27. .スロバキア・ ポーランド(1)

2005


   32番目の訪問国スロバキア(Slovakia)
           「1SKK(スロバキア・コルナ)≒3.6円」(2009年1月1日EURに変換)

66()スロバキア (SlovakiaTrencin町のCamp

 HlaniceCamp場を9時に出発、今日はSlovakiaへ向かう。先日プラハ(PrahaのCzech Toyotaの人に教えてもらったSlovakiaの見るべき町としてTrencinを紹介されたので其方に向かう。
 午後1時過ぎ国境に到着、Czechの入管だと思っていたら、どうもSlovakiaの入管で有った様でCzechの出国印が無くSlovakiaの入国印が押されて居た。Czechの出国処置は未処置である。ここでの日本人は全く問題視されず、そのままSlovakiaに入国した。
丘の上のトレンテーン城
 そして一般道を20Km程走り、Trencinの町に到着する。町に近づくと山の上に立派なお城が現れた、トレンテーン城であった。町中の観光案内所へ行きお城までの道順と、Campの場所を聞く。それと高速道路料(スロバキア の高速道路利用料も、チェコ同様、期間の前払い方式である。)のシールの販売所を聞くとガソリンスタンドで売って居ると教えて貰った。
 Camp場は町を流れる川の中州に有り其処に泊る。トレンテーン城がライトアップされ綺麗に見えた。

宿泊費SSK270
走行距離191Km 給油30.5L
                      


67()Martin町のCamp

 朝9Camp場を出発して町中に行き、駐車場に車を止めお城へ坂道を歩いて登る。
トレンテーン城
 森の中をさ迷い、やっとお城への道を探し出す。城は修復始めた処で、外観を修復中でまだまだ完成には程遠い感じで有った。場内に入るとツアーと成っていた。客は4名のみで2人はドイツ人でガイドがドイツ語での案内し、当方2人には英語で案内してくれた。この城は1700年代に火災を起こし、その後放棄されたとの事で有るが、さぞかし昔は広くて立派な城で有ったと想像された。12時過ぎ城を出て駐車場に戻り、町を出る。
              城から見たMartinの町並み
 高速道路が有るが高速道路入場シールを買って無いので一般道を走る事にして、Zilinaの町へ向かう
 Zilina町の中央広場に有る観光案内所にてネットカフェを聞くと、ネットカフェこの町には無いと言われ更に、Camp場を教えて貰い、観光案内所に有ったSlovakia全土CampMapSSK109にて購入する。
 そして観光案内所で教えてもらった町Camp場とは異なる高原の中のCamp場に泊る。山が近く見える様に成り、外気温が下がり夜はかった。今夜は久々に毛布を使って寝る様うである。

宿泊費SSK350
走行距離113Km 給油0L

 
68() Liptovasky郊外のCamp

 Martinの町郊外のCamp場を9時過ぎ出発する。チェコ・トヨタにて教えてもらったルートに沿って進む。
ラリーの出発ゲート
出発を待つクラシック・カー
 直ぐに国道脇で何かお祭りをやって居る様なので、車を停める。自動車行事をやっていたので車から降りて見に行った。クラシックカーSlovakia国内500Kmラリーが行われていた。欧州各国から時代物の車が多数集まっており、3台ずつ組に成りスタートして行った。スタート後にエンストし走らなく成った車エンジンが駆らず牽引車に乗ったまま出発する車も数台有った。 Slovakiaの山岳地帯で有るがそれ程標高がなく、丘陵地帯のような感じで有るなだらかなSlovakiaに於いては変化有る風景であった。Poland国境に近いダム湖が有り、湖畔Camp場が有ったが未だ1時過ぎので、泊まるには早すぎるので、更に先に進む。
 山を降りた所に又もや大きな湖が有り、その湖畔に有るLiptovaskyと言う町へ行く。町中にスーパーマーケットが有たので食材をして湖畔にったCamp場に泊る。
 湖畔のCamp場は強風に雨混じりで、更に大変寒かった。一晩中強風が吹き荒れ、車が時々揺れ眠れなかった

宿泊費250KS
走行距離152Km 給油33.28L



           33番目の訪問国 Poland(1)
             1zlズウォティ26.3 (20123月現在)

69()ポーランド(Polandザコパネ(ZakopaneCamp
  

 朝9時半にCamp場を出る。今日は山岳路を走り、Polandとの国境に近い町で1泊する予定。周りの山に昨夜雪が積もり、白く成っていた。通り昨夜は寒かった訳である。

 途中、道路脇に切り出した木材がうず高く積まれて居る所が多く有った。更に結構い面積に於いて、の木が幹の途中から折れたり、又根元から倒壊していた。多分12年前に、相当な強風に遭ったのではないかと思われた。
 そんな所を暫く走っていると、今日の目的地に着いてしまった。廻りを見るに湖も無いし、近くの山もそれ程高く無く見どころ無いのでPolandへ抜ける事にして国境へ進む。
 途中に有ったガソリンスタンドで余ったお金zl400分燃料を補給し国境へ向かう。
 国境に着Slovakiaの入管にて出国印を押してもらい、直ぐ隣のPoland税関にて入国印と車の持ち込みチェックを受け入国完了。Polandの国境に近い町Zakopaneの町にて銀行を探しカードにて1000ZL引きし、近くに有ったCamp場に泊まる。

宿泊費27ZL
走行距離131Km 給油10.73L
           スロバキア走行距離 392Km
              全走行距離  96,549Km




610() クラクフ(KrakowIbis Hotel

 朝昨夜より強い雨が引き続降っている。Camp場内の道がぬかるみ、歩きずらい。1日のんびりと過ごすにも、キャンプ場の条件が悪すぎるので周囲の風景も見ていないが出発した。
ポーランドの民家
 Krakowの町を目指して走るクラコーワ町の20Km程手前に有ったガススタンドにPolandで始めての給油をする。軽油NOと標示されていた。L(リッター)表示でなくDm3と表示されていた。Dm3とは1立方デシメートル で1リッター と同意義であっる
 途中で見えた川は増水しており、数日雨が降り続いた様子である。Krakowの町が近づいて来た時道路脇にIbis Hotelの看板が有たので、Hotelを探しヴィスワ川沿いに有IbisHotelに泊る。
 6時過ぎ雨が上がったのでクラコーワの町の中央広場に行った。広場を散策しながら織物会館へ歩いて行き、会館内の土産物店を覗いて廻った。

宿泊費310ZL
走行距離152Km 給油30.62L



             世界遺産Wieliczkaの岩塩鉱

611() Krakow郊外のCamp

 朝、久々にHotelの朝食を取る朝食代が150ZLと大変高かった、内容は其れなりに豪華な朝食であった。9時半Hotelチェックアウトする。
 Hotelの前に郵便局が有ったので日本宛手紙を出す。クラコーワの町を未だ見ていないので、もう1日この町に留まる事にした。Camp場への標識が有ったので、先ずCamp場に行ってみ。町から結構離れて居たがCamp場に入る。
岩塩鉱内に作られた教会
 天気も今一なので今日は町の見学をやめWieliczkaの岩塩鉱へ行く事にした。そこで世界遺産に登録されているWieliczkaの岩塩鉱への道を聞き出かける。20分程でWieliczkaの岩塩鉱へ到着する。駐車料を払い車を止め、鉱山へ入って行く入場料が150ZLとこれまた高い。10分程待って英語のツアーに参加する。地底湖や塩で造られた教会内部特にシャンデリア等は素晴らしい出来で有った。更に博物館を見て3時間坑内見学終え、エレベターで入り口に戻る
 しかし、以前オーストリアのザルツブルグで見た塩岩坑ほどは感動を受けなかった。外には多くの見学者が行列を作っていた。
 4時過ぎCamp場に戻る。

宿泊費28ZL
走行距離43Km 給油0L


612() Krakow郊外のCamp

 朝9雨の降る中Camp場をAuschwizへ向け出発する。
 しかし、雨が強いので移動を止め、Krakowの町を見学する事にした。チャルトリスキ美術館にてダビンチの作と言われる「白いテンを抱く貴婦人」と言う絵を見る。
 その後中央広場に向かう。通りにネットカフェが有ったのでMailを確認する。山崎さんからのMailが此処数日入っていない。どうして居るのかなと心配する。長男からMailが入って居た、兄弟3人でチャトをやって入る夫々元気な様子だと。
 広場では骨董市が開かれて居た、この骨董市入場料が必要との事、入場料を払い2人で市場内を見て歩く。この周囲は幸いに戦火を逃れ、昔のままの姿を保っている町並みと言われている。
 次に日本美術、技術センター“マンガ館へ行く。の博物館100年程前に日本の美術品の収集家で有ったポーランド人の収集品を、日本人の有志の寄付により展示館を造り其処に日本の美術品が展示されていた。北斎の江戸百景の特別展が開催されていた。今日は日曜日の為入場無料で有った。
 博物館見学で遅くなってしまったので、Auschwiz向かうのを取止め昨日泊まったクラコーワのCamp場に戻った。
 Auschwizはドイツ語でPolandではOswiecinと言う。

宿泊費28ZL
走行距離43Km 給油0L



                アウシュビッツ強制収容所

613() Katowiceの町のCamp

アウシュビッツのゲート
死体焼却炉
 朝から久々の快晴である、9Camp場を出発しアウシュビッツ強制収容所で有名なオシフィエンテ(Oswiecinの町を目指す。一般道の44号線を70Km程西に走る。11時頃Oswiecinの町に到着する。早速観光案内所を探すも中々見付らず、やっと町中にて地図看板を見つけた。しかし、現在地が解らないので、通行人に聞くも全く英語が通ぜず知らないとの返事ばかり。仕方なく、先に進む23度行き来してやっとアウシュビッツ(Auschwiz博物館の標識を見つけ、標識をたどり進むと博物館た。
 博物館の建屋前迄行き館の横に有った駐車場に車を停め、有名な収容所の鉄のアーチを潜り、先に進み建屋に入る。建屋内はツアー待ちの団体で物凄い人であった。ツアーに参加しようとしたが、ツアーの出発迄時間が有り過ぎるのでツアーに参加せず、自由見学にした。
 
第2収容所のゲート
 館の入り口にて日本語パンフレットが売られていたので購入した。建物等は当時のそのままでは有るが綺麗に整理されており、以前映画で見たアウシュビッツの迫力は感じられなかった。
  しかし、100万人近くを抹殺させた現実を見た感がした。最後に出口横にて映画をやっていたのでこれも見た。前に見た映画での印象が余りにも強烈であったが故に、今回は少し物足りなさを感じた。
第2収容所の全景
 映画を見る前2人の若い日本人男性が居て話をする。東京と千葉から来て2週間の予定で旅をしているといっていた。町へ帰ろうと思い車に戻ると、2人がバスを待っている姿が見えたので町まで送ると声を掛けた。すると2人は近くに第2博物館が有るので其方に向かう為にバスを待って居たとの事。博物館は近くに有ると言うので、此方も行く事にして2人を車に乗せ第2博物館へ向かう。第2博物館は広大な敷地に無数の粗末な木製の建屋が並んで居た。又、その施設の入り口には1本のレールが引かれ当時の収容者が送り込まれてきた情況を思い起こせた。
収容棟内の階段ベッドの列
 第2博物館を見終えた後2人と別れ先にワルシャワ(Warszawaへ向いOswiecinの町を出る。 4時を廻って居たので途中のKatowiceの町に有ったCamp場に泊る。Campの上空には数機のグライダーが飛んでいた。



宿泊費25ZL
走行距離131Km 給油0L



614() ワルシャワWarszawa市内のCamp

 朝9クラコウワのCamp場を出発、幹線道路1号線をワルシャワ(Warszawaへ向かう。距離は300Km程、午後2時頃Warszawaの町に到着
 市内の観光案内所にてCampの場所を聞きCamp向かう。そのCamp場はキャンパーで一杯であると断られた。仕方なくCamp場にて別のCamp場を紹介してもらい移動する。
 着いたCamp場はHotelの併設の為か宿泊費45ZLと大変高い。Camp場は料金が高いと設備が良いとは限らない良い例であった。
 ワルシャワの町は第2次大戦末期、爆撃等で徹底的に破壊されたが、戦後に戦前通りに忠実に復元されている。破壊された事が嘘の様に思えた。

宿泊費45ZL
走行距離302Km 給油38.1L







         ショパン博物館とキューリー婦人の博物館

615() トルン(TorunCamp  

 朝9時過ぎCamp場を出様とした時、1人のオランダ人が車両に貼ってある国際識別記号(自動車)のJマークを見て、Jは何処の国かと聞いてきたので「Japan」だと答える。すると、「Japan」で無く「NIPPON」では無いかと問うて来た。そしてNIPPON」だから「N」ではないかと言って来た人は2人目で有る。(ちなみに「N」はノルエーである)
ワルシャワの街中
 そしてワルシャワの町中に入る途中に有ったスーパーで食材の買い物をして、町を見に向かう。始めにショパン博物館に行く、林の中に建つ博物館前に車を止める。かのショパンが此処で生活していたのかと思うと不思議な気持に成ってくる、博物館入場無料であった。
 ショパン博物館を見学後、旧市街地へ車で移動し、市街地の門の直ぐ脇に有った駐車場に車を止め旧市街内を散策する。
 その後、旧市街地の門外に有るキューリー婦人の博物館を見学する。放射線の発見者キューリー婦人の生き様が良く見えた。婦人はPoland生まれだが、実際の活動はFranceで行って居たとの事で有った。
 街中にに1944年動乱の記念像で子供が大きなヘルメットを被り、銃を持って居る姿であった。当時の混乱を如実に現していたものと思われる。
 午後2時頃ワルシャワの町を出てトルン(Torunの町へ向け出発する。午後5時半、250Km程走りTorunの町に到着した。
 初めに観光案内所を探しに行と思い走っていたら、丁度直ぐ前を1台のCamping Carが走って居た。その後を着いて行く事にしたら、予想的中Torunの町中のCamp場に入って行った。
 そこに今夜は泊まる、このCamp場、結構混んで居た。


宿泊費31ZL
走行距離254Km 給油40.5L



          世界遺産 トルンの旧市街地

616() ポズナン(Poznanの町のCamp

 朝9時過ぎトルン のCamp場を出る時、Camp市内地図が無
旧市役所前に建つコペルニクス像
いかと聞くと有るが2ZLとの返事、代金を払い市内地図を購入する。市内地図が無料の場合には、Camp申し込み時呉れる場合が多い。

  Camp場を出てTorunの町中に入る。旧市内の城門を潜ると直ぐ脇に有った駐車場に車を停める、係員が来て2時間分として4.5Zlと言うので支払う。
旧市役所の塔から見たトルンの町並み
 旧市街広場の中央に建つ旧市役所に行くと、10時開館と書いて有り、その間世界遺産に登録されて居る旧市街を散策する。旧市役所の南側にコペルニクスの像が建っている。コペルニクスはこの町で生まれ、地動説を唱えた。
 時間に成ったので旧役所の塔へ登る事にして、入場料を聞くと10ZLと言われたガイドブックには1ZL と書いてあった。塔の階段は木製で狭く、多くの人が一度には登れなく成っている。塔はそれ程高くは無いが、周りの建物が低いので街並が綺麗見えた。
 その後、町中の露天等を散策し12時前に町を出る。
ポズナンの街の広場
 次に向かったのはポズナン (Poznanの町、町までは200Km弱で午後4時頃Poznanの町に着く。
 ポズナン の街中で観光案内所を探す。ポズナン の国立美術館脇に有った駐車場に車を停め旧市街地に入って行った。旧市街地の広場の周囲の家並は美しく、更に広場にはレストランの他、回転木馬や露天が建ち並び、多くの人が散策していた。
 広場に面した所に観光案内所有り、近郊のCamp場の場所を聞いてCamp場へ向かう。

宿泊費27ZL
走行距離168Km 給油33.46L



617()Szczecinの町のHotel





ボスナンの旧市役所
 朝、例の如く9Camp場を出てポズナン (Poznanの町へ行く。国立博物館前に車を止め、旧市役所前広場に行く。手紙を出す為、郵便局へ行く予定で有ったが広場内に郵便局の出店が出ておりそこで切手を買って日本宛投函する。
 その後、12時少し前なので12時から始まる、旧市庁舎の仕掛け時計を見に行く。12時に成ると塔の上でトランペットを吹く人が居て、仕掛け時計のショーが始まった。2匹の山羊が並んでゆっくりと出て来た、そして2匹が向い合い角を付き合わせた。その角の突合せの音が12回成ると言う仕掛けで有った。

旧市役所前広場
 その後広場の中の店を散策していると、雨が降って来たので急いで国立美術館へ向かう。
美術館にはPolandの画家を主体に展示が成されていた。
 その後、町を出て3号線をドイツに向かう。途中にて5時を過ぎるので、Szczecinの町の少し手前の道路脇に有ったHotelに泊る。所持金の全て130ZLを支払う。

宿泊費130ZL
走行距離192Km 給油0L


                  ドイツ(3)

618()Rostock町のCamp

 朝、Hotelの朝食を食べる、130ZL日本円4千円にしては結構豪華で有った。
 9Hotelを出発し、Szczecinの町のスーパーにて食料品を買い込み、又燃料を補助タンク含めて給油した。Polandでは軽油の事を「ON」と表示されており、軽油はブルーの色が着けられている。更に、ガソリンより1割程度安いのみで有る。スタンドにはドイツナンバーやその他外国ナンバーの車両が沢山列を成していた、それだけドイツ等に比べ燃料が安いからで有る。
ドイツの茅葺家屋


 更に国境付近には色々な商品の販売所が幾つも有る、ドイツから多くの人が国境を越え買出しに来ている。ポーランドはドイツより諸物価が安い為と思われる。Czechの国境でも同様で合った。そしてドイツ国境の町Lubieszynにてパスポートポーランドの出国印を貰い3度目のドイツ入国を計る
 早速アウトバーンを走る、何か安心感を受けたそれも束の間ドイツRostockの町のトンネルの通行料金として€5を徴収される。€5と言えば、日本円にて700円である、その値段の高さにびっくり。又、道路脇には茅葺の家が点在しているのが見えた。
 Rostockの町の郊外に有った、北海に面したCamp場に泊る。海水浴をしている人が見た。

宿泊費€14
走行距離375Km 給油58.62L
                                          Poland走行距離 1,411Km
                            全走行距離 97,564Km

0 件のコメント: