15. オランダ

     17 カ国目オランダNetherlands



103() Sneek Stayokay Y.H.   初のEUの国境通過
  
 朝8時に階下のレストランへ降りて行くと、未だレストランのドアーが閉まっていた。仕方が無いので部屋に戻り荷物の整理をし,車に積むべく荷物を持って階下へ降りていった。すると 階下のレストランへの入り口のドアーが開いていた。車に荷物を置ってレストランへ戻り朝 食を済ま9時過ぎHotelを出る。そ して、今回の旅の17カ国目オランダのGiethoornの町を目指して走る。Giethoornの 町迄は約20Km20分程でオランダ国境に着く。国境にはオランダ国旗が立てられている国境事 務所が有るも、係官は誰も居ない。何の手続きも無く国境を越え、オランダ国境のArnhemの町に入ってしまった。国境を越えて直、車を止め国境事務所の写真を撮った
 そして、Giethoorn の町から 少し離れた所に有る、デ・ホーヘ・フェレウエー(De hoge veluwe国立公園内の森の中に有るクローラ・ミュウラー(Kröllermüller)美術館館へ行く。博物館にはゴッフォの「アルルの跳ね橋」「郵便配達夫」「種を撒く人」等の他、マネー、モネー、ピカソ等 の絵が数十点展示されていた。
 博物館を2時半頃出て、オランダ 北部に有る大堤防を見るためにSneekの町を目指して走る。途中で5時を過ぎ たのでCamp場を探すも、多くのCamp場が閉まっていた。10月に入り、オランダも冬 季に入た為に殆どのCamp場が閉鎖されて居った。更に、泊る所を探しながら進むと、遂にSneekの町に着いてしまった。町中でHotelを探 したが見付らず、市内地図にユースホステルの案内が有り、そのユースホステルを訪ね泊る事にした。(このユースホステル、個室では有るが2段ベッド、トイレ・シャワー は共用で有るが大変清潔で有った。当然の事だがCamp場は全てトイレ・シャワーは共用で有る。)
宿泊費€ 33.5、地図€ 3.9、燃料、公園入場料€ 34
走行距離283Km 給油 36.36L 


   


104()ホールン( Hoornの町の Camp場  オランダの大堤防

 Y.H.(ユースホステル)の朝食は9時からである。だから朝は大変ゆっくりと起き、出発の準備を完了し朝食を食べる。今日はオランダNetherlands北部に有る大堤防を走る予 定で有った。そして、その堤防の少し手前に有るオランダで有 名な陶磁器製造町、マッカム(Makkumへ行く。マッカムのへは直ぐ到着し、又陶磁器工場も直ぐ見つかった。 工場見学は時間が決められたツアー成っていた。次のツアーは1時半からなので、そのツアーに参加する事にした。ツアーはオランダ語だけの説明で有ったが、先にドイツでマイセンの工場を見学しているので、大体の工程は理解出来た。このマッカムの工場もマイセン同様、手作りと言いも本体に取り付ける小物は全て型で作り、彩色は手で塗るも、位置は型紙で印が打たれていた。日本の手作りとは、少し異なる。
 マッカムの工場を出た後、大堤防に向かう。堤防上は風が強く、車の速度が落ちる程で有っ た。堤防の上は制限速度120Kmなので、途中の駐車場に少し休んだが数十分で通過してしまった。この堤防は1932年の建造との事、その時代での建造は大変な苦労が有ったものと思われた。堤防の最後の所で、船が通り抜けるのか跳ね橋が上がり、停止信号が点灯した、船の通過をその場で待った。そして、4時近くホールン(Hoornの町に入り市内に有った観光案内所で近くのキャンプ場の場所を聞き、ホールンの町のャンプ場に泊る。宿泊費€ 15
走行距離128Km 給油0L



105() ハーレムのCamp場  江戸時代の長崎出島の地図を見る

 ホールン(Hoorn)の町へ行く。古い街の建物は一軒一軒が左右前後ばらばらに傾いて居る。地盤が弱い為に地盤沈下が起こって居る様子が、至る所で見る事が出来た。街の 中央に有るローデスティン広場に面したフリージアン博物館にて、長崎は出島の図、日本の絵等、当時の日本の物が多く展示されていた。400年程前、長崎の出島は長い間オランダとのみ国交が有るのみであった。その為か、この博物館に当時の証拠の品が多く展示されていた。
 その後、ホールンの町を出て高速道路を走り、 ザンセスカンスの町へ向かう このザンセスカンスの町は日本で言う明治村で、17世紀時代の古い風車が数基移設されている。更に木造の民家も見え、いかにもオランダらしき風景を作っていた。チーズ作りの過程が見えるチーズ屋で昼食用にスモーク・チーズを購入した。
 その後、ハーレム(Haarlem)の町を目指し、途中に有ったキャンプ場に泊まる。デポジットとして、運転免許書をキャンプ場に預ける。ドイツやオランダのキャンプ場では保証金を預ける所が多くある。
宿泊費€ 15
走行距離79Km 給油38.55L

106()コニング・ショフ キャンプ場   ユダヤ人をナチから隠した隠し部屋

 ハーレムHaarlemの町を散策、運河沿いの駐車場に車を停め、歩いて街中のテイラー美術館へ行った。この美術館は1778年創館でオランダで最も古い美術館である。美術館を出て、古い家並みに続く、細い路地を街の中央に向かって歩いて行く。広場に出るとそこには聖パフオー教会が建っていた。この教会には11歳のモーツアルトが弾いたと言われるパイプオルガンが有った。
 その後、教会近くにあるコリー・テンポーム博物館へ行った。1:30から館内ツアーが有ると言われ、時間に合わせ館に入る。すると1:30からのツアーはオランダ語のツアーとの事、困っていると係員が別途2人を英語で案内してくれた。この博物館の元は普通の民家で有った。1940年代住んで居た方が熱心なクリスチャンで、信仰を通じユダヤ人をナチスから守る活動をしていた。家の中に隠し部屋を作り、3人のユダヤ人を匿ていたが、1944年2月28日ナチスの家宅捜査を受け、3人ユダヤ人と家族共々連行されてしまった。3人が居た各誌部屋は大変狭く、3人が横に成るのも難しい大きさの部屋であった。戦後、家主側の助かったコリーさんという方が、当時の状況を本を書かれていた。アンネフランクの話は有名だが、同じ様な話が数多く有ったのだと気づかされた。
 ハーレム(Haarlem)の町を後の、ライデンの町へ向かう。ライデンの町なかの観光案内所でインターネット・カフェとキャンプ場を聞く。キャンプ場は町より少し戻る方向に有ったコニング・ショフ キャンプ場に泊まる。
宿 泊費€ 1
走行距離 70Km 給油0L



107() デン・ハグ(Den Haag近郊 Camp

 朝、ライデンの町の観光案内所近くに有った、国立民族博物館へ行く。この博物館には日本コーナーが有り、昔シーボルトが日本から持ち帰った、江戸末期の日本の物が大量に展示されていた。その他アジア・中南米・アフリカ・オセアニア等の原住民が使用した民族製品も多く展示されていた。その後、街中に有る運河沿いに有ったネットカフェにてメールを打つ。その後、ライデンの町を出て、デンハグ(Den Haag)の町に向かう。
 2時頃デンハグ(Den Haagの町に到着、デンハグ(Den Haag)の駅前にて観光案内所を探し、Camp場の紹介を受ける。しかし、そのCamp到着すると、キャンプ場は9月末日で閉まったいた。仕方が無いので、デンハグ(Den Haagの町の反対側に有るCamp場に向かう。Camp場は大変大きく、場内も整備されていたが利用料が€ 23大変高っかた。後で気が着いた事だが、北海に面 していCamp場で有った。デポジットとして€ 20預ける。
宿泊費€ 23
走行距離61Km 給油0L






108()Kinderdijk  Hotel   パノラマ博物館

 Camp場を出て、折角北海の近くへ来たので北海を見ようと海岸へ出る。未だ日本海の冬の海を 見たことが無いが、多分そのイメージと同様海の色が灰色で波高く、いかにも「北海と言う感じ其のもので有った。再びDen Haagの町へ戻り、始めにマウリッツ・ハウス(Mauritshuis美術館へ行く、レンブラントやルーベンス等の多くの絵を見る事が出来た。続いてPTT郵便博物館に行く、 しかし、切手類の展示は無く何か良く理解出来ない物の展示が有った。しかし、03年のイヤーズBookが有ったので買おうとしたが現物が出て来なく購入を断念する。次に先に進み、途中に有ったパノラマ博物館へ入る。高さ15mm、長さ120mmの円周の内壁に、100年前のデンハグDen Haagの町が絵がかれていた。規模の大きいのに驚いた、又、手前の地面には絵の続きの様に現物が置かれ取り、如何にも現実である様なを持たせる工夫が成されていた。日本語の解説を自動的に流してくれたが、その時はフランス人が殆どで有った。但し、日本語の解説が有る事は、結構多くの日本人が来る所で有るのだと思えた。
 そしてロッテルダム(Rotterdamを通過し風車が多く現存する地 区キンデルダルク(Kinderdijkへ行く。キンデルダルクは十数基の風車が並んでおり、最もオランダらしき風景を醸し出していた。風車の見える駐車場で夕食を済ませ、キンデルダルクの町中に有ったHotelに泊る。
 オランダは全く山の無い国、色々な絵を 見るも山が描かれた物は殆ど無い。其の事を実感する事が出来た。故に自転車専用道路が大変良く整備されており、自動車道と間違える所も有る。
宿泊費€ 80
走行距離131Km 給油36.61L



109(土)アムステルダムCamp      世界遺産キンデルダルク

 朝、8時にHotelの朝食を食べた後、キンデルダルク(Kinderdijkへ再び出かける。昨日は端からキンデルダルクの風景を見ただけで、風車が多く並んで居る事は解かったが幾つ有るかは解からなかった。遊歩道脇の案内板に風車が19基有ると書いて有り、更に此処は世界遺産に登録されていると事で有った。1時間程水路に挟まれた遊歩道 を歩き、写真を撮りながら駐車場へ戻えう。車に乗り込もうとしたらFrドアーが開いたままに成っていた。一瞬、ドキとしたが、何の異常も無くホットした。昼食後アウトバーンにてAmsterdamへ向かう。Amsterdam環状高速にて町の中央目指し進むと、Camp場の標識が有り、入って行く。町中では有 るが河川の多い所、河川敷にCamp場が有り其処に2日間泊る事にした。しかし、5時に成らないと事務所が開かず、仕方なくCamp場内で時間待ちをする。其の間に自分が泊まる場所を選んでおいた。週末で多くのCamperで混んでいた、テントも230組程建っており、木造造りの45棟有るロッジも満室と成っていた。このCamp場もデポジットとして運転免許書を預ける事に成った。
宿泊費€ 16
走行距離124Km 給油0L



1010()アムステルダム Amsterdam Camp    アンネフランクの家

 Camp場は9時に成らないとキャンプ場の事務所が開かず、9時過ぎまで待機する。時間になり、Camp事務所へ行きライセンスを返して欲しい旨伝えると、トデポジットとして10€ 預かるとの事。この様なシステムのCamp場は都会近くのCamp場で取られるだ。町へ向かって暫くすると、立派な建物が有り標識を見ると国立博物館と有る
 今日の目的地のゴッホ博物館はこの国立博物館の裏手。駐車場に車を止めゴッホ博物館へ行く、館の入り口では入場者の行列が出来ていた。館内には100点以上の ゴッホの作品やゴッホの友人で有ったゴーギャン等の絵が多数展示されており、ゴッホフアンにはたまらない博物館で有る。日本語のガイド機を借りた事により、十分な背景を知る事が出来良い見学で有った。
 その後、近くに切手市が有るとの案内で其の場所に行く、1軒有る切手屋も閉まっていた。仕方がないので、直ぐ先に有る宮殿の周りを散策する。其の途中でアンネフランクの家が近くに有る事を思い出し、ガイド ブックを見ると7時迄会館していると書いてあり即其方に向かう。徒歩で5分程、アンネフランクの家に着く。これまた多く の入場者が行列を造って居た、30分近く並び入場する。隠れ家と言いながら、意外と大きいのに驚く。先日見たハーレム(Haarlem)の町の隠れ家は、 良く人もの人が隠れて入居た事が不思議な位狭い部屋で有ったからである。
 5時過ぎCamp場に戻り、シャ ワートークンを購入しシャワーを浴びる、このトークンを使う自動シャワーは温度調整が出来ず大変寒いもので有った。夜、風が強く時々張られたロープが唸りを上げていた。寒い夜で有った。
宿泊費€ 16
走行距離22Km 給油0L



1011() Amsterdam Camp  アムステルダム市内運河巡り

 朝8朝日が大変綺麗で有ったが、寒さも大変で有った。9時過ぎCamp場を出るべく、10€ のデポジット を返してもらい出発する。昨日閉まっていた切手屋へ行き、オランダ使用済み1000枚のパック切手を購入する。そして、アムステルダム駅前に行き、近くの駐車場に車を止め、駅内の観光案内所に行く。アムステルダム市内の運河を巡る、ボー トツアーの発着所の場所を聞き、ボート乗場に行く。料金を払いボートに乗る、有る程度の客が乗ると出発した。景色は市内を車で走た時の風景とは、少し違う形で見えるが、感動するほどでは無かった。唯川底の清が山盛りに捨てられた自転車を積んで居たのと、多くの軍用ではなかったかと思 われるボートが有ったのが印象的で有った。1時間程でボートツアーが終たが3時を過ぎて居たので、もう1Camp場に泊る事としス パーマーケットを探すも見付らずそのままCamp場に戻りCampする。国際ライセンスを預ける。今日も夜は寒かった。
 オランダのゴミ処理はドイツほど徹底されて居なかった。ビン類は色別に回収されるが、ペットボトルは一般ゴミと同じ扱いであった
宿泊費€ 16
走行距離108Km 給油0L









































1012()  Hotel

 今日の朝日も大変綺麗で有った。しかし、日が高くなるとが出て、太陽が隠れてしまた。今日も天候不順が気に成る日となるAmsterdamを出てNaardenの町を目指し出発する。Naarden町には11時前に到着、この町は函館に有る五稜郭と同じ様な6星型のが有る町で有った。要塞の見所外の為、大変寒かった。駐車場に戻ると、近くにいろいろな魚をフライにして売っている店が有り、3種類程購入しパ ンに挟んで昼食とした。大変美味しかった。先に進む途中スパーマケットを探しながら走る。しかし、スパーマケットも大変目立たない店構えと成っており、見つけ出すのが大変で有ったCamp場を探しながら進むも2軒のCamp場が冬季閉鎖されており、仕方なく、更に先に有ったHotelに泊る。
 オランダの一般道は運河に遮られて道が途切れて しまい、一般道を走るのは大変難しい。町と町へ移動する場合にはアウトバーンを走らざるを得ない。中々一般道を走 り、 景色を楽しむ事は難しい。更に、一般道でも郊外は制限速度70Kmで有り、結構早く走らなければ成らない。
宿泊費€ 80
走行距離139Km 給油41.64L


1013()  Gant Flandoria Hotel Belgium

 朝食を8時に取り、9時前に出発する。途中高速道にてオランダからベルギーへ国境を越える。これまたEUの為手続き全く無し。
 アントワープ(Antwerpenの町に付き、アントワープ中央駅の観光案内所にて「フランダース の犬」で日本では有名なノートルダム寺院の場所を聞く。日本語のアントワープ の案内書が有ったので、手にいれる。ノートルダム寺院近くの駐車場へ車を停め、そこから少し街中を歩いてノートルダム寺院へ向かう。ノートルダム寺院の絵は「フランダース の犬」の最終編にての前でネロ少年とパトラッシュが亡くなる名場面で日本では有名である。その絵を見に行くさすがに大きいく立派な寺院で有った。寺院内部の中央部にルーベンスが描いた「キリストの昇架」「キリストの降架」「聖母被昇天」の巨大な3部作が飾られていた。又、この寺院の中に日本語で「フ ラン ダースの犬」の説明書が備え付けられて居た。それには‘80頃に多くの日本人旅行者から市内の観光案内所に「ネロ」に付いての問い合わせが殺到した。しかし、この地区で は「フランダースの犬」の物語は殆ど知られていず、問い合わせに答える事が出来なかった。そこで、係りが調べた結果、そ の物語は確かに存在したが最終の場面が残酷な事と、作者がベルギー人で無い事から、一般的には評価されずなかった。其の為、ベルギー国内ではこの物語が、それ程有名に成ら成らなかった為との事であった。
 そして、郊外のCamp場へ向かうもCamp場が見付らず、アントワープ(Antwerpen から50Km程離れたゲント(Gentの町迄行く。Gantの町のHotelに泊 る。Hotelの窓からはライトアップされたGant最大の寺院聖バーフ大聖堂(St.Baafskathedraal夜空に美しく生えて見えた。
宿泊費€ 48
走行距離265Km 給油31.02L

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