14. ドイツ その(1)

      欧州
           16番目の訪問国 ドイツ その(1)
 
04823日(月) Hamburg Polo Hotel
         €1(ユーロ)=¥140
 成田発KLM862便にてアムステルダム経由でドイツはハンブルグへ向かう。このKLMのオープンチケットは少し高かったが成田東急Hotelへの前泊付き、それ故朝ゆっくりと出発する事が出来Hotelから7:30頃のシャトルバスにて成田空港へ行き、チェックアウトをした。出国手続をして、出発ゲート近くのKLMラウンジで時間を過ごす。ラウンジにはパソコンや飲み物の無料サービスが有り、快適に時間を利用できた。パソコンを使いMailを数人に再出発する旨打つ。アムステルダム迄は11時間の飛行。現地時間の315の定刻通り到着。アムステルダムでは又もや家内が調子を崩し、4時間の待ち時間中寝て過ごす。午後810分ハンブルグ空国からタクシーにてガイドBookに有ったHotelに行くも満室と断られる。ハンブルグ駅の観光案内所へ行き安いHotelの紹介を受けたPolo Hotelに向かう。Hotel駅から歩いて5分程の所に有った。(Hamburg駅)
タクシー代24、宿泊費70
 
824()  Hamburg Polo Hotel
 朝、書類を見るに船会社の住所はHamburgでは無く、Hamburgから南に400Km程離れたStuttgartになっていた。取りあえずStuttgartの船会社に携帯電話で電話するするも繫がらず(後で携帯電話が使えなかったのは、携帯電話の欧州への設定が間違えていた)10テレカを1枚買う。ドイツも電話会社が幾つか有り、どの会社のテレカを買えば良いのか迷ったが、近くに有った公衆電話で使えるテレカを聞き、それを購入した。しかし、公衆電話は殆どがコイン専用でテレカ用は少なく、テレカが使える電話を探すのは大変であった。船会社に電話をすると車は既に船会社に着いて居るとの事であった。そこで車の引渡し諸費用を払ってくれれば、直ぐに車を引き渡すと言われた。それでは直ぐに費用明細をHotelFaxで送って貰う様、要請した。そしてHotel に戻り、クロークで費用明細のファックスを受け取ると、請求金額は598であった。更に、既に車両保管料5日でU60が追加されて居た。送金方法に付いて電話で相談すると、銀行送金は既に3時過ぎの為送金出来ず、郵便局は6時迄開いて居るので郵便送金をするよう言われた。直ぐに Hotelへ郵便送金口座番号をFaxしてもらった。Faxを受け取り、Hotelで郵便局の場所を聞き、郵便局へ急いで行き、指定金額をクレジット・カードで支払い送金をする。5時過ぎ送金した旨船会社へ電話すると、既に担当者は帰宅してしまった。Hotelは2泊する様、申し込んで有るので宿泊には問題なし。明日に成れば車の受け取り日程が明確に成るので心配なし。夕方の町を歩き、適当なレストランを探し、食事をしてHotelに戻る。この付近もトルコ人が多く住んでおり、トルコ名物のケバブを売る店が目立つ。(Hamburg市内で見たBMWのスクーター)
宿泊費66、テレカ代10、車両受け取り料598、現金送料3.5食費28、ビール代1.4

8月25日(水)  Hamburg Polo Hotel      車の受け取り
 翌朝、船会社へ電話をした、すると係り員は直ぐに送金明細を、Faxで船会社へ送ってくれと言ってきた。HotelFaxで昨日郵便局で受け取った、送金明細書を船会社へ送る。そして、書類に書かれていたHamburgの船会社へ、HotelからTaxiに乗って行こうと思い、Hotelで船会社の住所を聞くと、場所が解らないと言われた。それではHamburg駅構内の観光案内所へ行き、場所を聞くことにした。構内の観光案内所へ行くと、隣なりに有る電車の案内所に行きなさいと言われた。そこで隣の電車の案内所へ行き、船会社の住所を提示すると電車の経路明細を打ち出してくれた。料金を聞くと2人で4.8と言われ、代金を支払い切符を受け取る。そして、電車に乗ろうとするもHamburgの駅はターミナル駅の為ホームの数が10位有り、どの電車に乗ればよいのかが解からない。仕方なく、別の鉄道案内所へ行き、何番線の電車に乗れば良いのかを聞き電車に乗る。ものの5分程で聞いた駅に到着、そこで、電車を乗り換えなければ成らないが、乗り換え方法が解からずうろうろする。駅内で駅員に聞くと、乗り換えるのは電車ではなくバスに乗り換えるのだと教えられた。しかも乗り換えるバスは駅の反対側に有るとの事、駅の反対側に行くがバス停が見つからず、ここでもうろうろする。Taxi乗場が有るもTaxiは停まって居ない、しばらくするとTaxiが来た。Taxiの運転手に船会社の住所を示すと、場所が解かると言って乗せてくれた。(ドイツも日本と同様、まず安心してTaxiが利用出来る。)船会社迄5分程料金10を払う。船会社のゲートを入って行くと、建屋の脇に見慣れたハイエースが停っていた。車の脇の事務所に入り、受け付けにて來訪の目的を話をすると、直ぐに担当者を呼んでくれた。担当者が提示した書類にサインをして、車の受け取りの手続きは全て完了。
 車を受け取り、Custom(税関)の場所聞きCustomに向かう。Customは細い道を2分程は走った所に有った。Customの事務所に入り、係官にカルネは既に有効期限切れなので、別の車両持込許可書を発行してくれるよう依頼した。すると係官は、この期限切れのKarnes(カルネ)で問題ないと言う。しかし、私は欧州に2~3年間滞在したいので、期限切れのKarnes(カルネ)では心配なのでパーミション(車両持込許可書)を書いてもらう様再度依頼する。係官はこのカルネで全く問題無いと言って、有効期限切れのカルネを処理し車両持込手続き完了。での車両持込許可書と成った。途中に有ったガソリンスタンドに寄り、車に燃料を満タンにしてHotelに戻る。(欧州のガソリンスタンドもクレジット・カード処理のセルフ・サービスが一般的である)Hotelてグリーンカードに付いて聞くと、Hotelオーナーが知って居る保険屋を明日呼んでくれる事に成った。夕方町中を歩きながら夕食のレストランを探し、夕食を。(グリーンカードとは外国人が外国登録の車に掛けなければならない強制車両保険の事を言う、これを持っていない事が警官のチェックで解ると、欧州での走行が禁止される。)
宿泊費66、電車賃4.8Taxi10、駐車料4、地図代8.95、飲み物8、燃料54.93
走行距離12Km 給油56.98L

826()  Hamburg Polo Hotel
 Hote1日保険屋を待つも来ず。夕方、Hotel 近くに有る、湖の周りを散策する。駅の周囲には多くのトルコ人が見受けられる、それ故トルコ名物のシシカバブを売る店が目立つ。ドイツで起きたトルコ系移民排斥運動が起きた伺われた。途中に有ったレストランに入り夕食をとる。
宿泊費66、ビール代1.4、夕食17、昼食
走行距離0Km 給油0L




                                                           ADACにてグリーンカード購入 
827() Hamburg  Mercedes Hotel                      
 朝、更に1泊の延泊を依頼すると、今夜は満室で延泊出来ないとの返事。 Hotelのマネージャーが来たので保険屋の件を話したら今日来てくれるとの事、宿泊に付いても少し高くなるが近くに有る別のホテル(マネージャーの姉が経営する Hotel)を取ってくれた。そして保険屋も其方へ廻る様に伝えてくれるとの事、そのHotel10時過ぎに歩いて移動する。車は新たな Hotelには駐車場が無いので、そのまま停めて置く事に成った。昼になり、Hotelの前にある食堂でケバブサンドをテイクアウトしてHotelの部屋で食べる、美味しかったが物凄いボリュームでもあった。3時迄待つも保険屋が来ないので、前のHotelへ保険屋の住所を聞きに行った。そしてHotelのフロントにてマネージャーその旨伝えるとマネージャーがそれは「ADAC」(日本のJAFと同様)のはずだ。ここから歩いても行けるがTaxiだと45で行くと教えてくれた。その上Taxiを呼び、行き先まで告げてくれた。
 「ADAC」(ドイツ語でア・デ・ア・ツェーと発音する)に着くと受付でグリーンカードを購入したい旨伝えると、番号札を取って順番を待つ様言われた。そして、暫く待つ、自分の番が来たので1年間のグリン・カード(欧州以外の人が自国登録の車を運転する場合に必要な、欧州の強制自動車保険)を購入したいむね申し出る。日本の自動車保険割引証明を提示したが、割引はは適用されなかった。保険料1,260をクレジットカードで支払う。他にヨーロツパ キャンプ場ガイドブックとドイツの地図を購入した。Polo Hotelへ歩いて帰り、マネージャーに購入できた旨伝えてお礼を言って辞する。そして、車でMercedes Hotelへ移動する。Hotelの駐車場を頼むと言うと、今からだとHotel前の路上駐車で大丈夫と言われ今日も路上駐車をする。夕食は昼食の残りのケバブサンドで済ませる。
(写真はドイツの人力車)

宿泊費79Taxi6、昼食代9、保険料1,260
走行距離19Km 給油0L


          欧州ドライブ開始
828()Robel Pappelbucht Campingplatz      

 朝、Berlinを目指して走るも、又もや道に迷い町を出れず。数回道を尋ねてアウトバーン24号に乗る事が出来た。初めてのアウトバーン走行、話には聞いて居たが今でこそ普通の高速道路で有るが、これが今から60年前に作られた道路とは驚きである。制限速度無しの区間も有るが、Hiaseでは制限速度130Km。自分の車は最高速度120Kmしか出ない、残念ながら高速走行を楽しむ事は出来なかった。そして昼過ぎ、Wolfsburg の町に着く。街中のガソリンスタンドにて燃料を車と2個の補助タンクへも満タンにする。通りがかりの人にキャンプ場を尋ねると少し先にキャンプ場が有ると教えてくれた。Wolfsburg の町に入ると直ぐに、観光案内所が有った。そこでキャンプ場を尋ねると、町の郊外に有るキャンプ場を紹介してくれた。そこは湖畔に有る、かなり大きなキャンプ場で有った。113で有り、2分を支払う。しかし、ここは1時から3時までは車両の出入りが禁止されており、ゲートが閉まっていた。3時の開門を待って中に入る。自分の好きな場所へ泊めて良いとの事であった。ドイツで初めてのキャンプ場の利用で有り要領を得なかったが、アメリカスタイルと略同様で有った。
 早速にルーフキャリアの修理をする。そして、日本で購入してきたホイルハブナットのソケット・サイズを確認、ぴったり合い一安心。キャンプ場申し込み時、パンを申し込むかと聞かれたが意味を理解する事が出来なかった。良く聞くと翌朝に焼きたてのパンの予約販売で有った、2個依頼した。一般的に欧州のキャンプ所には小さな売店がある。
宿泊費13、燃料代74.92
走行距離236Km 給油76.3L

829()Robel Pappelbucht Campingplatz
 朝、7時に起きるも辺りは静かで有る。北米のキャンプ場では7時に成ると出かけ
る人が多く、少し騒がしい。ここドイツのキャンプ場は北米のキャンプ場とは少し様子が違い、朝は大変動きが遅い。管理人の店も8開店、仕方なく8時まで待って店に行きパンを貰って朝食を取る。パンは焼きたてで大変美味しかった。キャンプ場の周りを散策し、車内にて昼食を取った後町に出かけた。河に遊覧船が停まっており、遊覧船に乗ろうと思い、切符売り場を探したが見つからず。諦めてて街の散策に行く。古い
教会が有り、教会の中で2を支払い教会の塔に登る。小さな町の全景が見渡せ、これぞドイツの田舎町という感じがした。町を散策し町中に有った小さなスーパーで食料品を買いキャンプ場に戻る。そして、キャンプ場の売店にて、明日朝の朝食用のパンを申し込むも、意志が伝わらなかった様で有った。
宿泊費13、パン代0.55、食品代17
走行距離11Km 給油0L

830() Berlin DCC Campingplatz    ベルリン
 朝8キャンプ場の売店にパンを貰いに行くと、矢張り申し込まれていないと言われた。しかし、余分なのが有り、3のパンを譲ってくれた。昨日同様、美味しい焼き立てのパンを食べる事が出来た。出発準備(毎朝、必ず車を洗車しながら、車両点検するのを日課として来た。更に、車内の調理用水の排水処理と新しい水道水の積み込みをする。)をしキャンプシ場の管理人に挨拶し、一路Berlin目指し進む。
 始めに19号線を走り、24号線、そして111号線にてBerlin内に10時頃入る。地図上にて町の中心に入る道に目星を付け、入って行くと計画通りヒンデンブルグ門前に出る。門から離れた場所に広い駐車場が有るが、ヒンデンブルグ門の近くには無い。初めに門の裏側の道路脇に駐車して、ヒンデンブルグ門を背景に車の写真を撮る。脇道に入り、少し離れた場所へ車を止めてヒンデンブルグ門へ歩いて行てみる。ヒンデンブルグ門を正面から見ると、正面迄ヒンデンブルグ門を潜り、車で来れる事が解かった。ヒンデンブルグ門を正面見た後、そこから歩いて直ぐ側に有る国会議事堂を見学しようと思い、国会議事堂へ向かった。国会議事堂脇の駐車場に車を停め、国会議事堂へ歩いて行くと、議事堂前は物凄い人が列をなし、議事堂への入場を待っていた。議事堂見学には時間が掛かりそうなので、外から建物だけを見て車に戻る。その後、ヒンデンブルグ門を車で潜り抜け、門の正面に出て車と門の記念写真を撮る。先ほど居た場所は旧東ドイツ、そして今立っている所は西ドイツ、何か歴史の不思議差を感じた。
 2時を過ぎたので、今日の宿泊先のキャンプ場を探しに行く。地図に載っているキャンプ場へ、少し迷いながらも順調に到着する。受付で手続きをし、ノン・エレクトロシティー(3~5安い)の指定位置に車を停め、キャンプ場の周りを散策する。このキャンプ場も多くのキャンパーでいっぱいである。湖までは遠く行くことが出来なかった。
宿泊費17.5、パン代0.6
走行距離190Km 給油0L



831() Berlin DCC Campingplatz    ベルリンの壁
 朝、7時に起き、朝食を取りBerlin市内観光に出かける。車で行き、途中に有ったガソリンスタンドに寄り車に燃料を補給する。動物園駅の近くの道路中央に有る駐車場に車を停め、駐車料3時間3を自販機で購入する。駅の近くに有るバスセンターに行き、BBS市内観光バスのブースを探す。通りの上にキオスクタイプのBBSツアーの販売所が見え、そこで切符を購入しバスが来るのを待った。暫くしてB
BSとは書いて無いが同じ様な黄色の車が来たので、これで良いのか車掌に聞くとOKとの事。車内は大変混んでいて、座る席も無く暫く立って乗って居た。席に着かないとガイドのイヤホンが聞こえないので、何処を走って居るのか良く解からなかった。暫く走り、乗客が沢山降りた処で、2の席に行く。日本語の音声ガイドが有り、漸くして状況が解かる様に成った。しかし、天候はあまり良くなく、2階席は強い風で寒く、風を引きそうで有った。2時間に渡るバスに乗っての市内観光が終わり、元の出発駅に戻る。動物園駅の近くに有ったネットカフェで、1時間程欧州で初めてのMailを打つ。このカフェで日本語ソフトが入っているかと尋ねたら、有るとの返事。そこでこのカフェで打つ事にした、2.5支払う
 市内観光の途中で見た中で見たいと思った、Berlinの壁跡を見に行った。約50メートル程、以前のままにカベが残されており、博物館と成っていた居た。壁面には当時の落書きもそのままに、又、パネルには説明文と共に写真が貼られており、当時の状況が思い浮かべられる様に成って居た。想像以上にこのカベが国を分け、人の心も分けて居たのだと思われた。
 次に Berlinに初めて入った日に見た戦勝記念塔を見に行った、車を塔近くの道路脇に停めた。この戦勝記念塔は古い物で、世界大戦以前のプロシア時代の戦勝記念塔である。塔の高さは20メートル程有り、塔に中には285段の螺旋階段が設置されており、頂上まで上る事が出来た。塔の頂上からはヒンデンブルグ門が手に取る様に見えた。又、塔の反対側は緑の森が続く旧東ドイツ、東西Berlinの差が明白に見受けられる

 その後キャンプ場へ車で戻る、そしてキャンプ場近くのスーパーへ行き食料品を購入しキャンプ場へ5時過ぎ戻る。戻ると昨日止った場所には既に別の車が止まっており、新たな場所をキャンプ場の事務所にて指定してもらう。


宿泊費17.5、燃料費28、観光バス代16、駐車料3戦勝記念塔見学料5、食費23、ネット代2.5
走行距離41Km 給油31.5L

91() Wittenberg Brticken Campingplatz 
 朝6時起床し洗濯をする予定で有ったが、620分に洗濯に行くと、既に先客が洗濯を始めてしまい1時間程待つ事に成ってしまった。その間にP/Cと携帯の充電をしながら待つ。(洗濯場には自由に使える電気のコンセントが設置されている)洗濯機の操作は旨く行ったが、乾燥機の起動スイッチの操作方法が解
らず時間を費やす。結果としてはスタートボタンを少し押し続けなければ成らなかった事である。故に、洗濯が終わったのは10時少し前で有った。10時半キャンプ場をチェックアウトし、Potsdam目指し115号線に乗る。30分程でPotsdamの町に到着、町を出てしまう少し前で気が付き町中に戻る。そして、車を停めブランデンブルグ門迄行き、町を散策。次にサンスーシ宮殿に向かい、宮殿のツアーに参加する。ガイドがドイツ語のみのため説明は理解出来なかったが、少し主旨の異なる雰囲気の宮殿で有った。3時過ぎ宮殿を後にルターの宗教改革で有名な町Wittenbergの町へ10号線から9号線に乗り1時間程で町に入る。町を通り過ぎエルベ川を渡り、町の対岸にあるキャンプ場に泊る。シャワーは無料で温度調整もやり易く大変良かった。(ドイツのキャンプ場のシャワーは殆どが有料である。シャワー室内に設置されている料金箱に1を入れると、お湯が3分間出る。結構忙しい感じがする)河を結構大きな船が登って行くのを見た、船籍は多分東欧の様で有った。

宿泊費16、宮殿見学料16、駐車料4、食費6
走行距離129Km 給油0L

92()Leipzig  Campingplatz Auensee    ルターの宗教改革
 朝、出発準備をしていたら、1人の男性が何処から来たのかと声を掛けてきた。私が日本を出発し南北アメリカを回り、これから欧州の旅をしているのだと返事をした。そいて、Camp 場をチェックアウトする為にCamp場の事務所へ行った、すると事務所内に先ほど話し掛けて来た人が居た。つまりこのCamp場の管理人で有った、挨拶すると小瓶では有るがWittenberg産のワインをプレゼントしてくれた。Wittenberg の町はワインの産地でもある、町中までは5分程で着いた。駐車場に停め、町を散策する。通りに出ると正面にルター像のある市役所前に出た。像や全体の写真を見ながら500年前の当時の情況を想像した。しかし、ルターの宗教改革の話は知っているが、具体的に何をどの様にしたかは解からなかった。ルターの家は博物館に成っており、当時の情況が1部見られる様に成っていた。そして、最後にルターが祀られている教会に行った、この協会がルターが最初に宗教改革の話をした所である。当時のキリスト教はバチカンの法王を頂点に強力な力を持ち経済迄も握っていた、これに対し神による心の問題だけを行うべきであるとルターは発言した。この協会の建物は外観に比べ内部は大変質素で有った。(もう少し歴史を勉強しておけば、もっと興味深くそれぞれの施設を見学出来た物と反省しきりで有った。)
 そして、12時に車の中で昼食を取り、ホームセンターへガスコンロのガスを買いに行く。値段は超高の14.09(日本円で1本560円)で有ったが、購入しない訳にも行かず10本購入した。やはりここでもガスボンベは韓国製であった。そして、近くに有ったスーパーで食料を買い込む。次にWittenbergの町を出て一般道の2号線でLeipzigの町へ向かう。その距離70Km程で有り、3時前に町に入る。少し道に迷うも、旨く道路脇に有ったCamp場の看板を見付け、看板の指示道理5分程走るとCamp場が見えて来た。Camp場入り口にて手続きをし、指示された場所へ車を停めCampする。シャワーは無料で有ったが2分程度で切れてしまい、再度スイッチを押す事により2分間お湯が出た。何度でも使用可能で合ったが、お湯の出るのが自動的に停まる、これも無駄を無くす為の一手段と見えた。
宿泊費16.5、炊事用ガス代40.9、食品代16.8博物館入場料10、草履代3
走行距離81Km 給油0L

93() Naumburug の町の  Campingplatz
 朝9時過ぎLeipzigの町へ出かける。町中を散々迷った挙句何とかLeipzig中央駅にたどり着きいた。駅の観光案内所にて市内地図をもらい、町の散策に出かける。予想以上に町が小さく、殆ど通り越してしまい見学場所が見あたらかった。しかし、バッハが働いて居たトーマス教会やLeipzigの町中で最も美しい建物と言われている旧市役所。そして東西ドイツの統一のきっかけと成ったニコライ教会を見学した後、予定通り2時頃町を出る。しかし、ここでも東西ドイツの統一された場所で有るが、現在は何処までが東独だったのか区分けが解らなかった。そして、バッハ街道の次の目的地Naumburug向けて一般道を走る。少し道に迷うも4時過ぎにNaumburugの手前の町に入り、Camp場の標識を見つけCamp場に入る。
宿泊費14.5、駐車料3、燃料費32.6、その他雑費5
走行距離111Km 給油34.72L





94() Iena Hotel         カールツアイス博物館
 朝8Camp場を後にNaumburugの町へ向かう。Naumburug の町へ入るのに、何時もの如く迷った。その内に大きな教会の前に出る、教会の名前を確認すると今日の目的のSt.Wenzel 教会で有った。この教会は毎週水、土、日曜日の12時からバッハの曲のパイプオルガン演奏を教会内で聞かせてくれるとガイドブックに書いて有った。近くの駐車場駐車し、12時間まで時間が有るので、町を散策すた。他の教会やニーチェが高校生活を送ったと言う家等を見学した。11時半に成ったので、最初に行ったSt.Wenzel 教会へ戻る。教会への入り口は広場

から見ると裏手に当たり、ぐるっと教会を一周してしまった。入場料12を支払い、教会内の席に着く。12時少し過ぎて教会内は80%程の混みよう、いよいよ演奏が始まった。パイプオルガン演奏を正式に聞くのは始めてでは有るが、先に何処かの教会でオルガンの調整作業をしている時にパイプオルガンの音を聞いた時ほど感動は無かった。心地良い音楽が40分程演奏されて、パイプオルガンの演奏は終了した。教会を出て昼食を取り1時頃、次の訪問先Ienaを目指してNaumburugの町を出発する。
 Ienaの町までは88号線で1時間程で到着、Iena の町の観光案内所を探すが中々見つからない。その内、今日の見学目的の光化学博物館が3時前に見つかった。閉館時間までに未だ1時間半程有るので、博物館近くの路上に駐車し見学する事にした。この博物館は日本でも古くからレンズで有名なカールツアイス、詰まり、カールツアイス社の歴史を展示したは博物館で有っる。見学すると、それなりに光学器械の優良差を再認識させられた。その後、今夜の宿を街中で探すが中々適当なHotelが見付らず、町を出る頃やっと見つけて泊まる。Hotelへ泊ると忙しい、パソコンにて溜まった日記の作成、デジカメのパソコンへの取り入れ、パソコンの文章や写真のバックアップ、携帯電話の充電、ビデオカメラの充電等電気が必要な作業をしなければならない。宿泊費が高いHotelで有るが仕方がない。(後に、この様な高いHotelに泊まる事なく、欧州内には大変安いHotelチェン店「F-1(フォーミラー・ワン)Hotel」や「B&BHotel」等1泊30以下、もちろん部屋料金で有る。)


宿泊費75、教会見学料10、パイプオルガン鑑賞会4ニーチェの生家入場料3、博物館入場料14、食品7
走行距離53Km 給油0L

95() Erfurt Camp
 朝食が8時と大変遅い為ゆっくりと朝の時間を過ごす。8時丁度階下のレストランで朝食を取り、次の目的地Weimarへ向かう。1時間程でWeimarの町に到着す。例の如く街中へ入るのに少し迷いながら町中へ入る。(街中に入るには街道から、街中の通りに繋がる詳細な地図が必要だ。しかし、ガイドブックには街中の詳細な地図が載っているが、街道との関係は解らない。逆に大きな地図は街道から町に入るが、町のどの通りに入っているかは解らない。この事は何処の国でも同じ状況である。)
駐車する為にP標識の有る道端に車を止め、先ずバッハもこのお城の再建に携わったと、言われるお城を見学する。ただし、現在はこのお城の専属画家で有ったクラーナハの絵を中心に展示された美術館と成っている。城の見学を終え、市役所広場に行くと、そこでは本格的なドイツナショナルオーケストラを中心としたメンバーによる、野外コンサートが開催される処で有った。待つ事暫く12時コンサートが始まった。30分程演奏を聞き次の見学先へ向かう。次はゲーテの住んでいた家の見学に行った。途中、別の教会を通りゲーテ館を見る、ゲーテ館内のツアーの説明がは残念ながら全てドイツ語なので、殆ど理解が出来なかった。2時頃車に戻り、昼食を取った後町を出る。次の目的地Erfurtへアウトバーンを少し使って向かう。4時前にErfurtの町に到着、町の郊外に有るCamp場に泊る。
宿泊費16、燃料代20.9、見学料20
走行距離65Km 給油22.5L





96() Erfurt Camp     マイセンの陶器工場
 昨夜、家内との話で今日はMeissen(マイセン)へ行く事にした。家内がMeissen焼きの何かを購入したいと言って居たので、急遽予定を変更した。Meissen の町はErfurtの町から東へ200Km程走った所に有る。4号線に乗り約2時間マイセンの町に着く、この町は旧東ドイツ領内であった。またまた、例の
如く町中をうろうろ。道路脇にMeissen工場の標識を見つけ、沿って走るも最後で解からなく成った。又、町中を走り回り、結局最後に標識を見失った処にMeissenの工場は有った。工場へは入場料€10を払い、見学ツアーに参加する。集まった人をグループとしてのツアーで有るが、説明は日本語の案内機を無料で貸してくれ、各工程毎の実演を交えての説明で良く理解出来た。陶器工場は日本の陶器工場に比べると技術が落ちると感じた。花びら等陶器本体に取り付ける物は、全て型押しした部品ほ貼り付けるだけで有った1時間程でツアーは終了し、続いてMeissen博物館を見る。その後、街中の市役所広場や教会等を見ながら、市内を少し散策した。そして、丘の上に有るお城を見に行く、お城に着くと残念ながら既に閉館していた。仕方なく、城の隣に有る教会のDomを見学する。2時過ぎ昨日のCamp場へ戻る事にし4号線を西に走り、6Erfurt Camp場に入る。
宿泊費16、燃料代、見学料10、食品代18
走行距離432Km 給油39.18L

97()Eisenach Camp



 朝、Camp場内にパン屋さんが店を出していたのに気ずく、しかし既にパンは昨日購入済み、焼きたての美味しいパンが食べれたのに残念。今日は計画通り、Erfurt の町を見に行く。丘の上に有る大きな教会が2つ並んで建っているのを見に行く。なぜこんなに大きな教会が2つ並んで建てられたのか、良く意味が解からない。(日本でも京都を始め、色々な場所に多くのお寺や神社が並んで居る所が有る。宗派が異なる等で日本と同様な理由により、建立されて居るものと思われる。)そして、町中を歩きこの町の名所であるクレーマー橋の上の商店街を見に行く。11軒は小さな店が橋の上並んでおり、通りを見ている限りでは橋とは解からない、外から見て確かに橋の上の商店街と確認出来た。但し、以前英国のバースで見た物に比べると規模が小さな気がした。Erfurtの町を1時に出て7号から4号線に乗りEisenach町に向かう、4号線の途中に有った駐車場(欧州ではパーキングエリアがピクニックエリアの様に成っており、椅子付きのテーブルが並んで居る。)にて昼
食を済ませる。2時過ぎEisenachの町に着く、未だ時間が有るので名所で有るWarburgのお城を見学する。中世時代の如何にもお城と言う感じで有った。此処で日本人の青年と出合った、3ヶ月程の短期留学をしているとの事で有った。お城はツアーで周り、ツアーは1時間程で終了した。84号にてCamp場に向かう、少し侘しいCamp場に泊る。
宿泊費10
走行距離138Km 給油37、83L

98()Wurzburug Estenfeld Campingplatz  オペル自動車博物館
 朝、Wurzburug に向かう途中に有った町Eisenachに行く、Eisenach の町中のオペルの工場脇に有るオペル自動車博物館(アイゼナハ自動車博物館)へ行く。入場料12.1を払う。館内には10数台程度の車が展示されているだけで有ったが、現在はオペルの工場と言うのにBMWの今のマークに成る前からの車が展示されていた。
 この事は私は知らなかったがオペルとBMWには関係が有った。100年前に「ヴァルトブルク」という車の生産工場がここアイゼナハトに創立され、その後BMWの工場となり、第二次大戦後、東ドイツの国営自動車工場として、その名をEMWと変えて東ドイツの自動車産業を担って来た。そして現在のオペルに至るまでの歴史が車を通じ見る事が出来た。
そして、次の町Wurzburugへ向かい、Wurzburug の町の中に有ったCamp場に泊る。Camp場入り口にてWurzburug町の日本語の観光案内書を貰う、この町も多くの日本人が訪ねて来るのだなと思った。
宿泊費15.5
走行距離208Km 給油0L

99()Rotenburg の町のCamp場
 午前中Wurzburugの町中に有るWurzburug宮殿を見た後、町中に有る市庁舎前のマルクト広場を散策した。そして、午後にマリエンブルグ要塞跡を見学する、要塞跡は町を見下ろせる高台に建っていた要塞内は流石に要塞と言われる通り強硬な造りであった、敷地内には教会や馬洗い池等が有った。この町がRomatische Strasse のスタートの町である、故に街中で日本人観光客の一団に合った。そして、次の目的地Rotenburgの町に向かい、Rotenburg の町の外れに有ったCamp場に泊る。
宿泊費13
走行距離114Km 給油41.21L

910()
 Rotenburg の町中に行き、ヴォルクガング教会脇に建っていた門を通り歩いて街中に入る、町の中央に市庁舎が建っていた。市庁舎には高い塔がが有り、相当の数の階段を上り頂上に出る。頂上からは中世そのままのRotenburg町波が見えた。この町を含め殆どのドイツの町は、先の大戦にて瓦礫の山と成った。それらの町の再建を大戦以前と同様な町並みに戻すのが、ドイツを含む欧州の国々である。日本人の考え方は以前の姿を余り気にせず、新たな建物を建てて行く、ここら辺が少し異なると思った。その後、町を散策し、11時近くに成ったので市庁舎前のマルクト広場に戻った。11時には市庁舎の壁に取り付けられている仕掛け時計が動く、広場には既に多くの人が仕掛け時計を見る為に集まっていた。時計の左右に窓が有り、左側から30年戦争でロー デンブルグと戦った敵将、右側からはローデンブルグ市長グラ スを片手にワインを飲み干す動きをした。その
後城壁の内側を歩いて町に入った門まで戻り、ショッピングセンター内に有った日本人経営の土産物店で欧州で買える日本米に近い欧州産のお米の情報を得た。早速町外れに有ったスーパーでドイツ産の日本米に近いお米を2kg購入した。このお米はパエリアの様な料理に使って居る様だ。そして、7号線にてディンケルスビュルと言う町に行く、 町の建物は1400年代の古い家を中心に中世の町並みが見られた。通りに面したカフェでコーヒーを飲みながら、町並みを眺めた。
ディンケルスビュルの町外れに有ったCamp場に泊る。夕食に早速今日買ったお米を炊いて食べた、結構美味しかった。
 
宿泊費13
走行距離63Km 給油0L
 
911()Munchen Camp場
 ディンケルスビュルのキャンプ場を出発する、今日はネルトンゲンの町を目指す。走って居ると、道路標識が突然ミュンヘン」と変わった。直ぐ道路脇に数台の観光バスが止まっており、多分ここがネルトンゲンの町だと思い道路脇に停車する。するとネルトンゲンの標識が有り、城壁で囲まれた町が見えた。駐車場が直ぐ見つかり、駐車場に入り車を停め町の入り口の門が有る方向へ歩いて向かう。門はレジンガー門と言われ大きな石造りで、中世の時代を感じる。門を潜り、少し登りの石畳の通路を進むと広場に出た。正面に透かし彫り

が美しい市庁舎の階段が見えた。市庁舎の前を通り、広場の奥に有るゲオルグ教会に行く。教会の中に入ると直脇に有った、鐘楼への階段が有り登って行った。この鐘楼はダニエル塔と言われこの町のシンボルで有る。塔の上からは町全体が見えた、町の周囲は直径1キロ程の円形の城壁に囲まれて居るのが見えた。この町は元々1、500年前に隕石が落下して出来た、円形の盆地に出来た町で有った。広場の周囲には出店が並び、観光客等が買い物を楽しんで居る風景も見えた。町を出て次の目的地ミュンヘンに向かい、途中に有ったキャンプ場に泊まる。

宿泊費15
走行距離238Km 給油39.39L

9月12日(日) Munchen         BMW博物館
 朝、ミュンヘン市内に有るBMWの博物館を見に行く。ガイドブックにBMWの工場脇に

博物館有ると書いてあり、工場の周りを数回」廻るも博物館の入り口が解からない。すると、工場の塀に張られた大きな看板に、博物館がオリンピック公園に移動した旨書いて有った。看板に書かれた地図に従い、オリンピック公園(1971年のミュンヘンオリンピック陸上競技場脇)へ向かう。オリンピック公園に入ると、色々な催しが開催されていた。更に公園を奥に進むと、屋外にBMWの新車発表会を兼ねてか色々なBMW車が展示物されていた。直脇に有るBMW博物館に入ると、入り口脇にてBMWの製造ラインの映画が放映されていた、その中で驚いたのはED塗装工程にて、車をED槽内にて立てに1回転させて居るのを見た。この方式は車のボデーの箱物の空気抜き問題が大幅に改善されるのではと思えた。博物館内にてBMWの車両展示数はそれ程多くは無く、オートバイと車両がそれぞれ20台程度展示されている程度で有った。天候も生憎の雨交じり、早々にCamp場に戻る。帰り道に夕食の食材を購入する為スパーを探すも今日は日曜日、欧州ではスパーさえ日曜日は休みで有る。

宿泊費15、駐車料3
走行距離20Km 給油0

913() Munche.
 9時、Camp場の受付にてキャンプ料金を清算した後、Camp場を出て再びMunchen町に向かう。今日は新市役所に有るからくり時計を見に行く。毎日11時と12時そして17時の3回、からくり時計が動くとの事10時、町中に入り路上に駐車、2時間の駐車券を購入する。歩いて新市役所前広場に1110分前に着くと、既に何組かの見物客が集まっていた。11時に成ると鐘の音がして23分後、からくりが動き出した。其の動きはそれ程複雑でなく、至極単純な動きで有った。15分程で終了してしまった。からくり時計を見終わると丁度昼食時間なので、市役所の近くに有った売店にてMunchen名物「ホワイトソーセイジ」を食べる。初めての為、味が解からないので1人前頼んで食べると大変美味しい、更に1前頼む。次に、ドイツ博物館に向かう。ドイツ博物館の周りでは駐車場が見付らず、散々走り回った
挙句諦める。もう1Munchenの見学をする為、Camp場に戻る事にした。数日前にHotelに泊った時に切り替え用コンセントを忘れてきてしまい、PCの充電が出来ず、日記の記入が止って居た。其の為コードを直接二股コンセントに直結し使う様改造したが、Camp場での電源が余り良い場所に良くなく完全充電が出来なかった。そこで、帰り道の途中に有ったデパートに寄り、キャンプ場で必要な欧州用のコンセントの付いたXテンション コードを購入した。Xテンション コードのメス方を切断し、日本式のメス方コンセントを取り付けで車内に電気を引き込むのに絶対必要な物である。、

宿泊費15、シャワー代2、洗濯代5
走行距離20Km 給油0L

914()Halfing Hotel Kern      ドイツ博物
 朝MunchenCamp場を出発し、昨日車が駐車出きづ、見る事に出来なかったドイツ博物館へ行く。丁度旨く駐車場所が見付り、博物館に行く事ができた。博物館入場料は駐車料金とは別料金との事。博物館に入ると以前に見た本の写真に有った戦前のドイツ製飛行機が 目の前にずらりと並んで居た。メサーシュミト戦闘機やユンカース爆撃機、偵察連絡機等々、十分堪能した。1時過ぎ、次の見学地ニンヘンブルグ城を見に行く、数年前に見たオーストリアのベルサイユ城に形が似ているも、内装等は劣る。しかし、この城はドイツに於いては戦災を免れた、数少ないオリジナルなお城である。Munchen の町を後に、国道304号にてPrienの町に向かう。途中の町Haifingにて6時を過ぎてしまい夕闇が迫ったので、慌てて街道沿いに有った小さなHotelに泊る。年は取りたく無いが、夕闇が迫り周りが暗くなると、キャンプ場やHotelの看板が見えなくなり、探すのに大変苦労する様に成ってしまった。 PCやビデオの充電を十分に行う。

 
宿泊費68燃料代€36.26
走行距離123Km 給油37.81L
 
915() Camp
 Hotelは朝食付きで有り、昨夜チェックイン時Hotelより朝食を何時にするかと言われた。少し遅く出発したいので、7時半にお願いした。するとHotelから朝食は8時からと言われた、それでは8時にお願いすると返事をした。欧州は北米に比べ、キャンプ場やHotelは朝の動きが大変遅い。朝食を8時に取り、部屋に戻り旅の日記の整理等ゆっくり時間を過ごし、10時チェクアウトする。Prien の町を目指し出発する。1時間程でPrienの町に着く。湖を探し町を右往左往、やっと町の郊外に有る湖に到着。有料駐車場に車を止めて船乗り場に行く。何処の町でも同じだが、国道から町に入った所の関係が地図で中々読めない。町の地図に切り替えるも、現在地が解らない。街中を走り回り、やっと何処かで現在地を掴めるのである。又、町から国道に出る時も同様、目当ての国道に出るのも一騒動である。
 今日の目的はPrienの町に有るルートビッヒ2世が建てた
ヘレンキームゼー城の見学。このお城、町の郊外に有るキムゼー湖に浮かぶ島に建っている。島までは連絡船が有り、船は15分程で島に着いた。船着場からお城までは徒歩で約20分程、途中の立派な噴水や花園が続く。お城は大きくて立派な建物と広大な庭を持っていた。城内の見学はツアーと成っており、英語とドイツ語のツアーなので、英語のツアーに参加する。2過ぎ見学を終え、町に戻る。そして、次の目的地Berchtesgadenへ向かい、途中のvv町のCamp場に泊る。
宿泊費
走行距離56Km 給油0L

916() ベルヒテスガーデンの町のCamp場
 朝Camp場を出発し、オーストリアのザルツブルグ近くの道を右折し、国道305号線にてベルヒテスガーデンの町に向かう。街中に有ったベルヒテスガーデン駅内のインフォメーションにて、Camp場と湖の情報を得る。Camp場に向かい、Camp場に車を止めて徒歩で湖に行く。湖は氷河湖と思われ、湖面が少し白い青色の美しい湖で有った。天候が悪く、雲が架かり湖全体が見渡せないのは残念で有った。湖を遊覧船に乗り一週する予定で船に乗
出かけた。途中トランペットの岩と言う所が有り、船員がトランペットを吹いて聞かせてくれた。トランペットの音が岩に当り、こだまとして戻ってきた。 そして、次の泊まった小島の船着場にて下船し、其の場所に有る古く小さな教会等を見学し、船着場に戻り次の場所を目指して出発した。しかし、乗る船を間違え元に戻る船に乗ってしまった。これから、もう一度周るには2時間掛かるので、諦めてCamp場に戻る。全てドイツ語の世界では、語学力の無い自分に取っては大変である。
宿泊費
走行距離93Km 給油0L

917() Sad Toiz Camp        ヒットラーの別荘
 Camp場を出て、昨日通過したベルヒテスガーデン駅の前を通り、オーバーザルツブルグに向かう。オーバーザルツブルグにはヒットラーの別荘が有るので、それを見に行く事にした。
  オーバーザルツブルグの街中に駐車場が有り、そこへ車を停める。駐車場近くから専用のシャトルバスに20分程乗り、ケールシュタイン・パークブラッシュにて下車。そこからそそり立つ山の下に行くとエレベーター乗り場
までの50メートル程のトンネルを歩く。ヒットラーは当時、エレベター前迄車で来たとの事である。エレベターの内部は金張りの豪華な内装である。エレベーターを降りると、そこは別荘の内部。さすがに 元権力者の別荘、内部はドイツの昔の館の創りで有った。別荘は現在レストランとして使われている、ムッソリーニから送られた暖炉も残されていた。外に出るとドイツアルプスの緑の山波が続き、すばらしい景色で有った。又、そこからオーストラリアのザルツブルグの町が見える。この事はヒットラーが常にオーストリアを見張る為に、ここへ別荘を建てたと言われる所以でもある。
 ベルヒテスガーデンの町を後に、アルペン街道を走り、472号線に乗りSad Toiz の町に有ったCamp場に泊まる。このCamp場、モーターホームの定住者が多い。これらの人はジプシーやアウトローの人だと言われている。


宿泊費
走行距離176Km 給油0L
918()  Prunnen Camp場
 朝、Camp場を出て昨日に引き続く472号線を進む。ムルナウの町に到着し、街中の観光案内所
で町の見所を聞く。市内の会館で地元の物産展が開かれており、見学する。続いて小さなお城の中で地元出進の画家カンデンスキー ミュウタの絵画展が行われていた。絵を見た後、街中に、カンデンスキー ミュウタの家 ミュウタ ハウスとして残されていると聞いたので見に行く。ミュウタ ハウスを探したが、中々見付らず右往左往してやっと見つけた。それは、全くの普通の民家で有った。ところが開館時間迄未だ時間が有ったので、次の目的地ドイツで最も有名なお城の一つウイシュバインシュタイン城を目指して出発した。午後3時ウイシュバインシュタイン城に到着した、時間が中途半端なので、駐車場や入場券販売窓口、料金等を確認し、お城は明日見学することにして、少し先に有ったホルシュゲン湖の湖畔に有るPrunnen Camp場に泊まる。静かな湖畔のCyanp場で、湖を囲む周りの山々からは、多くのハンググライダーが飛び交っていた。
宿泊費18.5
走行距離114Km 給油0L

919() Lindau Camp    ウイシュバンシュタイン城
 今日はドイツのロマンチック街道のハイライト ウイシュバンシュタイン城を見に行く。8時のCamp場開場と同時に1番でCamp場を出発する。駐車場は14と書いて有ったので、その公営駐車場に停め、昨日確認した駐車場近くの城の入場券売り場へ急いで行った。既に数名の人達が入場券を購入していたれ2人分の入場券を購入し、そこでバス乗場を聞いてバス乗場に行く。バス乗場迄は50m程先に有った、バスの乗車券を購入しバスを待つ。バスは直ぐに来たが2組の日本人観光客で一杯となる。バスは急な坂道を10分程登り停車する。其処が終点で有った、お城が見える橋まで徒歩20分と案内書に書いて有ったが、実際は2分で着いた。吊橋の上からお城を見ると美しい城が見えた。その橋からお城迄は歩いて10分程、直ぐに着いてしまった。場内に入れる時間は決まっており、未だ相当時間が有った。約1間程外で待って居たら寒く成ってしまった。
 指定の時間に成り城内に入ると日本語のツアーが有り、そのツアーに参加した。各所に於いて日本語の放送で案内の、約1時間程のツアーで有った。是までにドイツに於いて幾つものお城を見てきたので、内部ではそれ程驚く程の物は無かった。外観がこれぞ美しい中世の山城であると主張していた。
 再びムルナウの町に戻り、町中を少し見て次の目的地Lindauに向かい、4時頃ボーデン湖畔に有る町Lindau町に着き、近くのCamp場に泊まる。今日AW1台見た、ドイツてSW2ZZW302見た。トヨタ車はドイツ北部では殆ど見かけないが、南部に於いてはしばしば見かける。同様にトヨタの販売店も北部では見かけないが、南部では数店見かけた。しかし、韓国車の販売店並びにスバルや三菱の店の方が遥かに多く見かけた。
宿泊費18.7
走行距離30Km 給油44.89L

920()Überlingen  Überlingen’S Camping   ツエッペリン博物館
 9時半、Camp場を出てLindauの町に戻り、町中を散策する。そして、Boden湖に
沿って31号を30Km程進むとFriedrichshafenの町に着いた。この町はツエッペリン飛行船が作られ、世界へ向けて発進した町で有り、ツエッペリン博物館が建っておりそれを見に行った。この町はツエッペリンを制作した経過より、航空産業が発展したが故に、第二次大戦時連合軍の爆撃を受け壊滅した町でもある。現在は其の跡を見ることは出来ない情況である。博物館の展示品を見て益々ツエッペリンの凄さを確認することが出来た。
 博物館を出て、街中の公衆電話で久々に日本の家に電話する。特に変わった事は無いが家の冷蔵庫が故障したと言ってきた。
 今日のCamp場も又Boden湖に有る町ÜberlingenCampとし、Friedrichshafenの町より更に30Km程西に走り4時過ぎCamp場に入る。暫くして次男より電話が有り、自動車で世界一周旅行中の山崎氏より電話が有り、携帯の番号を教えたと言って来た。10分程して今度は山崎氏より電話有り、明日、ドイツの中部に有るBayreuthで合う事にした。明日はアウトバーンを走りBayreuthに向かう。
  山崎氏は既に10年近くカリーナセダンで南北アメリカとアフリカを走り、現在は欧州を走り終えこれからアジアに向かう途中である。2年前、山崎氏が日本へ帰国された折、私が大阪へ出向き、旅についての話を聞いた方である。
宿泊料21
走行距離160Km 給油0L

921() BayreuthのCamp場
 朝8時過ぎ、山崎氏に会う為に、400キロ離れたBayreuthへ向け出発する。一昨日通ったLindauの町迄戻り、そこから国道やアウトバンを走りニュールンベルグ(第二次大戦後の軍事裁判で有名な)の町近くのBayreuthの町に2時過ぎ到着する。
  アウトバンは今まで憧れの高速道路で有ったが、ヂーゼルのハイエースではスピードが100キロしか出す、他の車から見ると止まって居る感じであった。現在のアウトバンは制限速度130キロが大半であるが、無制限の道路も未だある。但し、交通事故を見たが、それは凄い車の形が無い惨状で有った。
  Bayreuthの町の入り口有ったマクドナルドを見つけ、駐車場に入ると山崎氏のブログで見慣れてカリーナ・セダンが停まっていた。店に入ると直に山崎氏を探し、再会を喜ぶ。2時間程店の中で話をして、今夜は一緒にCanpをする事にして店をでる。少し先に有ったCamp場にてCampする。Camp場の管理人と交渉し、1Campエリアに車2台を入れる事にして、3人分の費用合計22を支払う。そして、車内でご飯を炊き日本食の夕食を食べながら、旅の話を夜遅くまで話し込む。(ドイツ国内で2台並んだ日本登録車 )

宿泊費22、燃料代44.4
走行距離487Km 給油44.6744L

922() カルフのHotel
 朝からご飯を炊き朝食を済ませ、昼過ぎ迄旅の話をした。車内で昼食を食べた後、Camp場を後にする。途中の9号線の入り口にて、お互いの旅の安全を祈りながら、山崎氏はベルリンへ、私はカルフへ向け出発。カルフの町はノーベル賞を受賞したドイツの作家ヘルマンヘッセの生まれた町である。アウトバン等を30キロ程走り、カルフの町に入る。カルフの役場前のヘルマンヘッセ広場に有ったHotelに泊る。
宿泊費70、燃料代40.9
走行距離303Km 給油41.78L


923() Stuttgart Camp
 朝、Hotel10時にチェックアウトし、ヘルマン・ヘッセ博物館へ行く。博物館はHotelの直ぐ傍に有った。以前、ベルリンのキャンプ場でBielefeld一家に会った、もし私がStuttgartへ来たならば、是非自宅へ連絡をとの話が有った。そこで StuttgartBielefeld宅へ携帯で連絡する。明日午後、自宅を訪問する旨伝え、Stuttgartの町へ向かう。Stuttgartの中央駅に行き、駅前に有る観光案内所にてベンツとポルシェ博物館、それとCamp場等の場所を聞き、同時に市内地図を貰う、。そしてStuttgart町のCamp場に泊る。Stuttgart町のCamp場の傍にはビール祭りの会場が有った、会場全体は大変広く、又、遊園地が各所に設けられていた。
宿泊費15燃料代47.4
走行距離75Km 給油47.93L

924()Stuttgart  Bielefeld
 8時半、Camp場近くのベンツ博物館へ行く。博物館はベンツの工場正門前よりシャトルバスに乗り工場内部にある博物館迄運んでくれる。博物館では日本語のガイド機を貸してくれた。展示品は全てベンツの製品ばかりで有った。特に第二次大戦中のドイツ戦闘機メッサーシュミットのエジンがベンツ製とは知らなかった。丁度12時、帰りのシャトルバスに乗り玄関迄戻る。
 そして、昨日約束したBielefeld家に向かう、Stuttgart中央駅内の観光案内所でBielefeldの位置を聞き、其の方向へ走る。多少迷ったものの、何とかBielefeldを訪ねる事が出来た。子供は小学6生を始め4人小さな子供たちばかりで有った。泊って行けと言われたので、ご行為に甘える事にした。夕食に手巻き寿司をご馳走したが、子供たちの評判は今一で有った。多分すめしの味が受け入れられなかったのだと思われた。
走行距離36Km 給油0L
 
9月25日(土) Stuttgart  Bielefeld 宅      ビール祭り
 朝、ご主人にUバーン(路面電車)の駅まで送ってもらい、切符の買い方を教えてもらった。2人の1日券を購入する。そして、今日から始まるStuttgartのビール祭りの会場に行った。会場ではビール祭りのオープニングセレモニーが行われており、それを見学する。女性の配膳係りが幾つものジョッキーを持って配って歩いているのを見かけた。ジォッキーと言っても、日本の小型ピッチャー程の大きさである。会場には1,000人程も収容出来る、ビール会社別に幾つものテント小屋が設けられていた。テントの中では、おつまみ用に牛一頭が回転式の丸焼き装置に掛けられていた。テントの周りには遊園地の設備が幾つも設定されて居た。天気が良ければ多くの人が集まって来るので有ろうと思われた。
 12時過ぎ、会場を出て町中に行く。昼食に中華飯店に入り昼食を取り、NetカフェにてNetを1時間半行い、Uバーンに乗りBielefeld宅へ戻る。ご主人は今日の夜はフットボールの仲間のパーテーに出かけると言っていた。帰りにBielefeld宅にお世話に成った お礼に日本から持って来た浮世絵を入れる額を購入てプレゼントとした。Bielefeld さんの子供4人の内、2人が友達の誕生会に行って、今夜は外泊との事である。明日、朝の出発時までには会えないかも知れない。奥さんはStuttgartの観光案内所で働かれており、ご主人はOPERの販売店に勤められていた。ご主人がトヨタは良いですね、苦情が少なくてと言っておられた。
走行距離0Km 給油0L
 


9月26() Bad Durkein 町のCamp場
 朝、ご主人と末娘の二人に送られBielefeldを辞した。ご主人に、この町の名所Heidelberg城の道を聞き、お城に向かう。お城はHeidelbergの町の中心部に有る小高い丘の上に有った。お城からはHeidelbergの中世を彷彿させる町並みが見えた。少しHeidelbergの町を 散策し、その後町を出る。国道650号線の途中のMainzの町に有った、大きな教会を見学する。更に650号線をBad Durkein の町外れのブドウ畑の中に有ったCamp場に泊まる。今日は朝から小雨模様で肌寒い天候で有ったが、昼過ぎやっと日が出始め暖かくなった。
宿泊費23.5
走行距離185Km 給油0L

927() ビンゲンの町の Camp場
 朝、Mainz の町を目指して進む。Mainz の町に有るグーテンベルグ博物館は残念ながら月曜

日の為の休刊日で有り見学する事が出来なかった。それ故この町に有る、ドイツで3本の指に入ると言われる大聖堂を見た。そして、街中に有った観光案内所で見所を聞き、紹介されたライン川に架かる橋「テオドールホイス橋を見て、シャガールが作ったステンドグラスの有るザンクトシュテーファン教会へ行くと正午の休み時間で閉まっていた。午後の会館は14:00と言う事なので暫く外で待つことにした。暫くしてゲートが開いたので中に入る、今まで見た教会内部の雰囲気と全く異なっていた。教会の室内は全面明るいブルーのステンドグラスを通して入って来たブルーの太陽光線で満ち溢れ,何か異次元空間に居る様であった。
 その後、ライン川沿いにKoblenzコブレッツの町を目指し進む、途中に有ったビンゲンと言う町のCamp場に泊まる事にした。Campスペースはライン川の川岸に有り、多くの船が川を行き交う風景や対岸には幾つかの古城が見え写真で見たライン川風景その物で有った。川を行き交う船は貨物を運ぶ結構大きな船が多く、更にそれぞれの船が掲げる国旗は様々であった。ライン川が多くの国の物資輸送の動脈で有る様子が伺われた。夜遅くまで車の中から、この風景を眺めていた。
 


宿泊費13.5、燃料代36.7
走行距離134Km 給油37.87L

928() ビンゲンの町の Camp場    ライン下り
 夜中に木の実が落ちて、車に当る音がしばしばした。あまり気にせず、何かの木の実が落ちてくるのかなと思っていた。朝、車のドアーを開け地面を見てみると、落ちているクルミの実を見るのは初めてで 有たが、どうもクルミの実の様で有る。実を拾い割って見ると矢張り矢張りクルミその物に見えた。食べたらクルミそのもので大変美味しい。急いで地面に落ちて居るのを拾い集める。バケツ半分程度集まった。
 今日はライン下りを楽しもうと思い、9Camp場を車で出発し、
ビンゲンの町中にある観光案内にて、船着場や駐車場、乗船料等を聞いて車を船着場近くの駐車場に停めて、歩いて船着場に行く。船着場の切符売り場で切符をこうにゅうする。一般的にはライン下りと片道切符を購入するが、私は車迄戻どららければならないので往復切符を購入した。しかし、往復の料金は片道料金の一割増しだけであった。未だ出発までに時間が有り、数名の乗船客らしき人が居た。しかし、出発時間近くなると、50名程度の人が集まってきた。どうも同じ会社の従業員のグループの様で有った。11時発の遊覧船にてライン河下りを楽しむ、中学生の時代?に習ったかと思われる「ローレライ」の歌に歌われるローレライの難所を通過する。乗客には多くの日本人観光客が居た。行きは1時間40程で終点の町に着く。丁度昼時、軽い食事をしようと町中を散策。適当な店が無く、岸壁より少し離れた場所に有ったピザ屋でピザを買い、け岸壁に有った小さな公園のベンチにて食べる。結構美味しかった。帰り便は1時間後2時発が有り、その船にてビンゲンに戻る。帰りの船には乗客は殆ど乗って居図、貸切状態で有った。往復約5時間を要した。少し天候が悪く肌寒く感じられたが、上甲板にて両岸の景色を楽しむ。そして、昨日泊ったCamp場に戻り、同じ場所にて泊る。夕方には対岸に見える小山の山頂に有る古城がライトアップされて美しく見えた。
宿泊費13.5
走行距離24Km 給油0L

9月29日(水) Vferwieseの町の Camp  ローレライ
 今日は古城巡りをしようとCamp場をでる。しかし、対岸に渡る橋が無く、ライン川沿いに少し下ったセントゴアールと言う町にて、
対岸に渡るフェリーに乗る。この場所はローレライの難所の少し上に有り、対岸の町へ渡る。再びライン川に沿って下るとローレライセンターの案内板が有り、案内に従い進む。結構細く急な上り坂を暫く登ると、小山の頂上に出る。そこにローレライセンターが有り、センター脇の展望台からは、ライン川の流れと曲りくねったローレライの難所の全景を観る事が出来た。又、真下にはローレライの難所の岩の上に建てられらローレライの女性像が見えた。
  その後、ライン川沿いにKoblenzコブレッツの町を目指し進む、途中に有ったVferwieseと言う町のCamp場に泊まる事にした。
 
宿泊費14.5
走行距離92Km 給油0L



9月30日(木)
 9時頃Camp場を出て、Koblenz の町に向かう。そして中央駅前に有った観光案内所
に寄り、要塞への道を聞く。要塞までは車で10分程、駐車場も要塞の中に有るとの事。要塞へ向かうと途中にリフトが有り、その近くに駐車場が有ったので車を止めリフトにて要塞に入る。要塞内には多くの車が停まって居た、直接要塞内迄車で来ることが出来たのであった。要塞からはライン河とモーゼ河の合流点に有るKoblenz町全体が見渡せた。この町も大半が第2次大戦にて破壊された町で有ったが、現在はその破壊の面影も全く無い、美しい町並みが見えた。この要塞内に有る博物館を見学した。
 そして、昼にStuttgartの町でお世話に成ったBielefeldさんのご両親の家に電話3時頃訪問する旨伝える。再び、駅前の観光案内所に行き、Bielefeld さんのご両親の家の住所を聞くに、住所はこの町では無く15Km程先に有る町で有ると教えてもらった。早速その町へ向かう。町の中へ入ると観光案内所が有り、其処で住所を尋ねると直ぐ街の地図に印しを付け、道順を教えてくれた。
 地図に従い進むと直ぐにBielefeldさんのご両親の家を見つける事が出来た。来訪を歓迎してくれて、早速お茶を飲んだ後、少し離れた所アイフェルンに有るカルデラ湖迄、車で案内をしてもらった。ドイツにも火山が有った事を再認識させられた。家に戻り夕食を近くの町のレストランにて頂く。夜、旅の写真を見てもらう。Bielefeld さんは退職され私と同様悠々自適の生活で有るが、以前はドイツの金属会社に勤められて居た。勤務中は日本の金属会社と業務提携されており、下松・八幡・東京等を数回訪れた事が有ると言われ、日本通でも有った。65歳で定年となり、現在78歳元気一杯である。今夜はBielefeld 宅に泊めて頂く。
 
 走行距離48Km 給油0L

10月1日(金)Camp
 Bielefeld さんの自宅で朝食を頂き、更に少し離れた所に有るエルツ城の見学にBielefeldさんの車で連れて行ってもらった。この城は人里はなれた小高い山の上に建つ美しい小さな城で、現在人が住んでいるとの事。この城もツアーに参加しなければならず、英語の見学ツアーに参加した。そして、自宅に戻り、昼食をご馳走に成り、玄関先で記念写真を撮って2時頃Bielefeldさん宅を辞する。ケルンの町を目指し走る、街の少し手前に有ったCamp場に泊まる。
                    


宿泊費16
走行距離92Km 給油0L




 

10月2日(土) Hotel         ドイツ最大のドーム
 朝Camp場を後にケルンの町へ入って行くと、途轍もなく大きな教会の前に出る。早速、駐車場を探し、車を停めて徒歩にて教会の下へ行く。この教会のドームはドイツ最大で、高さ157メーターとの事である。建物の写真を撮と思うも、建物が大きすぎ画面に入り切れない。Domの内部もそれ
は桁違いに大きく、内部装飾はともかくも、ステンドグラスは大変きれいで有った。Domの南塔に159段の螺旋階段を登り、塔の上から町並みを眺める。現代建築のビル郡の町並みが見え、少しがっかり。町中を散策する、この町はオーデコロンで有名な町である。 このオー・デ・コロン発祥の4711店に行き、お土産用に小さなオー・デ・コロンを数個購入した。この店は1972年創業であるが、その2年後ナポレオンの占領され住所が4711番地とされた。現在はその時の住所が店名に成っている。オー・デ・コロンとはフランス語でコロンの水と言う意味である、町の名前をドイツ語ではケルンと言うがフランス語ではコロ ンと言う。
 町を出て、デュッセルドルフを経由していよいよオランダへ向かう、国境近くに有ったHotelに泊まる。 
 ドイツを1ヶ月程走りてAW2台、SW2台、ZZW2台を見かけた。しかし、ドイツ国内でのトヨタの販売店は中々見当たらず、1ヶ月で3軒の販売店を見かけたのみで有った。他社の日本車のスバルやスズキの販売店の方がよほど多く見かけられた。更に韓国車の販売店は日本車以上に多く見かけた。又、ハンブルグ近郊ではトヨタ車を殆ど見かけなかったが、南部は時々目に付き安心した。聞いてはいたが、欧州でのトヨタの売れ行きは、まだまだであると感じた。
宿泊費70
走行距離181Km 給油43.68L


                 17カ国目オランダ
103()Netherlands Sneek Stayokay Y.H.  
 8時にHotel階下のレ ストランへ降りて行くと、未だドアーが閉まっていた。仕方が無いので部屋に戻り、荷物を整理して車に積むべく階下へ降り ていった。その時にはレストランへのドアーが開いていたので、車に荷物を詰め込みだ後再びレストランへ行った。レストランにて朝食を済まし、9時過ぎHotelを出 る。そして、今回の旅の17カ国目オランダのGiethoornの町を目指して走る。Giethoornの町迄は約20Km20分程で国境に着く。国境には旗が立てられており、国境事務所が有るも誰も居ない。何の手続きも 無く、国境を越えてしまった。途中、車を止め国境事務所の写真を撮る。そして、Giethoorn の町か ら少し離れた所に有る、De hoge veluwe 国立公園内に有るKröllermüller博物館へ行く。博物館にはゴッフォの絵が数十点展示されていた。博物館を2時半頃出て、オランダ 北部に有る大堤防を見るべくSneekの町を目指して走る。途中で5時を過ぎたのでCampを探すも、多くのCamp場が閉まっていた。10月に入り、冬 季の為多くのCamp場が閉鎖されて居る様で有った。そして、泊る所を探しながら遂にSneekの町に着いてしまった。町中でHotelを探 したが見付らず、途中に有った市内地図のユースホステルの案内が有り、そのユースホステルに泊る。(このユースホステルは個室では有るが2段ベッド、ト イレ・シャワーは共用で有るが大変清潔で有った。Camp場は全 てトイレ・シャワーは共用で有り、特に問題無し。
宿泊費33.5、地図3.9、燃料、公園入場料34
走行距離283Km 給油36.36L


ド イツ走行距離 4,594Km




0 件のコメント: