17 カ国目オランダ( Netherlands)
10月3日(日) Sneek Stayokay Y.H. 初のEUの国境通過
朝8時に階下のレストランへ降りて行くと、未だレストランのドアーが閉まっていた。仕方が無いので部屋に戻り荷物の整理をし,車に積むべく荷物を持って階下へ降りていった。すると 階下のレストランへの入り口のドアーが開いていた。車に荷物を置ってレストランへ戻り、朝 食を済ませて9時過ぎHotelを出る。そ して、今回の旅の17カ国目オランダのGiethoornの町を目指して走る。Giethoornの 町迄は約20Km、20分程でオランダ国境に着く。国境にはオランダ国旗が立てられている国境事 務所が有るも、係官は誰も居ない。何の手続きも無く国境を越え、オランダ国境のArnhemの町に入ってしまった。国境を越えて直、車を止め国境事務所の写真を撮った。
博物館を2時半頃出て、オランダ 北部に有る大堤防を見るためにSneekの町を目指して走る。途中で5時を過ぎ たのでCamp場を探すも、多くのCamp場が閉まっていた。10月に入り、オランダも冬 季に入た為に殆どのCamp場が閉鎖されて居った。更に、泊る所を探しながら進むと、遂にSneekの町に着いてしまった。町中でHotelを探 したが見付らず、市内地図にユースホステルの案内が有り、そのユースホステルを訪ね泊る事にした。(このユースホステル、個室では有るが2段ベッド、トイレ・シャワー は共用で有るが大変清潔で有った。当然の事だがCamp場は全てトイレ・シャワーは共用で有る。)
宿泊費€ 33.5、地図€ 3.9、燃料、公園入場料€ 34、
走行距離283Km 給油 36.36L 10月4日(月)ホールン( Hoorn)の町の Camp場 オランダの大堤防
Y.H.(ユースホステル)の朝食は9時からである。だから朝は大変ゆっくりと起き、出発の準備を完了し朝食を食べる。今日はオランダ(Netherlands)北部に有る大堤防を走る予 定で有った。そして、その堤防の少し手前に有るオランダで有 名な陶磁器製造の町、マッカム(Makkum)へ行く。マッカムの町へは直ぐ到着し、又陶磁器工場も直ぐ見つかった。 工場見学は時間が決められたツアー成っていた。次のツアーは1時半からなので、そのツアーに参加する事にした。ツアーはオランダ語だけの説明で有ったが、先にドイツでマイセンの工場を見学しているので、大体の工程は理解出来た。このマッカムの工場もマイセン同様、手作りと言いも本体に取り付ける小物は全て型で作り、彩色は手で塗るも、位置は型紙で印が打たれていた。日本の手作りとは、少し異なる。
走行距離128Km 給油0L
10月5日(火) ハーレムのCamp場 江戸時代の長崎出島の地図を見る
その後、ホールンの町を出て高速道路を走り、 ザンセスカンスの町へ向かう。 このザンセスカンスの町は日本で言う明治村で、17世紀時代の古い風車が数基移設されている。更に木造の民家も見え、いかにもオランダらしき風景を作っていた。チーズ作りの過程が見えるチーズ屋で昼食用にスモーク・チーズを購入した。
その後、ハーレム(Haarlem)の町を目指し、途中に有ったキャンプ場に泊まる。デポジットとして、運転免許書をキャンプ場に預ける。ドイツやオランダのキャンプ場では保証金を預ける所が多くある。
宿泊費€ 15、
走行距離79Km 給油38.55L
10月6日(水)コニング・ショフ キャンプ場 ユダヤ人をナチから隠した隠し部屋
朝ハーレム(Haarlem)の町を散策、運河沿いの駐車場に車を停め、歩いて街中のテイラー美術館へ行った。この美術館は1778年創館でオランダで最も古い美術館である。美術館を出て、古い家並みに続く、細い路地を街の中央に向かって歩いて行く。広場に出るとそこには聖パフオー教会が建っていた。この教会には11歳のモーツアルトが弾いたと言われるパイプオルガンが有った。
その後、教会近くにあるコリー・テンポーム博物館へ行った。1:30から館内ツアーが有ると言われ、時間に合わせ館に入る。すると1:30からのツアーはオランダ語のツアーとの事、困っていると係員が別途2人を英語で案内してくれた。この博物館の元は普通の民家で有った。1940年代住んで居た方が熱心なクリスチャンで、信仰を通じユダヤ人をナチスから守る活動をしていた。家の中に隠し部屋を作り、3人のユダヤ人を匿ていたが、1944年2月28日ナチスの家宅捜査を受け、3人ユダヤ人と家族共々連行されてしまった。3人が居た各誌部屋は大変狭く、3人が横に成るのも難しい大きさの部屋であった。戦後、家主側の助かったコリーさんという方が、当時の状況を本を書かれていた。アン・ネフランクの話は有名だが、同じ様な話が数多く有ったのだと気づかされた。
ハーレム(Haarlem)の町を後の、ライデンの町へ向かう。ライデンの町なかの観光案内所でインターネット・カフェとキャンプ場を聞く。キャンプ場は町より少し戻る方向に有ったコニング・ショフ キャンプ場に泊まる。
宿 泊費€ 1、
走行距離 70Km 給油0L
10月7日(木) デン・ハグ(Den Haag)近郊 Camp場
2時頃デンハグ(Den Haag)の町に到着、デンハグ(Den Haag)の駅前にて観光案内所を探し、Camp場の紹介を受ける。しかし、そのCamp場到着すると、キャンプ場は9月末日で閉まったいた。仕方が無いので、デンハグ(Den Haag)の町の反対側に有るCamp場に向かう。Camp場は大変大きく、場内も整備されていたが利用料が€ 23と大変高っかた。後で気が着いた事だが、北海に面 していたCamp場で有った。デポジットとして€ 20預ける。
宿泊費€ 23、
走行距離61Km 給油0L10月8日(金)Kinderdijk Hotel パノラマ博物館
Camp場を出て、折角北海の近くへ来たので「北海」を見ようと海岸へ出る。未だ日本海の冬の海を 見たことが無いが、多分そのイメージと同様、海の色が灰色で波高く、いかにも「北海」と言う感じ其のもので有った。再びDen Haagの町へ戻り、始めにマウリッツ・ハウス(Mauritshuis)美術館へ行く、レンブラントやルーベンス等の多くの絵を見る事が出来た。続いてPTT郵便博物館に行く、 しかし、切手類の展示は無く、何か良く理解出来ない物の展示が有った。しかし、03年のイヤーズBookが有ったので買おうとしたが、現物が出て来なく購入を断念する。次に先に進み、途中に有ったパノラマ博物館へ入る。高さ15mm、長さ120mmの円周の内壁に、100年前のデン・ハグ(Den Haag)の町が絵がかれていた。規模の大きいのに驚いた、又、手前の地面には絵の続きの様に現物が置かれ取り、如何にも現実である様な感じを持たせる工夫が成されていた。日本語の解説を自動的に流してくれたが、その時はフランス人が殆どで有った。但し、日本語の解説が有る事は、結構多くの日本人が来る所で有るのだと思えた。
そしてロッテルダム(Rotterdam)を通過し、風車が多く現存する地 区キンデルダルク(Kinderdijk)へ行く。キンデルダルクは十数基の風車が並んでおり、最もオランダらしき風景を醸し出していた。風車の見える駐車場で夕食を済ませ、キンデルダルクの町中に有ったHotelに泊る。
オランダは全く山の無い国、色々な絵を 見るも山が描かれた物は殆ど無い。其の事を実感する事が出来た。故に自転車専用道路が大変良く整備されており、自動車道と間違える所も有る。
宿泊費€ 80、
走行距離131Km 給油36.61L
10月9日(土)アムステルダムCamp場 世界遺産キンデルダルク
宿泊費€ 16、
走行距離124Km 給油0L
10月10日(日)アムステルダム( Amsterdam) Camp場 アンネフランクの家
その後、近くに切手市が有るとの案内で其の場所に行く、1軒有る切手屋も閉まっていた。仕方がないので、直ぐ先に有る宮殿の周りを散策する。其の途中でアンネフランクの家が近くに有る事を思い出し、ガイド ブックを見ると7時迄会館していると書いてあり、即其方に向かう。徒歩で5分程、アンネフランクの家に着く。これまた多く の入場者が行列を造って居た、30分近く並び入場する。隠れ家と言いながら、意外と大きいのに驚く。先日見たハーレム(Haarlem)の町の隠れ家は、 良く3人もの人が隠れて入居た事が不思議な位、狭い部屋で有ったからである。
5時過ぎCamp場に戻り、シャ ワートークンを購入しシャワーを浴びる、このトークンを使う自動シャワーは温度調整が出来ず大変寒いもので有った。夜、風が強く、時々張られたロープが唸りを上げていた。寒い夜で有った。
宿泊費€ 16、
走行距離22Km 給油0L
10月11日(月) Amsterdam Camp場 アムステルダム市内運河巡り
オランダのゴミ処理はドイツほど徹底されて居なかった。ビン類は色別に回収されるが、缶やペットボトルは一般ゴミと同じ扱いであった。
宿泊費€ 16、
走行距離108Km 給油0L
10月12日(火) Hotel
オランダの一般道は運河に遮られて道が途切れて しまい、一般道を走るのは大変難しい。町と町へ移動する場合にはアウトバーンを走らざるを得ない。中々一般道を走 り、 景色を楽しむ事は難しい。更に、一般道でも郊外は制限速度70Kmで有り、結構早く走らなければ成らない。
宿泊費€ 80、
走行距離139Km 給油41.64L
10月13日(水) Gant Flandoria Hotel Belgium
朝食を8時に取り、9時前に出発する。途中高速道にてオランダからベルギーへと国境を越える。これまたEUの為手続きは全く無し。
アントワープ(Antwerpen)の町に付き、アントワープ中央駅の観光案内所にて「フランダース の犬」で日本では有名なノートルダム寺院の場所を聞く。日本語のアントワープ の案内書が有ったので、手にいれる。ノートルダム寺院近くの駐車場へ車を停め、そこから少し街中を歩いてノートルダム寺院へ向かう。ノートルダム寺院の絵は「フランダース の犬」の最終編にて絵の前でネロ少年とパトラッシュが亡くなる名場面で日本では有名である。その絵を見に行く、さすがに大きいく立派な寺院で有った。寺院内部の中央部にルーベンスが描いた「キリストの昇架」「キリストの降架」「聖母被昇天」の巨大な3部作が飾られていた。又、この寺院の中に日本語で「フ ラン ダースの犬」の説明書が備え付けられて居た。それには‘80頃に多くの日本人旅行者から市内の観光案内所に「ネロ」に付いての問い合わせが殺到した。しかし、この地区で は「フランダースの犬」の物語は殆ど知られていず、問い合わせに答える事が出来なかった。そこで、係りが調べた結果、そ の物語は確かに存在したが最終の場面が残酷な事と、作者がベルギー人で無い事から、一般的には評価されずなかった。其の為、ベルギー国内ではこの物語が、それ程有名に成ら成らなかった為との事であった。
そして、郊外のCamp場へ向かうもCamp場が見付らず、アントワープ(Antwerpen )から50Km程離れたゲント(Gent)の町迄行く。Gantの町のHotelに泊 る。Hotelの窓からはライトアップされたGant最大の寺院聖バーフ大聖堂(St.Baafskathedraal)が夜空に美しく生えて見えた。
宿泊費€ 48、
走行距離265Km 給油31.02L
0 件のコメント:
コメントを投稿