4月20日(水) パーピニヨンのブイヨン(Bouillon)純子さん宅
9時アンドラのCamp場を出発し、市内を散策。市内には商店街の殆どが免税店になってる様子で特に見るべき所は無かった。そこで、郊外へ迂回した道を選びフランス(France)へ向け出発する。
途中、黒い屋根の家が続く、如何にもリゾート地と思われる町である。街中に郵便局が有ったので、寄ってみた。すると、午前中のみの営業と成っていて、アンドラの切手類を購入する事が出来なかった。
更にピレネー山麓の道を進むに、トンネルを潜る有料道路に入ってしまった。走ろうと思っていた山岳道路をパスしてしまった。フランスとの国境を通過し、午後3時頃フランス(France)に再び入国する。
そして、2月にポルトガルのオーリヤン・キャンプ場で会ったパーピニヨン(Perpignan)のブイヨン(Bouillon)純子さんから、フランスへ来たら連絡する様に言われていた。そこで純子さん宅へ電話するも、留守電に成って居た。パーピニヨン(Perpignan)への行き先標示が国境を越え直ぐに有ったが曲がる場所が解からず、N20号線を直進しFoixの町まで行きD117号線にてパーピニヨン(Perpignan)へ向かう大回りに成ってしまった。パーピニヨン(Perpignan)の70Km程手前で、4時頃再度Bouillon宅へ電話する、純子さんが帰宅しており1時間程度で自宅を訪問するので宜しくと伝えた。しかし、少し道にも迷いパーピニヨン(Perpignan)に着いたのは7時近くに成っていた。夕食を取りながら、色々な話をして10時頃就寝する。
宿泊費€ 0
走行距離296Km 給油29.83L
4月21日(木) PerpignanのBouillon純子さん宅
ブイヨンさん夫婦とブイヨンさん宅前にて |
パーピニヨンのメインストリート |
5時近く、近所のスーパーへお米を買いに行き、お米を3Kg購入する。フランスではお米が結構高い金額で有った。Spainを出る時にお米をもう少し購入してこればよっかったと思った。
その後、海岸まで家内と歩いて行った。海は綺麗で有ったが、風が強く少し寒かった。
夜もブイヨン夫婦と色々話をして、就寝は今日も11時で有った。
宿泊費€ 0
走行距離0Km 給油0L
ローマ神殿遺跡メゾン・カレ
4月22日(金)ニーム(Nimes)近郊のCam場
ニームの町の中心ローマ神殿遺跡メゾン・カレ |
現在も使われているローマ時代の円形劇場 |
高速道に乗り ニーム(Nimes)の町で降りる。街中に入り観光案内所を尋ねて、市内地図を貰い、Camp場の場所をも聞く。早速、町の観光の目玉、ローマ神殿遺跡メゾン・カレを見に行く。この町は神殿を中心発展した為に、神殿が町の中心に有った。そして、水道橋等多くのローマ遺跡が周囲に点在し歴史を感じる町である。数箇所の遺跡を見学した後、ニーム(Nimes)近郊のCamp場に向かう。
宿泊費€ 13.1
走行距離242Km 給油40L
世界遺産 ボン・デュ・ガールの水道橋
世界遺産 ボン・デュ・ガ^ル水道橋 |
午後アビニヨン(Avignon)に向かいAvignonに4時頃到着した。遅くなったが運良く道路脇に有ったCamp場の案内標識に従い進んで行きCamp場に入って行った。
Camp場でAvignonの日本語での市内地図とCamp場の周りの地図を貰う。
中程で無くなっているアビニオンの橋 |
橋を見学後ロッシュ・デ・ドン公園を散策し、渡し舟の乗りCamp場へ戻る。
宿泊費€ 12.78
走行距離105Km 給油0L
4月24日(日) アルル(Arier)のHotel
アビニオンに有った法王庁宮殿 |
この宮殿、フランス革命時に市民による略奪を受け、貴重な物は何も残って居ないが、建物の規模(15,000㎡)から当時の豪華差が想像出来た。館内では無料の日本語のオーヂオ・ガイド借り、説明を聞きながら見学する事が出来た。
続いて、プティ・パレ美術館 へ町中を歩いて向かう。途中、街角でアコーデオンの演奏会が開かれており、少しの間聞いてから美術館へ向かう。
美術館に到着すると美術館の門が閉まっており、入り口脇に14:30から開館と書かれていた。今12時過ぎ、開館までには時間が有り過ぎるので、美術館見学を辞め次に進む事にして、アビニオンの町の郊外に有るラベンダー畑を見に行く事にした。
美術館に到着すると美術館の門が閉まっており、入り口脇に14:30から開館と書かれていた。今12時過ぎ、開館までには時間が有り過ぎるので、美術館見学を辞め次に進む事にして、アビニオンの町の郊外に有るラベンダー畑を見に行く事にした。
セナンク修道院のラベンダー畑 |
岩山に建つコールドの街 |
道端に車を止め、山の斜面に階段状に石造りの家が連なるコールドの町の風景を写真に撮る。
その後、アルル(Arles)の町に向かう。アルル(Arles)の町の入り口にEtap Hotel(中級宿のチェン店)の標識が有ったので、今日はそそこに泊る事にした。久々にシャワーを十分に使う事が出来る、本当は浴槽に浸かりたいな。
宿泊費€41
画家ゴッホが描いた街の風景
4月25日(月) マルセイユ(Marseille)Camp
現在も使用されているローマ時代の |
市庁舎前のオベリスクを見ながら、右手の路地に入り古代劇場を見に行く。ここも紀元前一世紀頃建設さらた物で、舞台上に数本の石柱が残って居るだけだが現在もコンサート等に使われて居るとの事である。客席側は半円形の階段式で他のローマ時代の円形劇場と同様で有った。
ゴッホの描いた「闘牛場」 |
ゴッホが描いた「黄色いカフェ」 |
そして、アルルを出発し、マルセイユ(Marseille)へ向かう。マルセイユ の少し手前の町で綺麗な海の見えるCamp場に泊る。
宿泊費€16.9
走行距離123Km 給油33L
岩窟王の舞台「イフ島」へ
4月26日(火) エクヌ・アン・プロバンスの町のCamp場
イフ島へ向かう船上にて、後方はマルセーユの町 |
イフ島の「岩窟王」にて牢獄とされた要塞 |
港から冒険小説で有名な「岩窟王」にて、主人公のモンテ・クリスト伯が幽閉された砦の有る島「イフ島」へ12時発の船で向かう。船は小型で有るが、乗船客は結構多く乗って来た。20分程でイフ島に到着した、島は岩で覆われていた。港から坂道を少し登ると、其処には一見で強固と感じる砦が建っていた。砦の中の牢獄跡等を見学し、砦を出た高台で深緑の地中海を望みながら、持参の昼食を取る。2時半の船でマルセイユへ戻る。
マルセイユの町中でネット・カフェを探し、自分のパソコンを繋ぎ、1時間程溜まっていたメールを処理する。
その後、画家「セザンヌ」の生まれた場所と言われるエクヌ・アン・プロバンス(Aix en Provence)へ向かう。エクヌ・アン・プロバンスの町の観光案内所にて「セザンヌ」に関する施設の日本語の説明書と地図を貰う、更に町の近くに有るCamp場の場所を聞き、紹介されたCamp場に向かう。
Camp場の受付で若い女性の係り員が日本語で有難うの言い方を教えて欲しいと言われ、ローマ字でARIGATOUと書いて渡した。
宿泊費€17.86
走行距離95Km 給油0L
画家「セザンヌ」のアトリエ
4月27日(水) ニースの町のCamp場
その後、セザンヌのアトリエを車で見に行く。アトリエは林の中に建つ、小さな木造の天井の高い小屋で有った。アトリエの中は、ほんの今までセザンヌが絵を描いていたかの様子に絵の具や描く静物が維持されていた。 アトリエの中 |
宿泊費€12.9
走行距離211Km 給油36,48L
26番目の訪問国 モナコ
そして 27番目の訪問国 イタリア
そして 27番目の訪問国 イタリア
4月28日(木)サン・レモ(San Remo)のCamp場
メイン道路を外れ岩山の方へ、細い道を登っていく。お城に近づいた所に駐車場が有り、車を止め徒歩で先に進む。そのお城に見えたのはエズと言う要塞村で、中世当時のままに保存されて居た。要塞村の城壁内は、細い道が曲がりくねって続いていた。道の両サイドには、小さなお土産屋が手作りの品を並べて売っていた。村の中心に有った教会に入ると日本人観光客が来ていた、こんな所も日本のツアー観光ルート入って居るかとびっくりした。
モナコ公国宮殿の衛兵交代式 |
次に丘の上に有る大公宮殿へ歩いて行き、宮殿入り口の衛兵の交代式を見に行った。入り口前には、既に多くの観光客が集っていた。交代式は台北の元靖国神社での衛兵交代式程の迫力は無いが、整然とした交代式であった。
通路の両側には小さなお店が並んで居た。一軒のレストランに入り昼食を取り、そして海岸線に戻りイタリア方面に向かう。
通路の両側には小さなお店が並んで居た。一軒のレストランに入り昼食を取り、そして海岸線に戻りイタリア方面に向かう。
その道はF1レースで有名なモナコF1グランプリーの走行コースでも有る。レースが終わったのか道路脇の観客席の撤収作業が成されていた。その前を通過しトンネルに入る、レースの走る方向とは逆方向で有るが、ハイエースでレースに参加している気分で悦に入っていた。
フランス側の国境の町マントン(Menton)を通過し27番目の訪問国イタリアに入国し、サンレモ(San Remo)の町のCamp場に泊まる。
サンレモ のCamp場は大変見晴らしの良い高台に有り、Camp場からサンレモ の町が一望出来るCamp場で有った。車を停めると Camp場の管理人らしき老人が来て、しきりに話し掛けてきたが、英語が通じずイタリア語での話しなので、意思疎通がうまく出来なかった。老人は後でCamp場に有るイタリアとサンレモの観光案内書を沢山持って来てくれた。欧州のキャンプ場はその町の観光案内所を兼ねて居るのが一般的である。
(イタリアでは外国人が「ツアー旅行を除く」10日以上滞在する場合には、警察にて滞在許可を取る必要が有る。もし違反すると強制的に国外退去させられる法律が有る、との事である。日本のイタリア大使館に電話をして確認したところ、その通りとの返事で合った。しかも、EUに入国した時点から10日間以上との事。その為、今回は既にEUに入国してから9日間経過して居るので、イタリア北部を回り早々にイタリアを出国する事にした。)
(イタリアでは外国人が「ツアー旅行を除く」10日以上滞在する場合には、警察にて滞在許可を取る必要が有る。もし違反すると強制的に国外退去させられる法律が有る、との事である。日本のイタリア大使館に電話をして確認したところ、その通りとの返事で合った。しかも、EUに入国した時点から10日間以上との事。その為、今回は既にEUに入国してから9日間経過して居るので、イタリア北部を回り早々にイタリアを出国する事にした。)
宿泊費€26
走行距離80Km 給油0L
フィアット自動車博物館
ダビンチ作の「最後の晩餐」の壁画
そして、ドゥオーモの地下鉄駅から地下鉄に乗り、カドルナ駅迄行く。そこから歩いてレオナルド・ダビンチ作の「最後の晩餐」の壁画が有るサンタ・マリア・デル・グラッシィエ寺院へ行き、回廊を一周し壁画の有る教会向かった。すると教会の入り口に毎週月曜日並びに本日5月1日は休館と書かれていた。残念だが地下鉄にてドゥオーモ駅へ戻る。
ドゥオーモ駅の近くにある1877年に造られたガッレリア(アーケイド)を散策し、途中に有ったレオナルド・ダビンチ像を見る。更に進みスカラ座(オペラ館)迄歩き、折り返す。このガッレリアの両側には色々な種類のお店が有り、結構楽しく歩く事が出来た。朝、通過したドゥオーモではミサも終わり閑散としていたので館内に入り内部を見学する、御多分に洩れずここのステンドグラスも大変綺麗で有った。
朝、隣の車の家族連れから声を掛けられた、スイスから来たと言って居た。旅の話をして、子供達に日本の5円硬貨をプレゼントしてCamp場を出る。今日はイタリア北部の山岳地帯であるカナツェイ(Canazei)を目指し進む。天候は曇っており山がはっきり見えないのは残念だったが、切り立った岩肌の登山道路を登る。暖かい所から寒い所へ来た事が肌で感じられた。
そして、道路脇に有ったCamp場の案内標識に従い、山の中の小さな村の脇に有ったValle Verde Camp場に4時入る。シャワーも熱く、トイレも洋式が有り、気温もそれ程下がらず快適なCamp場で有った。場所柄か料金が安かった。
(欧州の地中海に面した国、並びに東欧の国のキャンプ場のトイレはオリエンタルスタイルが多い、その他の国でも便座が無いトイレが一般的である。)
イタリアの名勝 ドロミテ
5月4日(水)コルチナ (Cortina)のCamp場
朝、9時カナツェイ のcamp場を出る。昨夜は大雨で有ったが、朝は快晴の天候と成っていた。
出発時Camp場の女主人にドロミテに行く道を聞いたら、上の道を真直ぐ行けば良いと教えて貰った。S55線をしばらく走ると周りの風景とイメージがどうも会わない。違う方向に進んで居る気がしたので途中に会った警察官に再度道を聞いた。矢張り反対方向に走っていた。 昨日来たPredeggoの町まで戻った方が良いと言われ、反転し元に戻る。
街道を進むとSelvaの標識が有りその方向へ進む、途中Sellaと言う峠(2242m)が有りドロミテの雄大な雪を被った山々が廻りを囲み、素晴らしい景色で有った。山々を見渡しながら夏の保養地として有名なコルチナ(Cortina)を目指し走る。
3時 コルチナ (Cortina)の町に入り観光案内所を探すが見付らず、近くの人に聞きやっと観光案内所に辿り着く。大変地味な観光案内所の建物で有った、そこでCamp場の場所を聞きコルチナ Camp場に入る。このキャンプ場も大変綺麗なトイレとシャワーで有った。何故かCamping Carは沢山並んで居たがキャンパーは殆ど居なかった。
4月29日(金)トリノのCamp場
S28号線にてトリノを目指す、道路はトンネルの多い山岳道路で山々の新緑が美しかった。
トリノに到着し、中心街で観光案内所を探すも見つからず、車で駅へ行き、駅構内の観光案内所で情報を得る。
既に5時を回って居るので、観光案内所で聞いたトリノのCamp場に直行し、其処に泊る。
宿泊費€18
走行距離237Km 給油0L
フィアット自動車博物館
4月30日(土)ミラノ(Milano)近郊のHotel
トリノのCamp場を出発して、トリノの町が一望出来る見晴らし台の場所「モ・レ・アントネ・リアーナ」ヘエレベターで登る。エレベターは10:00からの稼動で少し早く来過ぎたの、周囲の店を覗きながら時間を過ごす。見晴らし台からはトリノの町波はもちろ論、アルプスの山々も見え、感動的でもあった。
ミラノの町並み |
トリノの町中のレストランで遅い昼食を取り、市街地を散策した。町の見学を終え、今日は久々にHotelに泊る事にして街道をミラノに向かい走る。しかし、なかなかHotelが見付らず。ミラノに近づいた所に有ったアルベルゴ・サラスと言うHotelにチェックインした。このホテル、値段の割には、トイレ共用等少し雰囲気のおかしなHotelで有った。
宿泊費€60
走行距離246Km 給油43,46L
ダビンチ作の「最後の晩餐」の壁画
5月1日(日)ガルダ湖のCamp場
ミラノ郊外のHotelを出発し、 ミラノの教会が有る中心街へ行き、観光案内所を見つけたが、なぜか閉まっていた。車を駐車場(駐車料€2)に止めてドゥオーモ(町の中央教会)へ向う。ドゥオーモの中は日曜礼拝に集まった人で一杯で有った。ドゥオーモに入るのを遠慮した。
ミラノ郊外のHotelを出発し、 ミラノの教会が有る中心街へ行き、観光案内所を見つけたが、なぜか閉まっていた。車を駐車場(駐車料€2)に止めてドゥオーモ(町の中央教会)へ向う。ドゥオーモの中は日曜礼拝に集まった人で一杯で有った。ドゥオーモに入るのを遠慮した。
「最後の晩餐」壁画のサンタ・マリア・デル・グラッシィエ寺院 |
1877年に造られたガッレリア(アーケイド) |
ミラノ(Milano)を出てベネチア(Venezia)向かうと間もなく後輪タイヤがパンクした。右ハンドルの為、如何しても道路の右端を走る、その為釘等を拾う可能性が高く、タイヤのパンクは再三経験する。
ミラノ(Milano)とベネチア(Venezia)の中間にガルダ(Garda)湖と言う湖が有る。この湖はイタリア最大の湖で、湖の周囲には多くのCamp場が有る。今日はその湖の湖畔のキャンプ場に泊まることにして、湖畔に向かう。湖畔の周りは多くの人で賑わっていた。湖畔に有ったCampに泊まる。
宿泊費€21
走行距離157Km 給油38.46L
5月2日(月)ヴェネチア(Venezia)のCamp場
この場所は湖に飛び出た半島の先端に有る町で、ローマ時代からの温泉保養地として有名である。此処には城壁で囲まれたスカラー家のお城が有り、集落と共に昔ながらの状態に保全されていて、現在も観光地として多くの観光客を集めていた。城内には色々な細工物を造り、販売している店が多く見受けられた。
次にシェックスピアの戯曲で有名なハムレットとジュリエットの悲愁の舞台と成った町、ベローナ(Verona)の町に行き、中心街の建物を外から眺めながら通過しようと思い町に入った。しかし、道路標識が見つからず、何故か町の外廻りを走り通過してしまった。仕方なくベローナの見学を諦め、高速道に乗ってヴェネチア(Venezia)を目指て進む。
午後4時近くヴェネチア(Venezia)の近くのCamp場に入る。すると、Camp場のオーナーが此処からバスでヴェネチア(Venezia)の町迄、直ぐに行けると教えてくれた。そして、バスの往復の切符も売ってくれたので早速にCamp場に車を停め、ヴェネチア(Venezia)の町の散策に出かけた。
ヴェネチアの中心街 サンマルコ広場に建つサンマルコ寺院の脇に有る鐘楼にエレベターにて登る。鐘楼の上からは水に浮かぶヴェネチア の町並みを眺めた。ヴェネチアの街中を3時間近く散策し、7時にCamp場行きのバスに乗りCamp場に戻る。
ベネチアの水路 |
サンマルコ寺院の鐘楼から眺めるヴェネチアの風景 |
イタリアに入り未だ1度もスパゲティーを食べて居ないので、Camp場内のレストランでスパゲッティーを2種類頼み食べる。量も味も大変良かった、料金も飲み物合わせて€12と安く、二人とも大満足。
(欧州のキャンパーはキャンプ場内のレストランで食事する時にも正装して食事をしている人をしばしば見かける。日本とはキャンプに関しての考え方が少し異なり、北米でも同様で有るがキャンプ期間がシーズン一杯同じキャンプ場で過ごすキャンパーが多く、それ故キャンプ場施設の充実したキャンプ場が多く、キャンパーも十分に長期間のキャンプ生活を楽しんでいる様子である。)
その夜、当方の車の近くに、SUZUKIの軽自動車がって停まって居た。その車の持ち主が南アフリカから来た女性で、オランダで車を買って此処に来たと言って居た。又、南アフリカは安全な国だから是非遊びに来てくださいと言われたが、私には南アフリカは危険な国とのイメージであるし、ちょと車で行く元気も無い。
キャンプ場のシャワーは熱く快適で有った。
キャンプ場のシャワーは熱く快適で有った。
宿泊費€23
走行距離172Km 給油0L
5月3日(火)カナツェイ(Canazei)近くのCamp場
イタリアの山岳道路 |
カナツェイのValle Verdeキャンプ場 |
そして、道路脇に有ったCamp場の案内標識に従い、山の中の小さな村の脇に有ったValle Verde Camp場に4時入る。シャワーも熱く、トイレも洋式が有り、気温もそれ程下がらず快適なCamp場で有った。場所柄か料金が安かった。
(欧州の地中海に面した国、並びに東欧の国のキャンプ場のトイレはオリエンタルスタイルが多い、その他の国でも便座が無いトイレが一般的である。)
宿泊費€16.2
走行距離276Km 給油84.8L
イタリアの名勝 ドロミテ
5月4日(水)コルチナ (Cortina)のCamp場
ドロミテの峠での愛車 |
出発時Camp場の女主人にドロミテに行く道を聞いたら、上の道を真直ぐ行けば良いと教えて貰った。S55線をしばらく走ると周りの風景とイメージがどうも会わない。違う方向に進んで居る気がしたので途中に会った警察官に再度道を聞いた。矢張り反対方向に走っていた。 昨日来たPredeggoの町まで戻った方が良いと言われ、反転し元に戻る。
ドロミテからの眺望 |
3時 コルチナ (Cortina)の町に入り観光案内所を探すが見付らず、近くの人に聞きやっと観光案内所に辿り着く。大変地味な観光案内所の建物で有った、そこでCamp場の場所を聞きコルチナ Camp場に入る。このキャンプ場も大変綺麗なトイレとシャワーで有った。何故かCamping Carは沢山並んで居たがキャンパーは殆ど居なかった。
宿泊費€18
走行距離159Km 給油89.54L
28番目の訪問国 オーストリア
5月5日(木)Heiligenblut のCamp場
朝、コルチナ Camp場を出て隣町のスーパーで買い物をしてS51号線を走る。しかし、今日も反対方向に走ってしまったが、途中で気が着き反転する。
そして、いよいよオーストリアに向けて走り出す。途中ガイドBookに有ったMisurina湖の標識が有ったので、P45号線の登板路を走る。結構美しい風景で有ったが、ガイドBookに載っていた写真の所には到達しなかった。
S51号線の戻り、更に進むと直ぐに28番目の訪問国 オーストリアに入国、民家を含めての風景が大変美しく感じた。途中のLiengの町の観光案内所へ行ったら閉まっていた。スーパーも休み、今日は祭日(後でCamp場の人に聞いたらマリアの誕生日で子供が教会で洗礼を受ける日)で有った。教会の前に10メートル程の柱が1本立っており、上部は色々な飾りが取り付けられていた。他の町でも見かけた。
前回オーストリアに来た時、行けなかったGossglocknerの氷河を見るべく進む。氷河に到着する前に4時を回ってしまったので、氷河の少し手前の町HeiligenblutのCamp場に入る。
Camp場の管理人が夜は大変寒いぞと言っていた。又、Camp場の上の町を散策してくると良いとも言われたので行って見る事にした。町は祝日の為、お店は殆ど休みで有った。
昨日のCamp場もそうだったが、此処のキャンプ場も未だキャンプシーズン前で、客が少なく、その為、ここでもトイレは男女共有で有った。
宿泊費€16.2
走行距離160Km 給油0L
Italy走行距離1,353Km
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