10. ニカラグア・コスタリカ・パナマ

  6番目の国 ニカラグア入国


2004年
3月1日(月)NicaraguaEsutel
  1Colon=\6.5
 夜風が強く、風の音がうるさく早く起きてしまった。国境越えは毎回緊張するので、その件も有るのかも知れないが。Hotelを出て直ぐに昨日来た町S.Marcos de Colonに着く。町の入り口を通過する時、子供連の若いお母さんが声を掛けてきた。丁度ガソリンスタンドの前で、こちらも燃料を少し補給しようと思っていたので停車した。そしたら、二人が車に近づいて来た。窓越しに少し話をしていたら、学校まで乗せて行ってくれと言うので2人を乗せ町中の学校へ行った。そしたら、今日は学校が休校で有り、再び2人を車に乗せ家へ送り届けた。ところが女の子がなかなか車を降りてくれないので、家の前で写真を撮ろうと車から降り写真を撮る。そして、出発しようとしたら女の子が泣き出した、しかしこちらも予定が有るのでそのまま出発した。アディヨス・セニョリタ!
 9時過ぎ国境に到着、ギヤーの誘いを無視しゲート迄進む、するとゲートの係員がギヤーを紹介される、女性で有った。(この様な状況は、税関係官とギヤーがグルに成っていると思われる)Hondurasの出国手続きは人の出国費US$5と車の手続きとして、車の入出国書に出国印を貰い手続きは終わった。女性ギヤーがチィプを要求してきたのでL20渡すと、少ないと言うので更にL10の計L30支払う。
 坂を下ると今度はNicaraguaの入国手続き、矢張りギヤーがやって来た。あちらこちらをNicaraguaの係官の指示により移動しながらの手続き、結構大変で有った。人の入国税US$7、車両申請書作成タイプ代US$10、強制保険料US12、ギヤーも賄賂の指示も無く、必要経費の支払指示をしてくれただけで有る。約1時間が掛かり、11時全てが完了した。ギヤーにUS$5を支払う、Honduras L100は多すぎるしL50が無かった為で有る。
 Nicaraguaに入りNicaraguaのお金が無いので最初の町で銀行を探し両替を頼むと、Hondurasの現金及びトラベラーチェック共に両替出来ないとの返事、町中の両替商も2軒周り2件ともに同じで有った。未だ時間が早いので、最初の目的地Esutelの町へ行く。町のセントロで銀行を聞き、その場所に行くとキャシュディスペンサーが有った、C$1000US$100を引き出す。そして、町を出てガソリンスタンドへ行く。13.695G入る、料金C402支払う。そこで、この町の名前を聞くとEsteliだと言われ、再度町に引き返しHotelを探す。看板だけが通りに大きく出ていて、建物は通路の奥の方に有るHotelが有った。駐車場に問題無いので聞いて見る事にした。部屋は小奇麗で電気式シャワーである、久々にシャワーが使えるので其処に決めたC233
 郵便局を聞き行って見ると、何故か長蛇の列。横から入って見ると、Nicaraguaらしい切手が売られて居る様だが何せ人が多すぎる。諦めて宿に帰ろうとすると、郵便局の前がNet屋である。自分のパソコンを繫いでくれるかを聞くとOKの返事、早速PCを持って行く。しかし、接続出来ない。仕方なくNet屋のPCにてローマ字打ちで2時間程打つ。次男が私がMailで送った私の写真を見て、私が凄くやせたと心配している様だ、実際痩せた感じがするが特に問題無いと思う。夕焼けが綺麗だった。(レギュラーガソリンG31.4、軽油G29.34、この国もガソリンスタンドは民営の為販売価格は色々有る。交通ルールに付いて、追い越し禁止区域の取り締まりは厳しい様だ、大半が守って居る。)
Honduras の出国税US5$,ギヤーのチップL30,Nicaragua入国税US$7、車両申請書作成タイプ代US$10、強制保険料US12、ギヤーのチップUS$5,宿泊費C233,NetC20,食品C70
走行距離134Km 給油51.84L    

32日(火)ボネローヤ
 朝6時サイレンの音で目が覚める。火事かなと思いながら横になっていたら、6時の時報の様だ。それにしてもサイレンとは恐れ入りました。朝8時に再度銀行に行きC1000下ろした。銀行へ行く途中見た郵便局は既に開いていた。中に入ると既に数名の人が並んでいた、列の後ろに付く。殆どの人が何かの預金関係で郵便で並んでいる人は少ない。自分の番に成り手紙を出すにC10で有った。そしてショウーケースに有る切手を購入したい旨伝えるに裏へ周れと言われる。裏に行くと小さな事務所が有り、2人の局員が座っていた。切手を購入したい旨伝えると、厚いファイルを出しその中より選べと言われた。その数凄いものが有る、小型シート中心に10シート程購入する。そして、町を出てLeonの町を目指し走る。幹線道路の途中から右に曲がりLeonの町を目指す。午後1時頃町に付き、Hotel探しをする。ガイドブックに有るHotel2軒共に満室で有った。
 仕方無く郵便局を探し手紙を出し、そして町を出て海岸の町ボネローヤ目指し走る。既に4時過ぎやっと海が見えてきた。道を間違えた分けでは無い様だ、マングローブが見え始め続いて民家も見えてきた。村の入り口らしきモニメントが有り其処を入って行く。反対側からバスが来たので間違い無いと進むも、民家は有るもHotelが見えない。遂に舗装が切れ、浜に出てしまった。Uターンしようにも道幅が無く出来ないので、更に進むとレストランが有った。そのレストランの看板に小さな字でHotelと書いてあったので泊るかどうか聞くと、泊まれるとの返事。ここに泊まる事にした。浜を散歩し太西洋に夕日が沈むのを見た、日本では見えない風景だ。宿に帰り、ロブスターは食べれるかと尋ねると、今日は無いとの返事。車えびだったら有ると言うので、成るべく味を付け無い料理を依頼した。(その国独特の味が有り、食べたく無くなる場合が多々有る為)鉄板焼きで海老とトマトとポテトフライの付け合せで出てきた、大変美味しかった。
通信費C150、夕食ビール宿泊費C282


走行距離56Km 給油0L

33日(水)Managua     悪徳警官 パートⅠ


 朝、鳥の鳴き声も聞こえず、ただ扇風機の風を切る音のみ聞こえていた。6時半目が覚め、少しぬるめの水シャワーを浴びる、何か心地よっかった。そして、浜に行くと漁師が漁から帰ってきていた。既に殆どの船が魚の処理を済ませ、家路に付く処で有った。1人の仲買のおばさんが、海の中で魚のわた抜きをしていた。そのわたを小魚が餌に沢山集まっていた。バケツの中を見るに大きさ50センチ程のムロアジに似た魚が3匹に小さいのが十数匹入っていた。部屋に戻り荷物をまとめ、車に積み込み費用の清算をするC282Hotelを出て少し走り、海岸の見える処でコーヒーを沸かし朝食をとる。その後、村を出てLeonの町を目指し走り1時間程でLeonの町に着く。丁度カテドラル(教会)に着いたので教会の中を見て行こうと思い中をのぞくと未だ新しい教会の感じで有った。教会の横に両替屋が居たのでホンヂュラス1LC0.75で交換すると言うので残っていたL210を両替する。

 町を出て今日の目的地Leon Viejo を目指し出発する。そして、昨日Leonの町へ曲がった処で警察の検問を受けた。走行区分帯違反だと言う。標識が有り,それを確認する為に停車し、再スタートしたので走行区分が変ったのだと説明すると、次に三角の停止表示板を搭載しているかと尋ねられ、搭載していないとUS$15の罰金だと言う。標示板を提示すると今度は消火器を搭載していないとUS$45の罰金だと言う。消火器は積んでいると示すと、又、元に戻り通行区分帯違反だと言い出しUS$40払えと言い始めた。昨日銀行で$100下ろしたので現金を持ってはいたが、負けてもらう為に持っていないと言い、結果はUS$20C500を払う。気分最悪。
ニカラグア富士?
中南米にはこの様な警官に、何度もお金をせびられた。彼らは警察権を持っているので、万一拳銃で撃ち殺されても犯人が逃げようとしたので言われればそれまでである、故に無闇とは逆らえない。結局賄賂の支払い金額の交渉事である。
 ニカラグアの道路交通法では三角の停止表示板、消火器を搭載しなければならない事に成っているが、殆どの車は搭載していない。更に国際免許書は通用しない、旅行者のオリジナルの免許書でなければならない。日本語の免許書を提示したが、理解したかどうかは疑問である。
 燃料代が無くなったので銀行に行き、クレジットカードC1,000を引き出す。そしてLeon Viejoへ向かう細い石畳路を30分程走りレオン・ビヤヘ(Leon Viejo) に到着した。入場料US$2を払う、Leon Viejo は中米のボンベイと聞いていたので期待大で有ったが、残念ながら期待外れで有った。しかし、其処から見えた火山はニカラグア富士そのもので有った。1時間程見学し、マナグアの町を目指す。Managuaの町は大きく流石に迷いに迷いやっとホテルを見つけ、値段を聞くにUS$45と言われ他を探す。結局ガイドブックに書かれていた安宿、オスベダヘ・メサに泊るUS$5。駐車場代より安いのでは。
雑費(警察)US20+C500、宿泊代US$5、遺跡見学料US$2、燃料代C280,
走行距離293Km 給油36.21L

34日(木)マナグア(Managua)
 朝、周りの話し声に起こされる。安いのは良いが此処までになると、今の年齢ではちょっときつい。今日は別の所へ移る予定。8時、チェックアウトし、隣の店で卵を4個買う(C5)。先ず郵便局へ行って見る、処が着いた所は国立宮殿。その前は旧カテドラルが有る、それは1972年の地震で壊れたままになっている。国立宮殿で郵便局を聞き郵便局へ行く。手紙を出そうとすると中身はチェックかと局員に聞かれた、ホンヂュラスのL1紙幣だと答えると現金は送れないと言われた。中身を、パンフレットに替えて差し出す。郵便窓口の前にヒラテリスト(切手収集家)・サービスカウンターになっていて、ショーケースの中にはシート類が重ねて展示販売さ
現役のクラウンRS30
れていた。中にトヨタ車を扱かった切手が昨年発行されていた。トヨタ関係者への土産に7シート購入するC480。又お金が無くなってしまった。国立宮殿に向かい中を見学する、ここで英語のガイドが着く。展示品はまだまだの感がある。最後に革命の発端となった、会議室に入ると今まで良く知らなかったが何か心に迫る気持ちに成った。1時間程見学し、マナグア湖へ行く。湖は薄茶色に変わり、岸辺には化学洗剤による泡が発生している。工業化並びに家庭雑排水による湖水汚染はまだまだ続くものと思われる。元に戻るには100年先の話の様だ。次にウエジャス・アカウアリンカ博物館に向かう、中々見つからず。
 途中にToyotaの店が有りエアーインテイクのシュノーケルが有るかと尋ねると明日なら入るとの事、日本では使えないがクラッチ・デスクと共に依頼したL2890と物凄い値段。明日、再び訪れる事にした。帰りにウエジャス・アカウアリンカ博物館を聞くに直ぐ側だとの返事、行って見るが見つからず。諦めて、今度は銀行探し。やっと見つけキャッシュ・カードでC1000を引き出す、此処は手数料C35と安かった。そして、ホテル街に戻る。その途中パトカーに止められる、理由は良く解からなかった。免許書のチェックで放免された。そして、今日は少し昨日よりは高いHotelに泊る(US$15)。ジャングルの中に有る様な雰囲気で多くの小鳥が飼われ、部屋も綺麗で有った。インターネットが有るが繋いでもらえず。
食品L7,雑費(切手)L480,博物館入場料US$2,ガイド料L20,自動車部品代L2880,宿泊費US$15,
走行距離92Km 給油0L

35日(金)マサヤ(Masaya)
 鳥の声が聞こえゆったりとした朝を迎える事が出来た。ゆっくりと出発準備をして、9時チェックアウト。昨日買ったパンが美味しかったので今日も2つフランスパンを買ったC4。少し走り木陰でコーヒーを沸かし朝食を取る。そして、昨日トヨタの部品屋に頼んだ部品を取りに
行った。昨日の担当者は今日は休みで、マネージャーが対応してくれたが時間が掛かり、12時を過ぎてしまった。更に固定用の鋲蹄類が不足で取り付けられなかった。車に有る螺子で出来るか、或いは日本の誰かに頼み送ってもらう事かと思う。
 そして、今日はマサヤ(Masaya)火山を見て、次の町に行く予定で有ったが、Masaya 火山の道を聞くに皆適当に答えてくれた為、全くの検討違いの道を1時間以上走り、3時過ぎやっとMasaya火山国立公園の入り口に着いた。約1時間程火口を見てMasayaの街の安宿Central Hotelに泊るC75。丁度US$5である。駐車場料C10。今日もインタネットカフェ2軒に断られ,接続出来ず。
食品費C4夕食代C52。宿泊費C75、駐車料C10。国立公園入場料C30
走行距離50Km 給油0L

36日(土)Granada
 朝、パンを買って朝食にしようと、パン屋を探し町を歩く。パンを買って家に持ち帰る人を数人見たが、その来た方向に行ってもどうしてもパン屋が見付らなかった。仕方なく宿に戻り、宿のコヒーとパンを頼む。コヒーはインスタントだし、パンは小型のパンに何故かからしが塗られていた。朝食後の9時過ぎHotelをチェックアウトし、郵便局へ行き手紙を出しそして町を出る。
 1時間程走ると大きな町に入って来た、通りで聞くに此処がGranadaだと言われた。重ねてセントロを聞くに次の道を曲がって、真直ぐ行けば良いと教えてくれた。教会が見えて来たのでセントロかと思いきや、別の教会で有った。セントロに出るとインターネットの看板が目に付き、接続を依頼するも断られる。別の店を紹介されるも見つからず、慌てて郵便局へ行くと既に閉まっていた。次に泊る所を探さなければと、ガイドブックに有る宿を探すが中々見つからな。、やっと見つけたら、全面改装中で営業していない。次の所に行ったら満室で断られた。別の宿を見つけるのと昼飯を食べる為湖岸に行った。ラーメンを作ろうと思い鍋に水を入れようとスイッチを入れても水が出ない。タンクの水が無くなってしまった様なので、タンクの底に残って居る水をペットボトルに移すべくタンクを外に出す。すると床面が濡れており、湿気を取ろうとビニールを外した。ところが小さな虫が沢山動いて居る、良く見ると蟻が車の中に住んでいた。大半を潰して殺したがどうなる事か、矢張りバルサンは必要だと感じた。そして外したビニールを洗車用タオルで拭いていると1人の日本人が声を掛けて来た。ガテマラのケツアルテナンゴの日本人宿エル・ケツアルで会った人で有った。名前忘れたが北海道の先の方で建築の仕事をしており、冬の期間仕事が出来ないので会社を休んでくれと言われ、3ヶ月間の旅に出ているとの事。帰れば又仕事が待っていると、なんとも羨ましい条件である。道端で少し話をしていたが、直ぐ脇に有ったHotel兼レストランでジュースを飲みながら更に話をしていると、テレビカメラを積んで撮影しながら1台の馬車走って行った。するとその直ぐ後を日本ナンバー付けたハイエースワゴンが走って行った。局名は解からなかったが日本の何処かのTV局が中米の特集で撮って居る様で有った。この町では馬車が一般的乗り物として利用されている。その後、2人で海岸の先の方に行って見ようと車で進んで行くと、公園が有って車の入場料C10を払い中に入って行った。砂浜の海岸線が続き、海水浴客が泳いで居るのが見えた。更に奥に進むと松島に良く似た、小島の沢山見える所が有り、多くの遊覧船が停まっていた。そして4時過ぎ中央に戻り宿探しをする。ガイドブックに無い所でも断られ、結局高いHotelに泊ることに成った。
ニカラグアの田舎にてトヨタの大型トラック数台見た。以前トヨタ車体の大型トラック組み立てラインで組み立てられて居たのを思い出した。こんな処で使われて居るのだなと歓心した。
朝食C15,食品代C16,郵便代C12,公園入場料C10、宿泊費US$25、駐車場C20
走行距離92Km 給油0L

37日(日)San Jorge
 もう1Granadaに泊る積もりで、朝ゆっくりと7時過ぎ起床する。車を引き取り海岸に出て車内でコヒーとパンで朝食を取る。そして、宿に戻るもUS$25は高すぎる、別のHotelを探す事にした。通りを走る途中でインターネットの看板が有ったので、PCをつながしてくれるか聞いているとOKの返事。直ぐ車を移動しPCを繋ぐ、自動に切り替えたら問題無く立上がった。1時過ぎまでの3時間ネットをしC62.5を支払う。それからHotel探し、車の件が有りあちこち見ている間にGranadaにどうしても泊らんければならない理由が無いので次の町San Jorgeへ向かった。4時過ぎSan Jorgeに着いた、San Jorgeはニカラグア湖に有る大きな島へのフェリーが出ている処で、又、海岸が砂浜で綺麗な?海水浴場でも有った。見ていないので言えないが、写真で見た鹿児島の桜島の様な火山島で有る。海岸で写真を撮り、Hotelを探さねばと少し戻ると道路に看板が見えた。尋ねると1US$10そんなに安くは無いが清潔そうなので泊ることにしたUS$10 。夕食を久々にレストランで取ろうと海岸に有るレストランへ入った。ビールを頼むとビールが冷えて居ないので出せないとの返事、コーラを頼みビフテキを依頼する。依頼してから気が付いたのだが、どうもずーと停電状態で冷蔵庫のビールが冷えて無かったと言う事は、肉も冷えて無かった事に成る。又もや肉で腹痛かと思いながら薄いビフテキを食べる、独特の臭いと硬さが有る肉であるC82Hotelに戻ると浜辺で見たBMWのサイドカーに乗った夫婦が来ていた。彼らはオランダからロシヤを通り、韓国へ行き、アラスカのアンカレッジへ空輸し南下して来たと言っていた。一人なのか,奥さんは居ないのか等聞かれ、アメリカから日本へ帰ったと言ったら、メキシコからが良いのに、彼らは3ヶ月も居た、もったいないと言っていた。
ネット代C62.5,夕食代C82、宿泊費US$10
走行距離40Km 給油36.94L

38日(月)San Jorge
 朝7時起床、もう1日此処に留まる事にした。コヒーとパンで朝食を取り、今日の宿泊費C160を支払う。オランダの夫婦は朝のフェリーで島へ渡って行った。こんなに風が強いのに船を出している様子である。その後、洗車をして、エアーインテイク・ホースを取り付ける。そして、町へ水を買いに行く20LC22,卵4C5、そして郵便局を聞くに、この町には無い様だ。宿に帰り昼食を作り食べる。補助タンクのバンドが切れているのを直し、ついでに補助タンク周辺の修正と清掃した。燃料漏れは僅かで、タンクを持った感じではそれ程減ってはいない。明日の国境越えに対し、ニカラグア及びコスタリカの手続きに付いて調べ、コスタリカの観光ポイントを少し読んだ。昼すぎ、今度はドイツ人夫婦が小型のキャンピングカーでやって来た、そして駐車スペースを借りていた。今日はHotelが満室状態である。今日はこの地区の停電が無かったので冷たいビールが買えた。缶ビール2C24、夕食にドライカレーを作り食べたが、お米がこれで最後と成ってしまった。コスタリカで買えるのかな。これでお金の残りがC68,5明日使うのはC4050位で丁度良い金額だと思う。
宿泊費C160,食費C47,
走行距離3Km 給油0L

   7カ国目 コスタリカ入国
 
39日(火)Costarica Liberia    セグーロてなに?
 朝、起きて海岸をビデオで撮影しながら散歩する。生憎 湖の火山島は霞んで見えず。部屋に戻り、コヒーを沸かしパンで朝食を取る。部屋を片付け8時チェック・アウトする。San Jorgeを出て直ぐ隣町のRivasにてコピー屋を探し車の持ち込書類のコピーを取るC6。直ぐ横が郵便局なので郵便を出すC12。そうこうしている間に9時に成ってしまった。急いで国境の町Penas Blancas目指し走る。Rivasの町を出ると、制限速度も90Kmになり道路も良く快適に走る事が出来た。途中多くのツバメが乱舞しており、車の寸前で方向変換する等怖い情況が続いて居た。しかし一羽のツバメが衝突し草むらに落ちた、多分駄目で有ろう。
 この国境3Km手前にアドアナ(税関)が有ると聞いていたが、3Km手前に有る元アドアナは廃墟と成っていた。国境に着くと早速ニカラグア側ギヤーのお出ましだ、NOと断ると大変簡単に引き下がって行った。ゲートに着くと係官がゲート脇を指差し何か言っている。そうだゲート脇に有る小屋で通行税US$1を払わなければ成らない事を思い出す。車を止め、歩いて小屋に行きUS$1を払い領収書を貰う。車に乗りゲートに進み、係官に領収書を見せ通過する。中に進むと係官が左へ曲がれと合図している、左に曲がるとバスとか乗用車、トラック等の案内標識が出ており乗用車の駐車場に駐車する。すると係官が寄って来て小さな紙に何か記入し、建物に入り直進し左に曲がって書類を提出する様指示してくれた。指示された場所に行くと1番左側の窓口に先ほど貰った紙とニカラグアのペルミソ(車両持込許可書)とパスポート、US$2等を窓口に出すとパスポートに出国印を押し、直ぐ横の係官に手渡された。そこではパスポートに記載されている車持込事項を抹消し、コンピュウターにても処理し領収書US$2を発行し、最後の窓口に居る警察官に渡される。警察官は最終確認しペルミソを抹消し台帳に記入し、先ほどの領収書と共にペルミソを抹消した旨記載された紙片に確認印を捺印し返却された。これでニカラグアの出国手続きは完了。
 建物を出て案内標識に従うも解からず、係官にコスタリカ側への行き方を聞き其方に向かう。すると小さな小屋が有り、その小屋に居る係官に書類を見せ消毒料US$4.5を支払う。この時コスタリカ側のギヤーが声を掛けて来た、NOと言うとこれ又あっさりと引いて行った。坂を下ると洗車機のデカイのが現れた、これが噂に聞く消毒機かと思いながら手前で停車する。係官が出てきて消毒機を通過し左へ曲がれと指示される。その先の三叉路で止って居ると、トラックの運転手が指で方向指示をしてくれ、その指示方向に進む。コスタリカのイミグレーション前に出る。長い列があり、その際後部に並ぶ、そしてイミグレーションで入国書を記入し、パスポートに入国スタンプを押してもらう。次に直ぐ前に有るアドアナ(税関)に行き書類を貰い記入しアドアナのサインを貰い、少し先に有る検査部署へ移動する。そこで、国際免許書、車両登録所、パスポートのコピーとアドアナで作成してもらった書類と一諸に提出した。パスポートの入国許可部分のコピーが不足なので裏のコピー屋で1部コピーを貰い提出するC100。すると今度は保険証券が無いと指摘される。コスタリカは最低1ヶ月の強制保険に加入しなければ成らない。何処で加入するのか問い合わせると、イミグレの方の様だ。アドアナに戻りインシュアランスは何処か尋ねるに、インシュアランスが理解されず。辞書で保険を調べ(セグーロ)て聞くに、窓口はイミグレの中に有り、窓口は12時までで既に閉まっていた。仕方なく検査場に戻り1時に成らないと強制保険に加入出来ない旨伝え、午後正式な許可書の発行を依頼し、イミグレの中に有るレストランでコーラとサンドイチで昼食を済ませる。未だ時間が有り、しかたなくレストランの椅子に座ってレストラン内の人の動きを見ていた処、日本人らしき夫婦が居たので眺めていると、もう一人の別の人が近づいて来た。何処かで見たシャツを着ていた、北海道出身の大工さん上原君だ。近づき声を掛けると矢張りそうで有った。そこで話をしながら事務所の開く1時迄話をして待っていた。1時になり事務所が開いたので保険を購入しにイミグレに入って行った、すると保険記入事項を書く様用紙を渡された。字が小さく室内では読めず、外に出て記入しカウンターに提出して証券を作っくてもらい、代金Czzを支払う。そして、その証券を先ほどの検査事務所へ持って行った。窓口の係官は別の人に代わって居たが、業務が引き継がれており、即処理してくれた。先ほどの3人の日本人は未だバスの時間が来ないので時間つぶしをしていた処で有った。それでは最初の町リベリア迄乗って行けばと言う事になり、リベリアへ向かう。ゲートを出るときに先に貰った紙片をゲートで渡し全て完了。ゲートの係官が午前中世話に成った係官で有った、お礼を言いてゲートを出る。
 リベリアの町で1部屋に4ベッドの部屋を確保し1US$5と駐車料C500を払う。近くのスーパーへ食材を買いに行く。そして、銀行にてC50.000引き出す。夕食を食べに行く事になり、外に出るとHotelの横に中華料理屋が有った。中華料理はボリューウムが有るので、3種類頼んだ、3つ共大変美味しかった。
 ニカラグア滞在日数、9日走行距離768K
ニカラグア出国税US$3、コスタリカ強制保険料zz、宿泊費US$5、駐車料C500,夕食代C1240、食材費xx、インターネットC600,
走行距離128Km 給油0L

310日(水)Playa Tamarindo
 朝8時山口夫婦はバスでモンテヴェルデ(Monteverde)自然保護区に出かけた。私は今日は取り合えず、大きな亀の産卵が見えると言われる太平洋岸のプラヤ・グランデ(Playa Grande) にいく事にした。北海道の上原君も同方向へ行くので途中まで乗っていく事になった。Liberiaの町の郵便局で手紙を出す、切手はメータースタンプで有った、そして領収書を発行してくれたC520
 町を出た処で燃料を28.86L/C6000補給する、コスタリカは1L/C207.9で有った。2時間程走り悪路に入り30分程走りPlaya Grande に到着、数軒の建物が有るのみで有った。海岸は大変綺麗な処で有る、浜を歩き亀の歩いた後でも有るかと見るもそれらしき物が見えない。上原君はそこから5Km程離れた処で有りそこへ1度行って見る事にし、プラヤ・タマリンド(Playa Tamarindo) へ向かう。相当の悪路を更に30分以上走りやっとPlaya Tamarindo に到着する。途中多くのイグアナを見る、大きいのは50Cm程も有った。Playa GrandePlaya Tamarindo の間には大きな川が有り、その川には橋が無い為、直線距離は5Kmだが実際は大変な距離で有った。ここPlaya Tamarindo には安い宿が沢山有るので其処に泊まる事にした。1C4200US$10,水シャワーの安宿で有る。丁度昼なので昼食をレストランで食べる、豚肉の定食風のものを食べるC1700。近くのスーパーに行ったら、日清のラーメンが売られていたので20個購入した。夜部屋で2人でラーメンを作り食べる。夜、浜に出ると海水に夜光虫が居るのが見えた。昔 伊勢湾は知多半島先の西之口海岸で見た夜光虫の程多くは無いが、光って大変綺麗で有った。
郵便代C520。昼食代C1700、宿泊費C4200、食材費C7340、燃料代C6000,
走行距離105Km 給油28.86L


311日(木)モンテヴェルデ(Monteverde) 自然保護区
 朝6時に起き海岸を散歩する。既に数人のサーファーが浜辺でサーフィンに興じている。ペリカンでは無いかと思われる多くの鳥が空中からダイビングし魚を捕まえているのが見える。沖に停泊している船に朝日が当たり、綺麗な風景を醸し出している。8時、昨日買った卵を目玉焼きにして上原君と朝食を取る。そして、10時チェクアウトしてニコヤ半島の先に向かい、途中からフェリーを使い1号線に出てMonteverde自然保護区へ行こうと出発した。そして、フェリー乗場付近に来たとき、サンフォセ方面の標識が出て来たので其方に向かうと大きな橋が現れた。台湾の協力で作られた様で有る。故にフェリーは廃止されていた。その為予想以上に早く進むことが出来た。1号線に出て、直ぐに北に向かいセントアンタスの町から先30数キロは最高の悪路で有った。3時過ぎMonteverde自然保護区入り口の町サンタエレーナに着いた。小雨混じりの強い風が吹いている、悪い天候である。本に有るバックパッカー宿で部屋を借りた3人用部屋なので1US$15で有った。15ドル払えば他の良い宿に止れたかとも思う。C6300。夕方若い日本人女性が声を掛けて来た。夕食を皆で作っているので、一緒に食べようと誘ってくれた。その間、部屋で一昨日と昨日の日記を書いた。食事をしながら彼女の事を聞いたら、両親は日本人だが彼女はイギリス生まれのイギリス育ちで、ここで馬を買い、北に向けて馬で旅をするのだと言っていた。一緒に行動している、もう1人の女性はイギリス人で今は南アフリカで仕事をしている、矢張り馬で旅をするのだと言っていた。南アフリカは安全だから問題無い、是非きたら良いと言ってくれた。
食材費C2865,宿泊費C7410、郵便料C170
走行距離182Km 給油0L

312日(金)Monteverde 自然保護区
 朝、6時起床した。天気は霧雨状態、余り良くない。ガイドブックに有るパン屋でパンを買って朝食を取るC400。なかなか天候が回復せず、午前中様子を見る。午後少し青空が出てきたので蛙博物館か動物公園へ行くことにして出発した。すると名前を呼ぶ人が居たので見ると、山口夫婦である。2人も悪天候で時間をもてあまして居る様で誘って動物公園に行った。入り口に入ると早速動物(Pizote)の群れに合い、期待大で有る。入場料C3250を払い、受付でガイダンスを受け入場する。1番のコースが適切との事、なかなか動物は居なかった。小型のリスの様な動物、カピバラに似たGuatuza、そして、真っ黒なリスを見た約2時間程歩いて周る。見終わり、行きに多くの人が見上げていた木を再度確認すると、怠け者らしき動物が居る様な宿木が有る様な良く判らない。すると地元の人が昨日果物を食べて居たから、あれは怠け者で有ると言っていた。写真をズームで撮ったので後日判明するものと思う。宿に戻り時間が有るのでパン屋の2階に有るレストランでコヒーを飲んでいた。すると宿の前で上原君がうろうろしているのを見つけ、宿で宿泊する旨伝える。夕食は渡辺さん達が作くった食事を、今晩もご馳走になる。そして、夜10時まで4人で話をした。久々に暖かいシャワーを浴び寝る。
食品代C600、宿泊費C4940
走行距離4Km 給油0L

313日(土)Monteverde 自然保護区
 朝天候あまり良くない、渡辺さん達が出かける声が聞こえた。私は未だ寝ていた。7時過ぎに起き、このロッジは自炊可能なので朝食にコーヒーの他に目玉焼きを作りパンを食べる。朝食を台所で準備していると、若い女性から声を掛けられた。23日前に私の車が彼女達が走っていた自転車を追い越していったと言っていた。何処から走って来たのか尋ねると、アメリカから1Km走って来た。これから彼女達もパナマへ向かうと言っていた。
 午前中、スカイウォークをやろうと出かけた。最初の所に付くとハチドリの餌場が有り、多くのハチドリが集まって居た。ビデオと36mmを取る。そして、雨風が強かったが、歩こうと思い受付に行くと、先日アドバイスを受けたスカイスライダーの良い処で有って、スカイウォークの良い方で無かった。その為移動し別の場所に行たが天候は一向に回復せず、宿に戻る。宿でガソリン・スタンドの場所を聞き、スタンドに行き給油したC8000。宿に戻り昼食を作くって食べる。午後天気は回復方向で合ったが山口夫婦も来てロビーで話をしていた。2時頃近くのインターネットに行き、1時間程悪戦苦闘するも繋がらず。諦めて宿に戻ると山口夫婦は未だロビー居た、そして再び話をしていたが4時頃今度は彼らがネットをやりに行った。スーパーに行き食材を買い、夕食を作る。山口夫婦6時過ぎ夕食を食べてからロビーに戻って来た。そして話を続けた、中でアイスランドとキューバのコインを数枚貰う。9時半過ぎ、2人は宿に戻ったので部屋に戻り、シャワーに入り10時就眠。
宿泊費C4940、燃料代C8000,食品代C800、ネット代C800,

走行距離16Km 給油34.48L


314日(日)Fortuna
  朝、6時に目が覚めた、天候は今一で有る。しかし、今日は移動する。9時チェックアウトし上田君はドミトリーへ移動。9時半頃Hotelを出て、昨日後で行った方に行く。誰も居ないし雨風が強い、高い見学料を払うかどうか迷った。少し経つと2組の家族が見学に出発した。ではこちらも出かけ様と、料金を払う。ハチドリ園はと聞くとUS$3の」別料金だと言う。ハチドリ見物を諦めスカイウォークに出かけ様と出発する、と係員が追い掛けて来てハチドリ園に入って良いと言って来た。未だデジカメで取って無いのでデジカメ重点に写真を撮る。そして、歩き始める、早速つり橋になる。つり橋の周りの木々は恐竜の世界に描かれている物の様で、何か太古の時代にタイムスリップした気分に成ってしまった。ゆっくり歩いて約2時間程かと思うが山の上は強風が吹き荒れているが、森の中は意外と静かである。雨も木々を濡らす程度で気に成る量では無かった。車に戻り昼食を食べ、12時半頃Monteverdeを出発した。行きに通ったCobeserasの集落を過ぎても、悪路は悪路で有ってもTilaranへ向かう方がメイン道路の為、行きの道路よりも走りやすかった。Tilaran1時間程で到着した。そこからFortunaの町までは地図によると太い線でメイン道路と標示されて居るので安心していたら、思った以上に狭く又、未舗装部分も多々有った。途中公園で見た尻尾の長い動物があちこちで見ることが出来、写真も少し取りすぎた感がある。又、良く解からなかったが、胸が血の色ほど真っ赤な鳥が目の前を掠めて行った。ケツアルは胸は赤いが体は緑に輝いて居る様だが、見たのは黒かった感じがする。車を停め、飛んで行った先を見たが確認出来なかった。違っていたのかも知れない。暫く走ると温泉地らしい雰囲気の施設が数軒見られ、その内Hotelの看板が多くなり、町に入った。ガイドブックに有る宿に行ったら、満員と断られ別のホテルにUS$16にて泊る。久々の温水シャワーを浴びる。車は路上駐車。
公園入場料C6375,宿泊費US$16
走行距離131Km 給油0L

315日(月)Fortuna   温泉の川で入浴
 朝7時にシャワーを浴び、8時宿に隣接したレストランで朝食を取る。朝食メニューから選ぶのだが、コーヒーとトースト、目玉焼きを依頼する。レストランの正面に普段は火山が見える様だが、今日は生憎雲で山が見えない、ここ数日天候の悪い日が続いている。食事の途中、良い大人が食事を恵んで来れと言ってきた、NOと返事をしただけ。9時チェックアウトし、此処へ来る途中見かけた温泉リゾートへ向かう。宿で聞いたらタラコン・リゾートが良いと言っていたので其処に行くことにした。リゾートに到着し通りに有る駐車場に車を停めるとき、バックしすぎバックドアーをぶつけ凹ます。入り口で入場料24ドルと書いて有ったがコロンで10,200う。園内は温泉が川になり流れていて、いたるところ滝やプールが設けられ、通路には両サイド色々な花や観葉植物が植えられ気分を良くする工夫がされていた。10時から3時迄の5時間温泉を楽しんだ。帰り、途中にINNと標示が有ったので聞いて見ると安い部屋でUS$40との事、安いホテルは町の中に有ると教えられ、町に戻る。昨日も行ったガイドブックに有る宿に行く、料金を聞くとUS$15、そして、部屋を見るとベッドが3つ。これでは昨日の方が良いと思い、昨日泊ったHotelに戻る。そして、下のネットを繋ぎ2時間半ネットをする。そして、テレカを買い家へ電話をする。テレカの使い方はアメリカ方式(カードに書かれている番号をダイヤルする)で有った。車内で夕食を作りスーパー買ってきたハムで食事をした。
温泉入場料C10200、宿泊費C6800、食品代C1545,ネット代C1250、テレカC1000
走行距離20Km 給油0L

316日(火)
 朝、7時起床、今日も雨模様火山は今日も見えず。朝シャワーを浴び、Hotelのレストランで朝食を取る。メニューを見ると色々有りハムエッグとトースト、コーヒーを注文。ハムを細切れにし卵で合えたものが出てきた。そして、9時ホテルをチェックアウトする。サン・ホセ目指し出発する。途中何度か道を失い近くの人に聞いた。2時過ぎサン・ホセの町に入り、Hotelアメリカノに入る。駐車場を別に借りる、この結果がどうなるか明日のお楽しみ。宿に荷物を置きコスタリカ中央博物館に行く、モット紙幣やコインが多く展示されて居るのかと思ったが古代の金細工の展示が多かった。Hotelに戻ると、フロントで日本人が泊まって居ると言われた。部屋に戻り、言われた日本人の部屋を訪ね9時迄話をする、中大の経済学の先生で83歳と言っていた。C50000引き出す。
宿泊費C7560,博物館入場料C2100、衣類C2400,雑費C8000有料道路C150
走行距離143Km 給油38.48L

317日(水)San Sidoro
 駐車場が7時開場なので7時引き取りをしょうと早く起きた。荷物を整理し7時過ぎ部屋を出て車引き取りに行く。途中に美味しそうなパン屋が有り、パンとコヒーを頼んで朝食取る(C400)。そして駐車場に行き車を引き取りHotelに戻るC4000Hotelに戻り、中大の先生に挨拶しHotelを出る。少し先に有る国立博物館を見学する、展示品の種類は少ないがインカの金細工は沢山展示されて居た。そして11時頃、郊外のスーパーで食料品を買い、迷いながらCartago目指し町を出る。しばらく走ると目の前に立派な教会が現れた。もしやしたらここはCartagoの町では無いかと思い、広場に居る人に聞くとCartagoと返事が返ってきた。何時の間にかCartagoの町に着いていた。そこで、次の町Va Millsの町への行き方を聞くと、町を戻り国道を行く様に教えてくれた。町を戻ると標識が直ぐに現れ、標識に従い国道に乗る。道は延々と上り坂、木々の種類も少しずつ変化して行く。山の上の方は濃い霧に包まれていた。山の頂上付近で警察の検問を受ける。免許書の提示だけで済んだ。標高3150m、後ろを見ると又もや黒煙を吐いている。2000m付近では回復するが、3000mでは黒煙が凄い。他の車を見てもそんな事は無い様なので、この車の調子が悪いのかも知れません。
 3時過ぎSan Sidoroの町に着く、今日は此処で泊ろうと思い、停車し街の情況を見ていると、1人の男性が近づいて来て、この車4WDだね、幾らぐらいするのだと聞いて来た日産の4駆に乗ってるとの話、仕事はタクシーの運転手していると言っていた。早速 安いホテルを聞くと、Hotel del Vaiieを紹介してくれた。そのホテルは安い割には清潔で簡素で良かった。車内でご飯を炊き、その後街のネット屋に行きMailを打つ。澤夫婦のヨット(私と同じ会社の同僚でヨットで世界一周旅行をしている)がパナマ港に着く324日迄大住君(会社の元同僚)がパナマに来ているとの事、24日迄にはパナマシテイーに行き、久々の再会をと思う。
 ニカラグアでのトヨタ車の切手はニカラグア・トヨタの創業50周年を記念し、ニカラグア・トヨタからニカラグア郵政省に発行を依頼した物で有るとの事。豊田市に有るトヨタ博物館の山田さんより、Mailで回答を頂いた。トヨタ博物館ではその原画となるべく資料をニカラグア・トヨタに提供し、結果の報告と現物を貰って居るとの事です。
宿泊費C2800, 有料道路C150、博物館C1680,ネット代C900,食品代C3000
走行距離165Km 給油0L

318日(木)Rio Claro
 朝7時、町の中のパン屋さんで朝食を食べようと出かけた。パン屋は2軒有ったが2軒共コーヒーを売っていなかった。仕方無く、パンらしき物を売っているファーストフードへ入り食事するC7009時チェックアウトし1号線にてPiedras Blancas迄行き、Osa半島のPiedras Blancasへ向かう。途中より未舗装の悪路と成る、Piedras Blancasは数軒の小さな集落の他何も無い、次のLa Palmaへ行く。此処も同様何も無い。景色は良いが施設が無くては話にならない。そこで、引き返し1号線に戻り、国境へ向かう。明日の午前中、国境を越える。そこで国境より約30Km手前の町Rio Claroにて泊まるC5000。雑貨屋で洗車用のバケツを購入する、明朝車を洗い国境に向かう。
燃料費C7000,宿泊費5000、雑費C800,コピー代C10
走行距離276Km 給油33.77L   
  Costa Rica走行距離計1,172Km   

                 8番目 パナマ入国
 
319日(金)Boquete     パナマのお金はUS$
 朝6時半起床、コーヒーとパンで朝食とる。Hotelの前で車し、8時半チェックアウト国境へ向かう。国境の手前の大きな町パソ・カヌアスが有ると思い走っていると、突然国境が現れた。コスタリカのお金を処理すべく、少し道を戻り燃料を補給して国境へ向かう。案の定ギヤーが来た、正確にはギヤーでは無くギヤーもどきである。案内してくれたのがパナマのイミグレーション(入国管理局)で、コスタリカの出国処置が終わって居ない。コスタリカ側に戻り出国処理(何故かツーリストカードの様な物が必要)そして、ペルミソ(車両入国許可書)は返却のみ。
 次にパナマ入国イミグレーション(入国管理局)で1$の証紙を購入、別の場所でツーリスト・カードを作成($5)してもらいイミグレに提出する。この時ギヤーが居なく成り、ツーリストカードの作成場所が解からず探し回った。そこで入国スタンプとツーリスト・カードに判を貰い入国完了。次にペルミソに車両登録書(コピー1部)とパスポート・運転免許書を提出し、ペルミソ作成料$4を支払。別の場所で検査登録し、検査を受け11時頃終了。どの施設も仮小屋の様な建物で、客も係官も汗だくの作業である。素人ギヤーには$3払う。
 パナマに入った途端、制限速度が100Kmになる。但し、大半が現在道路工事中で有り、完成後は名実共に高速に成るで有ろう。4050分で最初の町に着き、道路脇の木陰で昼食を取る、大変熱い。2時少し前にパナマ3番目の都市Dabidの町に着く、銀行を探しディスペンサーで$500引き出す。そして、街道に戻りトヨタの販売店の有る角を曲がり、目的地のBoqueteの町に向かう。1時間程で町に到着、ペンションを当たるも万員、3軒目の広場前に泊る。$8、後でガイドブック見ると安宿で紹介されていた。雨模様で天候悪く明日はどうなる事か。郵便局から手紙を出す$0.6。長男と家内に電話する。橋に虹が架かり綺麗で有った。
 パナマの通貨の単位はBボリバーで、硬貨のみ発行されている。紙幣は米ドル札を使用、硬貨は米国貨幣と共通B1=$0.01
燃料代C、パナマ入国税他US10、ギヤーチップUS$3,宿泊費$8、通信費$5.2
走行距離138Km 給油21.71L

320日(土)Aguadulca
 朝、6時半起床。朝の水シャワーを浴びる。その後町を散歩し、コヒーを沸かし朝食を取る。9時チェックアウトし、火口へ向かう。初め道を間違え違う処を周って来る、そして道を変えて火山に向け登る。登山口に辿り着き、いざ登ろうとすると車のアンダー・ボデーが岩に当たりとても登れそうに無い。ハイエースの4WDは悪路登坂用では無かった、諦めて下山する。
 Boqueteの町を後に1号線に戻る。Dabidの町に着き、町中の郵便局を探すも解からない。そこでパナマで始めての燃料補給をする。Panamaのガソリンは又ガロン単位に成る。1G1.5でガソリンより安い。そして町を出て国道を走ると警察の検問を受ける、特に問題なし。2時過ぎSantiagoの町に着く、Hotelを探すも適当なHotelが見つからず町を出る。国道を更に進むと再び警察の検問、そこでHotelを聞くと次の町AguadulcaMotelが有ると教えてくれた。その町に着くとHotel2軒並んでおり、1軒で聞くと$11だと言われ其処に泊る。長男にその旨電話する。
燃料費 、宿泊費$11、食品代$3、通信費$6.25
走行距離346Km 給油46.52L

321日(日)Panama 公衆電話はダイヤルした後料金を入れる
 朝8Hotelを出る。10分ほど走った所の道路脇に有る木陰で停車し、コヒーを沸かし朝食を取る。そして、走ること3時間、パナマシティーの入り口アメリカ橋が見えて来た。いよいよ中米も最後の町、パナマシティーに入った。橋を渡った直ぐの公衆電話で長男に架けるも繋がらず、更にセントロ向かい進む。しかし、走ってる方向が町から離れて行くので、道を変え街の中心に向かい走る。するとガソリンスタンドに電話が有り、そこから電話を使用と思い停車する。すると、先客が電話を使用としていたので、そのやり方を見ていた。先にダイヤルして、後からお金を入れる方式だ。それで、長男に電話するも、途中で切れてしまう。スタンドの人に現在地を地図で聞くに良く解からない様子、再び長男に電話し、スタンドの人に代わってもらう。長男にやっと通じた様で、スタンドで5分ほど待つと長男が車で迎えに来てくれた。
 長男の車の後に付いて行き、長男のアパートに着く。駐車場の入り口の扉、建物に入る扉、5階の奥に入る扉、部屋に入る2重の扉を開けなければ部屋に入れない。自分の部屋に入るのが大変な作業で有る。暫くして昼食に中華料理屋へ飲茶を食べに行く、大変美味しかった。夕方、家内に電話する。夜は又、韓国料理を食べに行く、何故か味噌汁が付いて来た。これも先ず先ずで有った。
橋の通行料$1、電話代$3、
走行距離0Km 給油0L

322日(月)Panama        アパートの鍵は6個
 朝、長男1時間程で戻って来ると言って、7時半に出勤して行った。しかし、仕事が入り帰えって来たのは11時、其処間部屋に軟禁状態で有った。何故ならば、入り口から部屋までに、最低4個の鍵が必要で更に車の出入りで2個、計6個の鍵が必要で有る。それだけ鍵を掛けないと、盗難を防げないからである。
 それからパン屋で遅い朝食を取り、鍵屋に行き合い鍵を一組作る。そして、車の中の整備を少する。洗濯をしようと準備するも、洗濯機の操作が解からず作動せず。夕方にネットをやりに行く、接続を45軒の店に断られた。
パナマ港に停泊中の夢丸
 午後8時過ぎ、パナマ湾のバルボワヨットクラブへ澤夫婦と大住君に会いに長男と共に行く。港の事務所で日本人の船の場所を聞くと、直ぐに分かり連絡船にて夢丸へ送ってもらう。5人で10時近くまで飲みながら話をした。ヨットの中の装備は相当の物で居心地良く出来て居るが、思ったより小さくこれで大洋を横断するのは大変な事だと感じた。最後に明日12日のセーリングに行くので一緒にどうかと誘われ、行くことにした。連絡船は24時間営業で船の無線で呼べば直ぐに来てくれた。
通信費$2
走行距離0Km 給油0L

323日(火)Taboga   ヨットクルージングを体験
 今日はクルージングに参加する。出かける前に、パナマトヨタに電話すると宮さんと言う人日本人が電話に出てくれた。そして、車の整備の話をしたらトヨタ・リカルド・ペネスに入れて下さいと指示を受けた。クルージングから戻ったらペネスへ連絡する事にする。
 港へお土産に日清のラーメンと海苔を持ってタクシー出かける。港に着いたら丁度10時、約束の時間に間に合った。タクシー代$2を支払たっら$3だと言われ、$3払う。慌てって連絡船に乗ると、直ぐに後から澤夫婦と大住君が船に乗り込んで来た。丁度良いタイミングで有った。11時バルボア港よりパナマ湾内沖合い20Kmに有るTaboga島と言う小島へ向け出発した。ヨットは直ぐに帆を揚げセーリングして行くのかと思っていたが、航路内は標識に従い直線コースを取る為、小さな帆とエンジンを使って航行する。港を出て帆を揚げて、クルージングぐする。釣り竿を持って来ればよっかったと思った。1時間程で島に到着、島にはブイが設置されていて、ブイの使用料として1泊$5を支払う。(ちなみにバルボアヨットクラブのブイは1泊$152時頃島へ上陸すべくゴムボートを下ろし浜へ向かう。二人でオールで漕ぐもゴムボートの幅が無く、オールがぶつかりなかなか漕ぎずらい。波が高く旨く前に進まない、その内1艘の船が近づいて来て、停泊料金の事を言っていた。料金$5を払い、浜迄ゴムボートを引っ張ってもらった。浜に上陸すると、田舎の漁村にしては小さな町の雰囲気。後で解かった事だがこの島は歴史有る町で、コロンブスも寄った事が有るとの事で有る。1時間程散策し船に帰る。ビールやベネズエラ・トヨタ(澤さんが会社で現役時代ベネズエラ・トヨタで仕事をした事が有り、今回の旅の中でベネズエラ・トヨタを再訪した)から澤さんが貰ってきたワイン等を飲みながら夕食を食べ、のんびりと時間の過ぎるのを待つ、釣り道具を持って来なかったのが残念だった。9時過ぎ暗い中、寝床に付く。波が高く良く揺れるが、波の揺れが心地よく感じ熟睡してしまった。
交通費$3
走行距離0Km 給油0L

324日(水)Panama           カメラが消えた?
 朝、6時半何時もの様に起きる。デッキでしばらく横になる、大変心地よい。8時頃朝食の準備が出来たので皆で朝食を食べる。11時バルボワ・ヨットクラブへ向けTabogaの浜を出発する。迎え風の為、メインの帆を揚げ目的地に向け横斜めに走る。風を一杯に受け、船体を大きく傾け全速で走る。左右の船の位置、その速度等を読みながら走るのは矢張り其れなりに経験が必要な事が良く解かった。1時間少しでバルボワ・ヨットクラブへ、港に停泊し昼食を取りながら話をしていたら、パナマ料理を食べたいとの話が出た。
 6時に長男が港へ私を迎えに来る事に成っているので、長男の車でパナマ料理の食べれるレストランへ行くことにした。未だ6時までは大分時間も有るので大住君が明日帰国する関係も有り、港から歩いて行ける距離に有るWMCAのお土産売り場に行く事にした。渡し舟に乗り桟橋へ行き、そこから歩いて20分程の距離で有った。結構大きな建屋に3040軒のブースが連なっており、色々なお土産品が売られていた。大隅君一人で色々と買いあさっていた。私も1970のパナマコインセットを$30で購入する。港に戻り、港に有るオープンカフェで長男を待つ事にした。長男は少し遅れ6時半過ぎに港へ来た。それから長男の車でパナマ運河の入り口に有るコースウエイを通り、先端の島に有るレストランに行く。其処にはパナマ料理は残念ながら無かった。再びコースウエイを戻り、長男の住むアパートの近くのレストランに行く。レストランのオープンデッキに座り、色々な品をオーダーし、ビールで乾杯。そして食べ物が運ばれ、食事を始めた。その時大住君が床に置いたカメラが無いと言い出した、36mm1目レフで有る。それをレストランの人が聞き直ぐに警察に連絡した様で、警官が2名駆けつけて来た。警察官が情況を聞き帰り掛けるので、長男に頼み「盗難証明書」を書いてもらう様警察に言う。すると、パスポートを見せてくれと警察に言われたが、大住君はパスポートを持って居なかった。それでは食後パスポートを持って警察に来てくれとの話に成った。8時過ぎ食事を終え、船に戻りパスポートを持ちレストランの近くの警察に行く。其処には観光客対応の警察官が居て、盗難証明作成の為、港の近くの警察事務所へ移動する。そこで約2時間程調書作成や証明書の作成に時間が掛かり、夜12時過ぎに終了する、但しそこで作成された調書のコピーを最初の警察に提出しなければならず、再度最初の警察に行き終了した旨伝えると、其処にはコピー機が無く、又別の場所へ案内してもらう。24時間オープンの薬屋にコピー機が有った。そこでコピーをし警察に1部を手渡し、全て手続き完了。船まで2人を送り、アパ-トに戻ると1時を過ぎて居た。明日早朝の便で大住君が帰国するが大丈夫かな?長い1日が過ぎた。
食事代$20、飲み物代$1
走行距離0Km 給油0L

325日(木)Panama
 朝食を作り食べ9時頃、トヨタ・リカルド・ペネスへ向かう、5分程で店に到着。点検を依頼しE/Gオイルをチェックし問題有れば交換して欲しいとオイルフィルターを渡す。次にメキシコでクラッチデスクを交換した際、下面の何処かのBKTのボルトを折ってしまい、その部分を電気溶接していたので元の情況に戻して欲しい。そして、タイミング・ベルト交換のインジケーターランプが点灯しているが5万キロで交換したので問題無い等、3箇所の注意事項を伝えると、休日を除き4日の日程が必要と言われた。点検を依頼しタクシーでアパートに戻る。そして、パナマからコロンビア間は道が無く、パナマからエクアドルへは車を船で輸送しなければ成らない。以前はフェリーが出ていたが、数年前に無くなってしまった。そこで、船会社のマースク・シーラインへ行き、3週目の金曜日に車を輸送する事にした。その後、スーパーに行き食料品を購入する。そして、旅行で貯まった書類等の整理を1日中行う。夜は中華料理店でワンタンメンと餃子を食べる。先ず先ずの味で有った。
交通費$1.5、食品代$18
走行距離0Km 給油0L

326日(金)Panama
 朝から南米のガイドブックを読んだ。昼に近くのスパーに買い物に行った、その帰り道AWが駐車して居るのを見た。Fr.ウィンドにPANAMAMR2Clab と書かれて居たので急いで部屋に戻り、デジカメとPCを持ってネットカフェへ行く前に写真を撮って行こうと準備をした。部屋を出る時鍵の上に張り紙がされており、長男へトヨタデーラーから電話が入りクラチ交換は$350するが交換して良いかとの問い合わせで有った。あれほどクラッチの交換では無く、交換した時の後処理が不味いと思われるので確認し、復元処置を取って欲しいと頼んだはずで有るが,良く意思が伝わって居なかった。ネットカフェ行く予定を中止し、トヨタ・リカルド・ペネスにタクシーで行く$1.5。トヨタにて昨日、話をした人は休暇で居なくて他の人が対応してくれた。そして、車を上げ下より確認すると、場所は異なっていたが、現象は予想道理で有った。シフトリンクのボデー側BKTの締め付けボルトを破損し、電機溶接で処理して有った。これに付いてはここのトヨタも手が出ないとの事、日本に帰って処置をせざるを得ない様だ。これで点検は全て終わりだとトヨタは言う、他の部署の点検を本当にやってくれたのかな?車を運転して帰る事になり、長男に電話で道を聞き部屋に戻る。長男が6時過ぎに部屋に戻って来ると、澤さんから夕食の招待の連絡が有ったとの事。手土産としてラム酒とワインと魚の漬物を近くのスーパーで購入する。8時近くに船に到着すると、こちらの來船が遅いので、澤さんがわざわざ電話を掛けにHotel迄行ってくれた様で、洋上ですれ違った連絡船に沢さんが乗って居た様だった。2時間程ヨットのデッキで食事と話をし、アパートに戻る。
食品代$18
走行距離0Km 給油0L

 327日(土)Panama 
 朝朝食を作り食べ、長男はフランス語学校へ行った。少し車の整備をしなければならないので、整備とアパートの部屋の内部の修理を行う。2時に港に行き、澤夫婦と共に食料の買出しに行く。その後、パナマ運河のパナマ湾側にあるミラルローレス閘門を見に行った。狭い運河目一杯の幅の大型船が通過するのは見もので有った。5時頃港に戻りお茶を飲みながら暑さを避け、5時半頃港を辞する。夜は寿司屋へ行き、寿司を食べる。$18と少し高かった。
食品代$60、車Oil交換他$35
走行距離0Km 給油0L
 
328日(日)Panama
 朝ゆっくり起きる。10時頃長男の車でカリブ海側に有るポルトベーロのサンチャゴ砦と直ぐ側に有るサン・ヘロニモ砦を見に行く。今から45百年前にその場所で展開されたであろう事を想像するに歴史の面白さが感じられた。そして、次にパナマ運河の大西洋側のゲートで有るガトウン閘門を見に行く。昨日行ったパナマ湾側にあるミラルローレス閘門より、更に運河に近く見学出来るので船と運河の隙の無さを実感出来た。帰り際に日の丸を付けた車両輸送船が通るのを見た。次にサン・ロレンソンの遺跡を見に行こうとしたが、遺跡の閉館時間が4時までと、見学時間が無いので見学を中止し家路に付く。
食品代$21
走行距離232Km 給油0L

3月29日(月)Panama
 午前中、車の清掃及び整理を行う。午後ネットカフェで1時間半Mailを打つ。その間、外は強烈の雨で有った様子で有る。ネットの後、スーパーに行き食料品を購入する。トヨタへの電話番号が解からず電話せず。テレカにて家に電話が繋がらず。(テレカの使い方が間違って居た)PANAMAの公衆電話はクレジット・カードもナンバーをダイヤルしてからカードを入れる方式である。
ネット代$0.9、食料品代$14
走行距離0Km 給油0L

330日(火)Panama
 11時に車の輸送会社に行く。大手輸送会社のMaersk Sea land で有る。先にMailにて概算見積もりを貰って居た。その内容は基本料が千㌦+その他百㌦位と聞いて居たが、実際はエクアドルの手数料含め663㌦+150㌦(梱包料)の計813㌦との事。申し込み書をその場で書き申し込む。輸送日は49日(金)カナダでの受け取り日の失敗をしない様注意。(休日には車を受け取れないが、車の保管料は支払わなければ成らない。)明朝、澤夫婦がパナマ港を出発し、直接エクアドル領のガラパゴス諸島に向かうとの事。午後2時頃自分の車で港に行き、4時頃まで港の上のオープンカフェで話をし、お互いの旅の安全を祈りながら分かれた。
 食品代$9
走行距離0Km 給油0L

331日(水)Panama        左ハンドルのセラ?
前を走っていた左ハンドルのセラ
 午後、輸送会社に電話するも携帯電話が留守電に切り替わっていた。電話を依頼し切る。今日インターネットの外作業での発信を心見る。発信は何とか成ったが、受信は全く出来ない$1.2。帰りに家に電話するも家族は不在の様で有った。
 昨日の夜気付いた事だが、ここパナマでは夜に蝉が鳴いている。昼間は流石の蝉も暑さには適わない様だ。街中で前ほ走るSERAを見た。作った事の無い左ハンドルのセラで有った。
ネット代$1.2
走行距離0Km 給油0L

41日(木)Panama
 朝夕、部屋の前の街路樹に多くの緑色のインコーが停まり、その鳴き声がけたたましい。午前中近くに有る、中国系の世界旅行社にエクアドルのマンタ迄の航空券の情況を聞きに行った。エクアドルの首都キト迄は11便(11:45,13:30)有るが、キトからマンタ迄の国内線部分の切符はここでは手配出来ない。現地で購入して下さいと言われた。又、片道切符($380+Tax)よりも往復切符($366.50+Tax)の方が安いと言われた。5日前まで受け付けるとの事。午後、車で海岸通りに有る郵便局へ行く。注意しながら進むも郵便局が見当たらず。遂に旧市外に入ってしまった、大回りして旧市街を抜け海岸通りに戻り、通りかかったTaxiに聞いて郵便局へ行く、この国も他の中米諸国と同様、郵便局は一般的では無い様だ。やっと見つけ中に入り窓口で収集用に切手が欲しいと言ったら記念切手を色々出してくれた。全てブロックで購入する$36。帰り道、海岸に有るバルボアの像を見て帰る。像の周りは小さな公園と成っていて、新都心のビル群が良く見える場所で有った。カメラを持って来なかったのが残念で有った。途中夜行った警察の前を通り、部屋に戻る。1日パソコン等の整理を行い、スーパーへ食品を買いに行く。夜、家内に電話する。昨日は母親の通院に付き合っていた様だ。
食品代$9、郵便代$36
走行距離0Km 給油0L

42日(金)Panama
 朝からPCの整理を午前中行う。Mailの外打ち方法が解かり、Mailを打つのが大変楽に成った。午後暑く成る2時からネット屋に行き、4時迄の2時間Mailを打つ$1.2。長男の部屋のベランダからインコーの群れを望遠レンズを使い写していると、以前スーパーの前に止っていたMR2AWが下の道を走って行くのを見つけ写真を撮る。長男は今週火曜日から、中南米各国の防災関係者の宿泊研修会に参加し、朝又は夜少し顔を出すのみである。
走行距離Km 給油L

43() Panama
 今日も朝から、車の整理とPCをやる。5時頃スーパーへ買い物に行く。夕方長男が帰って来て、中華料理屋へ餃子と焼飯を食べに行く。味は先ず先ずで有った、焼飯の量が半端では無く2人でやっと半分食べた。残りは包んでもらい持ち帰る。長男は会合の為、8時に再びHotelへ向かう。(レストラン等で食べ残した物は、殆どの国で包んで持ち帰るのが普通である)
夜、ベッドに入ると間もなく、花火の音がした。窓から見るに空に花火が上がっているのが見えた。テラスに行き見上げると、丁度良い場所に花火が上がっている。写真を撮ろうと準備している内に花火は終わってしまった。
食品代$9
走行距離Km 給油L

44() Panama
 朝、少しPCをやり、昼食を市内ガイドBookに有った日本料理料理屋「のぶ」に行った。メニューに鰻重が有ったので$25と大変高いが頼んだ。先ず先ずの美味しさで有った。帰りに板さんが話し掛けてきた、日本人で有った。パナマ在住7年、良い日本食材を集めるのはパナマでは大変だと言っていた。毎日日替わり定食もやっているので是非と言われた。来て見たいがアパートからは少し離れている。午後Max Martと言うスパーカにはカルホルニヤこしひかりが売られている、と聞いたので買いに行った。やはりアメリカに有ったスパーと同様、華僑の経営で中華、韓国、日本の食材を沢山並べられていた。鰻の蒲焼も売っていた。先に来ていれば、高い鰻重は食べなかったのに、残念。日本米の他、蕎麦や味噌汁を少し購入する。夕食は盛り蕎麦にした。先ず先ずの味で有った。
食品代$60
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45日(月)
 いよいよ車を発送する段階に成ったので、最後の清掃や搭載品の整理等やった。2時暑く成ったので、クーラーーの効くネット屋に行く。するとウイルスに罹かって居るとのメッセージが入っており、多くのMailが返送されていた。今日送った分も多くは返送されて来るので有ろう。
 エクアドルのキトとマンタ間の飛行機に付いて、切符は簡単に買えると情報をエクアドルの海外協力隊員より返事をもらった。又、日本の家に静岡の人から小包みが届いて居ると連絡有り。ニカラグアのコパン遺跡で会った人で、メキシコに戻ると言うのでメキシコのガイドBookを貸してあげた人からである。
走行距離0Km 給油0L

46日(火)            車の輸送手続き
 8時にPTJ(ポタホ・Policia Tecnica Judicial)へ行き、始めに車の持ち出しに対しての検査を受ける。PanamaAduana(税関)で作って貰った「Control De Vehiculos」・「登録書」・「パスポート」の写しを2部用意する。1部を持って「検査証」を作ってもらい、その「検査証」を持って、別の事務所で他のコピー1部と「検査証」を提出し、車両の輸出許可書を作成してもらう。その車両輸出許可が出たら、書輸送会社の事務所に行く。前回の対応者は不在で会ったが別の係員が対応してくれた。輸送会社に車両輸出許可行を提示し手続きを始める。先に輸送会社から貰った用紙「Combined Transport Bill of Lading」にPCで記入して欲しいと要請もあり、用紙ホームをフロッピーにコピーをして貰い部屋に持ち帰った。
 帰り道ミニマートに寄り米その他食材を購入する。夕食はまぐろの甘露煮と納豆で食べた、大変美味しかった。そして、車の輸送書類をプリントアウトし作成する。船は9日出港で有るが明日7日の8時に港へ車を持ち込む事にした。
食費$9
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47()             エクアドルへ車を送る
 朝8時港に行く。Maersk Sea land へ行くも事務所が解からず、あちこち訪ねる。Maersk Sea land の事務所で書類を提示すると、コンテナーの封印を渡され、荷役会社のPanama Ports Companyへ行く様指示された。Panama Ports CompanyMaersk Sea land の事務所の直ぐ裏手で有るが、入り口は少し離れていた。Panama Ports Companyへ行くと、事務所の直ぐ前に有る税関での手続きをする様言われた。税関では昨日の書類と同様に「Control De Vehiculos」・「登録書」・「パスポート」そして「車両輸出許可」・「Combined Transport Bill of Lading」のコピーと原紙(「登録書」・「パスポート」の提出は不要?)を提出し、「Control De Vehiculos」・「車両輸出許可」・「Combined Transport Bill of Lading」の原紙に承認印を貰う。そしてPPCに戻り、「Control De Vehiculos」「車両輸出許可」・「Combined Transport Bill of Lading」の全てをコピーしてくれて、「Control De Vehiculos」・「車両輸出許可」は原紙をその場で返却してくれる。そして、コンテナーに車両を立会いの上搬入し、封印を最後に確認する。そして、封印番号を記入した「Combined Transport Bill of Lading」のコピーを渡され船積み完了。11時半頃で有った。それから長男の職場に行き、メンバーに挨拶し。昼食を前回食べに行った「NOBU」へ行った、本日の定食はチャーハンとの事、天丼を頼む。油の臭いが異なるもてんぷらで有った。部屋に戻り、近所の旅行社でエクアドル・キト迄の切符を買う。空港税$20込みで$380
 現金が無いので、前の銀行で$500降ろし支払う。帰りの切符は何処かで(飛行機会社と思われる)$30で引き取ってくれると言っていた。
旅費$380
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48日(木)              パナマの世界遺産
 10時頃長男の車で、スペイン時代Panamaに最初に出来た町の跡を見に行く。イギリスの海賊に襲われ壊滅した町で、遺跡として世界遺産に登録されている。1600年代の遺跡で有り、当時としては大変な町で有ったかと思われた。現在、青年海外協力隊員により、修復援助がなされて居るとの事で有った。午後、長男の勤めている国連事務所に於いてPCのウイルスの排除、PCのグレードアップ、そして写真の縮小化を見直してもらった。船会社に昨日の税関の確認印付き書類をFAXする。帰りにモールでズボンを1本長男に買ってもらった。

49日(金)
 午前中旧市外を見て歩く、旧市街地はスラム化して危険で有ると思って行った。途中雰囲気の悪い処が有るが、岬の先端部分は多くの観光警察等が居て安全確保に努めていつ姿が見えた。しかし、その先端地区に於いても金持ち、貧乏人、そして多くの空家、朽ちている家等が混在している。大統領別邸もその中に有る。その地区の出口に日本の援助で建てられた魚市場が有った、昼食をその市場のレストランで魚料理を食べようと行って見たが、本日休業日で有った。それではと家に帰り蕎麦を作って食べる、大変美味しかった。午後2時余りにも暑いので映画でも見に行こうと出かけた。今週はキリストのクリスマスの次に大事な復活祭の週で有り、家に家族が集まりお祝いする為通りの人でが少なく、映画館も閑散としていた。夜は鰻丼を作る、ご飯の出来今一で有ったが鰻は美味しかった。

410日(土)
 午前中パナマ運河の中央部、ガトウン湖に行き周辺の熱帯雨林をトレッキングする。湿度が高く体全体が汗ばんで来る。ジャングルの中を歩いている様で有った。又、リゾート地域にも入って行った。2時過ぎ、町に戻り遅い昼食としてピザの評判の良いレストランでピザを食べる。直径50センチ程のピザを2人で食べた、思っていたより軽くて美味しかった。帰り道日本食材を買い込んだ。$40
食品代$40


411日(日)             街中で銃声を聞く
 今日は1日スーパーへ買い物に行った以外、何もせず過ごす。夕食の手巻き寿司に挑戦、ご飯が美味しく炊けたので寿司をつッ食った。そして、テラスで7時過ぎの遅い夕食をしていたら、通りの反対側に有るレストランの前で人が騒いでいるので、ふと見ると1人が道を走り出した、その後をもう1人追っかけていく様子で有った。先に走って行った者が、道を曲がろうとした時パーンパーンと言う乾いた音が2回した。後ろから追っかけていた人も道を曲がり見えなくなってしまった。しばらくすると1人の人が道を引き返してきた。やはり前のレストランに居るガードマンで有った。さっきの音は矢張り拳銃での威嚇射撃をした音で有った。そのガードマンは無線で本部と連絡を取っている様だ、その後店に入り結果の報告をしている様子で有った。矢張り此処は日本では無い、PANAMAだ・・・
食品代$8

412日(月)       澤夫婦のヨット、海賊に襲われる!
 今回の旅に出る為に黄熱病、狂犬病、A型肝炎、破傷風等色々な予防接種をする事を計画したが、日本で受けるには大変な時間と大変なお金が掛かる。結局日本では予防接種は何も受けなかった。しかし、これから行くブラジルは黄熱病の予防接種証明が無いと入国できないと聞いたので、注射料金の安い中南米で受けようと思って居た。(後で解った事ですが、ブラジルもアマゾン地帯に行かなければ黄熱病の予防接種証明が無くとも入国出来る。)そこで今日の朝、黄熱病の予防注射をしてもらおうと病院①に行く。すると病院ではなく保健省②だと言われ保健省に行く。保健省に行くと、此処では無く別の部署だと言われ、言われた別の場所③へ行く。すると更に別の処④だと言われてしまった。長男の仕事の時間も有り、長男の事務所へ行き再度調べる。④へ行くと⑤の処だと言われた。⑤に行くと、やっとそこで予防注射やっている事が判った。しかし、今日はワクチンが無く、明日来てくれと言われた。此処で予防注射やっておかないと他の国でも探すのが大変だと思われる。明日7時半に来て黄熱病の予防注射をしてもらう事にした。パスポートと$5を持って来る様に言われた。注射の後、すぐエクアドルへ飛行機で移動するが問題無ければ良いと思った。(日本では黄熱病の予防注射後、24時間安静を取る様指導される。)
 5時過ぎ長男が部屋に帰って来て、澤夫婦がマダガスカルの手前で海賊に会い、その為Panamaに戻て来たと電話が有ったとの事。明日は私がエクアドルへ発つ為、今晩しか澤夫婦に会うことが出来ないので、今夜会いに行くことにして港へ出かけた。通勤ラッシュ時間帯なので6時を過ぎまで部屋で待た後、バルボア港に行った。澤夫婦は既にバルボア港のHotel前で待って居てくれた。多分長男とはそう言う話に成っていたのだと思った。4人で日本食を食べに日本食レストランMACOに行き、事件の様子を聞いた。Panama港を出て5日目、洋上に1隻の船がが見えどんどん近づいて来た。そして、船をヨットの後ろにぶつけ、7人程が乗り込んで来た。2人はピストルを、他の数名はナイフを持っていた。そして、2人の両腕を縛り上げ、船の中を物色し金目の物を全て持ち去った。特に航海に必要な海図やGPS,無線機、更に海賊船用の燃料として20Lの予備タンク2個までも持ち去ったとの事である。幸い2人に怪我は無く、又、PC,現金、カード、パスポート等は取られずに済んだ様で有った。船に固定されているコンパスと船内に張ってあった太平洋海図だけで、5日間の航海をしパナマ迄戻って来たとの事で有った。
 そして、今は船の修理と盗まれた無線機やGPSの購入手続きを終え、来週それらの品が入荷するので、搭載してから再度パナマを来週中に出港するとの事。船舶記録や船舶台帳等も盗まれた為、今後の日本での使用に色々と問題が有る様だ。瞬く間にヨット仲間に情報が流れ、アメリカ沿岸警備隊から状況を聞かせて欲しいと連絡が有った。しかし、事件の詳細が伝わらなかったのか、その後で在パナマのアメリカ大使館から館員が調査に来た。そして、以降海賊に遭遇した海域はアメリカ沿岸警備隊のパトロール範囲とするとも言っていたとの事である。その他、色々な質問が合う人毎に投げかけられるとも言っていた。夜9時に成ったので、長男の車で澤夫婦を港まで送ってもらい、港で別れる。
 長男には澤さん夫婦の今後の動きへの援助と、在パナマ日本大使館へこの事件に関してのアメリカ大使館の動きを連絡して措く様に言った。
 明日はいよいよパナマからエクアドルに飛び、いよいよ南米の旅が始まる。こちらも十分に気を付けて行こう。

4月13日(火)Ecuador.Quito          パナマ出国
 朝6時起床し、ご飯を炊いて朝から鰻丼を食べる、当分の間の鰻の食い収めかと思われる。7時半から保健所の予防接種が始まるので7時部屋を出る。保健所には7時半少し前に着いた。外にて待って居ると、昨日会った看護婦らしい人が出勤して来た。そして、部屋に案内され、パスポートを提出するとそれを元にイエローカードを作ってくれた。次に、別の事務所に注射代として$5を払った領収書を提示する、又もや部屋を移動、その部屋には薬の保管設備が有って、そこから薬と注射器を出し注射してくれた。ものの5分で終わってしまった。
 空港に行くのは未だ早いので、長男の事務所に行きPCで時間を潰す。9時に成ったので長男の車でに飛行場迄送ってもらった。搭乗券のチェックアウトし、イミグレに行く。車の記入が有り、キャンセルしてない為に何か言われるかと思いしや、何も無く通過。長男は何処か別の窓口を通り、国連職員専用パスポートを使い空港の中まで入ってきた。時間が有るのでコーヒーを飲み時間を潰す。Quito行きの27番ゲートはバスで行く為、流石に其処まではと空港職員に長男も断られて居た。
 定刻通りエクアドルのQuito空港に到着、入国手続きを完了し徒歩にて国内空港に移動する。そして、切符売り場に行き今日のManta行きの片道切符を頼むと、今日の分は全て売り切れとの事。仕方なく明日のを頼むと、朝6時45Quito発との事、早朝の出発と成る。切符を購入し、再び国際空港に戻り、Hotelの案内所に行く、そこで適当なHotelを予約しTaxiを呼んでもらいサンフランシスコHotelに行く。明朝はマンタへ早朝の飛行機便で移動する為、朝5時のウオークアップコールをホテルのフロントに依頼する。長男に無事Quito着いた旨、連絡した。
マンタ航空券$58、タクシー代$7、宿泊代$18
               Panama走行距離704Km

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