12. ボリビア・チリ・アルゼンチン・パラグアイ

                 11番目の国ボリビア入国

513日(木)La Paz   
 朝6時半に起床し、外のレストランで朝食を取る。8時Hotelをチェックアウトし、ガソリンスタンドで給油し、いよいよ国境へ進む。国境は昨日夕食を食べに行ったレストランの前なので、雰囲気は昨日の夜感じていた。
 先ずペルーのアドアナ(税関)に行きカルネのキャンセルをしてもらい、出国税C5を払い、続いてイミグレでパスポートのキャンセルを受ける。そして、警察の前を通りカルネのキャンセルされたのを提示する。OKの返事と同時に金の要求C7程コインが有ったので与える。 
 そして、国境の橋を渡りBoliviaに入る。先ずアドアナでカルネに記入捺印をしてもらい、続いてイミグレでツーリストカードを記入しパスポートに入国印を貰い完了。そこで、ペルーのお金がC400程 余ったので、ペルーの国境へ戻り両替しようと戻る。すると、先ほどの警官が出てきて、パスポートを見せろと言いった。見せると今度は密入国だと部屋へ入れ らた。部屋には5名の係官が居て、その内のボスらしきのが密入国で逮捕しろと言って1人を残し部屋を出て行った。そして残った1人が、逮捕されたくなけれ ばUS$100を払えと言い出した。仕方なく$100を払い、Bolivia側へ急いで行く。Bolivia側の手続きも完了しているので国境を出ようと、完了内容をゲートの手前の警官に見せるとOK、但し少し金をと又来た。$1を払う。いよいよ最後のゲート、係り官にゲートを開けてもらい通りに出る。通りは悪路で有り10分程走ると舗装路に出る。其処にも警察が居て車のチェックと金の要求又$1払う。またまたペルーに引き続きボリビヤでも胸糞悪い、悪徳警官と付き合わなければ成らないと思うと少し気がめいる。
 そして、舗装路をLa Paz 目指し走る。Boliviaは時差が1時間有り、1時間進める。お昼頃La Paz の町に入る。La Pazの町は良く写真で見る通り、すり鉢型の町で有った。町に入る高速道路の1車線が工事中の為、景色の良い処で車を停め写真を撮る。今日は篠田さんの友人の家にご厄介に成る事にし、先ず銀に行きB700を引き出し町を散策する。郵便局が有ったので入って行くと、Year’s Bookが売られて居たので2年分をB400で購入する。夕食は中華レストランで食べる、チャハン・餃子は美味しかった。
切手代B400,
走行距離133Km 給油49.21L     

514日(金)オルロ(Oruro)    B1=13.6円
 朝6時半起床、朝食に果物とコヒーを二杯飲み、浅田さんの友人宅を辞する。そして、昨日 町に入って来た高速道で、町を出ようとしたら、道路上に石が散乱していた。又タイヤの様な物が路上で燃やされてもいた。何かの反対派が妨害工作としてやったとの事、警察が大勢でていた。町を出て舗装路を1時間程走った処で、デモ隊に遭遇した。1,000人規模のデモ隊で、教員の給与の値上げ要求活動との事。路肩に止まり通り、デモ隊が過ぎるのを待った。5分程度で通り過ぎて行った、 その後には多くの石が道路にちりばめられていた。距離も数キロ有り、まともに国道を走れない。石を避けながら更に1時間程走ると次の町では暴動が起き、町の入り口を閉鎖しているとの警察の情報。またまた大回りな迂回路を走らざるを得なくなった、迂回路は道路標識の無い未舗装路となる。昼食を途中の小さな村の食堂で定食を食べる。更に悪路を4時間走りOruroの町に4時頃到着する。セントロに有る211日公園前のHotelに泊る。
宿泊費US$15,燃料代B335
走行距離253Km 給油0L

515日(土)Uyuni
橋の無い道
 朝7時半Hotelをチェックアウトし出発する。町を出る前にルーフに有る燃料タンクを縛りなおし、取れたルーフラクの留め金を閉めなおす。そして町を出て2時間程は舗装路で有ったが、その後は大変な悪路、延々と走る。4時頃やっとUyuniの町に付く。此処が実質のボリビア側の国境手続き場所で有り、その点を確認すべくアドアナ(税関)に行く、しかしアドアナは閉まっていた。次にイミグレ(入管)に行く其処も閉まっていた。仕方なく、近くでのHotelを探す。その時1人の自称ガイド(ギヤー)と称するのが近ずいて来てガイドの話をする。翌日は日曜の為アドアナ・イミグレ共に休みなので、取り合えず、明日はウユニ塩湖行く事にした。町の中に有る旅行社に行き、ウユニ塩湖のガイドを依頼した。ウユニ塩湖は標高3,600メートル、長径200キロ、深さ300メートルの塩湖で有り、現在は乾季の為湖面に全く水が無く、ドライブする事が出来るとの事であった。湖の湖面を走るので道路が無い、だから周囲の山の形を見て走る方向を決めなければ成らない。湖を走るボートと全く同じである、それ故船頭ならぬ、車頭を雇わなければ元に戻ることが出来なく成ってしまう。
宿泊費US$15,燃料代170
走行距離324Km 給油74.39L

516日(日)Uyuni   ウユニ塩湖を走る
7時起床、Hotelの朝食を取り、9時旅行社に行く。事務所にガイドが待っており、私の車に同乗してウユニ塩湖へ向かう。Uyuniの町より30分程悪路をラパスの方へ戻り、途中に有った村から塩湖側に入ていく。その村を通過するにはB5の通行料が必要である、湖への入場料かと思われる。塩湖に入る前にサングラスをする、サングラスが無いと雪目に成ると言っていた、其の通りである。初めに塩のHotelに行く塩湖を10分程湖面を走るとHotel着いた。現在はHotelは泊まる事が出来ず、ミュウジアムとして残されている。塩で作られた泊まれるHotelは、他の場所に移されて営業しているとの事であった。次にサボテンの生えてる島に行く、島と言うのも変だが矢張り島で有る。湖面から15メーター程の小高い丘で、丘全体にサボテンが覆って居る。又、この丘に登るのは有料なので、登らず写真だけ撮る。それから沖に有る魚島へ向かう、其の時始めて塩湖を直線で走った。初めは何となく路面が不安で有ったが、色々な表面の処を走る内に何処でも安心して走れる様に成った。ガイドが何キロ出しても構わない、と言っている。しかし、何せ標高3,600メートル、エンジンが噴けない、100Kmがやっとであった。魚島の横でコーヒーを沸かし昼食を取る。次に休火山で有るが火山島を目指して走る。火山島を半周しUyuniの町目指し戻る、その間約300Kmを走行した。其の為、燃料が空と成ってしまった。燃料代が無くなったのでUS$30を両替する。明日はいよいよUyuni塩湖を横断して、反対側のペルーとの国境目指し走る。但し、道が解からないので2日間のガイドを依頼するB350
ガイド料B200、宿泊費US$15,
走行距離338Km 給油53.49L

517() サンファン US$1=B7.95  ウユニ塩湖横断
 朝6時半起床し、8Hotelの朝食を食べ、チェックアウトする。840分旅行社の事務所へ行く既にガイドが待っていた。ガイドの自転車をこちらの車のルーフラックに載せ事務所前を出発する。始めにアドアナ(税関)へ行く、9時から始まるので少し車のチェックをしながら待つ。係り官が顔を出したので、カルネのキャンセルに付いて聞く。すると、チリーの国境に有るアドアナでカルネのキャンセル出来る言われたので出発した。途中郵便局(写真)が有ったので手紙を出すB7。今日のガイド料B200を払ったら、ボリバーの現金が無くなってしまったのでUS$20ボリバーに両替する。続いて、ガソリンスタンドへ行く、スタンドに着くとデーゼル売り切れの張り紙が貼られて居た。仕方なく街の反対側に有る別のスタンドに行く、ところが給油途中で軽油が無くなってしまった。3分の2程しか入いない、給油分の代金を支払更に別のスタンドへ向かう。悪路を30分程走り、昨日来た隣村の入り口に有ったスタンドで給油する。やっと満タンに成ったが、このスタンドの人が、あと少ししか軽油が無いと言っていた。そして、昨日と同じコースで塩湖に入り真中に有る島を目指し1時間程走る。途中右ハンドルのトヨタ・コースターとすれ違う、ガイドに聞くと密輸車両でチリーからボリビヤに運び左ハンドルに改造するのだと言っていた。又、大型トラックともすれ違ったが、あのトラックもチリーからの密輸品を運んで居るのだと言っていた。島に着くとゲートが有りB5支払、続いて島の周囲の道を走る。この道がまた相当な悪路で有る。この辺りはトヨタ・ラントクルザーが走っており、轍が深くハイエースは底を打って、まともに走れない。今度は軍の検問が有り、免許証等を提示し通過する。この島の道も中々の悪路で有った。リャマが沢山飼われて居た、一匹の子リャマが車に轢かれて死んでいた。2時過ぎ今日の目的地サンファンと言う部落に到着。今日は此処に泊まる、宿に食事を依頼し昼食取る。昼食はリャマの肉料理で有った、なかなか美味しかった。そして、車の洗車用道具を借り洗車する。序でに車をチェックすると後ろの右側のホイルハブナットが2個欠落していた。このタイヤ交換はペルーにて現場に居た人達で交換してくれ、尚且つ締め付けもしてくれた。締め付けソッケトを確認すると、締め付け過多によりソッケトが破損していた。この破損が以降の締め付け不足となり、結果としてナットが落ちてしまったと思われる。ハブナットは直ぐに購入出来るが、このソッケトはアルミホイル用であり、南米ではアルミホイルは一般的では無いので、アルミホイル用ソケットはまず手に入らないと思われる。今日は此処サンファンに泊るが宿泊料金US$10と、田舎家の割には値段が高い。夕食を部屋の中で作りツナー缶をおかずにして食べる。明日、朝8時出発とする。
ガイド料B200(B350),燃料代B90,B80,宿泊費B80
走行距離154Km 給油0L

         12番目の訪問国チリー入国
518日(火)Calama  1US$=P640  燃料L/P340(¥0.19)
説明を追加
ボリビアとチリーの国境
 朝6時半起床、このサンファンと言う地域は大変寒いと聞いていたがベッドにシラフを持ち込み寝た為か、余り寒くなかった。朝食を車の中でコヒーを沸かし食べる。8時サンファンを出発する。塩湖側の路面が柔らかいので、暫く島の周囲の道を走る。そして、再び塩湖を1時間程走る。エンジンの調子が出ない、回転がラフである。どうも何処かで燃料が凍結しているのでは、暫く低回転数で走る。塩湖を出る頃にはエンジン回転ラフの問題は無くなって居た。更に別の島の周りを走り、10時頃BOLIIVIA国境に到着する。国境は鉄道の駅を中心に数個の建物が有るのみ。道路に遮断機(写真)が有り、ガイドがアドアナ(税関)に知らせに行ってくれた。自分たちで遮断機を上げ、アドアナ事務所に来る様にとの事。遮断機を上げ車を通過させ、アドアナに行く。簡単にカルネに出国印を押し、サインで完了、ものの23分。次に、長屋の隣の部屋がイミグレ(入管)、此処もアドアナ同様係官は1人、出国税B15を払いパスポートに出国印を貰い、領収書を受け取り即完了。ガイドに謝礼としB20を渡し、車のルーフラックから自転車を降ろしそこで別れる。ガイドはヒッチハイクをしながら、ウユニの町まで帰るとの事で有った。
  CHILH 側国境の町オジャグエには、其処から悪路を6Km 走る。オジャグエの入り口で警察がイミグレの代理をしており、入国書を記入しパスポートに入国印を貰う。そして検疫にて車の消毒を受け、アドアナにてカルネとペルミソ(車両入国許可証)の両方を発行される。出国時問題にならなければ良いのだが。30分程で無事チリーに入国する。
 チリー側の道路も未舗装では有るが、整地されており、時速780Kmで走行出来た、火山、塩湖の取り合わせで大変美しい風景で有った。途中フラミンゴの群れも見えた、写真を数枚撮る。そしてチュウチュウと言う部落迄未舗装で有った。その部落から舗装路となり、Caramaの町に2時過ぎ到着する。先ず銀行へ行き100,000Pesoを引き出し、スタンドへ行き燃料を補給する50L/17800P。そして、町を散策しHotelに泊る16,000P
出国税B15、燃料代P17,800,宿泊費P16,000、食品代5,380
走行距離274Km 給油50.26L 
      ボリビア走行距離1,142Km


519日(水)Antofagasta   世界最大銅鉱山
 朝、7時起床。今日は世界最大と言われるCarama銅鉱山の見学に行く、9時半迄に鉱山入り口に集合と本に書いて有ったので8Hotelをチェックアウト。鉱山入り口に行くとツアーの受付の有る建物は閉まっていた。9時半迄には時間が有るので、朝食を取る事にした。近くの屋台でサンドイッチを買い、車の中でコヒーを沸かし食べる。
 時間に成り、受付に行くと係員が居て、隣の事務所から電話でツアー申し込みをするようにと言っていた。それで隣の事務所に行き電話を借りツアーの申し込みをする。申し込むとツアーは14:00出発と言われた。仕方が無いので町に戻り、TOYOTA店に行きエンジンOill交換とハブナット2個を購入する。(エンジンOill交換は自分でも簡単に出来るが、後の廃油処理が出来ない。その為専門企業に依頼する)アルミホイル用ナットレンチBoxは売っていなかった。(中南米では未だアルミホイルは一般的でない)料金P33,000で有ったがP30,000に値引きしてくれた。未だ時間が有るのでメルカド(市場)を少し見て銀行でP100,000を引き出す。
 12時に成ったので、鉱山へ行く道の途中に有ったモールの中で中華料理を昼食として取るP3,000。その後、鉱山に戻る、受付で申込書と寄付金P500を渡す。暫くして、ホールにて露天掘りと精錬の情況をVTRで見る。その後、大型バスに乗り込み5Km 程走ると露天掘りの鉱山が見えた。直径5,000mは有ろうかと思う大きな穴が掘られ、400t積みの超大型ダンプが蟻の様に見える。バスを降り、30分程露天掘りの見学場所より露天掘りの情況を見学する。又見学場所の横に超大型ダンプも古いのが1台展示されていた。そして、再びバスに乗り5Kmを走り事務所に戻り、解散と成った。午後4時である。今日はCaramaから200Km離れた港町Antofagastaへ向かう。舗装路では有るが結構距離が有り遠い。午後6時過ぎ日が落ちた後、Antofagastaの町に入る。Hotelを探し泊る。部屋には台所が有ったので、近くのスーパーで肉を買いビフテキを作って食べる。
宿泊費P15,000,鉱山見学料P500E/G Oil交換P30,000,食費P4,000燃料代P13,000
走行距離302Km 給油37.2L

520日(木)Chanaral
 朝、部屋に有るキッチンにて朝食にパンを焼きコヒーを沸かし取る。そして、今日の目的地Chanaral目指して走り出す。しかし、今回も町を出るのに道に迷い30分程の時間を要した。パン・アメリカン・ハイウエーに出てChanaral目指し走り出す。道路は直線で周囲には草木の全く無い荒涼とした風景になる。延々と風景の変わらぬ舗装路を走る。午後1時、少し道を外れ20Km程海岸に向かい走り、Taltal村に行く。村に入り、燃料が殆ど無いので先ずガソリンスタンドに行く。スタンドに着くとデーゼルが1時に入荷する予定だが未だ入って居ないと言われた。昼食事後、燃料を入れる事にしてレストランへ行く。レストランでは魚料理を頼む、フィシュ&チップスの様なフライが出てきた。ソースが有ればもっと美味しく食べれたと思った。帰りに再びスタンドに寄るも、未だ燃料は未入荷で有った。仕方なく途中で予備燃料を使う事にして走り出す。ハイウエーに出て、駐車場で予備燃料20Lを補給しChanaralの町に4時過ぎ入る。Hotelを探して泊る。(中南米では何度もガソリンスタンドに燃料が補給されていない場合が多く、たびたび給油が受けれない事が有るので、早め早めの給油が必要。私は燃料計が半分に成ったら補給してきた。)
宿泊費P11,000、燃料代P24,500,
走行距離478Km 給油74.48L

521日(金)La Serena

 8Hotel付きの朝食を食べChanaralの町を出発する。ルート5(パン・アメリカン・ハイウエー)を今日の目的地La Serenaの町を目指し進む。始めは海岸線で有ったが、徐々に内陸に入り岩の多い荒地を進む。更に内陸部に進むと、再び緑の全く無い荒れた土地を進む。13時途中の町Vallennaで到着し、町中で昼食を取る。更に荒地を進み、4時頃La Serenaの町に着く。Hotelを探し泊る。夕食にこの辺の名物であるうにを食べる、うにの味は薄かった。
宿泊費P20.000,燃料代P
走行距離522Km 給油50.15L

522日(土Santiago
 朝食は豪華で有った。そして、家内にHotelより電話する、三男も家に居て元気な様子で有った。8時過ぎHotelをチェックアウトしルート5をSantiago目指し出発する。その途中に温泉が有ると言う事で、温泉に入りゆっくりしてからSantiagoへ向かう予定であったが温泉地の出口がわからず通りこしてしまった。仕方が無いので其のままSantiago目指し走る。途中の漁港で昼食を取り、4時頃Santiagoに入る。
燃料代P,P,P,夕食代P2,000,宿泊費P17,000
走行距離481Km 給油84.1L

523日(日)Santiago
 今日1Santiagoの町を散策するも、残念ながらウニの瓶詰めは見つからず。露天が沢山出ていた、露天でChileの切手とコインを購入する。何かお祭りをやっている様子、民族衣装を着ての踊りのグループが幾つか見受けられた。
宿泊費p16,000、切手p8,500、コインP8,500








走行距離0Km 給油0L      

           13番目の訪問国アルゼンチン入国
 
524日(月)Argentina Mendoza  US$1=P2(¥39)
 これ以上南下をすると、ブラジルでのカルネの有効期限が問題になる可能性が有るので、南下を止めArgentinaへ抜ける事にしてPan Amerikan Hiwayを北上する。そして、ArgentinaMendozaの町を目指し、Hotelを9時頃出発する。ハイウエイの途中にて朝食を食べてから国境へ向かう。
 アンデスの峠3,500m付近が国境で有る。Chile出国手続きはイミグレ、アドアナの場所が数箇所に別れて、距離も有るが処理は共に簡単に終了した。更にPeruでの経験を元にChileのお金P38,000の両替をChile側で済ます。そして、Argentina側もChile同様に事務所が数箇所に分散するが特に問題なく手続き完了。但し、カルネの有効期間が短い為か、カルネの裏に有効期限の裏書をされた。ブラジル入国時、問題無ければ良いのだが。(両国の全ての処理が全く事務的に処理してくれた。全く問題なし)
 アンデス山は数日前に降った雪で既に雪景色、道の両サイドに多量に雪が積もっていた。Argentinaの峠ではアクアコンガの山が聳え立つのを見ることが出来た。そして、走る事、数時間Mendozaの町に入りHotelに泊る。南半球は今、真冬である。
宿泊費P40,食費
走行距離348Km 給油0L  
     チリー走行距離2,166Km

525日(火)San Luis
 今日はArgentina の祝日なので郵便局も休みである。Hotelでの朝食を朝8時過ぎに食べ、Argentinaの首都Buenos Airesを目指し進む。この辺りは全くの平原で有る、ワインの産地の様で葡萄畑が目立つ。葡萄畑は日本と同様の吊り下げ式が主体であるが、欧州型の縦型も時々見える。殆ど真直ぐな道を110Kmでただただ走る。4時過ぎ、San Luisの町に到着Hotelを探し泊る。
宿泊費P30,燃料代P137,食品費P40,
走行距離326Km 給油90.76L

526日(水)Venado Tuerto  道路が冠水
 朝7時過ぎ起床、Argentinaは冬期の為なのか朝が遅い。9Hotelの朝食を食べ一路Buenos Aires目指し進む、町を出る時に道に迷うも、何とか町を出ることが出来た。そして、再び直線路を走る。しかし、途中より数日前に降った豪雨の影響で至る所に池が出来ていた。又池にはフラミンゴ、白鳥、その他多くの水鳥を見ることが出来た。何故、緑の無いこんな処に、フラミンゴや白鳥が居るのか不思議であった。その内、道路が冠水し交互通行に成って居た。水位は床面を越えず、室内迄は入って来なかった。又、少しは床下が綺麗に洗えるかと期待したが無駄で有った。7号線が破損し、通行止めとなり迂回路を走る。其の迂回路途中にあった町、Venado Tuerto3時半頃到着する。郵便局で手紙を出し(P10)、Hotelを探して泊る。夜、所持金少なくなったので銀行を2軒回り、キャシュディスペンサーを操作するも現金を引き出せなかった。明日Buenos Airesへ行けば問題無くなると思われるので、諦めて宿に戻る。
宿泊費P22、燃料費P105,郵送費P10,
走行距離477Km 給油72.93L

527日(木)Buenos Aires
 朝、目が覚めたら8時を回って居た。慌てて飛び起きシャワーを浴び見繕いをし、Hotelの朝食を食べる。Hotel付きの朝食と言ってもコーヒーとクロワッサンのパン2個のみで有った。9時チェックアウトし8号線を460Km 先のBuenos Aires目指し進む。今日も平坦路を略、真直ぐ走る。途中雁の群れが北を目指し飛んで行くのを見る。南半球とは逆の方向である。2度程警察の検問を受けるも、特に問題無し。3時頃、Buenos Airesの町に入る。ガイドブックに有るHotelに泊る。夜、銀行を10軒程周るも現金が出ず。両替を明日する予定で有る。
宿泊費P16、燃料費P,








走行距離391Km 給油35.47L

528日(金)Rosario アルゼンチンにも居た悪徳警官
説明を追加
 朝目が覚めたら8時で有った、特に予定が無いのでゆっくりと9過ぎチェックアウト。昨日見た郵便局へ行き切手のイヤーズ・ブックP50を購入する。そしてBuenos Airesの町を9号線に乗り出る。そして午後3時過ぎ、Rosarioと言う町の30Km程手前で給油し出発すると有料道路の料金所が有り、料金を払い通過する。
 直ぐに、警察官が停止を指示してきた。停車すると、ビデオカメラの購入証明書を見せろと言うので、日本語のビデオカメラの取り扱い説明書の裏表紙に印刷されている保証書を見せ、これが購入証明書だと提示した。すると警官は話題を変え、薬を持って居るだろうと言うので、数種類の薬を持っていると答えた。それでは、これから車内を徹底的に調べ麻薬を持っていないか調べる。検査時間は何時間掛かるか解らない、もし嫌ならP200US$60)を払えと言って来た。たちの悪い警官には何を言っても通じない、目的が最初から金を巻き上げる事だから。仕方無くP200を払う、アルゼンチンも悪徳警官が居た。30Km程走りRosarioの町のロンリープラネットに書いて有ったHotelに泊る。駐車料1P10.そして、銀行を10軒近く歩くもキャッシュディスペンサーから現金が出ず、手持ち金が少なくなり、一寸困った。
宿泊費P、燃料費P120,切手P50,
走行距離320Km 給油68.96L

529日(土)Cordoba
 Rosarioの町を道に迷いながら9号線に出る。9号線をCordobaの町に向け走る、途中での給油は、クレジット・カードで支払う。相当の距離を走り4Cordobaの町に着く。ガイドブックに載っていたHotelに泊る。初めにバスターミナルに行き、キャッシュデスペンサー2台をトライするが現金が出ず。セントロに移動し又もや10軒近くの銀行でキャッシュデスペンサーを歩き、得たのはたったP100のみ。夜、浅田さんがChileへ戻ると言ったので、明日か明後日此処をそれぞれ出発する事にした。(町中で見た年代物の現役車両)
燃料代P55,
走行距離420Km 給油31.3L

530日(日)Santafe
 朝、またもや8時に目が覚めた。8時半Hotelの朝食を食べた後、浅田さんがバスターミナルへChile行きのバスを確認に行った。1時間程して戻って来て、今夜11時発のバスで経つと言った。それでは私もこの町に留まる理由が無いので、直ぐ町を出る事にした。浅田さんに私の持っていたPeruの残金P490ArgentinaP300US$40に両替してもらた。10時過ぎ又もや、町の中の道を迷いながら町を出る。Paraguayを目指し、今日はSantafeに向かう。途中の給油やスーパーでの食料品の買い物等は全てカードで処理した。Hotel代もカードで処理する。
燃料代P59,通行料P4.2、食料費P6.7,宿泊費P40,
走行距離430Km 給油38.39L

531日(月)Resistencia
 朝6時半、目が覚めるも外は真っ暗で有る。7時半より朝食の為、食堂に行くも外は未だ明るくならない。8時過ぎチェックアウトし、11号線を北上する。Argentinaを毎日走っているが景色が殆ど変わらない、平原しか見えない。冬に向かって雁が北に向け飛んで行くのが見えた。後1日でParaguayの国境に着く、取りあえずParaguayに入国しBrazilのビザの取得を勧める。Argentinaのお金が余りそうなので今日から現金を使っている。4時過ぎResistenciaの町に着き、Hotelに泊る。
燃料代P、通行料P3.2、宿泊費P25
走行距離475Km 給油72L

           14番目の訪問国パラグアイ入国


61日(火)Paraguay ・アスンシオ(Asuncion)  (¥0.019) 
 朝6時に起き7時半未だ薄暗い内にHotelを出発した。そして、Paraguayの国境に最も近いアルゼンチン側の町に泊り、明日の午前中にParaguayへの入国を決めた。町を出て国道に入ると直ぐにガソリンスタンドが有り、燃料給油の為に入って行った。燃料を給油していると1人のヒッチハイカーが寄ってきて、日本人ではないかとかParaguayへ行くのではないかと盛んに聞いてくる。仕方が無いので乗せる事にし、出発した。1時間程走った後、車の中でコーヒーとパンで朝食を取る。そして、走る事3時間、11時過ぎ国境に付いた。
 国境にてArgentina のアドアナ(税関)でカルネの出国処置をし、隣の部屋のイミグレ(入管)でパスポートの出国手続きを受ける。Argentinaのイミグレの隣の部屋がParaguayのイミグレ(入管)で入国手続きをして、更に隣の部屋でアドアナでカルネの手続きを行う。Paraguay側の係官は「カルネ」の取り扱いが解からず時間が掛かった。其の上Paraguay滞在5日間とパスポートに記入されてしまった。ここらの手続きと道案内で、ヒッチハイカーが大変協力してくれて助かった。
 Paraguayに入り、Asuncionの町で日本人を知って居るので案内すると言って、1軒の大きな施設に案内してくれた。そこは、大きな会館風で宗教団体と思われる会館で会った。旗に五輪塔のマークが有ったので光臨法かなと思って入って行った。中にて責任者らしき人をを紹介してくれた。又、1人の年配の日本人女性が居て、日本語並びに英語で話をした。すると、ここの責任者の方が、案内をしてくれたヒッチハイカーに以前会った記憶は有るが、実際は良く知らない人だと言っていた。そして、丁度昼食時間で日本のカレーライスを作ったので、是非食べて行けと言われカレーライスの昼食を頂く。食事を取る為のお祈りに「アーメン」と言う言葉が有り、仏教では無くキリスト教関係で有る事が解かった。
 その後其処を辞し、別の日本人を知って居るので案内すると又、ヒッチハイカー言うので其処へ行った。其処には日本人の女性が居て、話をすると、「ご存知と思いますが此処は統一教会員の宿泊所で、会員以外は泊めない事に成って居る」と言っていた。しかし、父親が帰って来たら相談して見ると言い出した。そこで慌てて、ご無理をお掛けする積りは有りませんと丁寧にお断りした。話の中で本部という言葉が出て来て、昼食をご馳走に成った処が、統一教会のParaguay本部で有った事も解かった。成るべく早くその場を辞したかったが、ヒッチハイカーが永いを決め、仕方なく小1時間程話をした。やっとその場を辞して、今日の宿を探しに行く。そしてガイドブックに有った日本人宿に行き、値段を聞くと朝食(日本食込み)付きでUS$11と言われた、今日は其処に泊る事に決めた。結構立派な建物で、玄関脇に柵で囲まれた駐車スペースが有り、安心して駐車できた。ヒッチハイカーとは其処で別れた。宿はバスタブ付きで、広く清潔で有り、Netも無料で出来た上、テレビはNHKの放送を見え、久々に日本の情報を得ることが出来た。夕食にHotelの日本食レストランでカツ丼を頼んだら、カツカレーが出てきてしまった。昼飯と同様のカレー、少し食傷気味だが食べてしまった。
燃料代G120,000,宿泊費US$11、夕食代、電話代G36,000
G5,000=1US$
走行距離337Km 給油43.22L   
       アルゼンチン走行距離5,290Km

62日(水)Asuncion    ブラジルのビザの取得
 朝、周りの騒音で目が覚めた、Hotelの正面が大きな公共施設の建物であり、朝早くから人や車の動きが感じられる。Hotelでの朝食を食べ、もう1日の延泊を申し入れる。
 今日はブラジルのビザを取る為にタクシーで10分程のブラジル大使館に行く。記入用紙(スペイン語とポルトガル語)の意味が解からず時間が掛かった。そして、支払の段になり、$で無くパラグアイGで支払う様言われた。外に出て両替屋を探し、US$100を両替し大使館に戻り支払う。すると、明日10時半引き取りに来るよう、引換券を渡された。大使館を出て、町を郵便局の方に歩いて行く。郵便局は直ぐ見付った、コレクションと言うと建物の反対側へ行くよう言われた。建物を出て裏に回るとキオスクが有り、その前に切手が展示されていた。切手を見ていると係員が来て何かと言うのでコレクション用の切手を購入に来たと言うと、奥の部屋に案内してくれた。其の部屋は3人の女性職員が座っており、その旨伝えると真ん中の女性が机の前へと指示してきた。又例の如く、ロッカーから切手を取り出す各1枚ずつ頼む。延々と其の作業を続ける。小1時間掛かったと思う、G190,000支払局を出る(写真下)。前は直ぐ川岸、公園が有り立派な建物が有り写真を撮る(写真上)。更に町を歩いて昼食場所を探すに適当な店が無く、Hotel迄歩いて帰ってきてしまった。しかたが無いので近くの売店でホットドッグを食べる。Hotelに戻りNetをやり、6時腹が減ったのでHotelのレストランへ行くと電機が点いて居ない。始まる時間を聞くと6時半からとの返事。暫く部屋に戻り、7時頃行くも開店していない。今日は休みかと思い隣に有る中華料理屋で食事をし、Hotelに戻って来るとHotelのレストランの電気が点いていた。部屋に戻りパソコンの記録を整理して、熱いバスタブに浸かり、寝床に入る。
宿泊代G1230002日分),ブラジルVisaG360000、昼食代G4700,切手代G190000夕食代G32000、コインG15000,
走行距離0Km 給油0L

63日(木)Ciudad del Este ¥1=G52  又、悪徳警官
 朝7時起床し、ゆっくりと出発の準備をする。8時過ぎ朝食を取りながらNetをやる。10時チェックアウトし車でブラジル領事館に向かう。そして車を路上に止め、銀行に行きカードで現金を出す様依頼するも浜銀カードは否決され、UFJカードでG500,000(9624)引き出す。コインを買い(G80.000)、昼食を食べG5000郵便局で手紙(G8000)を出してから大使館に行く。受付に行くと直ぐにパスポートを返してくれた。駐車場へ戻り駐車料G3000を払い、Ciudad del Este 向け出発する。途中警察の検問に合い、雲行き悪し、結果としてG250000ふんだくられる。そして、暫く走り道を聞く為警察官に聞くと、方向の説明の前に事務所に入れと言う。またかと思うも仕方ない今回は細かい金でG50000払う。ガソリン代どころか高速代も危なく成ってしまった。Ciudad del Este6時少し前に着く。道を聞いたら反対方向を教えてくれた、Hotelを探しても出て来なかった。そして、3軒目で反対方向である事が解かり、車に同乗しHotel迄送ってくれた。家迄送り返しお礼を言いHotelに戻る。Hotelにキッチンが付いて居たのでスーパーへ行き、食材を買い夕食を作る。
ガイドBookを読むとイグアスの滝はParaguay側からは何も見えない事がやっと解かった。其の為、明日は金曜日国境を越える事にした。
宿泊費US$18、郵便代G8000,雑費(コイン)G80000,食品代G70000,警察300000
走行距離320Km 給油0L

       15番目の訪問国ブラジル入国

64日(金)Brazil Foz do Iguacu               イグアスの滝
 朝7時起き窓の外を見るに物凄い霧である。今日のイグアスの滝は視界が悪いのではと心配する。8時過ぎHotelのレストランで朝食をとる。通りに面していて朝の出勤風景が、霧の中に霞幻想的で有った。食後両替屋を探すも見つからず、燃料代が無いので仕方なく予備燃料20Lを給油する。そして、10Hotel出て国境へ向かう。通りは車で一杯、相当の交通渋滞である。どうも密輸品?をタクシーに積み、国境を越える様子である。タクシーが荷物待ちしており、それが渋滞の原因の様である。
1時間程で国境に着く、アドアナ(税関)で車のカルネをキャンセルをしてもらう為アドアナへ入って行った。パラグアイへの入国時、パラグアイの税関が間違えてカルネの出国欄に入国事項を記入した為、出国時印が押せなくなってしまた。そこで、新しいページに出国印を捺印し終了した。約30分程かかった。(この様な事が起きる可能性が有るので、カルネのページ数は余裕が必要)続いて、イミグレに行きパスポートのキャンセルをする。これで、パラグアイの出国処理は完了。
 次にブラジル側の入国処理で有るが、始めにイミグレに行く。イミグレでは入国書に滞在1ヶ月と記入提出すると、係官にブラジルは広いから滞在期間を3ヶ月にした方が良いと言われた。しかし、カルネの有効期限が後1ヶ月しかないので滞在も1ヶ月にして提出した。パスポートと入国書に入国印を捺印し入国手続き完了。次にアドアナ(税関)でカルネの作成を依頼、結果はカルネに印を貰ったが、ペルミソ(車両入国許可書)も1ヶ月で発行された。12時半入国手続き全て完了する。(入国時滞在期間3ヶ月取る様言われたが、1ヶ月にしてしまった。別件で1ヶ月で出国出来なくなり、滞在延長処置が大変であった。滞在期間は何処の国でも、最長期間を取るべきと思った。)
 ブラジルの国境イグアスのの滝のある町Foz do Iguacuへ入る。途中銀行が有たので、ブラジルのお金を手に入れるべく銀行へ入って行った。キャッシュディスペンが見当たらないので、カウンターに並びサークレジット・カードでの出金を頼する。すると、ここでは出来ないので、本店へ行ってくれと言われた。当座、現金は必要無いかと思い銀行を後にしIguacuの滝へ向かう。町の中をぐるぐる回るもなかなか滝に行着かない、途中でアルゼンチの方向へ進めば良い事に気が付き、其の標識を探しながら進む。そして、3時滝見学のヘリコプター基地に付いた、しかし、滝の見る場所は解からない。更に近くをぐるぐる回り、滝を探す。滝を探しながら、途中にあった 
店で聞くと、アメリカのグランドキャニオンと同様、滝にはツアーバスに乗らなければ行けない事が解かった。そこでツアーバス乗り場の場所を聞いて進む。バス乗り場の看板が見え、更にゲートが有った。ゲートで入場料US$7を払い、駐車場に車を停める。そしてバス乗り場に行き、シャトルバスを待つ。シャトルバスで滝の近くへ行く、バスを降りて少し歩くとアルゼンチン側の滝が目に入る、矢張り言われるだけ有って凄い迫力で有った。そして、更に遊歩道を歩いて進むと、更に滝の音が大きくなる。眼前に物凄い水量滝が現れた、アメリカのナイヤガラ滝に勝るとも劣らない滝で有った。夜が早く、時間が無く成って来たので1時間程で引き返し、シャトルバスでゲートへ戻る。そして、車でFoz do Iguacuの町へ向かい、6時過ぎHotelに入る。何か買出しの荷物が詰まった部屋が幾つも有るHotelであった。部屋にコンロを持ち込み昨日買ったうどんを料理して食べる。
宿泊費UR$10(L30)、燃料代L63
L3=1US$
走行距離98Km 給油38.8L 
                               パラグアイ走行距離402Km

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