19. ポルトガル

         22番目の訪問国 ポルトガル
2005
119()PortugalViana de Castelo 近郊のCamp
 朝、Hotelの前の海岸を散歩した。深い入り江の中の浜辺に建てられたおり、夏はさぞかし良い景色で有ろうと思われた。海岸に突き出た木製の桟橋下には、多くの魚が泳いでいるのが見えた。ホテルをチェックアウトした後、高速道に乗り22番目の国、ポルトガル(Portugalへ入る事にした。国境は道路上にEUのマーク(15位の数の星が円形に並んでおり、その円の中に国名が表示されている)ポルトガル(Portugalと標示されているだけで、税関跡の建物は全て撤去され広い駐車場に成っていた。
 ポルトガルの最初の町ヴィアナ・デ・カステロ(Viana de Castelo)の町へ行く、町の中心は矢張りカテドラル(教会)。(多分、中世の時代に町は教会を中心に町が形成されたものと思われます。その後、スペインが中南米を征服した時、欧州同様に中南米の町も教会を中心に作られており、教会を目指して行けば自分の位置を確認出来た。)カテドラルを見て、町の中央駅側の市場を見て歩く。更に、町を一望出きる丘の上に有る、サンタルシア教会迄車で登り、町の眺望を楽しんだ。その後、この町の郊外に有るキャンプ場へ向かう。
 スペインとポルトガルには1時間の時差が有り、1時間時計を戻す。
宿泊費9.5(¥1,330) 
 ( キャンプ場の宿泊費は北米並びに欧州共に車の駐車料と2人分の使用料の合計額である。1泊が最も料金的に高く、1週間、1ヶ月、シーズン料金等が有り長期間に成れば成る程、1日当たりの料金が安くなる。1ヶ月料金は15日分位の費用である。)
走行距離110Km 給油0






120() Porto 世界遺産 中世の都市ギマランイス
 今日はブラガの町を経由して、世界遺産に登録されている中世の都市ギマランイスへ向かう。ギマランイスの町は現在は部分的では有るが、中世そのままの高く重厚な城壁が町を囲んでいた。城壁に開けられた門をくぐって町に入ると狭い道の両側に、これまた中世を彷彿させる古い家並みが続いていた。その道を進み丘の上に有る教会迄行った。教会の内部はこれまた中世を髣髴させる重厚な創りで有った。
              その後、ポルトガルの2番目に大きな都市ポルトへ向かう。ポルトの町に入ると、大都市だけに、通りは大変にぎやかな雰囲気であった。時間が遅いので、町を見学せずキャンプ場へ向かう。ポルトのキャンプ場が中々見つからず、キャンプ場へ入った時は6時半を過ぎていた。
 欧州の葡萄棚は殆どが縦型であるが、ポルトガルに入ると日本と同じ方式の藤棚式の葡萄棚がしばしば見る事が出来た。日本にはポルトガルから、葡萄の作り方が伝わって来たのか?と思われた。
 ポルトガル(Portugalでは軽油の事をガソオール(Gasoleoと言う。
宿泊費9.5
走行距離180Km 給油0






121()Aveilo   世界遺産 ボルトの町並み
 昼前にポルトの町に到着する。観光案内所を探すのに町を1周してしまった。観光案内所は車を停めた直ぐ側に有た。観光案内所では何時もの通り、市内地図を貰い見所を聞きCamp場の場所を聞く。始めに近くに有るサン・ベント駅に行く駅の構内には有名なポルトガルの名産品アジュレージョ(タイル)の壁画がいたる所に取り付けられた。
 その後、街中を散策し町外れを流れるドウロ川の対岸の風景が、世界遺産と成っている。しばらくその美しい風景を眺めた後、3時にCamp場に向かう。ボルトの町からキャンプ所迄の距離相当有った。何度か途中道を聞きながらも半島先の(アベイロ)Aveilo の町Camp場にやっと到着した。キャンプ場近くの浜の周りでは多くの釣り人が見受けられた。このキャンプ場で数泊し釣りを楽しみたいと思った。しかし、キャンプ場内のシャワーの温度が上がらず、連泊を断念した。
宿泊費9.9
走行距離166Km 給油51.56






122() Luso   ポルトガル唯一のBussaco国立公園
 朝、アビエロ(Aveilo郊外のCamp場を出て、再度Aveilo市内に向かう。途中の海岸沿いの道には多くの釣り人が見えた。又、肥料用の海草を取る、モリセイロと言う船が数隻繋がれていた。この船は形はベニスのゴンドラに似ているが、大変カラフルな色彩の船である。そして、町中に行きの写真を撮り、中央広場の駐車場にて昼食を取った。
 その後CI-2号線にてルソー(Lusoの町に向かう。この町にはポルトガル(Portugal唯一のBussaco国立公園が有る。途中の町に有ったスーパーに寄り明日の食事分も含め購入する。
 そして、昼過ぎLusoの町に入る。すると国立公園の標識が有り、標識に従い進むと森の中に忽然と石造りのHotelが現れた。このHotel、以前は国王の狩猟の為に建てられたお城で有ったが、お城の完成時には王政が廃止されてしまい王様による狩は1度も行われなかった。その後、修道院として使われ、その後Hotelへと変って行ったとの事である。更に公園内を車で進むと、展望台に到着した。展望台からの景色は山の山頂に順ずる展望を見る事が出来たが、公園としての自然は何か不足を感じた。そして、公園を出て町に戻り観光案内所を探す。小さな町ので観光案内所は直ぐに見付ける事が出来た。町の見所とCamp場の位置を聞き、早速Camp場に向かう。
 Camp場は町外れに有り23分で到着、お客は我々1台のみで有った。シャワーもお湯が良く出て、トイレも便座が有り快適で有った。しかし、キャンプ所の近くに観光する所が無く1泊のみとした。
宿泊費9.2
走行距離142Km 給油0




123()コインブラ(Coimbra)ibis Hotel
 朝camp場を出る時、このルソー(LSOU町はミネラルウオーターの町でボトリング工場も有るとの事で、その泉の場所を聞いた。昨日キャンプ所へ来た時に、途中で車を停めた場所の直ぐ脇に水汲み場は有った。近郊の多くの人が、多くのポリタンクを持って、泉の水を汲みに来ていた。車を駐めて車の水タンクの全ての水をそ泉の水に変えてから町を出た。
 次の目的地コインブラ(Coimbraを目指し一般道を1時間程走る。町に入り観光案内所を探したが、少し迷いながらも観光案内所たどり着く事が出来た。
 特にこの町の見所は古い大学校舎。校舎内には歴代王様の額が飾られており、昔は様が修了書を授与されたとの事で有った。特に図書室はお城の装飾を感じさせる豪華な造りで有った。町の情況は他の町と余り変らないが、市場の壁もアズレージョで飾られていた
 夕方ネットカフェでインターネットを接続した。時間2 、車で10年間世界一周旅行中の山崎さんの車、カリーナの調子が芳しく無いとの連絡有り。又、ブラジルにて大変お世話に成った、イタジャイのホテルのオーナー、カシャーサよりメールが入っていた。
今日泊る Hotelの駐車場の天井が低くて車が入らず、路上駐車する。今までも車高の問題で駐車場に入らないと言われた事がたびたび起きて、やむを得ず路上駐車をせざるを得ない事が有った。治安の良い国はともかく、問題ある国では車が心配で夜眠れない事もしばしば有った。
 部屋に入ると携帯が鳴り、次男より相模原税務署から株(以前働いていた会社にて、持ち株会に加入していた。今回の旅の費用にと退職後、株の売却を行った。)の譲渡益に付いて申請をして欲しいとの連絡が有ったとの事で有った。
宿泊費40
走行距離41Km 給油0






124()S.Pedro de Moel 世界遺産の「キリスト修道院」
 朝5時相模原税務署へ電話を入れる。家族の者でも良いから申請に来る様にとの事で有った。
対岸から見たコインブラの旧市外
  Hotelを出て川の対岸に渡り、対岸から旧市街の風景を写真に撮る。
 そして、ローマ遺跡の有るコニンブリガの町を目指し一般道を走る。遺跡は順路が設けられていた。この遺跡はいたる所に、小さな四角の石で作られたモザイク画がいたる所に残っていた。結構細工が細かく美しい絵や模様の物等色と見えた。遺跡の脇には博物館が建っていたが、今日は月曜日の為休館日であった。
 その後世界遺産の「キリスト修道院」が有る町トマルに向かう。1時間程でTomarの町に到着、Tomar  の町に近づくと大きな教会が見えた。其の教会が「キリスト修道院」で有った。修道院の近くの駐車場に車を止め、院内を見学する。
 3時頃、日本に居る次男に電話し、確定申告の申請を依頼する。その、海岸のCyam場でゆっくり過ごそうと、海岸に有るS.Pedro de Moel Camp場へ行く。
 夜は熱いお湯が十分に出た、快適なCamp場で有った。



宿泊費8.3
走行距離157Km 給油0




          世界遺産バターリャの町の修道院
125() 海岸線の町S.Pedro de Moel 
 朝5時、再び相模原税務署へ電話を入れる。H15年の給与所得は無い旨を伝える。そして、Camp場を出て、これ又、世界遺産に登録されている修道院を見にバターリャ(Batalhaの町に行く。町の観光案内所で情報を得て、バターリャ修道院へ向かう。この修道院16世紀に建設が始まったが、その後100年かけて建設が続いたが、結果的には完成せず。現在も当時の工事が止まったままと成っていた。完成部分のステンドグラスは大変綺麗で有った。時代を感じる修道院の回廊を見学し昼過ぎCamp場に戻る。今日は未だ早いので釣りをしようと浜に出かけた、しかし 風が強くおまけにその風が冷たいので釣りを断念しCamp場に戻る。昼に日本に居る次男電話するのを忘れてしまった。
宿泊費8.3
走行距離68Km 給油41.37






126()海岸線の町PenicheCamp  
                     世界遺産 サンタマリア修道院跡
 Camp場を出て海岸線を走る一般道でNazareの町へ行く。ナザレの町は大西洋に面した砂浜が続く中に有る小さな漁師町で有った。町中では今は少なく成ったが漁師町の特徴的なフィシャーマンセーターに独特な帽子を被った民族衣装を着ているのが見られた。又、市場で鯵の開きの干物が有り、焼きたてを試食させてくれた。日本と全く同じ味で有り、6枚入した。そして、断崖の上に有る地区に行く。先ほど迄居た街並が海岸線と対比して、大変美しく見えた。町を出てアルコバッサ(Aicobcaの町へ行く。又、この町も世界遺産に登録されたサンタマリア修道院跡が有った。院内を巡る、ステンドガラスが大変綺麗で有った。修道院の前広場は前面改修工事で全く正面に出られなかったが、数年後には見違える情況になるものと思われる。そして、今日も海岸線に有る町ペニシェ(PenicheCamp場に泊る。
 今の所このキャンプ場のお客は我々だけで有る。キャンプ場内にインターネットが有ったのでインターネットをしたが日本語が標示されなかった。しかし、ここでも利用料として4を請求され。夕食に鯵の干物を食べた、日本での味と全く同じで大変美味しかった。ポルトガルでは鰯の丸干し等日本と同じ魚の食べ方がいろいろと有ったシャワーから暖かいお湯が出ず、シャワーを浴びずに眠る。夜、寒くは無いが、時々車が揺れる程風が強く吹いた。
宿泊費6.2
走行距離118Km 給油0




127() 海岸線の町GuinchoCamp  
          世界遺産 シントラの町並み
 朝camp場を出発して海岸線沿いの道を走りサンタ・クルズの町に向かう。 
 この町は日本人の小説家 壇一雄1970年~72年の2年間過ごした町である。小さな漁師町に入り観光案内所を探す、観光案内所直ぐに見つかったが残念ながら閉まっていた。仕方なく車を停めて町中を歩いて探すも、中々目的の家を見つける事が出来なかった。そのうちに地元の人がうろうろしている我々を見て、又日本人が壇一雄の家を探しに来たと察し、家まで案内してくれた。話をすると、その人は当時を知っている人で有った。町中には30年前に壇一雄が住んで居た家が、当時そのままの姿で残されて居た。表札もKazuo Danと標示されたままで有った。思っていたより小さな家で有った。その後、又世界遺産の有る町シントラ(Sintraへ向かった。シントラの町は2つのお城を中心に其の地区全体が遺産として登録されて居る。町の観光案内所が直ぐ見付り、世界遺産の情報を得る。世界遺産に登録された、シントラの街並みと一つ目の城を観光した。
その後海岸線の町GuinchoCamp場に向かった。
宿泊費8.4
走行距離141Km 給油0






128()リスボン(Lisboa)のCamp
 朝、Guincho のCamp場を出てシントラ(Sintra)の町向かい、30分程で町に入る。
 町中に有るお城は昨日見たので、今日は山頂に有る城を見に行く。これも世界遺産に登録されて居る建造物で有る。この城は1800年代半ばに建てられた物で、室内装飾並びに家具等も多く残されて居た。漫画に出てくる城のモデルの様な感じで有った。お城の中から雄大な大西洋を眺める事が出来た。


午後シントラの町を出てリスボン(Lisboa)に9号線にて向かう。リスボンの町に入ると直ぐにCamp場の標識が出てきたので、そのCamp場に今夜は泊る事にした
 Camp場のトイレだがフランス・スペイン・ポルトガルにはオリエンタル式トイレが有った。ポルトガルは特に多い、4個有る内の3個がオリエンタル式トイレCamp場も有った。又、ポルトガルに於いて小便器に蓋が有る小便器も有った。
宿泊費14.4
走行距離68Km 給油0






129()リスボン( LisboaCamp 
           世界遺産 要塞跡「ヘレンの塔」
 朝Camp場の清算をしてリスボン(Lisboa市 内へ向かう。(日本ではリスボン と言うが、現地ではリスボアと発音する)
 初めに河口に設けられた「ヘレンの塔」と言われる要塞跡に行く。要塞跡はリスボン海岸に建てられており、姿は昔通り維持され当時の姿が伺われた。是も世界遺産に登録されている。
 次に「ヘレンの塔」の直ぐ横有る「発見のモニメント」に行く、このモニメントは1960年にポルトガル(Portugalのエンリケ航海王子500回忌を記念して建てられた物で有る。モニメント前の広場には大理石で作られた世界地図が有り、各地の発見年号が現されていた。日本には1541年と記入されており、これはポルトガル船が豊後に漂着した年と成っていた。
  にジェロニモス修道院を見に行く、規模はさすが首都だけ有り大きいが中の様子は他の修道院と大差無し、これも世界遺 産に登録されている。
 そして、午後国立アレージョ博物館に行く、ここはアレージョつまりタイル画博物館である。矢張り元は教会の様な建物で有ったが、内装に多くの絵タイルが用いられて居た建物に、他から集められたタイルを合わせて展示されて居た。再び、昨日と同じリスボン郊外のCamp場に戻る。
宿泊費14.4
走行距離65Km 給油43.7






130() リスボン( Lisboa市内のibes Hotel
 今日もリスボン(Lisboa市内見学をする。始めに国立古美術館を見学する。今日は日曜日の為、入場無料で有った。ポルトガル(Portugalは建国当時1550年頃より日本との関係が有り、日本の南蛮人を描いた屏風等が展示されていた。日本人が初めてヨーロッパを訪問したのはポルトガルPortugalリスボン(Lisboaで有ったとの事で有る。又、その後4名の天正少年使節団が訪問したのもLisboaに上陸したとの事で、何か深い日本との歴史的関係が伺われた。
 其の後、現在Portugalの迎賓館として使われて居る、アジェンダ宮殿を見に行く。入り口で他の観光客との7人グループとなり、係員が無料で館内を英語にて説明し案内しくれた。迎賓館を1周するのに1時間をやした。さすが現在も使われて居るだけ有って、調度品が充実していた。

 そして今日は久々にHotel泊まる事にして,町中のポンパル広場脇に有った中級ホテル「アイビス」へ行きチェックインした。その後、ホテル近くの町を散策するも今日は日曜日、殆どの店が休みで有った。
 今日はイラクの国民選挙の日、どの様になったのか。
宿泊費59
走行距離42Km 給油0






131()エバラ(Evora)Camp  
          世界遺産 エバラの町に歴史地区
 朝、リスボン(Lisboa市内に有るサン・ジョルジェ城へ向かって走りでした。しかし道が複雑で迷路に入り込み、目的地にたどり着かなかった。仕方なく途中に有ったカテドラル(教会)近くの駐車場に駐車し、市内を散策した。又、カテドラルの内部を見学した。
その後、車へ戻り、425日橋を渡り高速道路A5号線に乗り、エヴォラ(Evoraの町を目指す。Evoraの町は約500年前、天正少年使節団4少年が訪れた土地でもあり、其の足跡を訪ねて見たかったからで有る。LisboaからEvora迄は100Km程で有るが、500年前には大変な旅で有ったものと推測される。 
 エヴォラの町は世界遺産に登録されており、中世さながら城壁に囲まれた町である。門から車で、町に入ると道は狭く折れ曲がり更に車は一方通行で門を入るが自動的に外に出されてしまう。仕方なく場外の駐車場に車を止め、場内へ歩いて入る。そして、城内に有った観光案内所へ行き、市内地図を貰い、町の見所を聞き、Camp場とネットカフェの場所を聞く。町中を散策した後、ネットカフェに行くと151と大変高かったのでネットを打つのを止め、Camp場へ行く事にした。城壁外の駐車場の戻り、車にて町を離れ1Km程でエヴォラのCamp場に着いた
宿泊費8.3
走行距離153Km 給油0






21()ベジャ(Beja町のCamp
人骨で作られた柱と壁
 午前中昨日に続きエヴォラ(Evora市内の名所を見学する。旧市街に有るサンフランシスコ教会には有名な人骨堂が有った。このお堂はシスターが瞑想を行う為のお堂で有ると言われるが、お堂の数本有る柱や壁の全面が人骨を並べて造られて居た。
 その後4少年の宿泊した所や使節団が弾いてと言われるパイプオルガンのある教会へ行った。教会では現在も当時使われていたパイプオルガが使用されており、パイプオルガンの練習が行われていた。更に、ギリシャ時代の宮殿跡や水道跡等を見て回る。

 エヴォラの町を出てIP2号線にてバジャ(Bejaを目指して走る。途中給油の為に立ち寄ったPortelの町にて、山の頂上にお城が見えたので、車で登って行くも入り口が解からず、残念だが引き返す。そして、Beja の町に入りお城に入ると、観光案内所が有り市内地図と見所を聞く。そして、時間が無いがこの城の見学は無料との事で有った。城壁部分しか残っていなかったが、塔に登り町の全景を見る。そして、市内に有ったCamp場に泊る。ポルトガルのキャンプ場は地域が温暖の為、多くの欧州のキャンパーで賑わっていた。
宿泊費
走行距離101Km 給油43.42






22() ザグレス(Sagres)のCamp
 BejaCamp場を朝出発しIP2号線道路に乗りユーラシア大陸最南西端のザグレス(Sagresへ向かう。途中、幾つかのお城が見えたので見学しようと近づくも、道が解らず城に近づけない。残念だがお城の見学を諦める。

  昼過ぎSagresの町に入る。Portugalの多くの海岸がリアス式海岸で入り組んで居るが、ここSagresは更に断崖で有り険しさと美しさを兼ね備えて居た。岬の先端に有る灯台に行く。灯台からは深い青色の大西洋が眺められた。灯台を出て来る途中に見かけたCamp場に行く。夕方、夕日を見に再び灯台へ行く、多くの人が夕日を見に集まって居た。夕日は6時過ぎに成ってしまった。夕日を堪能しCamp場に戻り、遅い夕食を作って食べる。


宿泊費
走行距離231Km 給油0






23()ラゴス(LagosCamp
 朝camp場を出て、ポルトガルの航海時代のエンリケ航海王子が建てたと言われるザグレスの要塞を兼ねた航海学校を見に行く。その要塞は灯台の有る岬とは異なり、もう一つの岬に有り、車で要塞に行く。入場料を払い入場するも、要塞跡は城壁のみが残っており見るべき施設は無かったが、床に長径40メートルも有るコンパスが設けれれていた。航海時代に遠くの国を彷彿させる物で有った。そいて、要塞跡から断崖絶壁の岬を散策する事が出来た。
 そして、町を出てLagosの町へ向かう。Lagosの町へは1時間弱で到着。城壁の門を潜り、旧市内に入る。迷路の様な道を入って行くと、海岸に出た。広場に車を止め、観光案内所を探しに歩いて行くとガイドブックの写真に有った修復された奴隷市場が目の前に有った。そして観光案内所を見つけ市街地図を貰い、その後 郷土博物館を見学する。ネットカフェでネットを1.5時間使用し3支払う。
 今日はLagosの町郊外に有るCampに泊まるこのキヤンプ場にも多くの欧州のキャンピングカーが集まっていた。
宿泊費
走行距離49Km 給油32.21






24() アルプフェラ(AlbufelraCamp
 ラゴス(Lagos)Camp場を出てAlbufelraへ向かう。途中、アルプフェラ(Albufelra)と同じ様なスペルの町を勘違いしてAlbufelraの 町だと思い入って行った。すると町中で軽快な音楽と共に行列が進んで来た。警察官の指示に従い道路脇に車を停車させて待つていると、幼稚園児らしき子供達が色々なグループに別れ、グループ毎に異なった姿に変装して行進して来た。車から降りて、その光景を写真に撮る。行進が通過した後、少し先に露天の列が有り見て廻る。
 しかし、町の様子が少し異なるので直ぐに町を出て先に進む。すると直ぐAlbufelraの町への道路標識が出てきた。標識に従い更に進む事数分Albufelraの 町に入る。すると此処でも幼稚園児のパレードをやって居た、何か全国的な行事なのかと思た。
 又、この町も町中は複雑な細い路地が入り組んで居たが構わず入って行った。すると矢張り奥に広い駐車場が有った、しかし、駐車場所が空いてなく少し待っ事にした。しばらくすると1台の車が駐車場から出て来たので、自分の車を駐車する事が出来た。車を停め町中へ歩いて行き、町を散策しながら観光案内所を探す。観光案内所で町の地図を貰うと、観光案内所を探しいる間に町の大半は歩いてしまって居た。この町の最大の見所は海岸の美しさで有った。

 そこで町中に有るCamp場に泊る。このキャンプ場内に電飾を施したキャンピングカーが有った。幼稚園児の行進等から、何かのお祭りの為かと想像した。アメリカのキャンプ場にてハロウィンの祭りの時には、キャンプ場に泊まっているキャンピングカーの半数近くが電飾を施していたのを思い出した。
宿泊費
走行距離0Km 給油0




25()オーリヤン(Olhao)のCamp
人骨で作られた壁

 アルプフェラ(AlbufelraCamp場を出てファーロ(Faroの町を目指す。Faroの町の入り口にTOYOTAの販売店が有ったのでPortugal最後の店と思いMR2ポルトガル語のカタログを貰うのとPortugalToyota生産工場の場所を聞く為に入って行った。すると、良く来たと歓迎してくれて、店内をも見せてくれた。そして、MR2のカタログを貰た、但し英文カタログで有った。トヨタの生産工場は既に通過したポルト(Portoの町の郊外有ったとの事であった。お礼を言いトヨタ店を辞する。そして、Faroの町の観光案内所の有ると思われる町の奥に車で進む、すると観光案内所の位置の目安となる旧市街への門の前に出。門の直ぐ脇に駐車し観光案内所へ行き市内地図を貰い、観光ポイントとCamp場の場所を聞く。そして、旧市街の中心に有るカテドラルへ行く、入場料を払い案内に従い見に行くと、この教会にも一面人骨で覆われた壁が有った、数百人分の骨であった直ぐ脇に教会の塔に登る階段で有るがこの教会の塔、外から見てもそれ程高く無い。期待せず塔に登って見たが、予想に反し海の引き潮後の海岸が複雑な姿が美しく眺める事が出来た。更に教会の塔にはコウノトリ の巣が有り、我々が近づいたのでカタカタカタと大きな警戒音を揚げていた。日本では写真でしか見る事の出来ない、コウノトリの姿を目の前で見る事が出来た。コウノトリを写真で取ろうと思ったが、デジカメのみで他のカメラを持って上がらなかっ たのは残念で有った。その後、城壁外の駐車場で昼食を取り、早いがCamp場を探しに町を出た。Camp場が中々見付らず23つ離れた町Olhaoの町に入ってしまった。観光案内所を探すも見付ず、町を散策後、仕方なく先に進むと、直ぐCamp場の道路標識が見つかった。
 道路標識に従い進み、Camp場に入る。Camp場は思ったより大きなCamp場で有った。手続きをして入って行と車に向かって歩いて行くと1の男性が「日本人ですか?」と言った、聞き違いかと思いWhat you say?と 聞くと、「日本人ですか?」と外国人訛りの日本語で聞かれた。そうだと答えると、彼の奥さんは日本人だと言って来た。前回と同様のケースで有るが、招かれたので付いて 行った。矢張り大阪出身の女性、彼女はご主人は東京で所帯を持ったので、言葉の大阪訛りは無かった。ご主人はフランス人で現在フランスに住んで居るがお店が夏の観光客相手の為、毎年冬は暖かい所旅をしているとの事である。夕ご飯に鯖の焼いたのをご馳走に成る。夜遅くまで旅の話を中心に話し込んだ。
宿泊費7.15
走行距離0Km 給油0






26() OlhaoCamp
 朝出発しようとしたが雨が降り始めたので今日の出発を止めもう1日泊まる事にした。昼食後、Camp場から歩いて町に向かった。日曜の開いている店少なかった。アーモンドの木に桜の花と同様な花が満開で大変綺麗であった。内路地から海が見える場所に出た路地を進み海に向かって行くと昨日来た市場に出てしまった。丁度開いていた魚屋で、今夜の食材としての海老を購入しCamp場に戻る。昨日会ったブイヨン(Bouillon夫婦と手巻き寿司作って食べる。こちらは満腹に成ったが、相手は前菜かなとの感じだと言っていた。フランスの家の連絡先を聞き、9時車に戻りシャワーを浴びて寝る。

宿泊費7.15
走行距離57Km 給油0







27() モンテゴルドのCamp
早朝小雨が降っていたが、7時半頃の日の出時には晴天と成ったので出発準備をする。9時、車のエンジンを掛けるとBouillon夫婦が出て来たので、別れの挨拶をして辞する。そして、チェックアウトをし場内の洗車場で洗車しCamp場を出る。
 タヴィラ(Tavilaの町へ進む。そしてタヴィラ の町に入り観光案内所を探して見つけたが、昼休みで閉まっていた。昼休みはスペイン・ポルトガル共に2時間である。開くのを待っていても仕方が無いのでガイドボックを見て町を散策。ジラオン河に沿って歩く、13世紀に作られた街で当時の城壁等が残っていた。2時間弱で町を見終えてしまった。昼食を漁港脇で食べ、次の目的地Vila Real de Santo Antonioの町を目指す。3時頃1つ手前のモンテゴルドの町のCamp場に入る。このキャンプ場も欧州のキャンパーで大変混雑しており、やっと自分の車を停める場所を見つける程であった。
宿泊費
走行距離47Km 給油0






28()ヴィラ・レアル(Vila Real)のHotel
 朝、隣のキャンピングカーのベルギー人の奥さんが、今日この町でカーニバルが有るので見てから出かけると良いと教えてくれた。町の観光案内所を探し、カーニバルの開催時間を聞くと3時からだとの事。時間が有るので隣町、ポルトガル(Portugalスペイン(Spainの国境の町Vila Realへ行く事にした。Vila Realには10分程で着いてしまった。この町は物価の安いPortugalへ多くのSpain人が買出しに来る町との事。見るべき所は特に無く、スペイン人相手の多くの店が並び、多くの買い物客で混雑していた。川を挟んで対岸がSpainである。町を散策して通りに有ったレストランにて昼食にフィシュ&チィップスを食。ヴィラ・レアルデ・サン・アトノオ(Vila Real de Santo Antonioの町に再び戻る。カーニバルの開始には少し早いのでインタネットカフェにてネット1時間打つ。その後カニーバルが始まったので、通りに出てカーニバルを1時間程見る。そして、又国境の町Vila Realへ行きHotelに泊る。
宿泊費50インターネットH4、フィシュ&チィップス3.9
走行距離19Km 給油0






スペイン その2
29()Spainセビリア(Sevilla郊外のCamp

 朝10時、Hotelを出て、Spainへ向かう。ヴィラ・レアルデ・サン・アトノオ (Vila Realの 町を出て直ぐ、山の上にお城跡が見えたので見に行った。町の狭い路地を走り抜けお城の下に行く。城は城壁と建屋の外壁の一部が残って居るのみで有った。 現在、修復と発掘が少しずつ進められて居た。この城跡は入場無料であった、城壁の上から見る周囲の風景は大変素晴らしもので有った。
 そして、国道に乗り、直ぐSpainとの国境に掛かる橋を越えSpainに入る。そのまま高速道を走りSevillaの町まで約100Km1時間少し掛かり、セヴィリア(Sevilla) 市内の観光案内所へ行き市内地図とCampの場所を聞き、直ぐ側に有ったカテドラルを見に行く。このカテドラル相当巨大で豪華な物で有った。コロンブスの墓が中に有った。塔の頂上迄登ったが、今までの塔は全て階段で有ったが、此処のは塔の壁に沿った四角に成ったスロープで上まで歩いて上がる形式で有った。眺めは大変良かった。そして、観光案内所で聞いたCamp場に向かう。町に着くもCamp場が解からず、駅に有る旅行社で聞いても解からなかった。仕方なく町を出て少し先に進もうとしたが道に迷い、市内から抜け出せず。やっと抜け出したら直ぐ前にCamp場の標識が有った。その標識に従い進むと、直ぐキャンプ所を見つける事が出来た。
宿泊費14.68
走行距離169Km 給油34.65
             Portugal走行距離2.008Km


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