝6時に起床し、砂漠に登る日の出を見に行った。結構朝は寒かったが、少し砂山を歩き奥へ進む。しかし、今日は雲が多く、日の出を見る事が出来なかった。残念だが諦めてCamp場へ戻る。そして、Camp場を出て更にサハラ砂漠の奥の町Taout迄走る。20分程で町に入る、車を停めてサハラ砂漠の入り口から少し歩いて見ることにした。するとガイドをやらせろと、数人が五月蝿く付きまとて来たが無視する。少し砂漠を歩く、矢張り砂漠は歩きずらい。直ぐに車に戻り町を出ようとしたら、町の出口に郵便局が有ったので、切手を購入し日本宛の手紙を出す。此処では日本までの郵送料が10Dで有った、この国でも日本迄の郵送料が7D~10D迄の巾が有った。
砂漠の中の舗装路 |
宿泊料20D
走行距離287Km 給油68.58L ミデル(Midelt)の朝は寒かった、周りの山々も雪を被っていた。アフリカは熱いとのイメージで有るが、場所によって寒暖は色々である。Camp場を出てメクネス(Meknesu)へ向け走る。緑豊かなミデル の町から山岳地帯に入り、遠くに山の頂に雪を被った連山が見えた。
2,200mの峠を越える、峠からの風景はアメリカのユタ州と同様、荒地の世界が数十キロの広さで広がって居た。荒地を過ぎ再び山に登ると緑が増え、間もなくメクネス(Meknesu)の町に入る。町の入り口近くにIbis Hotelが有った、今日は其処に泊る事にして車を停める。
メクネスのメディナの門 |
メクネス(Meknesu)の見所はHotelから歩いて行ける距離なので、Hotelに車を停めて歩いて町中に入る。メクネス の見所はメディナとその門、そして前王の霊廟等が見所に成っておりそれらを見る。霊廟が午後3時より公開の為、その間メディナ内を散策する。そして3時少し前に霊廟へ行くと、停まっていた観光バスにASUKAと大きく書かれていた。アスカは日本の名前では無いかとバスの前を見ると、矢張り日本人ツアーのバスで有った。 霊廟内でモロッコで始めての日本人の団体旅行者を見た、ここまでツアーで来るのかと一人で感心。霊廟内に居た衛兵が、家内と衛兵の並んだ写真を撮れと言って来た。
メクネスの霊廟 |
宿泊料544D
走行距離192Km 給油0L世界遺産 「ボルビルスのローマ遺跡」
2月27日(日)フェズ(Fez)のCamp場
今日は世界遺産に登録された古代ローマ時代の遺跡ボルビルス(Volubilis)の有る町ムレ・イドゥリス・ズル(Moulay Idriss)目指し出発する。朝から曇り空、途中小雨がぱらつく中、Volubilisに10時前に到着、入場料1人20Dを払うもお釣りが無し、戻って来た時に貰う事にして見学する。遺跡は中々立派なもので見概が有った。しかし、途中強い風と雨に遭い少し寒かった。帰り際、ここでも駐車場管理人もどきの者が駐車料5Dを寄こせとやって来た、仕方なく払う。
モザイクタイルの床 |
次に、フェズ (Fez)に向かう。3時頃フェズ (Fez)の町の入り口にスーパーが有たので食材を買入しようとスーパーへ入って行くと、此処でもガイドをやらせろと言って来た。無視しスーパーに入る。食材を少し購入し、外へ出ると再び雨振り出した。フェズ (Fez)の町中へ向かって進むとCamp場の標識が道路脇に有り、途中警官にCamp場の場所を聞ながらも4時前にCamp場に入る事が出来た。
宿泊費60D
走行距離122Km 給油0L 朝、9時過ぎフェズ(Fez)のCamp場を出発して、昨日見かけたToyota店を探すが見付らず、30分程探し回りやっと見つける事が出来た。
フェズのメディナの入り口 |
そして、このフェズ(Fez)の町のメディナに行く。この町のメディナがモロッコ国内最大と言われ世界遺産に登録されている。しかし、何処のメディナも大小の差は有るも、それ程の差異は感じられなかった。
メディナの中の金物屋 |
町外れに成ると、今度は別の赤い車が後を付いて来た。先ほどと同様に後ろの車を先に行かせようと車を止めると、その車も止まり車内から数人の若者が何か言いながら近づいてきた。これはやばいと思い、慌てて車を発進させた。すると、後ろの車も再び後ろに付いて来た。霙混じりの雨の中、霧も出てきたがそのまま走り続けた。天候も悪く風も強く霧も出て道幅の狭い山道を、更に夕刻の時間と成りくたくたで有ったが走り続けた。その内、後を付けて来た車も途中で諦めたか、居なくなっていた。
約300Km程山道を走って、夕闇の中のシャウエン(Chefchaouen)の町に着いた。ガイドブックに有ったHotelに雨の中宿泊する。車はHotel前の路上に駐車する。今日はくたびれた。
(後日、この状況をフランス人に話をした処、その地区は外国人が麻薬を買いに行く地域で有ると。麻薬を買いに来た外国人に、麻薬を売ろうとしていたのだろうとの事で有った。知らない事は、恐ろしい事だとつくづく思った。)
宿泊費240D
走行距離293Km 給油0L3月1日(火)テトゥアン(Tetouan) のIbis Hotel
朝、Hotelの朝食を取り、Hotelの支払を済ませHotel前に車を停め、歩いてメディナに入る。雨が降っていて、メディナの中を傘を差して見学する。その内、雨も上がりメディナ全体が見渡せる高台へ登る。その後、メディナを出てHotelへ戻り、Hotel係員に礼を言い11時過ぎHotelを辞する。シャウエン(Chefchaouen)の町を出る時、今日は母の93歳の誕生日なのでお祝いの電話をする、元気そうな様子で有った。
シャウエン(Chefchaouen)の町から見える、近くの山は雪を被って居た、アフリカに雪山とは。山の写真を撮りながら街道を走り、12時頃テトゥアン(Tetouan)の町に入る。
説明を追加 |
そして、時間に成ったので観光案内所へ戻って行ったが、未だ閉まって居た。開く迄暫く待て居たら係員が来たので、町に付いての話を聞く。町のCamp場は夏季のみ開き、冬季は閉まっていて、現在は無いとの事で有った。それではとホテルの場所を聞くと、Ibis Hotelが国境近くで有るとの説明を聞き、観光案内所を出る。スペイン国境の町セウタ(Ceuta)迄数キロの所にホテルは有った。早速手続きをして、ホテルに泊った。夜、腹の調子が悪く成り下痢症状となる、何を食べたのが悪かったのか解らない。明日はMoroccoを出るが100D程残金があるので、明日燃料をその金100Dで給油する事にした。
宿泊費360D、
走行距離104Km 給油20L再びスペインへ
3月2日(水)SpainのTarifaの町のCamp場
朝、8時半Hotelを出ようと宿泊費を清算すると、朝食料金込みと言われた。しかし、私は昨日から腹の調子が悪く、食事をしない方が安全の為欠食した。家内だけが朝食を取る。そして昨日は雨混じりの強風で有ったが、今日の朝は時々薄日も差す天候で風も無くフェリーも問題無いく運行されていると思いHotelを出る。
Hotelを出ると直ぐ国境ゲートへ続く道と成り道路の両側には何も無い、ガソリンスタンドも見当たらかったのでそのまま先へ進む。そして、国境に近づくと例の如くギヤーが遣って来たが、全て無視して国境ゲートに進む。すると警官が手招きし車を停めさせ、出国記入用紙を渡され車の中で記入せよと言われた。記入用紙は入国時と異なり、アラビヤ語、フランス語に英語が併記されていた。そして、記入終わると窓口迄警官が案内をしてくれ、無事出国手続きが完了した。次に車の手続きは先に有る事務所だと先ほどの警官が指示し、その後、警官が金を要求してきた。仕方なく20D札1枚を出すと、目敏く50D札の方を要求してきた。気分を悪くしながらも仕方なしに50D札を渡す。すると、横に居た同僚の警官が俺にも金を寄こせと言ってきた、仕方なく先ほどの20D札を遣る。更に前に進み、税関の窓口へ車両の入国許可書を返却し、出国証明書を受け取りMoroccoの国境を越えSpain側に入る。
Spain側では何もチェックせず通過し、アフリカ大陸に有るSpain側の町セウタ(Sebta)に入国する。これで15日間のMoroccoの旅は完了した。Moroccoの警官は国内に於いて大変親切にしてくれたが、最後の最後、国境の警官によりMoroccoの警官の印象が大変悪いものとして残った。
セウタ(Sebta)の町に入るが小雨も降っていので町を見る気も無くし、時計を見るに10時半のフェリーに間に合いそうなので港に向かう。港に入り警察のチェックを受け、先に進むと船会社別のゲートが有り購入した船会社のゲートに進む。しかしそのゲートには全く車が見当たらない。そこでMoroccoとSpainの時差1時間有る事に気づく。 今は既に11時過ぎ、10時半の船はとっくに出てしまった。仕方なく次の1時半出発の船を待つ。船の出港は30分遅れて2時Spainの町セウタ(Sebta)を出港した。海は波が高く、流石のカタマラン式の相胴船でも大きく揺れた。しかし、約40分程で対岸に有るヨーロッパ側のSpainの町アルジェシラス(Algeciras)の町に着く。今日も体調が悪く、更に天候も良くないので先に泊ったタリファ(Tarifa)の町のCamp場に向かう。Camp場に4時前に入る。
セウタの町の風景 |
宿泊費€ 28
走行距離38Km 給油0LMorocco走行距離 3.013Km
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