2005
32番目の訪問国スロバキア(Slovakia)
「1SKK(スロバキア・コルナ)≒3.6円」(2009年1月1日EURに変換)
6月6日(月)スロバキア
(Slovakia)Trencin町のCamp場
HlaniceのCamp場を9時に出発、今日はSlovakiaへ向かう。先日プラハ(Praha)のCzech Toyotaの人に教えてもらったSlovakiaの見るべき町としてTrencinを紹介されたので其方に向かう。
午後1時過ぎ国境に到着、Czechの入管だと思っていたら、どうもSlovakiaの入管で有った様でCzechの出国印が無くSlovakiaの入国印が押されて居た。Czechの出国処置は未処置である。ここでの日本人は全く問題視されず、そのままSlovakiaに入国した。
丘の上のトレンテーン城 |
そして一般道を20Km程走り、Trencinの町に到着する。町に近づくと山の上に立派なお城が現れた、トレンテーン城であった。町中の観光案内所へ行き、お城までの道順と、Camp場の場所を聞く。それと高速道路料(スロバキア
の高速道路利用料も、チェコ同様、期間の前払い方式である。)のシールの販売所を聞くとガソリンスタンドで売って居ると教えて貰った。
Camp場は町を流れる川の中州に有り、其処に泊る。トレンテーン城がライトアップされ綺麗に見えた。
宿泊費SSK270
走行距離191Km 給油30.5L
6月7日(火)Martin町のCamp場
朝9時Camp場を出発して町中に行き、駐車場に車を止めお城へ坂道を歩いて登る。
トレンテーン城 |
森の中をさ迷い、やっとお城への道を探し出す。お城は修復が始めた処で、外観を修復中でまだまだ完成には程遠い感じで有った。場内に入るとツアーと成っていた。客は4名のみで2人はドイツ人でガイドがドイツ語での案内し、当方2人には英語で案内してくれた。この城は1700年代に火災を起こし、その後放棄されたとの事で有るが、さぞかし昔は広くて立派な城で有ったと想像された。12時過ぎ城を出て駐車場に戻り、町を出る。
城から見たMartinの町並み
|
高速道路が有るが高速道路入場シールを買って無いので一般道を走る事にして、Zilinaの町へ向かう。
Zilinaの町の中央広場に有る観光案内所にてネットカフェを聞くと、ネットカフェはこの町には無いと言われた。更に、Camp場を教えて貰い、観光案内所に有ったSlovakia全土Camp場MapをSSK109にて購入する。
そして観光案内所で教えてもらった町のCamp場とは異なる、高原の中のCamp場に泊る。山が近く見える様に成り、外気温が下がり夜は寒かった。今夜は久々に毛布を使って寝る様うである。
宿泊費SSK350
走行距離113Km 給油0L
6月8日(水)
Liptovasky郊外のCamp場
Martinの町郊外のCamp場を9時過ぎ出発する。チェコ・トヨタにて教えてもらったルートに沿って進む。
ラリーの出発ゲート |
出発を待つクラシック・カー |
直ぐに国道脇で何かお祭りをやって居る様なので、車を停める。自動車の行事をやっていたので、車から降りて見に行った。クラシックカーでのSlovakia国内500Kmラリーが行われていた。欧州各国から時代物の車が多数集まっており、3台ずつ組に成りスタートして行った。スタート直後にエンストし走らなく成った車や、エンジンが駆らず牽引車に乗ったまま出発する車も数台有った。 Slovakiaの山岳地帯では有るがそれ程標高がなく、丘陵地帯のような感じで有る。なだらかなSlovakiaに於いては、変化有る風景であった。Poland国境に近いダム湖が有り、湖畔にCamp場が有ったが未だ1時過ぎなので、泊まるには早すぎるので、更に先に進む。
山を降りた所に又もや大きな湖が有り、その湖畔に有るLiptovaskyと言う町へ行く。町中にスーパーマーケットが有たので食材を買入して、湖畔に有ったCamp場に泊る。
湖畔のCamp場は強風に雨混じりで、更に大変寒かった。一晩中強風が吹き荒れ、車が時々揺れ眠れなかった。
宿泊費250KS
走行距離152Km 給油33.28L
33番目の訪問国
Poland(1)
1zl(ズウォティ
)=26.3円 (2012年3月現在)
6月9日(木)ポーランド(Poland)のザコパネ(Zakopane)のCamp場
朝9時半にCamp場を出る。今日は山岳路を走り、Polandとの国境に近い町で1泊する予定。周りの山々に昨夜雪が積もり、白く成っていた。通りで昨夜は寒かった訳である。
途中、道路脇に切り出した木材がうず高く積まれて居る所が多く有った。更に結構広い面積に於いて、山の木々が幹の途中から折れたり、又根元から倒壊していた。多分1~2年前に、相当な強風に遭ったのではないかと思われた。
そん様な所を暫く走っていると、今日の目的地に着いてしまった。廻りを見るに湖も無いし、近くの山もそれ程高く無く、見どころも無いのでPolandへ抜ける事にして国境へ進む。
途中に有ったガソリンスタンドで余ったお金zl400分燃料を補給し国境へ向かう。
国境に着きSlovakia側の入管にて出国印を押してもらい、直ぐ隣のPoland税関にて入国印と車の持ち込みチェックを受け入国完了。Polandの国境に近い町Zakopaneの町にて銀行を探しカードにて1000ZLを引き出し、近くに有ったCamp場に泊まる。
宿泊費27ZL
走行距離131Km 給油10.73L
スロバキア走行距離 392Km
全走行距離 96,549Km
6月10日(金)
クラクフ(Krakow)のIbis
Hotel
朝、昨夜よりの強い雨が引き続き降っている。Camp場内の道がぬかるみ、歩きずらい。1日のんびりと過ごすにも、キャンプ場の条件が悪すぎるので、周囲の風景も見ていないが出発した。
ポーランドの民家 |
Krakowの町を目指して走る。クラコーワ町の20Km程手前に有ったガススタンドにで、Polandで始めての給油をする。軽油はNOと標示されていた。L(リッター)表示でなく「Dm3」と表示されていた。Dm3とは1立方デシメートル
で1リッター と同意義であっる。
途中で見えた川は増水しており、数日雨が降り続いた様子である。Krakowの町が近づいて来た時道路脇にIbis Hotelの看板が有たので、Hotelを探しヴィスワ川沿いに有たIbisHotelに泊る。
6時過ぎ雨が上がったのでクラコーワの町の中央広場に行った。広場を散策しながら織物会館へ歩いて行き、会館内の土産物店を覗いて廻った。
宿泊費310ZL
走行距離152Km 給油30.62L
世界遺産Wieliczkaの岩塩鉱
6月11日(土) Krakow郊外のCamp場
朝、久々にHotelの朝食を取る。朝食代が1人50ZLと大変高かった、内容は其れなりに豪華な朝食であった。9時半にHotelをチェックアウトする。
Hotelの前に郵便局が有ったので日本宛手紙を出す。クラコーワの町を未だ見ていないので、もう1日この町に留まる事にした。Camp場への標識が有ったので、先ずCamp場に行ってみた。町から結構離れて居たがCamp場に入る。
岩塩鉱内に作られた教会 |
天気も今一なので今日は町の見学をやめWieliczkaの岩塩鉱へ行く事にした。そこで世界遺産に登録されているWieliczkaの岩塩鉱への道を聞き出かける。20分程でWieliczkaの岩塩鉱へ到着する。駐車料を払い車を止め、鉱山へ入って行く。入場料が1人50ZLとこれまた高い。10分程待って英語のツアーに参加する。地底湖や塩で造られた教会内部特にシャンデリア等は素晴らしい出来で有った。更に博物館を見て約3時間坑内見学を終え、エレベターで入り口に戻る。
しかし、以前オーストリアのザルツブルグで見た塩岩坑ほどは感動を受けなかった。外には多くの見学者が行列を作っていた。
4時過ぎCamp場に戻る。
宿泊費28ZL
走行距離43Km 給油0L
6月12日(日)
Krakow郊外のCamp場
朝9時、雨の降る中Camp場をAuschwizへ向け出発する。
しかし、雨が強いので移動を止め、Krakowの町を見学する事にした。チャルトリスキ美術館にてダビンチの作と言われる「白いテンを抱く貴婦人」と言う絵を見る。
その後、中央広場に向かう。通りにネットカフェが有ったのでMailを確認する。山崎さんからのMailが此処数日入っていない。どうして居るのかなと心配する。長男からMailが入って居た、兄弟3人でチャトをやって入る、夫々元気な様子だと。
広場では骨董市が開かれて居た、この骨董市入場料が必要との事、入場料を払い2人で市場内を見て歩く。この周囲は幸いに戦火を逃れ、昔のままの姿を保っている町並みと言われている。
次に日本美術、技術センター“マンガ館”へ行く。この博物館100年程前に日本の美術品の収集家で有ったポーランド人の収集品を、日本人の有志の寄付により展示館を造り、其処に日本の美術品が展示されていた。北斎の江戸百景の特別展が開催されていた。又、今日は日曜日の為入場無料で有った。
博物館見学で遅くなってしまったので、Auschwizへ向かうのを取止め昨日泊まったクラコーワのCamp場に戻った。
Auschwizはドイツ語でPolandではOswiecinと言う。
宿泊費28ZL
走行距離43Km 給油0L
アウシュビッツ強制収容所
6月13日(月) Katowiceの町のCamp場
アウシュビッツのゲート |
死体焼却炉 |
博物館の建屋前迄行き館の横に有った駐車場に車を停め、有名な収容所の鉄のアーチを潜り、先に進み建屋に入る。建屋内はツアー待ちの団体で物凄い人であった。ツアーに参加しようとしたが、ツアーの出発迄時間が有り過ぎるのでツアーに参加せず、自由見学にした。
しかし、100万人近くを抹殺させた現実を見た感がした。最後に出口横にて映画をやっていたのでこれも見た。以前に見た映画での印象が余りにも強烈であったが故に、今回は少し物足りなさを感じた。
第2収容所の全景 |
収容棟内の階段ベッドの列 |
宿泊費25ZL
走行距離131Km 給油0L
6月14日(火)
ワルシャワWarszawa市内のCamp場
朝9時クラコウワのCamp場を出発、幹線道路1号線をワルシャワ(Warszawa)へ向かう。距離は300Km程、午後2時頃Warszawaの町に到着。
市内の観光案内所にてCamp場の場所を聞き、Camp場に向かう。そのCamp場はキャンパーで一杯であると断られた。仕方なくCamp場にて別のCamp場を紹介してもらい移動する。
着いたCamp場はHotelの併設の為か宿泊費45ZLと大変高い。Camp場は料金が高いと設備が良いとは限らない良い例であった。
ワルシャワの町は第2次大戦末期、爆撃等で徹底的に破壊されたが、戦後に戦前通りに忠実に復元されている。破壊された事が嘘の様に思えた。
宿泊費45ZL
走行距離302Km 給油38.1L
6月15日(水) トルン(Torun)のCamp場
朝9時過ぎCamp場を出様とした時、1人のオランダ人が車両に貼ってある国際識別記号(自動車)の「J」マークを見て、Jは何処の国かと聞いてきたので「Japan」だと答える。すると、「Japan」で無く「NIPPON」では無いかと問うて来た。そして「NIPPON」だから「N」ではないかとも言って来た人は2人目で有る。(ちなみに「N」はノルエーである)
ワルシャワの街中 |
ショパン博物館を見学後、旧市街地へ車で移動し、市街地の門の直ぐ脇に有った駐車場に車を止め旧市街内を散策する。
その後、旧市街地の門外に有るキューリー婦人の博物館を見学する。放射線の発見者キューリー婦人の生き様が良く見えた。婦人はPoland生まれだが、実際の活動はFranceで行って居たとの事で有った。
午後2時頃ワルシャワの町を出てトルン(Torun)の町へ向け出発する。午後5時半、250Km程走りTorunの町に到着した。
初めに観光案内所を探しに行と思い走っていたら、丁度直ぐ前を1台のCamping Carが走って居た。その後を着いて行く事にしたら、予想的中Torunの町中のCamp場に入って行った。
そこに今夜は泊まる、このCamp場、結構混んで居た。
走行距離254Km 給油40.5L
世界遺産 トルンの旧市街地
6月16日(木)
ポズナン(Poznan)の町のCamp場
旧市役所前に建つコペルニクス像 |
Camp場を出てTorunの町中に入る。旧市内の城門を潜ると直ぐ脇に有った駐車場に車を停める、係員が来て2時間分として4.5Zlと言うので支払う。
旧市役所の塔から見たトルンの町並み |
時間に成ったので旧市役所の塔へ登る事にして、入場料を聞くと10ZLと言われた。ガイドブックには1ZL
と書いてあった。塔の階段は木製で狭く、多くの人が一度には登れなく成っている。塔はそれ程高くは無いが、周りの建物が低いので街並が綺麗に見えた。
その後、町中の露天等を散策し、12時前に町を出る。
ポズナン
の街中で観光案内所を探す。ポズナン
の国立美術館脇に有った駐車場に車を停め旧市街地に入って行った。旧市街地の広場の周囲の家並は美しく、更に広場にはレストランの他、回転木馬や露天が建ち並び、多くの人が散策していた。
広場に面した所に観光案内所が有り、近郊のCamp場の場所を聞いてCamp場へ向かう。
宿泊費27ZL
走行距離168Km 給油33.46L
6月17日(金)Szczecinの町のHotel
ボスナンの旧市役所 |
その後、12時少し前なので12時から始まる、旧市庁舎の仕掛け時計を見に行く。12時に成ると塔の上でトランペットを吹く人が居て、仕掛け時計のショーが始まった。2匹の山羊が並んでゆっくりと出て来た、そして2匹が向い合い角を付き合わせた。その角の突合せの音が12回成ると言う仕掛けで有った。
美術館にはPolandの画家を主体に展示が成されていた。
その後、町を出て3号線をドイツに向かう。途中にて5時を過ぎるので、Szczecinの町の少し手前の道路脇に有ったHotelに泊る。所持金の全ての130ZLを支払う。
宿泊費130ZL
走行距離192Km 給油0L
ドイツ(3)
6月18日(土)Rostock町のCamp場
朝、Hotelの朝食を食べる、130ZL日本円で約4千円にしては結構豪華で有った。
9時Hotelを出発し、Szczecinの町のスーパーにて食料品を買い込み、又燃料を補助タンク含めて給油した。Polandでは軽油の事を「ON」と表示されており、軽油はブルーの色が着けられている。更に、ガソリンより1割程度安いのみで有る。スタンドにはドイツナンバーやその他外国ナンバーの車両が沢山列を成していた、それだけドイツ等に比べ燃料が安いからで有る。
ドイツの茅葺家屋 |
更に国境付近には色々な商品の販売所が幾つも有る、ドイツから多くの人が国境を越え買出しに来ている。ポーランドはドイツより諸物価が安い為と思われる。Czechの国境でも同様で合った。そしてドイツ国境の町Lubieszynにてパスポートにポーランドの出国印を貰い3度目のドイツ入国を計る。
早速アウトバーンを走る、何か安心感を受けた。それも束の間ドイツのRostockの町のトンネルの通行料金として€5を徴収される。€5と言えば、日本円にて700円である、その値段の高さにびっくり。又、道路脇には茅葺の家が点在しているのが見えた。
Rostockの町の郊外に有った、北海に面したCamp場に泊る。海水浴をしている人が見た。
宿泊費€14
走行距離375Km 給油58.62L
Poland走行距離 1,411Km
全走行距離 97,564Km
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