24.フランス(2)・モナコ・イタリア




2005年

            フランス(2)
           26番目の訪問国 モナコ 
           27番目の訪問国 イタリア

420() パーピニヨンブイヨン(Bouillon)純子さん宅
アンドラからフランスへ抜ける道
 朝、アンドラのCamp場の事務所にてアンドラの切手が有るか尋ねると有るとの事。1切手2枚購入し 、1枚を日本の自分宛に封筒に張りPostに投函する。
 9アンドラのCamp場を出発し、市内を散策。市内には商店街の殆どが免税店になってるで特に見るべき所は無かった。そこで、郊外へ迂回した道を選びフランス(France)へ向け出発する。
 途中、黒い屋根の家が続く、如何にもリゾート地と思われる町である。街中に郵便局が有ったので、寄ってみた。すると、午前中のみの営業と成っていて、アンドラの切手を購入する事が出来なかった。
 更にピレネー山麓の道を進むに、トンネルを潜る有料道路に入ってしまった。走ろうと思っていた山岳道路をパスしてしまった。フランスとの国境を通過し、午後3時頃フランス(Franceに再び入国する。
 そして、2月にポルトガルのオーリヤン・キャンプ場で会ったパーピニヨン(Perpignanブイヨン(Bouillon純子さんから、フランスへ来たら連絡する様に言われていた。そこで純子さん宅へ電話するも留守電に成って居た。パーピニヨン(Perpignanへの行き先標示が国境を越え直ぐに有ったが曲がる場所が解からず、N20号線を直進しFoixの町まで行きD117号線にてパーピニヨン(Perpignanへ向かう大回りに成ってしまった。パーピニヨン(Perpignan70Km手前で4時頃再度Bouillon宅へ電話する、純子さんが帰宅しており1時間程度で自宅を訪問するので宜しくと伝えた。しかし、少し道にも迷いパーピニヨン(Perpignanに着いたのは7時近くに成っていた。夕食を取りながら、色々な話をして10時頃就寝する。
宿泊費€ 0
走行距離296Km 給油29.83L



421() PerpignanBouillon純子さん宅

ブイヨンさん夫婦とブイヨンさん宅前にて
 一日のんびりとBouillon純子さん宅で過ごす。この住宅地は夏のリゾート地区で老人夫婦が多く住んでいる。地中海に面しているが、冬は大変寒く、ブイヨン夫婦も冬季はスペイン等へ避寒に出ているとの事である。今は初夏、庭の周囲には花が咲き始めていた。その庭の中央にテーブルを出し、食事やお茶を飲みながら話をする。
パーピニヨンのメインストリート
 昼過ぎ、純子さん裏の家に住んでいるフランス人夫婦が尋ねて来て、挨拶をする。そのフランス人夫婦は以前ルーマニアがチャウセスク大統領の時代に行った事が有り、ルーマニア国内ではルーマニア人と自由に話をする事が出来なかったと言っていた。今の北朝鮮と同様様である。私達もこの後、ルーマニアにも行く予定で有るが、現在のルーマニアは今とは全く異なって居ると思われるが。
 5時近く近所のスーパーへお米を買いに行き、お米を3Kg購入する。フランスではお米が結構高い金額で有った。Spainを出る時にお米をもう少し購入してこればよっかったと思った。
 その後、海まで家内と歩いて行った。海は綺麗で有ったが、風が強少し寒かった。
 夜もブイヨン夫婦と色々話をして就寝は今日も11時で有った。

宿泊費€ 0
走行距離0Km 給油0L



                ローマ神殿遺跡メゾン・カレ
422()ニーム(Nimes)近郊のCam場
ニームの町の中心ローマ神殿遺跡メゾン・カレ
現在も使われているローマ時代の円形劇場
 朝、目が覚めたら9を過ぎて居た。朝食後に車を洗い、出発準備をし12時頃Bouillonさん宅を辞した。そして、純子さんのご主人キキさんに隣町ナルボンヌ(Narbonneに有るCamping用品店を教えて貰い其処へ向かった。道路の両側はブドウ畑が繋がり、新緑の時期で美しい道で有った。ナルボンヌ(Narbonneに到着し、Camp用品店を探すも見付らず、通行人に聞くも判らず、諦めて先に進む。
 高速道に乗り ニーム(Nimes)の町で降りる。街中に入り観光案内所を尋ねて、市内地図を貰いCampの場所く。早速、町の観光の目玉、ローマ神殿遺跡メゾン・カレを見に行く。この町は神殿を中心発展した為に、神殿が町の中心に有った。そして、水道橋等多くのローマ遺跡が周囲に点在し歴史を感じる町である。数箇所の遺跡を見学した後、ニーム(Nimes)近郊のCamp場に向かう。

宿泊費€ 13.1
走行距離242Km 給油40L


            世界遺産 ボン・デュ・ガールの水道橋
423()アビニヨンAvignon)のCamp場  
世界遺産 ボン・デュ・ガ^ル水道橋
 朝、ニーム(Nimes)の町のキャンプ場を出て、ニームの町に有るローマ時代に造られた水道橋で世界遺産に登録されているボン・デュ・ガールを見に行く。この水道橋は今まで見て来た水道橋の中で最も大きな橋で、3層から成る大変大きな水道橋であった。
 午後アビニヨン(Avignonに向かAvignon4時頃到着した。遅くなったが運良く道路に有ったCamp場の案内標識に従い進んで行きCamp場に入ってった

 Camp場でAvignonの日本語での市内地図とCamp場の周りの地図を貰う。
中程で無くなっているアビニオンの橋
 地図によるとCamp場の裏を流れているローヌに「Avignonの橋の歌で有名な橋(正式名称はサン・ベネゼ橋(Pont St. Bénézet) )が有るCamp場側は橋が落ちた方で、橋に行けない。それ故、対岸へ行かなければ橋を見る事が出来ないが、対岸へは無料の渡し舟が有り、その渡し舟を利用し橋を見に行った。元々は22あった橋脚のうち、現在は4つのみが残っているとの事である。橋は石造りの古い橋であり、橋その物より歴史的背景により世界的に有名に成った様である。
橋を見学後ロッシュ・デ・ドン公園を散策し、渡し舟の乗りCamp場へ戻る。

宿泊費€ 12.78
走行距離105Km 給油0L



424() アルル(ArierHotel
アビニオンに有った法王庁宮殿
 朝、アビニヨンのcamp場を出てCamp場から少し離れた所に有った橋でローヌ河を渡り町の城壁脇に有った駐車場に車を停め法王庁宮殿を見学に行く
 この宮殿、フランス革命時に市民による略奪を受け、貴重な物は何も残って居ないが、建物の規模(15,000㎡)から当時の豪華差が想像出来た。館内では無料の日本語のオーヂオ・ガイド借り、説明を聞きながら見学する事が出来た。
 続いてプティ・パレ美術館 へ町中を歩いて向かう。途中、街角でアコーデオンの演奏会が開かれており、少しの間聞いてから美術館へ向かう。
 美術館に到着すると美術館の門が閉まっており、入り口脇に14:30から開館と書かれていた。今12時過ぎ、開館までには時間が有り過ぎるので、美術館見学を辞め次に進む事にして、アビニオン町の郊外に有るラベンダー畑を見に行く事にした
セナンク修道院のラベンダー畑
岩山に建つコールドの街
 ラベンダー畑迄の道順は結構複雑でアビニヨン(Avignon)の町から車で1時間程走りコールドGordes)と言う町に入る。コールドの町小高い丘を囲み、山に沿って高く積み重ねられた様な街並に成って居た。その町を通過し、ラベンダー畑の有るセナンク修道院に向かう。修道院に到着し駐車場に車を停め、ラベンダー畑へ向かう。相当の規模のラベンダー畑で有る、花の咲く時期には少し早すぎ、未だ蕾も見えなかった。残念だったが咲いた時の美しさは想像しながらコールドの町に戻る。
 道端に車を止め、山の斜に階段状に石造りの家が連なるコールドの町の風景写真る。
 その後アルルArles)の町に向かう。アルル(Arlesの町の入り口にEtap Hotel(中級宿のチェン店)の標識が有ったので、今日はそそこに泊る事にした。久々にシャワーを十分に使う事が出来る、本当は浴槽に浸かりたいな。

宿泊費41
走行距離201Km 給油32,11L

                画家ゴッホが描いた街の風景
425() マルセイユMarseilleCamp
現在も使用されているローマ時代の
 アルル のHotelにて朝食を取りHotelチェックアウト、車でアルル の町中に入る。観光案内所が直ぐに見つかった。市内地図と見所及びその位置等を聞き車を近くの駐車場に停め町を散策する。
  市庁舎前のオベリスクを見ながら、右手の路地に入り古代劇場を見に行く。ここも紀元前一世紀頃建設さらた物で、舞台上に数本の石柱が残って居るだけだが現在もコンサート等に使われて居るとの事である。客席側は半円形の階段式で他のローマ時代の円形劇場と同様で有った。
ゴッホの描いた「闘牛場」
 次に、これらのローマ時代に建設された円形闘技場を見に行く。この円形闘技場の収容人数が2万人と言われ、ローマのコロッセオには敵わないが、結構巨大な競技場で有った。これらのローマ遺跡は世界遺産として登録されている。
ゴッホが描いた「黄色いカフェ」
 又、この町は画家ゴッホが色々な絵を創作した場所が、当時を想像出来る姿で残されており闘牛場」「黄色いカフェ」「跳ね橋等の場所を見て回った。各場所共に、ゴッホが描いた絵と場所を比較して見える様に成っていた。3箇所共に当時を彷彿させる風景で、時代の差を感じ無いほどで有った。
 そして、アルルを出発し、マルセイユMarseille)へ向かう。マルセイユ の少し手前の町綺麗な海の見えるCamp場に泊る。
ゴッホが描いた「跳ね橋」と愛車

















宿泊費16.9
走行距離123Km 給油33L


     
                 岩窟王の舞台「イフ島」へ
426() エクヌ・アン・プロバンスの町のCamp場     
イフ島へ向かう船上にて、後方はマルセーユの町
  マルセイユへ向かう。高速D9号線に乗り、A55線に乗り換えて マルセイユの町に入る。港に有る観光案内所で町の地図を貰い、見所等を聞く。近くの駐車場をを探し、車を止め港まで歩いていく。
イフ島の「岩窟王」にて牢獄とされた要塞


 港から冒険小説で有名な「岩窟王」にて、主人公のモンテ・クリスト伯が幽閉された砦の有る島「イフ島」へ12時発の船で向かう。船は小型で有るが、乗船客は結構多く乗って来た。20分程でイフ島に到着した、島は岩で覆われていた。港から坂道を少し登ると、其処には一見で強固と感じる砦が建っていた。砦の中の牢獄跡等を見学し、砦を出た高台で深緑の地中海を望みながら、持参の昼食を取る。2時半の船でマルセイユへ戻る。
 マルセイユの町中でネット・カフェを探し、自分のパソコンを繋ぎ、1時間程溜まっていたメールを処理する。
 その後、画家「セザンヌ」の生まれた場所と言われるエクヌ・アン・プロバンス(Aix en Provence)へ向かう。エクヌ・アン・プロバンスの町の観光案内所にて「セザンヌ」に関する施設の日本語の説明書と地図を貰う、更に町の近くに有るCamp場の場所を聞き、紹介されたCamp場に向かう。
 Camp場の受付で若い女性の係り員が日本語で有難うの言い方を教えて欲しいと言われ、ローマ字でARIGATOUと書いて渡した。

宿泊費17.86
走行距離95Km 給油0L




            画家「セザンヌ」のアトリエ          
427() ニースの町のCamp場   
森の中のアトリエ
  プロバンス のCamp場の隣に、セザンヌが描いた絵に有る石橋が有り、歩いてそれを見に行き写真を撮る。
 その後、セザンヌのアトリエを車で見に行く。アトリエは林の中に建つ、小さな木造の天井の高い小屋で有った。アトリエの中は、ほんの今までセザンヌが絵を描いていたかの様子に絵の具や描く静物が維持されていた。 
アトリエの中
 その後、国際映画祭で有名なカンヌの町を通り、ニース(Nice)の町に向かう途中に有ったDu Vol Fleuri キャンプ場に泊まる。キャンプ場の受付で日本から来た人は初めてだと歓迎してくれた。
 








宿泊費12.9
走行距離211Km 給油36,48L



 
           26番目の訪問国 モナコ 
      そして 27番目の訪問国 イタリア
428()サン・レモ(San Remo)Camp
 ニースのキャンプ場を出発し美しい地中海海岸沿いの道を走る。
モナコの港から見た町並み
 途中、岩山の上にお城が建っているのが見えたので、名前は知らないがそのお城を見に行く事にした。
 メイン道路を外れ岩山の方へ、細い道を登っていく。お城に近づいた所に駐車場が有り、車を止め徒歩で先に進む。そのお城に見えたのはエズと言う要塞村で、中世当時のままに保存されて居た。要塞村の城壁内は、細い道が曲がりくねって続いていた。道の両サイドには、小さなお土産屋が手作りの品を並べて売っていた。村の中心に有った教会に入ると日本人観光客が来ていた、こんな所も日本のツアー観光ルート入って居るかとびっくりした。
モナコ公国宮殿の衛兵交代式
 その後、26番目の訪問国モナコ公国(Monaco)に入り、町中に有る切手とコインの博物館を見学した。館内でモナコの切手の小型シートを数種類購入し、日本宛に手紙を出し館を後にする。
 次に丘の上に有る大公宮殿へ歩いて行き、宮殿入り口の衛兵の交代式を見に行った。入り口前には、既に多くの観光客が集っていた。交代式は台北の元靖国神社での衛兵交代式程の迫力は無いが、整然とした交代式であった。
 通路の両側には小さなお店が並んで居た。一軒のレストランに入り昼食を取り、そして海岸線に戻りイタリア方面に向かう。
 その道はF1レースで有名なモナコF1グランプリーの走行コースでも有る。レースが終わったのか道路脇の観客席の撤収作業が成されていた。その前を通過しトンネルに入る、レースの走る方向とは逆方向で有るが、ハイエースでレースに参加している気分で悦に入っていた。
 フランス側の国境の町マントン(Menton)を通過し27番目の訪問国イタリアに入国し、サンレモ(San Remo)の町のCamp場に泊まる。
 サンレモ のCamp場は大変見晴らしの良い高台に有り、Camp場からサンレモ の町が一望出来るCamp場で有った。車を停めると Camp管理人らしき老人が来て、しきりに話し掛けてきたが、英語が通じずイタリア語での話しなので意思疎通がうまく出来なかった。老人は後でCamp場に有るイタリアサンレモ観光案内書を沢山持って来てくれた。欧州のキャンプ場はその町の観光案内所を兼ねて居るのが一般的である。

(イタリアでは外国人が「ツアー旅行を除く」10日以上滞在する場合には、警察にて滞在許可を取る必要が有る。もし違反すると強制的に国外退去させられる法律が有る、との事である。日本のイタリア大使館に電話をして確認したところ、その通りとの返事で合った。しかも、EUに入国した時点から10日間以上との事。その為、今回は既にEUに入国してから9日間経過して居るので、イタリア北部を回り早々にイタリアを出国する事にした。)
宿泊費26
走行距離80Km 給油0L





429()トリノCamp    
説明を追加
 サンレモのCamp場を9時に出様としたら、管理人のおじさんが更にトリノ(Torino)ガイドブック等を呉れた。どうもここでも我々が始めての日本人客で有った様子有った
 S28号線にてトリノを目指す、道路はトンネルの多い山岳道路で山々の新緑が美しかった。
 トリノに到着し、中心街で観光案内所を探すも見つからず、車で駅へ行き、駅構内の観光案内所で情報を得る。
 既に5時を回って居るので、観光案内所で聞いたトリノCamp場に直行し、其処に泊る。
宿泊費18
走行距離237Km 給油0L





                フィアット自動車博物館
430()ミラノ(Milano近郊のHotel  
 トリノのCamp場を出発して、トリノの町が一望出来る見晴らし台の場所「モ・レ・アントネ・リアーナ」ヘエレベターで登る。エレベターは10:00からの稼動で少し早く来過ぎたの、周囲の店を覗きながら時間を過ごす。見晴らし台からはトリノの町波はもちろ論、アルプスの山々も見え、感動的でもあった。
ミラノの町並み
フィアット製?のレーシング・カー
 その後、市内に戻り、フィアット(Fiat自動車博物館を見に行く。館内にはFiat初期生産両から現行生産車等を中心に欧州車等が400台程展示されて居た。
 トリノの町中のレストランで遅い昼食を取り、市街地を散策した。町の見学を終え今日は久々にHotelに泊る事にして街道をミラノに向かい走る。しかし、なかなかHotelが見付らず。ミラノに近づいた所に有ったアルベルゴ・サラスと言うHotelチェックインした。このホテル、値段の割には、トイレ共用少し雰囲気のおかしなHotelで有った。

宿泊費60
走行距離246Km 給油43,46L





              ダビンチ作の「最後の晩餐」の壁画
51()ガルダ湖のCamp 
  ミラノ郊外のHotelを出発し、 ミラノの教会が有る中心街へ行き、観光案内所を見つけたが、なぜか閉まっていた。車を駐車場(駐車料2)に止めてドゥオーモ(町の中央教会)へ向う。ドゥオーモの中は日曜礼拝に集まった人で一杯で有った。ドゥオーモに入るのを遠慮した。
「最後の晩餐」壁画のサンタ・マリア・デル・グラッシィエ寺院
 そして、ドゥオーモの地下鉄駅から地下鉄に乗り、カドルナ駅迄行く。そこから歩いてレオナルド・ダビンチ作の「最後の晩餐」の壁画が有るサンタ・マリア・デル・グラッシィエ寺院へ行き、回廊を一周し壁画の有る教会向かった。すると教会の入り口に毎週月曜日並びに本日51日は休館と書かれていた。残念だが地下鉄にてドゥオーモ駅へ戻る。
 (再度、この教会を訪問した時に、受付で言われた事は、入館には予約が必要で有るとの事で有った。)
1877年に造られたガッレリア(アーケイド)
 ドゥオーモ駅の近くにある1877年に造られたガッレリア(アーケイド)を散策し、途中に有ったレオナルド・ダビンチ像を見る。更に進みスカラ座(オペラ館)迄歩き、折り返す。このガッレリアの両側には色々な種類のお店が有り、結構楽しく歩く事が出来た。朝、通過したドゥオーモではミサも終わり閑散としていたので館内に入り内部を見学する、御多分に洩れずここのステンドグラスも大変綺麗で有った。
 ミラノMilano)を出てベネチアVenezia)向かうと間もなく後輪タイヤがパンクした。右ハンドルの為、如何しても道路の右端を走る、その為釘等を拾う可能性が高く、タイヤのパンクは再三経験する。
 ミラノ(Milano)とベネチア(Veneziaの中間にガルダ(Garda)と言う湖が有る。この湖はイタリア最大の湖で、湖の周囲には多くのCamp場が有る。今日はその湖の湖畔のキャンプ場に泊まることにして、湖畔に向かう。湖畔の周りは多くの人で賑わっていた。湖畔に有ったCampに泊まる

宿泊費21
走行距離157Km 給油38.46L


52()ヴェネチア(VeneziaCamp
ガルダ湖に浮かぶスカラー家の
 朝、ガルダ湖畔のCamp場を出て、湖の名所シルミオーネSirmioneへ向かいA4号線を進む
 この場所は湖に飛び出た半島の先端に有る町で、ローマ時代からの温泉保養地として有名である。此処には城壁で囲まれたスカラー家のお城が有り、集落と共に昔ながらの状態に保全されていて、現在も観光地として多くの観光客を集めていた。城内は色々な細工物を造り販売している店が多く見受けられた。
 次にシェックスピアの戯曲で有名なハムレットジュリエットの悲愁の舞台と成った町、ベローナVeronaの町に行き中心の建物外から眺めながら通過しようと思い町に入った。しかし、道路標識が見つからず、何故か町の廻りをり通過してしまった。仕方なくベローナの見学を諦め、高速道に乗ってヴェネチア(Veneziaを目指て進む。
 午後4時近くヴェネチア(Veneziaの近くのCamp場に入る。すると、Camp場のオーナーが此処からバスヴェネチア(Veneziaの町迄直ぐに行けると教えてくれた。そして、バスの往復の切符も売ってくれたので早速Camp場に車を停め、ヴェネチア(Veneziaの町の散策に出かけた。
ベネチアの水路
サンマルコ寺院の鐘楼から眺めるヴェネチアの風景
  ヴェネチアの中心街 サンマルコ広場に建つサンマルコ寺院の脇に有る鐘楼にエレベターにて登る。鐘楼の上からは水に浮かぶヴェネチア の町並みを眺めた。ヴェネチアの街中を3時間近く散策し、7Camp場行きのバスに乗りCamp場に戻る。
 イタリアに入り未だ1度もスパゲティーを食べて居ないので、Camp場内のレストランスパゲッティー2種類頼み食べる。量も味も大変良かった、料金も飲み物合わせて12と安く、二人とも満足。
(欧州のキャンパーはキャンプ場内のレストランで食事する時にも正装して食事をしている人をしばしば見かける。日本とはキャンプに関しての考え方が少し異なり、北米でも同様で有るがキャンプ期間がシーズン一杯同じキャンプ場で過ごすキャンパーが多く、それ故キャンプ場施設の充実したキャンプ場が多く、キャンパーも十分に長期間のキャンプ生活を楽しんでいる様子である。)
 その夜、当方の車の近くに、SUZUKIの軽自動車がって停まって居たその車の持ち主が南アフリカから来た女性、オランダで車を買って此処に来たと言って居た。又、南アフリカは安全な国だから是非遊びに来てくださいと言われたが、私には南アフリカは危険な国とのイメージであるし、ちょと車で行く元気も無い。
 キャンプ場のシャワーは熱く快適で有った。

宿泊費23
走行距離172Km 給油0L


53()カナツCanazei近くのCamp
イタリアの山岳道路
カナツェイのValle Verdeキャンプ場
 朝、隣の車の家族連れから声を掛けられた、スイスから来たと言って居た。旅の話をして、子供達に日本の5円硬貨をプレゼントしてCamp場を出る。今日はイタリア北部の山岳地帯であるカナツCanazei)を目指し進む。天候は曇っており山がはっきり見えないのは残念ったが、切り立った岩肌の登山道路を登る。暖かい所から寒い所へ来た事が肌でじられた。
 そして、道路脇に有ったCamp場の案内標識に従い、山の中の小さな村の脇に有ったValle Verde Camp場に4時入る。シャワーも熱く、トイレも洋式が有り、気温もそれ程下がらず快適なCamp場で有った。場所柄か料金が安かった。
欧州の地中海に面した国、並びに東欧の国のキャンプ場のトイレはオリエンタルスタイルが多い、その他の国でも便座が無いトイレが一般的である。)
宿泊費16.2
走行距離Km 給油84.8L




               イタリアの名勝 ドロミテ
54()コルチナ CortinaCamp  
ドロミテの峠での愛車
 朝、9時カナツcamp場を出る。昨夜は大雨で有ったが、朝は快晴の天候と成っていた。
  出発Camp場の女主人にドロミテに行くを聞いたら、上の道を真直ぐ行けば良いと教えて貰った。S55線をしばらく走ると周りの風景とイメージがどうも会わない。違う方向に進んで居る気がしたので途中に会った警察官に再度道を聞いた。矢張り反対方向に走っていた。 昨日来たPredeggo町まで戻った方が良いと言われ反転し元に戻る。
ドロミテからの眺望
 街道を進むSelvaの標識が有りその方向へ進む、途中Sellaと言う峠(2242m)が有りドロミテの雄大な雪を被った山々が廻りを囲み、素晴らしい景色で有った。山々を見渡しながら夏の保養地として有名なコルチナ(Cortinaを目指し走る。
  3コルチナ (Cortinaの町に入り観光案内所を探すが見付らず、近くの人に聞きやっと観光案内所に辿り着く。大変地味な観光案内所の建物で有った、そこでCampの場所を聞きコルチナ Camp場に入る。このキャンプ場も大変綺麗なトイレとシャワーで有った。何故かCamping Carは沢山並んで居たがキャンパーは殆ど居なかった。
宿泊費18
走行距離159Km 給油89.54L




                28番目の訪問国 オーストリア
55()Heiligenblut Camp
 朝、コルチナ Camp場を出て隣町のスーパーで買い物をしてS51号線を走る。しかし、今日も反対方向に走ってしまったが、途中で気が着き反転する。
 そして、いよいよオーストリアに向けて走り出す。途中ガイドBookに有ったMisurina湖の標識が有ったので、P45号線の登板路を走る。結構美しい風景で有ったが、ガイドBookに載っていた写真の所には到達しなかった。
 S51号線の戻り、更に進むと直ぐに28番目の訪問国 オーストリアに入国、民家を含めての風景が大変美しく感じた。途中のLiengの町の観光案内所へ行ったら閉まっていた。スーパーも休み、今日は祭日(後でCamp場の人に聞いたらマリアの誕生日で子供が教会で洗礼を受ける日)で有った。教会の前に10メートル程の柱が1本立っており、上部は色々な飾りが取り付けられていた。他の町でも見かけた。
 前回オーストリアに来た、行けなかったGossglocknerの氷河を見るべく進む。氷河に到着する前に4を回ってしまったので、氷河の少し手前の町HeiligenblutCamp場に入る。
 Camp場の管理人夜は大変寒いぞと言っていた。又、Camp場の上の町を散策してくると良いと言われたので行って見る事にした。町は祝日の為、お店は殆ど休みで有った。
 昨日のCamp場もそうだったが、此処のキャンプ場も未だキャンプシーズン前で、客が少なく、その為、ここでもトイレは男女共有で有った

宿泊費16.2
走行距離160Km 給油0L
                    Italy走行距離1,353Km

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