23  アンドラ


2005年
                  スペイン

410() マドリード(Madrid)Hotel
 義母の葬儀を終え、旅を再開する。4月10日13時成田発、アリタリア航空7789便(JALとの共同運航便)にてイタリアはローマへ家内と向かう。
 42日に亡くなられローマ法王の告別式に世界から信者がバチカンに集まって来る人でローマ空港は混雑しているものと思って居たが、4月8日にローマ法王告別式も終わった関係なの、空港内は其れほど混雑は見られなかった。ローマでは3時間の乗り継ぎ時間が有る予定で有ったが、ローマへの到着が1時間程送れて乗り換え時間が2時間程に縮まっていた。欧州への入国に対し、入管にて帰国用切符が無い事に付いて尋ねられるのが気掛かりで有ったが、ローマ空港の入国手続き時には、帰りの切符を提示しなくとも何の質問も無くパスポートに入国印を貰った。イタリア・ローマからスペイン・マドリード(Madrid行きの飛行機の出発が30分程遅れ、マドリード(Madridに着いたのは午後.12時を過ぎて居た。
 今夜のマドリード での宿を予約して無いので少し心配で有った。しかし、空港内の観光案内所が開いたので、空港近くのHotelを紹介してもらう。紹介して貰ったホテルに電話をし、ホテルのシャトルバスにて空港迄迎えに来てもらった

宿泊費€ 57,
走行距離0Km 給油0L


411() アリメルマルAlmerimarApartamentos
 朝9時、マドリード空港近くのHotelよりマドリード空港内の地下鉄乗場迄Hotelのシャトルバスにて送ってもらう。
 そして、地下鉄にてマドリードMadrid市内に有るチャマルティンChamarun駅に行き、アルメAlmeria行きのTJV(フランスの新幹線)の切符を購入しようと切符販売窓口行った。すると、アルメア駅行きは12便のみ1便が8時半発、2便が1647分発との事。仕方なく2便の切符を購入し、アリメルマルの林さんに無事マドリードに到着した旨電話した。そして、今夜のアリメルマル でのHotelの予約を御願いする、アルメア駅まで迎えに来てくれると言ってくれた。
マドリード市内の公園
 その後、列車の出発迄時間が有るので、駅のコインロッカーに荷物を保管し、マドリード市内散策に出かける。前回のマドリードMadrid滞在時、見学しなかったブラッド博物館に行く事にし、チャマルティン駅構内にある観光案内所に行った。すると今日は月曜なので博物館は休刊日との事、仕方なく博物館脇に有る王立植物園を見に地下鉄に行った。植物園はちょうど多くの花が咲いており、結構花が綺麗で有った。
 4時少し前、チャマルティンChamarun駅に地下鉄にて戻りアルメAlmeria行きの電車を待つ。この国も日本とは異なり、電光掲示板に電車の行き先とプラットホーム番号が標示されてからホームに向かう。電車は座席指定で乗客は70%程で有った。
 午後12時 アルメAlmeriaの駅に到着駅には林さんが迎えに来てくれていた。そして林さんの車にて アリメルマルAlmerimar林さんの自宅の駐車場迄送って貰い、そこで自分の車を引き取りアパート(Apartamentosに戻る。
 (アリメルマ Apartamentosはヨットや船で旅をする人向けの宿で、質素では有るが、宿泊料金(一部屋)が一泊€ 25と安く、調理器具、洗濯機等も付いる。近くに有るスーパーで食材を購入し、自炊出来る長期滞在型の宿です。)

宿泊費€ 25
走行距離0Km 給油0L


412()アリメルマル( Almerimar)Apartamentos
 朝ゆっくり起きて、車内の整理をした。近くのスーパーで食材を購入しに行く等、1日のんびりと過ごす。 
アリメルマル・ヨットハーバー
アリメルマルのアパートの室内
(アリメルマル・ヨットハーバーは2010年現在、欧州に於ける日本人ヨットマンの殆どの人がこの港を利用されています。それ故、林さんが帰国される度、 最初に日本人としてこのヨットハーバーを利用したヨットでの世界一周をなし得た沢さん夫婦の肝いりで、アリメルマル会と称し懇親会を東京近郊で開いています。
 参加者は回数毎に増加し、現在は30名程の人が集まる様に成って来ました。参加者のほとんどがヨットで アリメルマルを訪れて人たちで、車での訪問は私達夫婦のみです。)






宿泊費€ 25
走行距離6Km 給油0L


413()ラス・ネグロス(Las NegrosCamping
 朝8時に起き、室内の荷物を整理して車に積み込み10アパートをチェックアウトする。林さんとは近くに有るレストランにて10時半に会う約束をしていた。未だ時間が早いので、ヨット・ハーバー内の停泊しているヨットを見て回る。林さんは時間通り来ていた様だが、こちらは海に泳ぐ小魚の群れに見とれレストランへ戻るのがれてしまった。
 林さんは私の車がレストラン前の駐車場に」停まっているのを見て、レストランへ来ているのは確認していた様子であったその後、3人でレストランに入り、コーヒーを飲みながら話をする。11時近く成ったのでヨット・ハーバーの事務所へ行き、事務所へにて写真を撮り、お世話に成ったお礼を言いてアリメルマルを出発する
国道E15号線沿いの風景

 アリメルマル(Almerimarより海岸線に沿って東に国E15をアルメニアAlmeriaへ向かう。4時過ぎにアルメニアAlmeriaを通過して海岸線に沿って更に走る。途中、砂利道にてフロント・タイヤパンクした。タイヤ交換に時間が掛かり夕方に成ったので最初に見つかったサン・ホセの町から10キロ程の所に有ったラス・ネグロスCampingに泊る。
 これでスペアータイヤが2本共駄目に成った。早期にタイヤの処置が必要で有る。

宿泊費€ 14.35
走行距離116Km 給油36.82L



414()サンチャゴ・デ・ラ・リベラCamp
 9時アルメニアCampを出発、国道E15東に向かい走り大きな町ムルシア(Murcia入った。街中でタイヤの修理屋を探すもなかなか見付らず。1軒の修理屋でタイヤをチェックしてもらうとタイヤのサイドウオールが切れており、修理不可能と言われた。新しいのを購入したい旨伝えると、このサイズのタイヤは取り扱って無いとの返事。仕方なく町を出て、更にE15を東へ進む。
Mar Menorキャンプ場の風景
 4時少し早いが道路脇に表示されていたサンチャゴ・デ・ラ・リベラSantiago de la Riberaと言う町の Mar Menor Camp場へ向かう。Camp場は入り江の海岸線に有り、キャンプ場内は多くのウインドサーファーで賑やかで有った。

 又、キャンプ場の脇には飛行場有り、多くのローカル線の飛行機の離発着が目の前で見る事が出来た。しばらくの間、飛行機の離発着を眺めた

宿泊費€ 11.3
走行距離282Km 給油36.76L



415()アルカンテCamp
 朝はSpain軍用機が次から次えと陸していくのが見えた。輸送機、練習機、戦闘機等編隊での離陸見えた。その後、サンチャゴ・デ・ラ・リベラ camp場をチェック・アウトする。Camp場の事務所には係員が居なくしばらく待つ。ここのキャンプ場利用者は殆どが長期滞在者で、余り日々の出入りが無い様子であった。Camp場を出て滑走路の端を横切る道路に於いて、丁度滑走路の真ん前迄移動し飛行機の離発着を待った。しかし、1機も飛んでこなかった。仕方なく国道を東に向かって進む。
海岸に有った塩工場
 途中に有ったトレビの町で、観光案内場が有ったので町の見所を聞いた。更に、この町の近くに世界遺産に登録された「壁画」が有るとガイド・ブックに書いて有ったので、その場所を聞いた。壁画のある場所はこの町でなく更に先の町アルカンテとの話で有った。観光案内場の係員が何処から来たかと尋ねられたので、日本から来たと返事をした。すると、係員が良く来たと言いながら、観光用のポスター等いろいろな観光推進グーツを呉れた。今日は街中でカーニバルが開催されて居ると言われ、車を駐車場へ停め、少し町中を散策する。遊歩道脇の数箇所で大道芸が行われて居た。暫くの間、大道芸楽しみ、その後町を出る。そして更に国道を東のアルカンテへ向かって走る。途中に有ったSt.PolaのCamp場に泊まる。

宿泊費€ 15.13
走行距離132Km 給油0L



416日 タベラ(TaveaCamp
 St.PolaのCamp場をチェックアウトし、アルカンテの町に入る。
説明を追加
 駐車場に車を停め、18世紀に建てられたアルカンテの市庁舎へ行く。市庁舎の入り口に捩れた柱の階段が有り、その脇にダリー(Dali)が制作黄金のキリスト像が飾られて居た。階段を昇り2階に有る会議室やサロンを見て回った。
ダリー策黄金のキリスト
 その後、この町のもう一つの見所、サンタバーバラ城へ向かう。サンタバーバラ城へは町外れに有る。駐車場に車を停め、歩いて行くと長いトンネルに入る。トンネルの奥にはエレベーターが有り、そのエレベーターにて丘の上に有るサンタバーバラ城へ登る事が出来たこの城は16世紀から17世紀に掛けて建設された城で内部は結構立派な造りで有った。城の周りからはアルカンテの町が一望出来、海岸にはヨットや海水浴を楽しむ人々も眺める事が出来た。
サンタバーバラ城から見たアルカンテの全景
 次に世界遺産に登録されいる「壁画が展示されアルカンテの博物館を見に行く。先史時代末期の壁画が世界遺産保護の為か、ここで見られる様に成っていた。
そして、アルカンテを後に地中海に沿った道をバレンシアへ向かう。途中の町タベラ(TaveaCampに泊る。

宿泊費€ 18.26
走行距離118Km 給油39.91L



417()バレンシア(ValenciaCamp
 タベラ(TaveaCamp9時過ぎに出発。途中オレンジの木が続く道を走りバレンシア(Valenciaの町に到着。バレンシアの市内地図を手する為に、街中に有る鉄道観光案内所行った。観光案内所の入り口には日曜日は10:00~14:00オープンと表記されていたが、なぜか閉まっていた。仕方なく市役所近く観光案内所へ行くも、此処も閉まっていた。

バレンシア市内に有るコロシアム
 今日はToyotaの店も日曜なので閉まって居るが、店の場所だけでも確認しようと探したが中々見付らず。更に探し回って、やっとToyota店を見つけ出した。その後、バレンシア美術館へ行く入場無料で有った。美術館を見学後、以前(今年の1に泊った事の有るDevesa Gardens Campに泊る。Camp場使用料がハイ・シーズン価格に変わり、以前に比べ大変高かった。又、宿泊も以前泊まった時より多かった。
 夜は寝袋でも熱1月の寒さとは格段の変化が感じられた。

宿泊費€ 22.24
走行距離181Km 給油0L



418()  タレガ(TarregaHotel
 10時半、BSタイヤ店を紹介してもらう為バレンシア(ValenciaToyota店に行く。そしてToyota店の近くのタイヤ専門店VULCOを紹介してもらい、其処へ行く。するとB/S2本で350EDLだと€240(¥33,500)で直ぐ交換出来ると言われた。タイヤ交換を依頼し昼前交換終了し、次の訪問国アンドラ公国ANDRRA」へ向かう。A7高速に乗りタラゴナ(Tarrgonaへ向かい、タラゴナ(Tarrgonaにて高速を降り一般道N240アンドラ「ANDRRAへ向かう。6時に成ったので途中の町タレガ(TarregaHotelに泊る。
宿泊費€ 52
走行距離364Km 給油67.36L



            25番目の訪問国 アンドラ
419()
 朝9Hotelを出てアンドラ公国(ANDRRAへ向かう。ピレネー山麓に有るアンドラ(ANDRRAスペイン(Spain側国境の町ラ・セウ・デゥウルゲル(La Seu dUrgell)の観光案内所にて町の見所を聞く。町の観光用ポスターを貰い、紹介されたカテドラルと付属の司教区美術館を見学する。
アンドラ国境事務所
  美術内では美術館の展示内容に付いての紹介映画が上映されておりそれを見る。更に、10世紀にレオン地方製作された「ベラトウス写本」が展示されて居た。これは欧州では3冊しかないと言われる古い聖書であった。しかし、聖書その物に関心の無い者に取っては、歴史を感じるのみでで有った。
 美術館の説明員が私達日本人に大変親切にしてくれて、スペイン(Spain語では有ったが一生懸命展示品に付いて説明してくれた。
アンドラの市街地へ向かう道路
 美術館見学後外に出ると、教会の周りに小さな露店が並んで居た。各店を覗きながら教会を一周して車に戻る。

 午後、ラ・セウ・デゥウルゲルの町を出てアンドラ(ANDRRA向かう。国境は他のEU諸国の国境より国境らしく、施設と係官も見る事が出来た。国境通過時一旦停止はしたが、手続きは何も無し。アンドラ中のに有ったValira Campに泊る。

宿泊費€ 20
走行距離136Km 給油0L


           フランスへ再入国
420() パーピニヨンブイヨンBouillon純子さん宅
アンドラのキャンプ場風景と愛車
 朝、アンドラのCamp場の事務所にてアンドラの切手が有るか尋ねると有るとの事。1切手2枚購入し 、1枚を日本の自分宛に封筒に張りPostに投函する。
アンドラのナンバープレート
 9アンドラのCamp場を出発し、市内を散策。市内には商店街の殆どが免税店になってるで特に見るべき所は無かった。そこで、郊外へ迂回した道を選びFranceへ向け出発する。
 途中の黒い屋根の家が続く如何にもリゾート用と思われる町で郵便局が有ったので、寄ってみた。すると、午前中のみの営業と成っていて、アンドラの切手を購入する事が出来なかった。
 更にピレネー山麓の道を進むに、トンネルを潜る有料道路に入ってしまった。走ろうと思っていた山岳道路をパスしてしまった。フランスとの国境を通過し午後3時頃フランス(Franceに入国する。
アンドラの中心街
アンドラ国内の黒い屋根の集落
 そして、2月にポルトガルのオーリヤン・キャンプ場で会ったパーピニヨン(Perpignanブイヨン(Bouillon純子さんから、フランスへ来たら連絡する様に言われていた。そこで純子さん宅へ電話するも留守電に成って居た。パーピニヨン(Perpignanへの行き先標示が国境を越え直ぐに有ったが曲がる場所が解からず、直進しFoixの町まで行きパーピニヨン(Perpignanへ向かう大回りに成ってしまった。パーピニヨン(Perpignan70Km手前で4時頃再度Bouillon宅へ電話する、純子さんが帰宅しており1時間程度で自宅を訪問するので宜しくと伝えた。しかし、少し道にも迷いパーピニヨン(Perpignanに着いたのは7時近くに成っていた。夕食を取りながら、日本や旅等の色々な話をし、10時過ぎ就寝する。
フランスへ抜ける道路



















宿泊費€ 0
走行距離296Km 給油29.83L

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